みつまめ密談
杏寿郎が仏間の前を通りがかると、煉獄家の仏壇の前にいるに気がついた。
珍しく、何やら悩ましげな顔をしている。
「? どうかしたのか?」
杏寿郎が声をかけるとは振り返り、難しい顔で尋ねる。
「杏寿郎さん、幽霊とかあの世とかって信じてます?」
「急にどうした!?」
ぎょっとして問いただすと、は右手を口元にやりながら、
自分でも半信半疑な様子で首をひねった。
「私、こう見えてそこそこ信心深い方なんですが
昏睡状態から回復する際に、夢を見てた気がするんですよ」
は「女の人が二人出てきたと思うのですが」と言って、
飾られる煉獄瑠火、杏寿郎の母親の写真に目を移した。
「そのうちの一人があなたのご母堂さまだった気がしまして」
「ほう、母が、」
杏寿郎もつられるように瑠火の写真を見やる。
瑠火は病床にあっても常に気丈に振る舞い、背筋のまっすぐ伸びた人だった。
その瑠火がと出会ったならば、どういう反応になるかは容易に想像できる。
「叱られなかったか?」
「なんで私が怒られる前提なんですかね?」
杏寿郎の言葉に一瞬不服そうな顔をしただが、苦笑いで応じる。
「と、言いたいところですが……、はい。
うすらぼんやり覚えてる限りですが、ええ、叱られた気がしますよ」
「ははは! そうか。そうだろうな!
母は優しくも厳しい方だったからな!」
明朗に笑う杏寿郎に、はやれやれと肩を落とした。
「あんまりちゃんと覚えてないのですけど、
『いつまでも寝てないで、さっさと起き上がって生きろ』と
仰りたかったのかもしれませんねぇ」
「まったくいかにも母らしい!」
杏寿郎は写真の中に佇む瑠火に眦を細める。
もしかすると、がむしゃらに御百度を踏み、
尋常でない調子で鬼殺に励んだ杏寿郎を見かねて、
ずっと眠り続けていたのことを叩き起こしてくれたのかもしれないと思ったのだ。
それにしても本心はともかく、常に人を小馬鹿にした調子のだ。
もし生きていたなら、瑠火はきっとその態度を正しにかかっただろう。
「母が生きて家を切り盛りしていたならおそらく君、相当怒られていたと思うぞ!」
「……そうかもですねぇ。おお怖。
でも、私は人の怒った顔を見るのも好きなので、それはそれで」
杏寿郎の言葉をはあっさり肯定した上で
全く懲りた様子もなく、人を食ったような言動をとる。
杏寿郎は呆れて半眼になった。
「」
「うふふ。失言でしたね、ごめんあそばせ」
軽く咎められてもカラカラ笑うばかりだ。
しかしやがて目を伏せて、薄っすらと微笑む。
「……あんまり私に都合の良い夢でしたので、いささか気恥ずかしかったのですが」
は杏寿郎に向き直って言った。
「あなたと話してみて、やはりちゃんとご挨拶に伺うべきかな、と思いました」
杏寿郎はの提案に瞬いたかと思うと、すぐに大きく頷いた。
「そうだな。うん!
実のところ俺も忙しなく、墓参りなど久しくできていなかった!
都合の合う日に一緒に行こう! なんなら今からでもいいが!」
勢い込んで拳を握る杏寿郎に、は右手を横に振った。
「いやいや、即断即決が過ぎるでしょ……。
それに今日は私がダメですよ。後輩たちに会いに行くんですから」
下弦の壱を討伐した際にが炭治郎らに告げた約束を、
随分間が空いてしまったが果たしに行くのである。
「む、約束は今日だったか。戻りは早めに頼むぞ!」
「ふふふ。はいはい、仰せの通りに」
はあまり遅くならないように、と念を押す杏寿郎に笑みを返した。
※
その日、炭治郎、善逸、伊之助はの紹介した店で、
のことを待っていた。
が選んだのは落ち着けて話のできる個室のある甘味処だ。
店員に布張りの品書きを渡されて、伊之助は興味深そうに眺めている。
「みつまめ、あいすくりん、しらたま……食ったことねェのばっかりだ」
「店でないと食えないやつだからな、それは。
いや、俺はそれよりここの敷居の高さに怯えてるんだわ。
ここ普通の店だよね? ていうか甘味処なのに品書きに値段書いてないって何?
