恐い女

柱合裁判を終え、蝶屋敷に迎え入れられた炭治郎と禰豆子は、善逸と伊之助と合流した。

炭治郎、善逸、伊之助の3人は那田蜘蛛山での任務でそれぞれ怪我を負ったので、
しばらくはこの蝶屋敷で療養することになっているらしい。

炭治郎が寝台に体を横たえようとすると、先ほどまで薬について説明をもっとしてくれと叫び、
隠に鼻水をつけたり大騒ぎをしていた善逸がガタガタと震えている。

その様子があまりにも尋常でないので、
炭治郎は自分の体が痛むのに耐えながら善逸に声をかけた。

「どうした善逸。具合が悪いのか?」
「ぅうううう! そろそろ来るんだよ、来るんだよ、来るんだよぉおおお!
 さんが来るのぉおおお!!!」

ヒィヒィ叫ぶ善逸から出た名前に、炭治郎は驚いて目を瞬く。
思い出すのは恐ろしく公平な女隊士の、薄笑いを浮かべた顔だ。

「えっ、さんて、さんのことか?! あの人蝶屋敷の人なの!?」

言われてみれば、は医療に心得を持っている人だったから、
病院の役割をしてそうな蝶屋敷に居てもおかしくはない。

善逸は再び鼻水を垂らしながら、炭治郎を見やった。

「おっ、おまっ、お前も知ってるのかよ、あのおっそろしい人を……!!!」
「善逸、とりあえず鼻をかんだほうがいいぞ」

炭治郎にちり紙を渡された善逸は鼻水を拭うと流れるように語り出した。
なんでも、善逸が蝶屋敷で目を覚まして、最初に会ったのがだったらしい。

「いやね、俺もさ、最初見たときは思わずぽ~っとしちゃったわけよ、
 美人画から飛び出してきたみたいな大和撫子が
 ニコニコしながら看病してくれてるからね!? 天国かと思うじゃない?!」

善逸は何を思い出したのか頰を染めていた、が、次の瞬間青ざめて白目を剥いた。
その表情の落差に、炭治郎は思わず肩を震わせる。

「でもあの人治療の最中メチャクチャ楽しそうなんだよ!!
 病人怪我人がのたうち回って苦しんでんのが楽しくてしょうがないって感じ!?
 わかる?!」

「わ、わかるようなわからないような、いや善逸、ちょっと、」

落ち着け、と言いかけた炭治郎を遮り、善逸はなおも続けた。

「手当は上手なんだよ! 包帯とかそれいつ巻いたの?! ってくらい早いしさ?!
 でもでも注射が最低最悪に痛いんだよ!!!
 本当に俺の腕を刺してんのはこのほっそい針か?! って痛さ!!」

善逸は自分の左腕を見やって、その時の感触を思い出したのか、
「ァアァアア!!!」と叫び声をあげ、寝台の上でゴロゴロとのたうち回っている。

「腕えぐられたんじゃねェかと思ったわ!!!
 あれ刺されて悶絶しない奴とかいるわけ!? しかもわざとなんだよ!!」

「あの、……その辺にした方がいいと思うぞ」

少々顔色を悪くした炭治郎の忠告に、興奮した善逸は気づいていないようだった。

「あの人、俺が恐怖と痛みに泣き叫んでんのを見て
『あらあら、うふふ』って感じに目ェキラッキラさせて頰を染めるわけだよ!!
 美人だけど! そこは認めますけどね?!
 さんクッソ怖いんだよ!! 怖いんだよォオ!!」

