仕立てる男

煉獄邸、稽古場。

日課となった稽古を終えたと煉獄杏寿郎はそれぞれに反省点などを述べ、
解散し各々事務仕事に移るか、という段階になった時のことである。
ふと、が思い立った様子で杏寿郎に口を開いた。

「煉獄さん、俺は今度隊服工房に顔出そうかと思うのですが、煉獄さんはどうします?
 何かご入用ならついでに伝言、お使い等々いたしますが」
「そうだな、……いや! 今回は俺も共に行こう!」

先日鬼との戦闘で一着丸々ダメにしてしまったのを思い出し、
どうせなら見回りついでに裁縫係の工房を訪ねるかとに同行を申し出る。

隊服は消耗品だ。
背丈の伸びがほぼ止まっているなら、肉がついたとかの理由がない限り
頻繁に採寸の必要もないが、なにぶん隊服は鬼殺で防護の役目を大いに担う。
時間があるのなら工房に赴き、細かな調整をした方が任務に障りもないのである。

「じゃあ訪ねる旨手紙出しときますよ」

朗らかに言ったはそのまま自室に戻り手紙の準備をするのかと思いきや、
何を思ったのか足を止めて、杏寿郎に尋ねる。

「途中、風月堂に寄ってもいいですかね」

風月堂と言うのは、カステラを中心とした洋菓子の有名店だ。
は普段あまり食にこだわる様子を見せないので、
杏寿郎は珍しいと目を丸くする。

「構わんが、は洋菓子が好きだったのか?」
「いえ、手土産というか、賄賂を持ってこうかと」

「どういうことだ!?」

あまり穏やかでない単語が出てきたのでギョッとしたまま杏寿郎が問いただすも、
は「賄賂は賄賂ですよ。買収買収」と愉快そうに繰り返すばかりであった。



鬼殺隊隊服工房はいつも賑やかだ。
輸入したミシンが整列し、それぞれの作業にそって、規則正しく音が鳴る。

しかし縫製係の腕利き、前田まさおに与えられた部屋は幾分静かだった。
備え付けた棚にずらりと並ぶのは大巻の糸、布地やボタンを挟んだ見本帳。型紙。
それから隊士一人一人の寸法を書きつけてある目録。
大きな洋風の窓際に並ぶのは隊服を纏った人体模型 トルソー・マネキン の数々。
作業台の上には物差し、裁ちばさみ、布地に印をつけるペンなどの筆記具が整頓され、
壁には主に女性の隊服のデザイン画がそこかしこに貼られていた。

まさおは自身に与えられたこの部屋が好きだ。
作業に没頭することのできる、落ち着いた空間を作り上げたとの自負もある。

そんなまさおの城とも言うべき作業部屋に
とびきりの笑みを浮かべて現れたを見て、
まさおはメガネ越しでもげんなりとした表情を隠せない。

「またあんたですかさん……」

は工房の常連である。
事あるごとに訪ねてきては、まさおの仕事を増やす男だった。

「どうも前田さん! カステラ持ってきたので、みなさんでどうぞ」

しかし高級菓子のカステラだのキャラメルだのを
手土産に持ってくるので無碍にもできない。
まさおは嘆息すると客用の椅子を指差した。

「毎回マメな人ですね。そこ座ってください」

勝手知ったると言わんばかりに迷わず座ったが、
隣室であらかじめ測っていたらしい寸法の表を手渡した。
まさおは以前書きつけたものと引っ張り出して見比べる。

「……はァ、寸法は以前とほぼ変化なしと」

ぞんざいに告げるとは半笑いで尋ねる。

「前田さんってば、なんでちょっと投げやりなんですか?」

「なぜ私が野郎の隊服に情熱を燃やさねばならんのでしょう。
 許されるなら麗しい女性たちを包む衣服を、ずっと作っていたいのに」

ため息の止まらないまさおに、はふざけて片手を振った。

「女性陣の隊服作るときの情熱を、俺の服にも注いでくださ〜い」
「美少女になってから出直してきて、どうぞ」

丁重なそぶりで戸を指すと、はまさおを軽く笑ってたしなめる。

「アハハ。頼みますよ。仕事でしょ。
 ていうかあなた自分の趣味に走りすぎて
 胡蝶様に仕立てた隊服燃やされてたじゃないですか。
 ダメだよ、いくら凝っても着る人が気に入らないもの作ったら」