時価ってこと? 怖すぎるんだけど」
善逸は格調高い店の雰囲気に戦々恐々としている。
炭治郎も確かに一人では入り辛い場所であると頷いた。
「さん、随分おしゃれな店を知っているんだな……」
しかし、端々まで手入れの行き届いた店内の飾りは華やかで、女性の好きそうな感じだ。
禰豆子が人間に戻ったら連れてきてやりたいな、と炭治郎が思った時だった。
よそ行きの着物を着たが店員に連れられてやって来たのである。
3人の顔を見るとニコニコ笑って声をかけた。
「お待たせしてしまい申しわけありません。
お久しぶりですね、皆さま。ご健勝なようで何より何より」
炭治郎と善逸が挨拶するより先に、伊之助がの佇まいに驚いて声をあげた。
「うわっ!? お前、何で腕生えてんだ!?」
「うふふふふっ、びっくりしました?」
は伊之助の反応に愉快そうに笑っている。
は挨拶もそこそこにテーブルを挟んで炭治郎と伊之助の向かい、
善逸の横に腰を落ち着けると、着物の袖をするするめくって、木でできた義手を披露した。
「刀鍛冶の里に絡繰職人の方がおりましてね、
義手をこしらえていただきました。
この手、決まった場所を叩くと拳を握ったり、開いたりするんですよ」
とん、とん、と右手で義手を叩くと、手が結び、開く。
「す、すごい!」
炭治郎らが目を丸くするのをは楽しそうに見やった。
会話が一度途切れた頃合いを見計らってか、店員がみつまめを盆に乗せてやって来た。
涼しげなガラスの器に盛られた、シロップ漬けの果物が目にも鮮やかな代物である。
被り物をとった伊之助が真っ先に一口食べたかと思うと、
目を輝かせてガツガツ匙を動かし始める。
善逸も炭治郎も匙を口に運んで、「美味しい!」と声をあげた。
「喜んでいただけてよかった! 私、ここのみつまめ大好きで……。
ああ、でも、ちょっと残念なお知らせをしなくてはいけません」
後輩たちの反応に義手と右手を合わせて上機嫌のだったが、
申し訳なさそうに眉をハの字に下げた。
曰く、杏寿郎が柱に復帰した際、巡回地を遠方に割り当てられたのだと言う。
との祝言を終えたら、しばらく遠方の仮住まいを
転々移ることになってしまったのだそうだ。
そうなると継子を設けて鍛錬をつけるのも難しいと。
「杏寿郎さんは3人をちゃんと継子にしたがってましたけどね」
は「ごめんなさい」と申し訳なさそうに3人に謝った。
「いえいえ、謝られるようなことでは! 確かに残念ですけど!」
「そうですよ! うん!」
炭治郎が首を横に振り、善逸も炭治郎に乗っかって頷いている。
伊之助は未だみつまめに夢中である。
は嘆息してから、炭治郎に目を向けた。
「それによくよく考えますと、竈門くんは水の呼吸の一門でしょう?
水柱の冨岡さまは兄弟子に当たるとか。
その冨岡さまに話を通さず継子にしてしまうと角がたちますし」
「手紙を出して事情を話せば聞いてくれそうですけど。
とはいえ、今まで返事が返って来たこと、ないですが……」
返事は返って来たことがないが、炭治郎は義勇に何通か手紙を送っている。
鴉がちゃんと届けているとのことなので、見てくれているのだとは思う。
柱というのは忙しいはずだ。
炭治郎のことまで気が回らないのだろう、 と
便りのないのを気にしたことはなかったが、の見解は少し違っていたらしい。
呆れた様子で口元を押さえている。
「まぁ! あの方口下手な上に随分な筆不精なのですねぇ?
でも、手紙を返さないのは、あなたがマメに連絡するので
安心してしまってるからだと思いますけど」
「そうでしょうか?」
義勇とどういうやり取りをしたことがあるのか、は随分知った口を聞いた。
目を弓なりに細めて、少々意地悪な笑みを浮かべてみせる。
「案外、炎柱の継子になる前提で話を進めたら、怒鳴り込んできたりするかもですよ。
裁判の話を聞くにあの方、竈門くんを気にかけているようですし。
……ふふ、見てみたいわぁ、家に血相変えてやってくる冨岡さまも」
「それはちょっと……」
あまり想像できない上、怒鳴るまで怒った義勇が恐ろしいのは
炭治郎が一番よく知っている。
は冷や汗を流す炭治郎を見て、ますます面白そうに目を細めた。
「まあそれはさておき、祝言までちょっと時間を設けましたから、
その間でしたら杏寿郎さんも稽古をつけられると申していましたので。
皆さま是非是非、任務の合間にでも立ち寄ってくださいな」
「お願いします! そういえば、来月でしたか? 式は」
炭治郎が尋ねると、はなんとなく疲れた様子で頷いた。
「はい。ただでさえ急だったって言うのに、あの歩く迅速果断みたいな人、
