投影・炎の呼吸
は煉獄杏寿郎との稽古に臨む前、身体を温めるため演武を行うのが常である。
この演武というのはのもともと学んでいた槍術の型を繋げて行うもので、
表十五式目、裏十一式目と呼ばれる型を一巡して終わる。
杏寿郎は今日もいち早く稽古場に入り演武を行うを見て感心しつつ、
腕を組んでその技に見入った。
曰く「演武は真剣でやってこそ」とのことなので、
いまの手に持つのは訓練用の竹槍でなく日輪刀、もとい、日輪槍である。
の得物とする十文字槍は文字通りの形をした、刃が穂の根本から三叉に枝分かれした槍だ。
通常突きに特化するのが槍であるが、十文字槍なら刃の形状から“斬る”ことが可能で、
鬼の首をとることにも支障は無い。
この自らの背丈より大きな槍を軽々扱い、行われるのがの演武だ。
槍の刃が稽古場に差し込む朝日に煌き、
まるで消えぬ松明を持って空に紋様を描画しているようにも見える。
刃の軌跡が弧を描き、線を描く。
演武をしている時に限っては任務で見せる凶暴苛烈な振る舞いとは程遠く、
清々しく爽やかな武を見せた。
もともと身につけていたのが宝蔵院流。
寺院から出た流派だと言うからこの振る舞いなのだろうか。
と、杏寿郎は感嘆しつつも首をかしげる。
の演武は見事の一言なのだが、どうにも違和感がある。
しかしその正体を他ならぬ杏寿郎が掴めていないのだ。
――不甲斐なし! 弟子の不調・違和感・その正体を見極め指南してこそ師範だろうに!
杏寿郎は己の頬をパンッ、と両手で叩き、気合を入れた。
ちょうど演武を終えたが一礼したところだったらしく、
杏寿郎の挙動に驚いてやや引いている。
「!?……あの、おはようございます、煉獄さん。えーと、今の何ですか?」
「おはよう! なに、己の未熟に気合を入れただけのこと!!!」
杏寿郎の物言いには半笑いになった。
「俺の演武見てなんでそんなことになるんですかね?
……どこか変でした? いつも通りやれたと思うんですけど」
「うむ、俺も未だ掴めていないのだが、君の演武、どうにも違和感が、」
「猿真似だからだろう」
杏寿郎の言葉を遮るようにして、鋭く放たれた言葉は、
稽古場の入り口に立つ、煉獄槇寿郎のものだった。
「父上」
杏寿郎は思わず呼びかける。
近年では剣の道を見限るようなそぶりばかりを見せていた槇寿郎が
稽古場に顔を出すのも、こうやって口を出すことも稀である。
その槇寿郎がを睨み顔をしかめる様には、
どういうわけか、心底からの嫌悪が見えた。
「お前、槍術の流派は何だ?」
は居住まいを正し、丁寧に答える。
「宝蔵院流です。起源は奈良の仏教寺院だと聞いております」
「その割に、お前自身はずいぶんと血生臭い男だな」
鼻で笑われては口をつぐんだ。
槇寿郎はなおも棘のある言い草でを詰る。
「お前が槍を振るうたび刃先から血風が臭うようだ。
獣の如き性分を無理やり潔白とした型に嵌めようとするから
そのようにいびつ極まりない猿真似にしかならないのだ」
眉根をひそめて、低く言った。
「癪に障る」
「父上、その言いようは、」
諫めようとした杏寿郎を一瞥して黙らせると、槇寿郎はまた口を開く。
「まぁ、炎の呼吸とて似たようなものだが」
「……」
吐き捨てるように言って稽古場を後にした槇寿郎に杏寿郎はしばし言葉を失った後、
気を取り直すように顔を上げてへと向きなおる。
「すまんな。父は物言いにきついところがある」
「お構いなく、そもそも俺がその辺全く人のことを言えないような男ですので……。
あながち間違ったことを言われたわけでも無いですし」
は頰をかいて苦笑する。
特に槇寿郎の物言いを気にしたそぶりはないものの、
その辛辣な態度には思うところがあるようで腕を組んで首をかしげた。
「大師範は煉獄さんが継子をとるのを気に入ってないんですかね?
