裁判沙汰

「いよいよ明日が柱合会議ですね」

が道場の壁にかけてある暦を見て呟いた。

半年に一度、鬼殺隊の中でも最も位の高い9名の剣士“柱”が
鬼殺隊本部に集まり、行われるのが柱合会議だ。

話題は戦績、強力な鬼についての情報共有や、
鬼舞辻無惨の行方の手がかりの有無、
隊員の教育方法、指揮についてなど、多岐にわたる。

を道場に呼び出した杏寿郎も頷いて、浮かべた笑みを深くする。

「こたびは誰も顔ぶれが変わっておらず、
 俺の知る限り大きなけがを負った人間もいない! めでたいことだ!」

鬼殺隊の柱ともなれば強力な鬼、特に十二鬼月との戦闘にかり出されることもある。

柱は鬼殺隊の中でも実力者の集まりではあるが、
常に生死をかけた戦いをしていることに変わりはなく、入れ替わりも激しい。
だから今回のように一人も欠けることなく無事に集まれることは喜ばしいことでもあった。

「それに君も半年大きな問題を起こさなかった! 俺は大変嬉しく思う!」
「不出来な弟子で申し訳ございません」

杏寿郎が感慨深そうに言うので、は苦笑してみせた。

実際、柱合会議でも何度かの名前が議題に登っているので、
杏寿郎としては心配だったのだろう。

は軽く咳払いをすると、話題を変える。

「さてさて、事前に半年で倒した鬼殺数はまとめておきましたし、
 経費の資料も提出準備は整っております。ご確認くださいませ」

があらかじめまとめていた資料を杏寿郎に手渡した。
杏寿郎はパラパラと目を通し確認すると、ホッと安堵の息をつく。

「ありがとう君! 本当に助かった!
 日誌はマメにつけるようにしているのだが、まとめるのが億劫でなぁ……!」

「鬼殺の後だとすぐに筆を取れない場合もありますものね。
 そうなると歯抜けになりがちですし」

杏寿郎の零した言葉に、も頷いた。
の仕上げた資料は、杏寿郎との日誌を参考にまとめたものである。

「余談ですけれど、煉獄さんは日誌に食べたものを書いてらっしゃるから
 まとめててお腹が空きました……」

きっちりまとめた事務的な資料からはうかがえないの感想に、
杏寿郎は快活な笑い声をあげる。

「はっはっは! 地方に行く時はことさらその土地のものを食うのが楽しみでな!」
「本当に健啖家でいらっしゃいますねぇ」

感心するそぶりを見せたのち、はニコニコと笑みを深めた。

「ともかく、資料に不足がないならば、
 あとは明朝出立するだけ、……おや?」
「うん?」

と杏寿郎が羽音を聞き取って顔を向けると、
道場の入り口から鎹鴉が入り込み、二人のそばで鳴き声をあげた。

「カアァア! カアァア! 伝令! 伝令!」

鴉が伝えたのは大きく4つのことだった。

冨岡義勇が那田蜘蛛山で十二鬼月の“下弦の伍”の討伐に成功したこと。
竈門炭治郎隊員と、鬼である禰豆子の兄妹を拘束して本部に送検したこと。
鬼の禰豆子を退治しようとした胡蝶しのぶを義勇が妨害したこと。
竈門兄妹と義勇の処分について柱合会議改め、柱合裁判を開き沙汰を決めること。