の以前の師範、胡蝶しのぶは
まさおの独創性あふれる隊服を気に入っていない。

の指導にあたっていた頃、しのぶは仕立てたばかりの隊服を火種の材料に、
焚き火をおこしたことさえあるのだ。

突然の師の暴挙に唖然としていたに向かい、
「燃やさねばならない服でした、これは」
「いえ、服というよりは布でした、これは」と淡々と言うしのぶが
あまりにも冷たい目をしていたので、その場では何も言えずに今日に至る。

しのぶから破門された今でも印象深い出来事だったとが言うと、
まさおは残念そうに眉を下げた。

「胡蝶様の華麗な剣さばきに映える、とっておきだったんですがね……。見ますか?」
「え? 何? すぐ出せるの?」
「力作だったので予備があります」

が素で疑念を呈すと、
まさおは窓際にずらりと並んでいたトルソーのうち一つを、
見やすいように引っ張り出した。

「これです」

まさおがドドン、と胸を張って見せたその隊服は、
まず詰襟に金ボタンはあるもののボタン穴が存在しない。
中に合わせるシャツに至っては第一ボタンと第四ボタンしかない。

白いベルトで留められた膝丈の洋袴はなぜか普通の袴と同様に
太もものあたりがざっくりと空いていている。

これでもかと女体を強調する隊服であった。

は「胡蝶様が気に入らんのも無理ないな」と内心で腑に落ちるも、
縫製技術の方が気になって、近くに寄って隊服をみやる。

「……前田さん、本当にすげぇ手をかけてるでしょこれ。
 この布地を体に沿わせるのってどうやるんですか?
 これだけゆとりのない作りだと人間動けなくなりそうだけど」

「そこは立体裁断の賜物ですね。
 こういう人形に直接布を当てて形をとるんですけど、
 いつもより綿密にやってこの美しい曲線を出しています。
 生地の伸縮性も工夫しているので任務に支障はないはずです」

「あ、ほんとだ、この生地よく伸びますね。
 肌馴染みも良さそうだな。へー……」

創意工夫に感心しつつも、この技術を正攻法のみで活かせばいいのに、と
はまさおに呆れた目を向け、一番気になっていたことを口にする。

「しっかしいくらなんでも胸元をこんな開けたら防御が心もとなくないですか?
 急所だし。俺だって胸放り出すのはちょっとな……」

腕を組んで難しげな顔をするに、まさおはフッと失笑した。

「笑止。胡蝶様ほどのお人であれば、鬼の爪の一つも
 あの白磁のような肌に触れることさえできないでしょう。
 あえてですよ。露出の美は強さの証です」

まさおは誰に頼まれたわけでもなく、
陶酔するように隊服の各部位を指差しながら説明していく。

「大胆に開けた胸部。膝のあたりでひらひらと揺れる洋袴 スカート ……。
 そしてこの洋袴 スカート の間から覗くシャツと素肌の絶妙な塩梅……。
 やや大ぶりの蝶羽の羽織と合わせた日にはおみ足が露わで
 後ろから見ると大変助平……前から見ても最こ……。
 いえ、それはもう可憐なことでしょう。蝶のように舞い、蜂のように刺す。
 まさしく蟲柱らしい意匠だと思ったのですが」

「いや、最後もっともらしくまとめたけど。だだ漏れだよ下心が」

極めて冷静に突っ込んできたの顔を見て、
まさおはこれから作らねばならないのが、この男の服だというのを思い出したらしい。
明らかに士気が下がった様子で投げやりに言う。

「あと私、男の胸筋には興味がないので、
 さんの胸元開けるのは気が進まないです。
 やれって言われりゃやりますが……」

「あっはっはっは。結局趣味のゴリ押しじゃねぇか最低すぎる……」

「露出は強さの証」ってのはどうしたよ、と
たやすく建前を投げ捨てたまさおには呆れきっていた。

それから気を取り直したように、肩をすくめて明るく言う。

「ま、結局胡蝶様には力作燃やされてるからきっちり因果応報ですけどね。
 懲りて最初から普通の隊服仕立てた方がいいですよ。ほらしまってしまって!
 俺の服の話しましょう! さあ!」
「チクショウ……」

粛々と元の位置へとトルソーを戻し、
「徹夜で仕上げたのに、」と嘆くまさおを差し置いて
は元の椅子に座り直して意気軒昂である。揚々と口を開いた。

「いつも通り相談乗っていただいて、作っていただければ結構です!
 あの白手袋めちゃくちゃ重宝してますよ。全然破れなくて汚れにも強い。
 スラックスも履き心地よく、蹴ったり走ったりの動きを全然邪魔しない。
 何より形が格好いいです! 着るたび身が引き締まります。
 前田さんの行き場のない情熱を今回も俺の服に!ぜひ!」