炭治郎は気づいていた。
善逸がいかにという人物が恐ろしいかを語る途中から、
あの、全てを面白がるような香りが近づいてきているのを。

そしてその人は、泣き喚く善逸の肩を優しく叩いた。
振り返って目玉をこぼさんばかりに見開いた善逸に、揶揄するような声をかける。

「はーい。呼びましたかぁ? お望み通りのですよぉ」

「ヒッ、ヒィイイイイ?!」

飛び上がりそうな勢いで驚いた善逸は、やがて黙り込んでぶるぶる震え出した。
はというと、挙動不審な善逸を前に淑やかな笑みを浮かべている。

「うふふ。我妻くんは感情が豊かでいいですねぇ、
 泣いたり喚いたり怯えたり、忙しくて愛らしいわぁ。
 まるでちゅうちゅう鳴く子ねずみのよう……」

「ひぐっ……ェエッ?!」

うっとりと囁くに、善逸は涙目になってその上軽くえずいている。
普段美人に目のない善逸だけに、その怯えようは異様だった。

「あらぁ、私の前だと急に大人しくなるなんて寂しいじゃありませんか。
 廊下にまで聞こえるような大声で、元気いっぱい喋ってらしたのに、どうなさったの?」

心配そうに小首を傾げる仕草と裏腹に
何故だか炭治郎は「うるせえんだよ、黙ってろ」と言う筆文字をの背後に幻視した。

そしてそれを裏付けるようにの目が……笑っていない。

「少し麻酔が必要かと思って持ってきたけど、必要なかったかしら?」

善逸はの手にした注射を見てサァッと顔を青ざめさせたかと思うと、
ベッドに倒れこんだ。

炭治郎が慌てて様子を伺う。命に別状はなさそうだが。

さん、善逸は恐ろしさのあまり気絶しました……」
「まぁ! うふふふふ! やり過ぎましたね」

クスクス笑うは炭治郎が最初に会った時と違い、
マントと学帽をとって隊服の上から白い看護服を着ていた。

「お久しぶりです、竈門くん。那田蜘蛛山ではご活躍とのこと。ご苦労様でした」

丁寧に挨拶を受けて、炭治郎は慌てて居住まいをただす。

「お久しぶりです、さん。
 いえ、俺はほとんど何もできず……、
 労われるようなことは、」

恐縮する炭治郎に、は首を横に振った。

「いえいえ、十二鬼月相手に生きて帰ってこれたのですから労われてしかるべきでしょう。
 下弦の鬼も冨岡さまが討伐されたということですし、十分十分」

「そうでしょうか……」

ニコニコと笑っていたは少し気遣わしげな表情になって、頰に手をやり首をかしげる。

「それにしても、任務明けにすぐ裁判とは大変でしたね。
 少しは間をおいてくれても良さそうなものですけど、ことがことだからかしら?」

「えっ?」

どうやらは裁判のことを知っていたようだった。
驚いた炭治郎に先んじて、は説明を始める。

「上官から今回の柱合会議は裁判になってしまったと聞きましてね。
 そのご様子だと、禰豆子さんも容認されたようで。よかったですねぇ」

桐の箱に目をやったの横顔にはまた、薄笑いが浮かんでいる。

この物言いだとの上官は柱なのだろう。
蝶屋敷にいるなら胡蝶しのぶがそれらしいが、と炭治郎は尋ねてみることにした。

「しのぶさんが、さんの上官なんですか?」

「いえ、ちょっとややこしいのですが、胡蝶さまは元上官。
 今の私の上官は炎柱の煉獄さんです。
 金色の御髪 おぐし で眉のしっかりとした、ハキハキと喋る男の方、わかるかしら?」

「ああ、あの……」

炭治郎と禰豆子を真っ先に斬首すると言っていた柱がいるのを覚えていた。

裁判を思い出した炭治郎の微妙な顔色を伺って、
面白く思ったのかは眦を細める。

「うふふ。煉獄さんたら『鬼を連れた隊員とはけしからん』と大層ご立腹でしたからね。
 虐められませんでした?」

炭治郎は乾いた声で応えた。

「いえ、真っ先に『裁判の必要などない、斬首する』とは言われましたけど……」
「あははは! やっぱりね」

朗らかに笑い飛ばすを、炭治郎は不思議そうに見やる。
その言いようだと、すぐには炭治郎たちのことを上官には報告しなかったらしい。

「炎柱の方に俺たちのことを、黙っていてくださったんですか?」

「はい。裁判のことがわかるまでは。
 おそらくあなた方はお館様のお目こぼしを受けているのだろうと思っていたのでね。
 おかげで煉獄さんには叱られましたけど、
 私は人の怒ってる顔も好きなので、それはそれで良いものでした……」

陶然と頰を染めるは可愛らしいが、言っていることはあまり可愛くない。
色々と言いたいことはあったが、ひとまず炭治郎は礼を言っておくことにした。

「……ありがとうございます」
「いえいえ。私は私の都合で動いたまでのこと」

ニコニコと機嫌が良さそうに笑ったは懐から時計を出して
「おや、もうこんな時間ですか」と呟くと、改めて炭治郎を見やる。

「ちなみに私、三日に一度は顔を出すことになっております。
 今回たくさんの方が怪我をしましたからねぇ、助っ人に呼ばれてしまいました。
 うふふ。我妻くんにもよろしくお伝えくださいね」