それとも俺個人がダメなんだろうか。
まだそんなにボロ出してるつもりないんですが、
出てますか、ボロ?」
思い切り鬼の血を浴びて帰ってきて千寿郎を怖がらせたり、
鬼殺の後や、けが人を手当てした後に、
杏寿郎をつき合わせて延々打ち合いをしているである。
確かに血生臭い男との評価は免れないし、ボロも出ている。
杏寿郎は腕を組んであっさり頷いた。
「割とな!!!」
「あはは……言っといてなんですが覚えがあります。申し訳ない」
は乾いた笑いをこぼし首の後ろを撫でる。
「住み込みで稽古してると鬱陶しいのかもしれないなあ、
小間使いくらいに思ってもらえりゃいいんだけど」
「それはそれでよくないと思う!」
弟子は弟子で、小間使い扱いは不適当だろう!とを諌めた。
「ところで、俺のことはどうでもいいですが、
炎の呼吸まで悪し様に言うのは解せませんね」
「何か理由があってのことだろう。
わけもなく猿真似と仰っているわけではないらしいが、
そのわけを、俺に伝えるつもりはないようだ」
は杏寿郎の言葉に瞬く。
「は? じゃあ煉獄さんわけもわからず言われっぱなしってことですか?
俺が言うことじゃないですが、理不尽では?」
自分も父親に悪癖のことを言わず鬼殺隊士となったから、と言いつつも、
は槇寿郎の態度が納得いかないようで、釈然としないと言い募った。
「煉獄さんと千寿郎さんは息が詰まりません?
かなり気を使ってらっしゃるみたいですし」
「その辺りのことは立ち入らないでくれるとありがたい!」
杏寿郎はピシャリと突き放した。
は一度口を噤み、何か言いかけたが、
また引っ込めて、首を横に振る。
「すみません。首突っ込まれたくないのはわかりますが
だったら部外者が首突っ込みたくなるような状況を放置するのはどうなんですか?
俺が煉獄さんの家庭の事情に口を出すのは筋違いなの分かってますけど、
正直、目の前でああいう感じに振る舞われると一言言いたくなりますよ」
「……」
杏寿郎はに無言で応じる。
父子の折り合いが悪いのを示すようなやりとりを、の前で行ったのは確かだ。
しかしは「いや、出しゃばりだな、今のは」と一人呟く。
「別に煉獄さんと千寿郎さんが納得してるならそれでいいんです。
俺が口出すのも妙な話というのは確かですし。
いらない口をきいてすみませんでした」
深々と頭を下げたに、杏寿郎は静かな声で問いかける。
「、君は父君に自分の悪癖のことを打ち明けようと思ったことはあるか?」
はハッと顔を上げて、それから頷く。
「……あります」
やはり、と杏寿郎は頷いた。
「けれど、今も打ち明けられてはいない。そうだな?」
「ええ。……お恥ずかしい話ですが俺の小心が理由です」
自らの悪癖を打ち明けて、父親がそれを受け入れてくれるとは限らないと、
は知っている。
父親を信頼していないわけではないが、息子が他者を傷つけるのを愉しむ人間と知って
父親がを軽蔑し、見放すこともあるだろうとわかっている。
はそれが何より怖い。
杏寿郎もそのことを承知している。
だからにこう言った。
「俺が父の不摂生や厳しい物言いを真に諫められないのは、君と概ね同じ理由かもしれん」
杏寿郎は真顔で己を見つめる弟子と同じように、表情を失ったまま、なおも続ける。
「父との間に、決定的な、亀裂のようなものが入ってしまうのが俺は怖いのかもしれない」
それから口の端を上げて、杏寿郎は常の笑みを作った。
「すまない。やはり立ち入らないでくれるとありがたい」
「承知しました」
は淡々と杏寿郎に頷いてみせる。
そして二人は稽古に入った。
いつも通り、特筆して変わることは何もない。
※
今日もまた、宝蔵院流の演武を終える。
杏寿郎が任務で戻りが遅くなる日もは朝の稽古を欠かさない。
とはいえ、指導があるのとないのとではやることが異なる。
今日の稽古場には鏡が一枚、用意があった。全身映る姿見である。
はこれを前に、水の呼吸の型を再現することにした。
の扱う水の呼吸は槍での再現になるため、本来、刀で行われる動きとは異なるも、
水柱・冨岡義勇から『水の呼吸』と認められたものである。
一呼吸置いて、確かめるように技の形を捉えていく。
水面斬り。水車。流流舞い。打ち潮。
