多面の男・鬼神
『あいつの方が鬼に見えたんだよ』
そう言った彼の言葉はある意味では正しかった。
神崎アオイが選別最終日に至るまで確信を持てなかったことを、
彼は最初から気づいていたのだと、今更思う。
日を追うごとにの鬼の殺し方が乱暴に、過激になってきている。
それに比例するように、だんだん鬼と遭遇しなくなってきた。
選別前半は次から次へと湧いて出るようだった鬼が、
昨晩は夜通し巡回しても出てこなかった。
正確な数を数えてはいなかったが、は間違いなく鬼を三十以上は斬っている。
アオイが応急処置をしてる間も斬っているはずだから正確な数字はわからない。
夕暮れ、大木を背に胡座を組み、目を瞑って仮眠をとる
の様子をうかがいながら、アオイはある疑念を抱いていた。
――もしかして、もうほとんどの鬼をが狩り尽くしてしまっているんじゃないだろうか。
「神崎さん、今日は順路を変えましょうか」
寝ていたと思っていた相手が起きていたのでアオイはハッと顔を上げた。
片目を開けたが薄ら微笑む。
瞳の中には炎が見えた。
「今まで通り山狩りしても鬼と行きあたらないと思いますから」
その、目に浮かぶなんともぎらぎらとした高揚を
見て見ぬ振りをしながらも、アオイは頷く。
「鬼は馬鹿じゃない。人を狩る際は手負いの人間、弱い人間から狙う。
試験も後半になれば“別の鬼との格闘で怪我を負って、安全圏を目指す人間”を
一番に狙ってくると思います。
藤の花の匂いの届く手前ギリギリを、輪を描くように巡回した方が
鬼、怪我人とより多く合流できそうです」
じゃあ、そういうことで。
そう言っては立ち上がり、
最終日の今日は、夜明けの直前にようやく一体の鬼と出くわした。
は槍を構え、襲いかかってきた鬼の腕を受け止めながら、アオイに問う。
「もう時間もないですけど神崎さん、どうします?」
「……」
「なんなら斬りやすいように達磨にしますか?」
鍔迫り合いの様相から一旦距離を取る。
アオイは唾を飲み込んで、刀を抜いた。
「一人で、やります」
「了解」
は腕を組んで、鬼とアオイの立ち合いを見守ることにしたらしい。
こんな時でも自然体である。
アオイはに倣って肩の力を抜いた。
カナエとの稽古、しのぶとの鍛錬を思い出す。
自然と構えは洗練されたものになる。
刀の切っ先が鬼へとまっすぐ向いた。
空気が張り詰めていく。瞬きも許されない睨み合いの果て、鬼が、地を蹴った。
「え……っ!?」
鬼が狙ったのは迎え撃とうとしたアオイではなく、構えを取っていなかったの方だ。
血煙が噴き上がる。
「俺が棒立ちだったから甘く見たのかな?
なるほどね、油断を誘っておびきよせる。そういうのもありですね」
十字の刃が文字通り、鬼の足元を掬った。
両断された膝下を蹴り転がして、は口角を上げる。
「神崎さん、はい。今なら簡単にこいつの首斬れますよ。
足も再生に時間かかりそうだし」
アオイは、動けなかった。
笑うの顔から目が離せなかった。
だからその顔から感情が消え失せてまた、常の笑みを貼り付けるまでがよく、見える。
「お膳立てされた殺しじゃ気に入らないかな?」
囁くような、笑いを含んだ低い声のあと、
ドッと、重たいものが落ちる音がした。
「時間切れです」
が叩きつけるように槍を振ったのである。
片手で、槍を振り下ろしただけ。
たったそれだけのことだった。
血飛沫がの紺袴の裾に飛んで、全部終いである。
「そろそろ夜明けですよ。下山しましょうか」
やたらと朗らかな声ばかりが俯いたアオイの耳に反響していた。
息をするように鬼を殺す男が踏む血溜まりを見つめながらアオイは、
自分はこんな風にはなれないだろうと思う。
なりたいとも、思えなかった。
※
は
怪我の程度が重くて下山を勧めた人間の姿は見えなかったので
無事ならいいのだが、とは思う。
試験を取り仕切っている女性に聞いてみれば教えてくれるだろうか。
そんな風に周りに気を配れるのは山から下りられたからなのかもしれない。