「はい、わかりました……」

が来るたび恐怖に怯えることになりそうな善逸を思い、微妙な顔をする炭治郎に、
は「お大事に」と言って去っていく。

颯爽と歩く様は相変わらず強そうだった。
からは柱に近しい匂いがする。
きっと十二鬼月を倒すには、や柱の面々に肩を並べなければなるまい。

炭治郎は早く体を治して訓練に励まねば、と決意を新たに、
寝台へ横になるのだった。



炭治郎、善逸、伊之助の3人が休息に努める中、彼らの様子を見に来るのは
神崎アオイと言う隊士と思しき少女と、
寺内きよ、中原すみ、高田なほの3人の女の子たち、
回診に訪れる明峰という優しげな男の医者だった。この人はの父親らしい。

明峰は顔立ちにと似ているところはあるが、
と違い明峰は人当たりよく、のんびりとしている質で、
善逸が大騒ぎしても軽く受け流して流れるように薬を飲ませ、
自信を失い落ち込んでいた伊之助を褒めて伸ばし、だんだんと調子を戻したりしていた。

そしてはと言うと本人が口にした通り、きっかり三日に一度訪れた。
がいると善逸がかなり静かになるので、蝶屋敷の少女たちは
相手を任せることにしているらしい。

怯える善逸を見やるはいつも楽しそうで、
が来るたび善逸はげっそりしていた。

明峰の回診後、ちょっと自信を取り戻した伊之助が
に怯える善逸を“弱ミソ”扱いして怒らせ、
「だったらお前もさんの注射受けてみろよ……」と善逸が唸るように呟いたのは
ちょうど、那田蜘蛛山の任務で知り合った村田が、
炭治郎の見舞いの訪れた時のことだ。

村田は善逸の呟いた名前にぎょっとした様子で問いかける。

さんて、“あの”さんか? 女隊士の……?」
「村田さん、知ってるんですか?」

炭治郎が首をかしげると、村田は神妙な顔つきで言った。

「……鬼を拷問まがいの方法で殺すことで評判だった人だ。
 その人が鬼殺に出ると惨劇になるってんで
 同じ任務に就いた人間が心を病んで何人も辞めてるらしい」

「えっ……?!」
「ふーん」

炭治郎と善逸は声を揃えて驚き、伊之助はあまり興味がなさそうに相槌を打つ。

炭治郎は禰豆子とともにと出会った夜のことを思い出していた。

確かには「鬼を殺すのが楽しい」とは言っていたし、
鬼を倒す方法もかなり荒っぽかった。
だが、拷問まがいとまではいかない程度だったように思う。

村田の話が本当なら、あの時、
実はかなり危ない状況だったのではないかと思い至ったのだ。

村田は青ざめた炭治郎と善逸を見て、いやいや、と首を横に振った。

「自分で言っといてなんだが、噂は噂だよ。
 さんは入ってきた時からものすごく強いって話だったし、
 その上医者の娘で、医学の心得があるって言うだろ?」

「確かにさん、鬼を一撃で倒してました。そのあと俺は手当てもしてもらったし……」
「注射以外はすごいんだよ……いや、ある意味注射もすごいんだけど……」

頷いた炭治郎と、どこか目が虚ろな善逸を見て、村田はさらに話を続ける。

「他の隊員の手助けだの応急処置だのをしながら
 鬼殺の任務をこなすもんだからすげー勢いで出世してさ。
 入隊して2年足らずでもう きのと だ。
 柱の手伝いもしてるらしいし、噂にだいぶやっかみが入ってると思うな、俺は」

「……なるほど」

きのと とは上から二番目の地位である。
鬼殺隊の中でも最も優れた隊士である柱が一つ上の きのえ と言うことを考えると、
その地位がどれほどのものかは察するに余り有る。

