次の任務
煉獄杏寿郎の元に鎹鴉が書状を持って来たのは、
がちょうど任務から帰って報告をしていた時のことだった。
「胡蝶君から手紙か、ふむ……」
差出人を見て、杏寿郎はへと目を向けたのち、手元へと視線を移した。
「あら、こたびはそんなに、怒られるようなことはしていないのですが……」
は脳裏をよぎった思い当たる節を全て見なかったことにしてうそぶく。
実際、は蝶屋敷で、痛い注射を打ったり、
物騒な言動で下の階級の隊士たちをからかったりしたものの、
しのぶが目くじらを立てて怒るようなことはしていない。
人の線引きや基準というものを読むのが、はとても得意だった。
もっとも、悪癖に溺れていなければの話であるが。
杏寿郎は手紙に目を通し終えたらしい、
折りたたむとに頷いて見せた。
「うん、安心したまえ! 今回は君のことじゃないぞ!
どうも、例の鬼を連れていた隊員が
『火の呼吸』について知りたいと言っているらしい!」
聞き慣れない単語に、は首をかしげた。
「『火の呼吸』ですか。
でも、煉獄さんの修めているのは『炎の呼吸』ですよね?」
「あぁ! 実のところ全く心当たりがない!!」
腕を組み、ばっさりと言い放った杏寿郎に
は「えぇ……」と戸惑った声を漏らす。
「そんな自信満々におっしゃることです?」
「知らんものは知らんのだから仕方あるまい!」
いくら煉獄杏寿郎でも、
さすがに知らないことを教えることはできない。
『火の呼吸』について知りたがっていた炭治郎には気の毒だが、
この調子では手がかりにもならなさそうだ、とは息を吐いた。
「名前だけ聞けば繋がりがありそうですけどね。
……派生の呼吸というわけでもないのかしら?」
は顎に手を当て、考えるそぶりを見せた。
それを見て、杏寿郎はかつて槇寿郎から教わった「炎の呼吸」の呼び名についてを口にする。
「確かに炎の呼吸は基本の呼吸ではあるから、炎から枝分かれした呼吸も多くあるが、
そもそも『炎の呼吸』を『火の呼吸』と呼んではならないという
しきたりがあるからな!」
「そうなのですか?」
瞬いたに、杏寿郎は鷹揚に頷く。
「そうなのだ! 本元にそういう決まりがあるなら、
派生の呼吸を『火の呼吸』と呼ぶことも許さんだろう!
さて……」
杏寿郎は少しの間を置いて尋ねる。
「君、例の隊員は君から見てどういう人物だ?」
蝶屋敷に派遣され、炭治郎の看護と治療、それから稽古にも当たったである。
炭治郎の人となりは十分に把握していることだろう。
その証拠に、は少しばかり面食らった様子ながら、淀みなく答え始めた。
「竈門炭治郎くんですか?
……真面目な子ですよ。多少頑固なところもありそうですが、
心の
機能回復訓練も頑張って取り組んでおりましたし。
“全集中・常中”も会得していました」
概ね高評価である。
杏寿郎も炭治郎が“全集中・常中”を会得したことは賞賛に値すると頷いた。
「ほほう! それは感心だな!
あれができるとできないで、実力には大きな差が開く!
裁判の時には出来ていなかったから、かなり短期間での習得になるな!」
杏寿郎の感嘆に、も笑顔で答える。
「胡蝶さまは単に機能回復を目指すだけでなく、
こっそり鍛錬も交えておられましたからねぇ。
他にも2人ほど隊員が“全集中・常中”を覚えておりました。
この2人は十日も経たずに会得してたそうで」
「なかなか逸材がいるようじゃないか! 君も覚えは良かったが!」
「うふふ、お褒め頂きありがとうございます」
どうやら炭治郎については杏寿郎の思った通りの人物であるらしい。
裁判の終わりにも炭治郎は「鬼舞辻無惨を必ず倒す」と耀哉に豪語していた。
その場では炭治郎を「お館様の影響で気が大きくなって、実力に見合わぬ大それた話をした隊士」
と目して笑いを堪えるものも多かったが、杏寿郎は炭治郎の啖呵を好ましく思っていた。
目標は大きく掲げるに越したことはないし、
それは本来、鬼殺隊の誰もが掲げてしかるべき決意であると思ったのだ。
杏寿郎はさらに、禰豆子についてに尋ねた。
「鬼の妹はどうだ?
裁判の時には刺された状態で、血を流した不死川を無視していたが、
日中はどうしている?」
「それがですねぇ……」
それまで淀みなく答えていたが口ごもったので、
杏寿郎は何か問題があるのかと身構える。
は深刻なそぶりで口を開いた。
「寝ているんですよ」
「……寝ているのか」
拍子抜けである。
杏寿郎は思わず羽織りがずれたのを直した。
は杏寿郎の気が抜けた様子には構わず、
いかにも由々しき事態だと言わんばかりに真面目な調子でなおも続ける。
「はい、不思議なことに、ぐっすりと」
「いや、人を襲う兆候が見えないなら良いのだ!