鬼は惨殺しても咎められず、他人に治療を施している間は
自分がまともな人間であることを証明できる。
鬼殺は間違いなく自分の天職だとは確信していた。
だが、新たに生まれた懸念もある。
人を治療した後、ことさら鬼を殺したくなったのは、
これが選別と言う特殊な状況下だったからだと思いたいが、
本格的な任務に就いてから考えようと先送りにした。
鬼に対しての冷酷を他人が見てどう思うのかは道中共にした神崎アオイや
手当てした選別参加者たちの反応を見て薄々理解して居る。
向けられたのは恐怖と拒絶である。
はこれを意外に思った。
仇と思って倒すなら惨たらしく殺した方が溜飲も下がるのではなかろうかと思うのだが、
多くの隊士候補生達はある種の節度をもっての鬼殺を良しとするらしい。
この辺りは組織の雰囲気にも関わってくるはずなので、
は今後もしかすると鬼殺隊とは相容れない部分が出てくるかもしれないと思う。
しかしひとまずは合格を喜ぶべきだろう。
「皆さまおかえりなさいませ。
鬼殺隊はここに居る十四名の方々を新たに隊士として迎え入れます。
今後のご活躍を期待しております」
白髪を束ねた女性が深々と頭を下げ、合格者たちをねぎらう。
その後隊服の支給、刀の材料である玉鋼の選定の説明があったが、
がなにより面白く思ったのは隊士一人一人につけられる鎹鴉だった。
「鎹鴉は主に連絡用となります。原則任務については彼らを介して申しつける次第です」
腕に留まったカラスを見て、は小首を傾げる。
「トリが連絡役とは面白い。手紙を運んだりするのかな? 伝書鳩的な?」
その呟きを聞いてカラスは不服に思ったらしい。
くちばしをカッと開いてがなり立てる。
「ハトト一緒ニスルナ!!」
その声に自然とへ注目が集まる。
「おお……凄い流暢に喋るんですね、このトリ」
「カラスダ!!!」
「あはは! なるほど、確かに伝書鳩とは比べものにならないくらい優秀だ。
選別の監督役はお前だな?」
カラスはの言葉に黙り込んだ。
選別の特性から監督役がいるのではないか、とは考えていた。
山で自活する能力、鬼と遭遇して生き残る能力は普通に選別をこなすので示せるが、
選別でどのように振る舞ったのかの把握はできない。
監督役を置いて参加者の振る舞いを精査できるならやっているだろうと思っていた。
は置物のようになってしまったカラスの首を撫でて笑う。
「山に鳥獣がいるのは普通のこと。盲点でした。
……ああ、すみません、話の腰を折るような真似をして」
鴉から、視線を試験を取り仕切る女性に向けては軽く頭を下げた。
女性は無表情のまま、の謝罪に「構いません」と告げる。
そのままジッと見つめられたので、は瞬いて何か失礼があっただろうか、と振り返るが、
特に思い当たらなかったので、一言二言の会話で話を終わらせようと口を開いた。
「ところで、この山に鬼って何匹居たんですか?」
女性は一拍間を置いて、答える。
「約五十体です」
約、と言う曖昧な数に引っ掛かったが、
アオイから鬼の特性の一つとして共食いを挙げられていたため、は納得して頷く。
「……ああ、共喰いするから“約”なのか。ありがとうございました」
微笑んだに女性は会釈した後、玉鋼の選別へと移った。
はすでに日輪刀を作っていたためこれを免除されている。
先に隊服の寸法を測って他の隊士たちよりも早く帰宅を促された。
選別で道中を共にしたアオイには挨拶の一つもしたかったのだが、
玉鋼の選別を行う横顔を一瞥して、は邪魔するのも本意ではないし、
と一足早く山を降りた。
ふと、最後の鬼殺が脳裏をよぎる。
「神崎さん、最後は斬れると思ったんだけど、惜しかったな。
俺、余計なことしたかも……」
最後の最後に構えをとったアオイには迷いがなく、
がいなければ確実に鬼の頸を斬れていただろうと思う。
だからこそ最後の鬼は万全の構えをとったアオイではなく、棒立ちのを狙ったのだから。
「まあ、選別は通ったんだから、後の進路を選ぶのは彼女だよね。
真面目でまともな人の鬼殺がどんなもんか、見ておきたかったがしょうがない」