以前仕立てた手袋と、かなりこだわって作った隊服のズボンを
は気に入っているらしい。
ここぞとばかりにわざとらしいほど褒めてくる。
正直まさおはそんなに悪い気がしなかった。

が、同時に最初に何の気なしに希望を聞いた時の、
微に入り細を穿つの注文を思い出し、気落ちしてぼやく。

さんの注文うるせ……細か……、割と難しいんですよ」
「だからこそ仕立ての匠の前田さんに、
 腕を見込んで頼んでるんじゃないですか」

あけすけな褒め言葉に、まさおは照れ隠しで小さく咳払いをする。
満更でもない顔でへと向き直った。

「で? 今日は何を注文なさるんですか?」
「マントと学帽が欲しいです!」

片手をまっすぐ伸ばして宣言したである。まさおは顎に手を当てた。
の趣味は割と流行を反映している。
その上で機能美を好むことも知っていた。

「ふむ、着古しても格好がつく、バンカラ風にするおつもりですね」
「そうそう。さすが前田さん、話が早い」

おだててくるを一瞥し、まさおはここからが勝負であると悟る。
筆記用具を手元に置いて、準備は万端、とを見据えた。



「……遅い!!!」

煉獄杏寿郎は自らの採寸を終えてしばらく、
工房の客室で出された煎餅を食っていたところである。
玉露を五杯、煎餅一缶を丸々空にしたあたりで、
さすがにが戻ってこないことに、やきもきしはじめたのだ。

こうなったら迎えに行くかと立ち上がり、工房に勤める隠の一人に声をかけた。
隊服の背に入れる滅の字を刺繍していた女性はサッと立ち上がって杏寿郎を案内する。

さんなら前田さんと面談中です」
「かれこれ二時間近く経つのにか!」
「いつもそのような感じですよ。
 お菓子を手土産に、前田さんと膝を突き合わせてお話し合いをするんです」

クスクス笑う隠の女性に、杏寿郎は意外だと思う。
隊士の間では決して評判が良いと言えないだが、
縫製係とはそれなりに親しくしているらしい。

それはさておき、と杏寿郎はまさおの作業場へと足を踏み入れた。

!! 一体全体何に時間をかけているのだ!?」

杏寿郎が戸を景気よく開くと、ほぼ白目を剥きながら紙に鉛筆を走らせるまさおと、
机に生地やボタンの見本を広げながら愉快そうに喋り続けているの姿が目に入った。

「……それでマントには隠し衣嚢をつけて欲しいんですよ。
 医療器具他諸々収納できるようにしたいんです。
 季節ごとに生地は変えてほしいんですけど、
 とりあえず今日は直近用を一着で構わんので。
 そっちの裏地見本と、あとボタン見本見せてください。
 裏地は柄が入ってもいいですよね〜。翻した時に格好がいいからな〜。
 ところで衣嚢に物を入れた時に型崩れするのは嫌なんですけど、
 その辺なんとかなりませんか? 上の方につければ平気かな?
 どう思います?」

怒涛。

まさしく怒涛の注文である。
はたから見ていても圧倒される口の回りようだった。

呆気にとられた杏寿郎が思わずまさおへと目をやると、
必死にの注文を書き留めつつ、
たった今描いていたデザイン案をに渡したところである。

「とり、取りあえず……し、した、下書きを見てください」

情報処理に追われた疲労でろれつが回っていない有様だ。
は渡されたデザイン画に目を通すとワッと目の色を変えた。

「ああ、インバネスですか! 確かにインバネスもいいな!
 ……んー、けど袖のあたりがもたつきそうだから槍振る時に邪魔かもね。
 肩肘周りがゆったりしてると動作の予測が気取られにくいのはいいんですけど。
 今回はやっぱり正統派がいいかな〜。
 あ、でもでも提案は嬉しいです。ありがとうございました!
 こっちの、襟があるのはいいですね、立てれば風除けにもなるし便利です。
 ボタンで留められるのもずり落ちないし楽だよな〜。つけて欲しい。
 一番左の雰囲気で膝丈がいいと思いまーす!」

「はい、はい。はい……。やっと決まった……」

精根尽き果てた様子のまさおをさておいて、ようやく杏寿郎に気づいたらしい。
は申し訳なさそうに軽く首のあたりを撫でた。

「あ、煉獄さん、すみませんお待たせして。
 盛り上がってしまい、つい」

まさおは灰のようになっているが上機嫌なは全く気にならないようだった。
杏寿郎はまさおの描き上げたデザイン画と注釈の走り書きが
作業台を埋め尽くさんとしている様に、単純に感心する。