ねじれ渦。雫波紋突き。滝壷。水流飛沫。生生流転。
そして。
「……やっぱり再現できねェな」
はその手から飛んで行った槍を拾い上げ、難しい顔をする。
義勇には基本の十型に加え、義勇の編み出した技“凪”も教えられていた。
しかしこれをが再現できたことは、一度もない。
「“全ての技を無に帰す。その挙動もまた無に等しく”……言うは易しだなホント」
ぼやきつつもまた構えをとったは、明確な敵意を察知し素早く振り返る。
そこには煉獄槇寿郎が立っていた。
はにこやかな笑みを作る。どうやら自分に用があるらしい。
「おはようございます、大師範。何かご用で?」
「……また猿真似か。お前の武芸は一見模倣に徹していながら本性が臭って不愉快だ」
苦虫を噛み潰したように槇寿郎は言う。
確かに、今がやろうとしたのは水の呼吸の再現であるから、
そのように言われてもおかしくはないが、
どうも槇寿郎の“模倣”に対する嫌悪感は普通ではないと悟り、は内心首を捻った。
だがその理由もやすやすとは聞けないだろう。
ひとまず丁寧に応じてみせる。
「ご指導頂けるのならこれは重畳。ご鞭撻のほどお願いします」
「その胡散臭いへりくだった態度を今すぐに止めろ。
貴様には尋ねておくべきことがある」
の慇懃な態度を咎めて、槇寿郎は唸るように言った。
尋ねられることに思い当たる節のないは首をかしげる。
「はい、なんでしょう?」
「貴様これ以上武芸を磨いてどうする気だ」
「は?」
槇寿郎の言葉に、は思わず素で応じた。
睨まれて取り繕うように、は続ける。
「どうもこうも何も……、鬼を退治するのに鍛錬は必須のことでしょう?」
「解せん。杏寿郎曰く、貴様は己の抱えるおぞましい悪癖を堪えるため
鍛錬に励むのだと言うが、普通は逆だろう」
槇寿郎の言いたいことが最初はわかりかねたが、
噛み砕くと納得ができた。
「ああ、なるほど、普通は加虐衝動を抱え、それを苦にする人間は武芸の道に入らない。
そのように仰りたいのですね」
確かに、持って生まれた残酷な気性を恥じる人間が、
武芸を学ぶというのは不思議に思えたとしておかしくはない。
ただしが悪癖を律するために武道に通じることにしたのも、それなりに理屈あってのことだ。
「俺は武芸を習うことで自分を律しようとしたんです。
使い方を誤れば暴力にしかならないことを教えてるんだから、
そこでは正しい使い方をも教えているだろうと。
俺には医療知識がありましたから、どこを狙えば苦しいか、
傷つけられるか、殺せるかは一見で判断できてしまうので、」
物心ついた時から悪癖の片鱗があった。
そして、その悪癖と同じく、の身近には医学というものがあり、
はこれを学ぶことを楽しんだ。
忙しい合間を縫って自分のために時間を作ってくれた敬愛する父親から物事を教わるのは、
幼少のにとって、何にも代えがたい喜びだったからだ。
だから自分に備わる性分が医者に向いてないとわかっても、
どうにかして自分を律しようとしたのである。は律する術を武道に求めた。
槇寿郎はの言い分をどうとったのか、深くため息をついて言う。
「くだらん。武芸など習うから鬼に遭って煩悶することになったのだろう。
そんなものは捨て去るべきだった」
そして、苦々しさを隠さずこう続けた。
「そもそも、元を正せば貴様に医療の知識を教えた人間が全ての元凶ではないか。
適性も見誤って不向きな道を示した。……とんだ藪医者だな」
それは、にとって逆鱗である。
はスッと頭が冷えていくのを感じていた。
いつもの、鬼を目の前にした時の加虐衝動の兆候と同じものである。
煮え滾る怒りはの頭をかえって異様に冷ややかにするのだ。
はその顔に常の通りの笑みを貼り付け、持っていた竹槍を床に置いて口を開いた。
「……あなたに父のことをあれこれ言われたくないなぁ。
テメェを棚に上げてよくもまぁ偉そうなこと言えますよね。
元柱だかなんだか知らないけど、ずいぶんといいご身分なんじゃありません?」
「なんだと? 貴様その態度……」
それまで槇寿郎に何を言われても馬耳東風。
のらりくらりと躱していたの悪し様な物言いに、
槇寿郎は怒りに顔を歪めるが、はおかまいなしといった風情で、
揶揄するように片眉を上げる。