もう毎日毎日『明日にでも祝言を挙げよう』ってうるさいから
逆にちょっと延ばしました」
何を思い出したのか、割合ぞんざいに杏寿郎のことを扱って
は深くため息をつく。
「こっちにも色々準備ってものがあるんですよ、本当に。
大体ね、あの方やることが極端なんですよ。
そもそも普通の調子じゃ無理でしょう。
1日1殺、場合によってはそれ以上鬼を斬るって」
呆れ混じりに口にするに、
善逸がコクコクと首を縦に振り、同意した。
「無理。無理です。それは無茶苦茶ですわ」
「そうでしょう?」
は善逸に我が意を得たりとばかりに頷く。
「その無茶をやり通したせいか、隻眼になったのに衰えるどころか
やたらに強くなってて全然歯が立ちません。
昔はもうちょっと、組手だって勝負になった気がするんですけどねぇ」
「は!? 組手?!」
善逸が素っ頓狂な声をあげた。
炭治郎も驚いて、思わずの左腕に目を向ける。
「稽古をつけてもらってるんですか!? その腕で!?」
「ええ。ゆくゆくは前線復帰したいんですけど……。
なんだか杏寿郎さん、全然許してくれなさそうな雰囲気なんですよ。
『昔はもっとついてこれてた』とか、『このままでは任務には出せん』とか言って」
「私が弱くなったんじゃなくて、ご自分がえらく強くなってるのに、理不尽だわぁ」
と不満げなに、善逸は完全に戦闘狂を見るような目を向けた。
隻腕で前線に出たがるという時点でまともでないが、
柱に稽古をつけてもらっているというあたりで完全におかしい。
そして隻腕の婚約者におそらく手加減なしで稽古をつけている
杏寿郎も杏寿郎である。
だが、あまり深く考えてはいけないとも悟っていた。
この二人、どちらも少しまともではないのだ。
善逸は伊之助を見習ってみつまめに集中することにした。
豆を一粒づつ、ちみちみと味わって食べる。
引いている善逸と対照的に、
炭治郎は「さんはすごいなぁ」と感嘆の声をあげた。
「元気になって良かったです。本当に」
「ふふ、機能回復訓練を頑張りましたから。それはもう。死にものぐるいで」
「死にものぐるいで?」
不思議そうな顔をする後輩たちを前に、は曖昧な笑みを浮かべごまかした。
※
蝶屋敷で杏寿郎は、左腕を失くしたを甲斐甲斐しく介護した。
にとっては全くありがたい限りであるのだが、少しいただけない部分もあった。
が特に嫌だったのは食事の介助である。
杏寿郎の手ずから、幼子のように匙を口に運ばれる度、
は顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。
その様を目撃した胡蝶しのぶは完全に面白がっていたし、
蝶屋敷の少女たちは頬を染め、微笑ましいものでも見るように笑顔であった。
は「誰か止めてくれ、いや、むしろ助けてくれ」とも思ったが
彼女らは全く止めてくれないのだ。
大体これでは訓練にならず機能回復が遅れるとも言ったが
杏寿郎はあまり聞く耳を持ってくれなかった。
というか、杏寿郎には照れてうろたえるを楽しんでいる節があった。
が起きてからの杏寿郎は若干、なんと言うか、に対して意地が悪いところがある。
あまりの過保護ぶりに呆れて
『……私をあなたなしで生きられないようにするおつもりですか?』と問いかけもした。
それに返ってきた答えが、眩いほどの笑顔で告げられた
『それも悪くないな!』だった時、は本気でまずいと思った。
このままでは煉獄杏寿郎に、人としてダメにされてしまう、と。
おかげで訓練にも一層力が入り、
並々ならぬ速さで片腕での日常生活での所作に慣れたであった。
もちろん杏寿郎は回復したに喜んでいたが、
……その顔が少し残念そうにも見えたのは、
気のせいであってほしいとは切に願っている。
※
あらぬことを思い返して複雑な笑みを浮かべながら、
上品に匙を運ぶに、みつまめを食べ終えた伊之助は口を開く。
「なぁ、ギョロ目の嫁」
がむせた。
みつまめを口に運んでた最中だったのがよくなかったらしい。
炭治郎が「大丈夫ですか!?」と水とおしぼりを渡している。
「……お前それはなくない?」
「なんでだよ。ギョロ目の嫁になるんだろ?」
伊之助の独特すぎる呼び方に善逸が突っ込むも、
伊之助当人は何が悪いのか分かっていない様子である。
水を飲んでなんとか回復したは息を整え、
伊之助にたしなめるように言う。
「いや、まだ嫁じゃないですし、
というか、“ギョロ目”もどうかと思いますよ。
誰のこと言ってるかは分りますけどぉ……」
「お前上弦と戦ってる時、最後だけ、ものすごく強くなってただろ」
伊之助はがぶつぶつ言うのを無視して、真剣な眼差しで尋ねる。
