鏡地獄・鬼畜抄

幕間:音柱の憂鬱

後悔先に立たず

宇髄天元がその男と出会ったのは桜の花散る夜のことだった。

東京本郷本町。
人通りのない夜の街。鬼の気配をたどって天元が街灯の下に行き着いた時にはすでに、
槍を携えた男が鬼を追い詰めていた。

男は異様な風体である。

大正のご時世だと言うのに手に持つ三叉の槍はまぎれもない真剣だ。

しかし、今は頭の天辺から足の爪先まで血みどろだから分かりづらいが、
男が纏うのは7年制の名門中学の制服だった。
地面に点在する血だまりや鬼の腕の肉片に紛れて教科書が散らばっていることから、
その男が学生であることは間違いない。

将来を嘱望される学徒が、
真剣とはいえ、日輪刀ではないごく普通の槍で
鬼を追い詰めていることに天元は面食らったのである。
だから場違いにも、助けに入る前に一声かけた。

「随分、派手にやったもんだな」

男は目線だけを動かし、天元を見やった。

――眼光は鋭いがやはりまだ、年若い。

そう思った瞬間、肩を踏みつけにされていた鬼が
隙と見て腕を薙ぎ、男を攻撃した、はずだった。

瞬きほどの間のことだ。
男が片手で回した槍が滑らかに鬼の腕を両断し、
そのまま鎖骨のあたりを刺し貫いていた。

そして、天元も鬼殺隊の頂点“柱”である。
鬼が攻勢に出ると見た瞬間、
恐るべき速さで手をかけていた二刀をそのまま鬼の頸へと振り下ろしていた。

図らずも連携の形を取った槍と大太刀、二つの刃が街灯に煌いたかと思うと、
血飛沫と共に鬼の首がポンと弾んで転がった。

その死体が塵となるのを見送って終いである。

天元はとりあえずの任務を終えて安堵のため息をこぼし、
ジッと鬼の死体を見やる男に声をかけた。

「気ィ逸らして悪かった。怪我はねェか?」
「……いえ。こちらこそ返事もままならず失礼でした」

天元はおや、と瞬く。
最初の印象と裏腹、口を開くと人当たりの良さそうな青年だった。

「襲い掛かられたから応戦したはいいものの、
 どうやっても死なないので困ってたんですよ。
 お兄さんは首斬って倒してましたけど」

青年はごく普通に、世間話の一つでもするかのように天元に応じる。
悩むように腕を組んだり、不思議そうに小首を傾げたり。

「俺も何回か首、刎ねたんだけどなぁ。くっついたり生えてきたりで……。
 しかし死ぬと灰になるとは不可思議です。あれ、なんなんですか?」

その様を天元は計りかねていた。

どう考えてもこの青年、普通の状態ではない。
一般人が血みどろになりながらまともに会話できると言うのは、おかしい。

見たところ返り血以外に怪我もなさそうなので
錯乱されるよりは落ち着いている方がマシだが、と思いつつ、
天元はひとまず聞かれたことに淡々と答える。

「鬼だ。日輪刀っていう特殊な刀で首を刎ねないと死なない。
 お前、よく俺が来るまで堪えたよ」

「人食い鬼? へぇ……」

気遣うそぶりの天元に青年は、ニッと笑顔を作った。

「お兄さんは鬼退治を生業にしてるんですね。
 そちら制服のようですから、もしかするとそういう組織があるのかな?」

天元は無言で応じる。
それを肯定と読んだのか、青年は口を開いて、こう言った。

「俺も入れてはくれませんか?」

天元はしばしの沈黙のあと、呆れて男を指差した。

「お前、その制服から察するが『末は博士か大臣か』的な学生なんじゃねェの?」
「まあそうですね。俺は医者の息子です」

あっさり認めた男に天元は予想的中だと言わんばかりに声を大にする。

「ほーらやっぱボンボンじゃねェか! だったら素直に親の跡継いで医者になっとけよ」
「アハハ。それが無理になったから頼んでるんですよ」

男はふっと天元から視線を外し、
今はもう影も形もない、鬼が横たわっていた場所へと目を向け、スッと塀を指差した。

「さっき死んだ人喰い鬼。
 ……あいつがそこの塀の上から転がり落ちてきたと思ったら、
 いきなり飛びかかってきてね」

だらりと、男は無気力に腕を下げる。

天元は男の冷静な物言いが何に決着するかがわからず、
ただ、妙な胸騒ぎを覚えていた。自然と口も重くなる。

「咄嗟に俺は槍で殴打したわけですよ。
 普通の人間だったら昏倒するだろう強さで首を打った。
 ダメでした。またすぐに唸り声をあげて突っ込んで来る。
 “仕方なく”俺は槍の巻布をとって、斬りつけた」