縁があればまた会えるだろうとは神崎アオイのことを頭から払いのけ、
頭上を飛ぶカラスに声をかけた。
「おーい、鎹鴉殿! ちょっと聞きたいことがあるんだが!」
の腕に留まったカラスに、はニッと笑みを作って口を開く。
「刀鍛冶の方に手紙を出したい。君を介してやりとりしても良いですか?」
朝焼けの中をカラスと言葉を交わしながら、は帰路を歩んだ。
※
蝶屋敷の面々は、皆そろって選別から帰宅したアオイを出迎えた。
この日ばかりは蟲柱・胡蝶しのぶも休暇を取って、
アオイの無事を祈っていたのだ。
五体満足のアオイを見て、皆がホッと安堵のため息をこぼした。
「おかえりなさい」
アオイは蝶屋敷の少女らの顔を見て、口を開く。
「しのぶ様、カナヲ、なほ、すみ、きよ……」
アオイの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
しのぶがアオイを抱き寄せて泣きじゃくるアオイの無事を労う。
「よく無事で戻りましたね。……アオイ?」
緊張状態から解かれて泣いているのだと思っていたが、そうではなかった。
アオイは思い詰めた様子で今にも崩れ落ちそうだ。
しのぶに支えられて何とか立っている。
「違うんです、私。私、選抜の間、ずっと……」
アオイは思い出す。
最後の鬼はアオイが斬るはずだったのに、結局斬れないで終わった。
確実に頸を斬れる状況だったのに斬れなかったのは、
怖かったからだ。
あの、に足を斬り落とされて、地面を這いつくばるだけの鬼と、
かつての、鬼になすすべもなく殺された家族とが、重なった瞬間。
鬼殺がどういう職業なのかを理解していたはずなのに、
目の前で軽々失われる命が鬼でも自分でも、どちらでもおかしくないということが、
震えるほど恐ろしくなった。
「こんなの、運良く命拾いしただけだわ……」
そして、今回生き延びることができたのは、ほかでもない、
と行動を共にしたのが大きな要因である。
いや、と行動しなくとも、藤の山で鬼を積極的に狩りに行けたかどうかはわからない。
怖気づいてもあの山で生き残る方法はある。
アオイはその選択肢を選ぶ自分を容易に想像ができてしまう。
「くやしい……!」
――自分が許せなかった。
懺悔するようにアオイは首を垂れる。
「絶対に仇を討つって決めたのに、頑張ったのに……!
肝心なとき、こ、怖くなって、動けなかった……!
一体も鬼の頸を斬れなかった!」
簡単に、息をするように鬼を殺すの顔が浮かんで、
アオイは眉根を顰めて奥歯を噛んだ。
「なのにあの人、笑いながら、全部簡単にやってのけるの……!」
アオイはそう言ったきり言葉にならない。
しのぶはしばらくそのままにしていたが、
アオイの背を撫でて、できる限り優しく問いかけた。
「アオイ。あなたはこれから、任務に出ることは出来ますか?」
アオイの肩が大きく震える。
「ごめんなさい、しのぶ様。ごめんなさい……っ」
悲鳴のような泣き方だった。
しのぶは固く目をつむり、それでもアオイが生きて戻ったことを褒めて、
蝶屋敷へと迎え入れたのである。
※
二日後、しのぶはカラスからの情報を受け取った。
アオイと行動を共にしていた選別参加者が、どのような人物か気になったからである。
。
本年度の最終戦別での最多討伐者。
共に試験に当たった負傷者への応急処置は的確であること間違いなく、
放たれた鬼の大半を討伐。
事前に日輪刀、槍を買い上げたため玉鋼の選別には不参加。
呼吸未修得のため育手の斡旋、早急な指導が望まれる。
しのぶは年齢の欄に目をとめて、軽く目を伏せた。
「私と同い年。……呼吸を知らずに、鬼を大勢倒せるとは、」
規格外の人物であることは間違いないようだ。
育手を探しているようだが、おそらくこのような成績を残した人物は
お館様――産屋敷耀哉が育手を斡旋するだろう。
「君。お目にかかる機会があるなら良いですね」
しのぶは紙がよれるほどの強さで、記された名前を指先でなぞった。