「じゃあ聞きますけど、息子を散々働かせといてテメェは働きもせず
昼間から酒呑んで日がな一日のんべんだらりと本読んでるのを毎日やってる
上司の父親にどう接するのが正解なんですか?」
絶句する槇寿郎の顔を覗き込んで、は笑う。
「どこまでこっちにご機嫌伺いさせりゃ気が済むんだよ? なぁ?」
槇寿郎の拳がの頰にめり込んだ。
そのまま殴られてふらついたの胸ぐらを掴む。
「貴様……!!」
しかし凄まれてもは全く堪えた様子もなく、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるばかりだ。
「あのですね。ご家庭にはそれぞれ事情というのがあるんだろうとわかりますし、
俺は住み込みで稽古つけてもらってるだけの部外者ですから、
口を挟む権利もなけりゃ義務もねェよ。
しかし目の前であなた『やれ気に食わない』『やれ不満だ』と口にはしないまでも
態度で示して陰気でいられるとこっちだって気分が悪い。
愛想よく振る舞えと言われても無理ですよ。客商売じゃねェんだからよ」
「口を慎め愚か者!!」
の頭が再び揺れる。
口の中を切ったのか唇の端から血が垂れ落ちる。
それでもなお、は嘲笑することを止めない。
「嫌ですね。
俺の態度に口を出すなら、あなたのその厭世的かつ高圧的な態度を
改めてから言ってもらっていいですか?」
は三度殴られ、ついに床に倒れ伏した。
それからゆるゆる体を起こすと、鼻血が顔をつたうのを鬱陶しそうに拭い、
拳を握ったまま肩で息をする槇寿郎を下から見上げる。
槇寿郎はの態度に薄ら寒いものを感じて顔をしかめた。
ほとんど無抵抗にも関わらずその目はぎらぎらと異様な光を帯び、
槇寿郎に何度も強かに殴られても全く怯む様子がないどころか、
どうしてかその目つきは値踏みするようにも見えるのだ。
「なんだ、その目は」
「……気に食わねェんだよなぁ」
はそれまで浮かべていた笑みさえも取り払って、
軽蔑を隠さず冷たく言った。
「俺は殴る蹴るで言うこと聞かせようとしてくる人間が、反吐が出るほど嫌いです。
言葉で意思疎通をする気がない、短絡的な無能に見えます」
再び襟を掴まれてもはされるがまま。
ただ、今度が口にしたのは挑発ではなかった。
「だから俺はあなたのこと好きじゃないけど、杏寿郎さんは違うみたいだ。
……きっと俺がこういう態度をあなたにとったって知ったら、
烈火のごとく怒るだろうな。なんでだかわかります?」
心底からの、怒りである。
「今はどんなに呑んだくれてようが、身なりも生活も整わず情けない有様だろうが、
かつてあんたが人のためにと、命がけで刀を振った姿を誇らしく思ってるからだ。
掛け替えのない理想だったからだ」
の言葉に、槇寿郎の襟を掴む手が、かすかに緩んだ。
はいつになく真剣な面持ちのまま、言い募る。
「俺のことは殴ろうが怒鳴ろうがどうでもいいよ。好きにすればいい。
誰を邪険にしようがどう振る舞おうがあんたの勝手だ。
だけどテメェのガキだからって、
杏寿郎さんが決めた道を塞ぐ権利が、あんたにあると思うなよ。
猿真似だろうが何だろうが関係ない。
その道を極めて人を救うと決めてんだ、あの人は。分かってるだろ、親ならさ」
槇寿郎の手を払って立ち上がり、今度はが槇寿郎の胸ぐらを掴んだ。
「それとも選んだ仕事に邁進する、
息子の足を引っ張るのがあんたの考える親の役目か?」
杏寿郎とよく似た、その目を覗き込むようにしては
低く槇寿郎を詰る。
「そんなクソ下らねぇお役目捨てちまえ」
槇寿郎は一度目を見開いて、握った拳を震わせたものの、
乱暴にが掴んだ手を振り解き、そのままふらふらと稽古場を立ち去った。
その背を見送り、床に転がしたままの槍を取り上げて、
はようやく本当の意味で冷静になった頭で状況を振り返り、呟く。
「……破門だな、これは」
は自身の短気と悪癖に強烈な自己嫌悪を覚えつつも
口にした言葉自体に間違いもなければ嘘もないと、乱れた襟を正しながら思う。
は残念だが仕方あるまいと腹を括った。
杏寿郎がの顔の怪我のことを槇寿郎に問えば、この一悶着はすぐに露呈する。
そうしたら杏寿郎の堪忍袋の尾も切れるだろう、と。
しかしのこの憶測は外れたのである。