感心していた炭治郎は、パッと振り返った。
噂をすれば、がやって来たのである。

はカゴを抱えているようだった。
カゴの中には包帯や薬、注射器がみっしりと詰まっている。

「こんにちはみなさん。体の具合はいかがですか? 
 あら、お見舞いの方でしょうか。お邪魔でした?」

「……コンニチハ」
「こんにちは、さん」
「おう」

善逸はか細い声で答え、炭治郎はハキハキと、伊之助は手をあげてに挨拶する。
村田は「えっ?!」と言う顔でを注視し、慌てて頭を下げた。

「こ、こんにちわ」

恐ろしく強く、医学に精通し、猛烈な勢いで出世した女隊士ということで、
村田はもっと厳つい、キリリとした容貌を想像していたのだろう。
実際のところ、は見た目だけなら刀など振りそうもない、たおやかな印象の女子である。

そのに、伊之助がぞんざいに声をかけた。

「おい、お面女」
「はい? 私のことですか?」
「そうだ。お前、いっつも同じような顔してるからな」

伊之助からの結構な言われように、
さすがには面食らったらしい、パチパチと目を瞬いている。

「ちょっ、おまっ!? いきなり何言ってんだ?!」
「失礼だぞ、伊之助」

善逸が慌てて伊之助を止めようとし、炭治郎がたしなめようとするが、
伊之助は全く聞く耳を持たなかった。

「俺に注射しろ!」
「はぁ!?」

周囲の驚きを他所に、伊之助は善逸のことを指差して言った。

「紋逸は注射でビービー泣き喚く! 俺はへっちゃら!
 そしたら紋逸より俺の方が偉いと言うことが証明される寸法だ!!」

どうやら伊之助は善逸に『だったらお前もさんの注射受けてみろよ……』と
言われたことを根に持ち、実行に移すつもりらしい。

善逸と炭治郎はに思わず顔を向ける。
は驚いていた様子だが、やがて口元を押さえ、緩やかに笑みを浮かべた。

「……ふふ」

善逸と炭治郎は悟った。

 これはやばいやつだ。

は心なしキラキラとした笑みで、伊之助に向きなおる。

「いいですよ。栄養注射にしましょうか。
 これはとっても元気になるお薬なんですよぉ。
 疲労回復、体力増強にも効果ありです」

「なんでもいいから早くやれ!」
「はいはい、お望み通りに」

は手際よく伊之助の腕をまくり、駆血帯を絞め、消毒し、
あっという間に血管を探り出すと、注射針を、刺した。

「えっ!? ぐっ?! がっ!? うぉおおおおおァアアアアァアアアア!!!」

伊之助は何が起こっているのか理解できていない様子だった。
いや、きっとその場にいた以外の誰もが
どう言う状況かわかってなかったに違いない。

わかっていたのはただ一つ。
普通は注射で、こんな風に阿鼻叫喚の有り様にはならない。

は痛みに絶叫する伊之助をどうやっているのか片手でしっかりと押さえている。
その上恍惚の表情で、悶絶する伊之助を見やっていた。

「ほらほら、我慢我慢。暴れると長引くだけですよぉ?」
「ぁぁあああああ!!! うっううっ……!」

しまいには軽く涙ぐむ伊之助に満足そうな笑みを浮かべ、
は注射を終えて、針の始末をする。

伊之助は呆然とした様子で、フラッと寝台に倒れ込んでいた。
せっかく明峰の回診で自信を取り戻したばかりだと言うのに、
この分だとまた弱気な伊之助に逆戻りになりそうである。

「うふふ。やっぱり注射、いいですよねぇ。皆さんは健康になる。私は楽しい。
 あ、竈門くんもどうですか?」
「いえ! 結構です!!」

ブンブンと炭治郎は首を横に振る。
は残念そうに「そう……」と眉を下げた。

その表情はもの憂い気で、炭治郎は何か悪いことをしたような気分になるが、
それでも伊之助の絶叫を耳にしていると頷く気にはなれなかった。

はテキパキと善逸と炭治郎の対処に移る。

「我妻くんにはお薬を。ちゃんと飲んでくださいね」
「ハイ」

善逸はもう、からくり人形のようにギクシャクと頷くだけである。
の言われるがまま渡された薬を水で流し込むように飲み干した。

「竈門くんは包帯の巻き直しと貼り薬の交換ですね。筋肉痛の具合はどうです?」
「さ、最近はだいぶ良くなりました」
「それは良かった」

笑顔で炭治郎の処置を終えると、はいつにも増して上機嫌に病室を後にする。

成り行きを見守っていた村田は唖然とを見送ると、思わずと言ったように呟いた。

「……噂、半分くらいは事実だわ。きっと」