伝令を終えた鴉が飛び立つと、杏寿郎は憤りを覚えた様子で腕を組んだ。

「十二鬼月の討伐は喜ばしいが……!
 鬼殺隊隊員ともあろう者が鬼を連れていたのか! けしからんな!」

「あら、……裁判になってしまったんですねぇ」

「全く言語道断な話ではないか! 裁判の必要などあるものか!
 隊員も鬼も、即刻首を刎ねてやるべきだろう!」

とにかく鬼を連れていた隊員がいるということが許せないらしい杏寿郎に、
は目を丸くしてみせる。

「まあまあ、煉獄さんたら随分とおかんむりですこと……。
 鬼のような女 わたし を副官に据えたあなたがそうも怒るとは思いませんで」

の茶化すような言い草に、杏寿郎はムッとした様子で食ってかかった。

「自覚があるなら改めてくれるとありがたいな!! 
 というか、前々から思っていたが君は自己評価がおかしい!
 君は鬼ではないと何度も言っているだろうに!」

杏寿郎は嘆息する。
の妙な自己評価の低さと悪癖は相変わらずだ。

「だいたいな、君が俺の副官になったのは、
 君が救護、鬼殺において成果を出した上で、全く悪癖が治らんからだ!」

そのくせ、はかなりの成果をあげていた。

一般人、隊員問わずの応急処置、的確な治療。鬼の解剖図の作成。
そして杏寿郎と鴉の監視付きという条件があるとはいえ、安定した鬼殺数を誇るを、
平隊員として遊ばせておくのは勿体無い、という意見が柱合会議に登ったのが半年前。

しかしの悪癖は未だ治っていない。

杏寿郎の元を離れ、監視の目のない“自由”な立場になってしまうと、
せっかく抑えられてきた残酷趣味がぶり返す恐れもあった。
また、そんなに下の隊員を任せることは危険である。

ならばが安定している今の状態を保ちつつ、
階級を上げて働かせるべきであるという結論に達したのだ。

そういうわけで、は煉獄杏寿郎の副官という、異例の地位に収まったのである。

当の本人はというと、もともと出世に興味があったわけでもない様子で、
鬼を見て湧き上がる衝動と闘う日々を過ごし、与えられた仕事をこなしている。

だからだろうか、杏寿郎の指摘には不服そうだ。

「ええー……私、これでも結構頑張っているつもりなのですけど……。
 近頃はなるべく短期決着を目指しているんですよ?」

は抗議するも、杏寿郎は「まだまだだろう」と首を横に振る。

「多少の制御ができるようになったのは認めるが、
 たまに鴉の命令を無視したりしてるだろう。俺の目は誤魔化せんぞ!」

「そう言われてしまうと耳が痛いですねぇ……」

も自覚がないわけではないので肩をすくめている。

「でもでも、人間、向き不向きがありますでしょ?
 私は補佐とか援護向きなんですよ、あとごうも、失礼。尋問とか」

の反論に、杏寿郎はやれやれ、と肩を落とした。

失言はともかく、実際、の言うことも間違ってはいないからだ。
が副官となってから杏寿郎の仕事が捗るようになったのも事実である。

「……俺も君の補佐には助けられているから強く言えまいが、
 もう少し後輩を指揮できるようになれば良いのだがなぁ」

は張り付けたような笑みを浮かべて曖昧に濁している。

これ以上小言めいたことを言っても響かないだろうと、
杏寿郎は話題を変えた。

「ところで君、裁判沙汰になった隊員とは顔見知りなのか?
 さっきそんなようなことを言っていたように聞こえたが」

は口元に手を当てて、はぐらかすように笑う。

「うふふ、バレました?」

「……なぜ俺に報告しなかった?
 隊員が鬼を連れていたなら、君は即座に見抜いたはずだ」

先ほどまでの冗談めかした雰囲気が嘘のように、ピリリと空気が引き締まる。
さすがにもまじめな表情になって、口を開いた。

「お館様の意を汲みました」
「何だと?」

いぶかしむ杏寿郎に、は順を追って説明を始める。

「まず、お館様が入隊希望の人材の身辺を洗わぬわけがありませんでしょう?
 隊員候補生がただの人喰い鬼を連れていたならば鬼殺隊には入れますまい。
 その場で別の隊員が派遣されて終わりです」

杏寿郎はの言い分に頷いた。
確かに、耀哉の目をかいくぐって、鬼殺隊の隊員が鬼を連れ歩くのは不可能だろう。

「でもお館様は竈門兄妹の入隊を良しとしている。であれば理由があるはず。
 実際私の見た鬼、竈門禰豆子は他の鬼とは違います。
 彼女は人を喰っておりませんでした」

杏寿郎は眉を顰める。

「……あり得るのか、そんなことが?」

にわかには信じがたいことだったが、は淡々と頷いてみせた。

「確かめましたもの。本当ですよ。
 うふふふ、鬼の妹さん、私が目の前で首を露わにしても、
 必死に飢えを堪えておりました」

「あの顔、愛らしかったなぁ……」とうっとり頰を抑え、愉快そうに声を弾ませるに、
杏寿郎は一瞬言葉の意味をよく飲み込めなかった。
言葉を整理したのち、杏寿郎は思わず声を荒げる。