そこで生死をかけた立ち会いの覚悟を決めたのだと男は言って、天元を見上げる。

「“正当防衛”。でしょう?」

言い訳めいた物言いだ。それから一層、声が冷える。

「最初の槍の一振りで、腕が落ちたんです。俺が斬り落とした」

男は口の端に嘲るような笑みを浮かべる。

「そしたらあいつ、舌なめずりしながら俺を見て笑うんですよ。
 落としたはずの腕もみるみる生えてきた。
 かと思ったら口を開いて『俺は不死身なんだ』とかのたまった挙句、
 『どこから食ってやろうか』と脅してくる。
 獲物をいたぶってやろうっていうのが透けて見える、嫌な笑い方だったな……」

男の口振りに、嘲りとともに浮かんだのは鬼への侮蔑と己への失望だった。

「だから俺は、俺の持ってた知識と技術の全てをあいつで試しました」

天元は理解する。
この男、鬼と出会って天元が来るまでの間、
どれほどの時が経っていたかは知らないが、鬼を嬲っていたのである。

「愉しかったです。最高だった」

男は暗澹とした眼差しを見せたかと思えば、天元を見上げて爽やかな笑みを作った。

「というわけですから、『こりゃ俺医者には向いてねぇな〜』と痛感しましてねぇ。
 ところがですよ。鬼退治には向いてるかもだ!」

やたらに朗らかな口調で、男は天元に言い募る。

「退治が生業になるくらい鬼の数が居るっていうなら、
 俺もお役に立てるかもしれません。武芸にも覚えがあります。
 どうでしょう、雇ってはくださいませんか?」

「ハッ!」

宇髄天元は男の申し出を鼻で笑った。

「黙って聞いてりゃお前、派手に鬼殺を舐めてやがるな? なァ、お坊ちゃんよ」

爪紅の塗られた人差し指を小馬鹿にした調子で男に突きつける。

「お前がさっき応戦してた鬼、あんなのは雑魚だ。
 この世にゃもっと強力な鬼がわんさかいる」

天元は目を眇め、男に告げた。

「お前、死ぬぞ」

「望むところだよ」

男は天元の忠告にほとんど間髪を入れず返した。

その顔に、それまで浮かべていた道化の笑みも嘲りも、絶望さえも消え失せて、
男は何もかもが抜け落ちた顔で言う。

「俺は死にたいんだ」

鬼の返り血に塗れ、能面のような顔で天元を見つめる男の名は
音柱・宇髄天元がの鬼殺隊入隊を推薦したのは、このような経緯があってのことである。



宇髄天元が構えた屋敷にが訪ねてきたのはその年の選別を終えてすぐのことだった。

天元の三人いる妻の一人、まきをに酒やら菓子やらの手土産を渡して、
は槍を携えながら天元の私室に足を踏み入れる。

「どうも。無事に選別通りましたのでご挨拶に参りました。です」

快活な笑みを浮かべて手を振るを一瞥して、
天元は口を開いた。

「何でお前死んでねぇんだ?」

は死場所を求めて鬼殺隊に入隊した男だ。

決意も固く、臆することなどないように思えたが、
死ぬには絶好の機会である選別を潜り抜け、
こうしてピンピンしていることが天元には不思議でならなかった。

だからこそ飛び出た問いではあるが、
開口一番に喰らわせるにはかなり突き放した物言いになった。

は目を丸くした後、「くっ」と吹き出すのを堪えるがしかし、
その笑いを噛み殺すことはできなかったらしい。

「はっはっはっはっは!!! すげぇ挨拶だな! 最高ですね、それ!」

天元の前に座したのち、手を叩いて大笑いしている。

笑いのツボもよくわからん男だな、と呆れて半眼になりつつ、
天元はとりあえずの慇懃さに触れた。

「しかし地味に律儀でマメだねお前も。手土産抱えてご挨拶とはな。手紙で良かったろ」
「まさか! 宇髄様には散々世話焼いてもらったんですから。
 手紙じゃ不義理でしょ。こういうのは顔合わせるのが一番です」