「あれ、俺にもできるか?」
は一度瞬くと、静かな面持ちで応える。
「できるか、できないかの話でしたら、……できますよ」
は伊之助の言う“最後”、“地獄変”について口にする。
「私が上弦の参との戦いに使用しました技“地獄変”は、
呼吸によって血流を早め、心拍を上昇させ、
脳が普段制限している人間の能力を解放することから始まります」
「これを使う最中は、一時的に痛覚も遮断し、五感も極まる。
頭の回転も速まって、普段の倍以上の力を発揮することができる。
ですが……私はこれを誰かに教える気はございません」
の言葉に、伊之助は怪訝そうに眉をひそめた。
「なんで?」
「反動、副作用があるからです。
技の使用後、体温が著しく下がって普通の呼吸をするのも難しくなる。
最悪の場合死に至ります。
もともと杏寿郎さんにも使用禁止を申しつけられていたほど」
「そんな大変な、技を使ったんですか……」
上弦の参を撃退した際、その場にいなかった善逸が青ざめた顔で問う。
「はい。そうしなければ杏寿郎さんが死ぬと思いましたので。
それだけは、自分が死ぬより嫌でしたから」
は今もそんな状況を考えるだけで嫌だ、と言うように目を伏せる。
睫毛の影が頬に落ちた。
「……私は運よく、皆さまが助けてくださったけれど、
いつでも誰かが助けてくださる保証はありませんもの」
は深く息を吐く。
「何より、“地獄変”は未完成の技なのです」
「あれが……!?」
猗窩座の首こそ取れなかったが、上弦の参を相手に一歩も引かず、
途中まで圧倒していた技を未完成と断じられて、
炭治郎も伊之助も信じられないと息を飲んだ。
「きっと、もっと上手いやり方があったはずですが、
私はそこにたどり着けず、中途半端な地獄絵図を描く羽目になった。
鍛錬不足ですねぇ、全く不徳の致すところだわ」
はやれやれと肩を落とす。
「結局ものを言うのは地力です。
皆さまも私も一歩一歩、少しずつで構わないので力をつけて、
……死なずに参るべきです。お互い、頑張りましょうね」
「……わかった」
伊之助が頷いたのを見て、は微笑む。
それに促されるように、炭治郎がバッと手をあげて言った。
「俺もさんを見習って精進します!」
突然の宣言に、を始めとした3人は目を丸くする。
炭治郎はに真剣な顔つきで向き直った。
「俺はずっと、面と向かって、ちゃんとお礼を言いたかったんです。
あの時、大怪我で息をするのも辛そうだったのに、
禰豆子のことを気にかけてくれて、本当に、ありがとうございました」
炭治郎は深々とに向かって頭を下げる。
「……俺は血を取ることだって忘れてた。
何もできなくて、さんにも煉獄さんにも守られるだけだった」
「悔しかったです」と、炭治郎は顔を上げて呟く。
「だから、今度は俺がみんなを守れるように強くなります、
今度こそ、足手纏いになんかならないよう、
いつか、煉獄さんやさんと並び立てるような、柱になります!」
「……ふふふ、私は柱ではないけれど、」
まっすぐに告げられた言葉に、は苦笑する。
だが、炭治郎はに勢い込んで言った。
「でも、そのくらい立派でしたよ。すごかったです!」
「……ありがとう竈門くん。やっぱり私、あれは後輩に見せるのに
良いお手本ではなかったと思うけれど、
そう言っていただけるのはとても嬉しいです」
なんの疑いもない眼差しで見つめられて、は照れたように目を細める。
「ふふ、皆さまが柱になったら、そうねえ、
お寿司でも奢ってあげますから。……頑張ってね」
「はい! ありがとうございます、さん!」
ハキハキと応じた炭治郎を見て、何を思ったのか、
は伊之助と善逸へと視線を移す。
「ところで、我妻くんも嘴平くんも、私のことはで構いませんよ。
そろそろじゃなくなりますからね」
「わ、わかりました……呼び慣れないけど」
善逸がしどろもどろながら頷いたので、
満足げに微笑んだは、伊之助へと顔を向ける。
「嘴平くんも。“ギョロ目の嫁”はやめてくださいよ。
……そういえば嘴平くん、私の呼び方、“お面女”ではなくなったんですねぇ?」
首を傾げたに、伊之助の方が怪訝に首を捻った。
「だってお前、もうそんな顔してねぇもん」
は虚を突かれたように真顔になると、悩ましげに右手でこめかみを軽く押さえた。
ゆるゆる口元に薄っすらと、苦い笑みが浮かんでいく。
「……はぁ、嘴平くんもなかなかに、侮れないわぁ」
不思議そうな顔をしたままの伊之助に、
は気を取り直したように顔を上げると、品書きをとって提案する。
「白玉追加します?」
「おう!」
嬉しそうに頷いた、伊之助の威勢の良い返事が部屋に響いた。