「なんというか! 凄いな! よくそんなに注文することが思い浮かぶものだ!」

「あはは。だってほぼほぼ365日、1日の半分くらいはこの服着るんですから、
 せっかくなら納得した服に袖通したいでしょう」

はとても楽しそうだ。ノリに乗って杏寿郎に持論を展開する。

「それにほら、格好が決まると気合が入る! 気合が入ると作業効率が上がる!
 なぜなら自分の振る舞いに意識が向くから! いいことづくめです!
 こだわらない手はないですよ!」
「ふむ」

杏寿郎は腕を組んで最初に隊服を着た日のことを思い返していた。

かつての父、槇寿郎と揃いの隊服、羽織に袖を通して鏡を見たとき、
自然と背筋が伸びるような気持ちになったことを。

「……わからんでもない!」

「そうでしょう? 
 煉獄さんの羽織も、いかにも炎の呼吸の使い手らしいですもんね」

は杏寿郎の内心を掠めるようなことを言って笑う。
しかし瞬いた杏寿郎を気にも止めず、はまさおへと向き直った。

「というわけで俺はとことんこだわりますよ! 頼むぜ前田さん!
 次帽子の話しましょう! 帽子の話!」
「もっ、もう勘弁……図面引いて手紙出しますから……勘弁して下さい」

ついにまさおの泣きが入った。

「えぇ〜〜〜、残念。わかりました。じゃあしばらく文通ですね!」

が親指を立てて朗らかに言うと、
まさおは静かにメガネを外して眉間を揉む。
よくよく見ると頰にツゥーっと伝うものがあるような気もする。

「クソ忙しい合間を縫って、何が悲しくて野郎と文通なんか……」
「あっはっはっは! よろしくです!」

は何がおかしいのか高らかに笑って、まさおの肩を叩いたのだった。



は工房を出て、伸びをする。
いつも笑みを絶やさないであるが、こうも晴れ晴れとした顔は珍しい。

「あー、楽しかった!」
「それは傍目にもよくわかった! 縫製係とはだいぶ懇意にしているようだな!」

帰路を歩みながら杏寿郎が尋ねるとは頷く。

「ええ。特に前田さんには結構無茶を振ったりしてるのでよく差し入れしてます。
 無理を通すならとにかく賄賂! 金!
 もう少し上品にやるなら金かけた消えものが望ましいと
 槍術の師範に教わったものですから」

にこやかに腹黒い処世術を述べるので杏寿郎は思わず問いかけた。

「なにやら悪知恵を仕込まれてないか?!」
「はっはっは」

が常のように笑ってごまかしたので、内心嘆息しつつも杏寿郎は話題を変える。
隊服工房へ足を運ぶのは久々だったが、何かと思うところがあったのだ。

「しかし久方ぶりだが工房を訪ねてよかった! 君を見ていて初心を思い出したぞ!
 最初に隊服に袖を通した時の、身の引き締まるような感覚を!」

「やっぱりそういうのありますよねぇ」

は杏寿郎に同意する。

「うむ! 特に俺の場合羽織だな! ひるがえる様が格好良かったので、
 いざ自分が着るとなると感慨深いものがあったのだ! 懐かしい!」

杏寿郎が拳を握って朗らかに言う。
は一瞬目を丸くするが、すぐに「わかる」と頷いて羽織を払う仕草をして見せた。

「いいですよね。こう、バサッとなるのが!」
「そうだ! バサッとな!」

道を進みながらたわいもない話に興じる。
角を曲がればが手土産を買った店に差し掛かると
気づいた杏寿郎が横を見て尋ねた。

「ところで
 風月堂のカステラを見ていたら俺も食べたくなってしまった!
 寄ってもいいか!」

「はいはい。構いませんが。
 あなた煎餅一缶丸々開けてるんだから今日食うのは控えた方がよろしいかと」

は念のためにと口にした言葉だったが、
当然帰宅後に食べる気満々だった杏寿郎だから釘を刺されて不満気になる。

「むっ! 腹にまだ空きがあるのだが!」
「……ちょっと前から思ってたけど煉獄さんの胃袋どうなってるんです?」
「どうもなっとらん! 君の食が細い方が俺は気になる!」
「いやいや、俺は普通ですよ、普通」

その後風月堂でカステラをほぼほぼ買い占めた杏寿郎に、
次から食べ物関係の店に行く時はあらかじめ数を予約しておこうと思うであった。