「君は一体何をしてるんだ!?」

「うふふ! もちろんお仕事ですよぉ。
 おそらくお館様の狙いもそこにありましょう」

は人差し指を立てて、何か言いたそうな杏寿郎を無視して言葉を続けた。

「つまり、お館様が竈門兄妹の存在を下の者どもに知らせなかったのは
 彼らが身内である鬼殺隊隊員と対立することがあっても、
 “鬼殺隊”として戦えるか否かを測っておられたのでは、と考えたのです」

「当然鬼を連れている状況で別の隊員と出くわせば、事情の説明を求められたり、
 私のように鬼を試したり攻撃するものも現れるわけですから、
 その対処をうまくできるかできないかが、竈門隊員への試験だったのでは? とね」

「私は竈門兄妹の試金石の役目を果たしたというわけですね」と言うに、
杏寿郎は腕を組んで思案する。

確かに、の推察は筋が通っていた。

「そもそも裁判にかけられる竈門隊員は水の呼吸の一門だそうで。
 育手と、水柱の冨岡さまも鬼の存在は知っていたご様子」

鴉も、義勇の処分の是非を問うと鳴いていた。
杏寿郎は眉を顰めて、難しい顔をする。

「むむ……! 冨岡まで知っていて許容していたとなると……!」

「まァ、あの方は事前に根回しをするようなお方ではないですからね」

の義勇への評価はなかなかぞんざいだったが、杏寿郎もほぼ同意見であった。
義勇は高い実力を備えた人物ではあるものの、他の柱とは一歩引いた距離を保ち、
また言葉が足りないきらいがある。

「というわけでお館様が、竈門兄妹が鬼殺隊に必要な人材か、問題なく働けるかを
 見極める期間も必要なのではと思ったわけです。
 当時入隊して間もないと竈門隊員にも聞きましたから。
 これですぐ、私が煉獄さんに報告しますと見極めもなにもなく、大問題になりますでしょ。
 様子見が利口と考えまして、口をつぐんでおりました」 

の弁明を聴き終え、杏寿郎は深いため息を零した。

「わからんな。いや、君の考えに一理あるのはわかるが、
 お館様は何をお考えなのだろうか、鬼殺に鬼を同行させるなど!
 もしその鬼がうっかり理性を失い、
 人を喰ってしまえば取り返しがつかないというのに! 斬首するのが一番安全だろう!」

人喰い鬼を生かしておくと言うのは、飢えた熊を放し飼いにするようなものだ。

のように自分の目で確かめたわけではないので、
“人を喰べない鬼”と言うのが想像できない、と言うのも
杏寿郎が耀哉の考えを肯定できない一因であった。

悩む杏寿郎に、はあっけらかんとした様子で答える。

「つまるところ、猫の手ならぬ、鬼の手も借りたいのでは?
 昨今、人材不足なのでしょう? 私のようないささか問題のある人間を出世させるのも、
 本来ならよろしくないことだと思いますし」

の言いように、杏寿郎は唸った。
自虐的ではあるが、的を射た意見だ。

「むぅ……君のその妙な達観はなんなのだろうか! 否定しがたいのも業腹だな!」
「うふふふふ」

クスクス笑い出したに、杏寿郎は咳払いののち、ビシ、と指を突きつけた。

「ひとまずだ、君! 次からは報告・連絡・相談を徹底するように!
 おそらく君の対応は間違いではないが、
 相談してくれないのは上官としてちょっと悲しいぞ!」

「はい。申し訳ありませんでした」 

指導に素直に頭を下げたへ杏寿郎は頷き、さらに続ける。

「それからだな、むやみやたらに鬼を挑発するな! 危ないだろう!」

は張り付けた笑みを深くした。

「はい。状況に応じて」
君!」

絶対これは二度目があるな、とを咎める杏寿郎であるが、
はのらりくらりとはぐらかすばかりであった。