……俺はちょっと肩透かしをくらった気分であるけども!」
「左様ですか? 私は不思議でならないんですけれどねぇ」
どうもは鬼が眠ることが気になって仕方ないらしい。
常の薄笑いが剥がれてどうにも怪訝な顔をするに杏寿郎は首を捻る。
「珍しいな、君がそうも引っかかるとは」
「私は『鬼は睡眠を必要としないのではないか』と思っていたので。
でも、あんなにスヤスヤ眠られてしまうとねぇ。……もう一回研究し直しです」
嘆息するの言葉は、杏寿郎にとっては不可思議な視点から述べられたものだった。
おそらく鬼を研究している中で導き出した推察なのだろう。
「なるほど……?
だが鬼が日中何をしているのかなど、誰も知るまい!
答え合わせもできないだろう!」
試験のために鬼を生け捕りにして藤襲山に連れて行くことはあっても、
鬼を延々監視するようなことはない。
の前の師範である胡蝶しのぶは、
毒を研究するにあたって鬼の生態を探っていたが、
さすがに鬼について全てを網羅しているわけではないはずだ。
杏寿郎の言葉に、は何を思い出したのか眦を細くして、薄い笑みを浮かべた。
「ええ。ですからね、ちょっと好奇心にかられまして……」
「おい、まさかとは思うが勝手に“解剖”をしたのか?!」
声を荒らげた杏寿郎に、は「いやいや」と首を横に振った。
「お館様と煉獄さんの許可なく、
『生きた鬼を解剖するのはダメ』って言われたのは、
ちゃんと覚えておりますし、守っておりますよ。
やってません。……やってませんったら」
「……」
杏寿郎が無言でじっと見据えてくるので、は困ったようにため息をつく。
「はぁ……信用ないわぁ、自業自得ですけどぉ」
「全くだな! 日頃の行いというやつだ!」
「まぁ、酷い! これでも結構頑張って抑えてるんですからね!」
杏寿郎の指摘には不服そうに頬を膨らませた。
「そりゃあ、鬼の解剖は私の趣味の一つですけどぉ、
ちゃんと皆さんの鬼殺に役立てるように色々と考えていますのよ?
まして近頃は胡蝶さまから鬼に効く毒を頂いてますから、
以前のように生きたまま鬼をさばいたりしてませんし……」
つらつらと言い訳にならない言い訳を述べていたは、
がっくりと肩を落として悲しげな声を作った。
「……禰豆子さんのお身体を調べたいと竈門くんに諸々頼んでみたんです。
血相を変えて『ダメだ』と言われてしまいましたけど……」
「ハァ」と頰に手を当ててため息をつく様は物悲しく、
顔だけ見れば大変落ち込んでいるようにも見えるが、
その口ぶりには常の通り、物騒なものが見え隠れしている。
「ちょっと血液検査を頼んだだけですのに。
開頭手術とかを頼んだわけじゃありませんのに……」
「それはそうだろう! あのなぁ君!
言っておくが君の注射は本当に馬鹿みたいに痛いんだからな!
あと開頭手術とはなんだ!? 」
杏寿郎が思わず問いただすと、は先ほどまでの憂い顔はどこへやら。
けろっとした様子で薄く微笑んだ。
「ふふ、それはですねえ、」
「……おおっと、大体想像できるから説明はしないでいいぞ!
どうせ惨い代物だろう!」
杏寿郎は手のひらをに向けて「もういい」と身ぶりでも示す。
大体字面から考えるだけで、
そこそこに残酷な光景が想像できてしまうのだからしょうがない。
また、がそういうことを説明する際は、微に入り細に入り、
夢にまで出そうな語り口で行うのが常なので、語られる前に拒否するに限る。
遮ればは少し冷静になるのか、
不満げな顔をしながらも引き下がるのがいつものことだった。
「えぇー、本当につれないんですから、全く」
「嘆きたいのはこちらの方だぞ、君!
俺はどうも君の残酷趣味がダメだ! 好かん!」
「……うふふふふ!」
杏寿郎の指導にもはくつくつ笑うばかりである。
杏寿郎は気を取り直して、折りたたんだ手紙に目をやり、本題へと移った。
「にしても、そうか、見込みのあるのが3人もいるとなれば……。
君。次の任務は君も同行してくれ! その3人の隊員と鬼の妹も一緒だ!」
は意外そうに首をかしげる。
副官となった後は、より広い警備地区を任された杏寿郎の手助けするのが主な役目で、
分担して巡回業務に当たったり、
杏寿郎から救護の要請があった時に途中から合流したりすることが多かったのだ。
「あら、初めからご一緒するのは随分久しぶりではありません?
難しいお仕事なのですか?」
杏寿郎は頷いた。
「場所が場所なのだ。何しろ鬼がいるらしいのは“汽車”の中なのだからな!」
汽車と聞いて、も納得した様子を見せる。
走り出せば止まらず、大勢の人間を乗せて移動する何両かの密室。
そこに鬼が入り込んでいたのなら、被害を最小限に留め置くのは難しい。
「なるほど、その情報が定かならば、確かに一筋縄では行きますまい」
次の任務は“無限列車”の調査である。