は大袈裟な調子で口を開くと、深々と天元へ頭を下げた。

「ご多忙のところお時間作ってくださってありがとうございます」

仰々しい、と天元は軽く手を払った。

「そんなんいいから本題入れ。
 ……つっても、選別の成績はカラスから聞いて知ってるしなァ。
 ド派手な活躍だったらしいじゃねぇの」

鎹鴉からの選別の結果は報告されている。
放たれたほとんどの鬼を討伐し、共に選別に臨んだ参加者たちを治療して回った。
は自らが並々ならぬ逸材であると証明したのだ。

ただし、呼吸が未習得であること、そして選別中を監督していたカラスの報告に、
言動が凶暴、加虐的な性質が見られると言う但し書きがつけられたので
至急呼吸の習得、ならびに監督指導が望まれた。

そしての並外れた選別の結果は、天元含む柱に直接影響も出ている。
例年以上に藤の山から鬼がいなくなったため、補充しなければいけなくなったのだ。

「おかげで柱含む階級上位の隊士に大量の鬼の捕獲命令が出てるんだわ。
 死にたがってたお前がどういう風の吹き回しだ?」

「いやそれが、……ちょっと聞いてくださいよ宇髄様。
 俺ね、自分の生き死には成り行きに任せるつもりでいたんですけど、
 こしらえて頂いた日輪刀……十文字槍が、そりゃもう大した業物でして」

ニコニコと喋り出したに、天元はうんざりした顔を見せる。

「手短に言え」
「いやはや、宇髄様ってば手厳しい」

ピシャリと言った天元に、は軽く笑うばかりだ。
しかし手短にと言われたことを一応は気にしたのか、顎に手をやったあと、口を開く。

「槍が優れていたせいかあまりにも鬼に手応えがないもんで、
 こいつらには俺の命はやれねェな、と思ったんです。だから死にませんでした」

それなりに短くまとめたようである。

天元は「あっそ」と気のないそぶりで応じたあと、
立て膝を立てて格好をくつろげ、に呆れた目をやった。

「死に方に注文つけるとは、お前ホントわがままな野郎だな」 
「はい。実際自分でも傲慢だと思ってますよ」

ジロリと咎められてもは意に介した様子もなく頷いた。

「しかし選別に臨むなら本気でやらなきゃ不誠実だ。手は抜きません。
 俺は死にたいが、自殺したいわけじゃない」

細められた目の中に、金の光がゆらゆらと揺れる。

「それをやったら示しがつかないんでね」

この男、面を被ったように表情が固定されることがある。と
天元は黙ったままを観察していた。

何らかの琴線に触れた時、は感情と表情とが繋がらなくなる。

「どうせ死ぬなら、俺は俺に与えられた全てを使いきりたい。
 骨の一片も無駄にしたくないんです」

しかし歪な感情のズレも一瞬のこと。
やがて歯車が噛み合うようにはある一つの感情をあらわにするのだ。

「なので強い鬼と相討ちになるのが理想です。いるんでしょ?
 もっと強力で、傲慢で、人のことなんざ食い物としか考えてねェ奴も」

それは加虐的で自虐的な“楽”の情である。

天元は肌を刺すような、ピリピリとした気を放つ
鬱陶しく思って眉を寄せるが、
挑発には乗らず、ただ肯定した。

「ああ、いるとも。お前のお眼鏡に適うような奴が、少なくとも一体は」

鬼舞辻無惨。
鬼の始祖。首魁。鬼殺隊の怨敵であるこの鬼は、
まさしくの求める“強力な鬼”そのものだった。

は纏っていた剣呑な空気を払い、拳を握って爽やかに言う。

「いいですね! 燃えます!」

気合いの入ったを天元は気怠げに指差した。

「いや、勝手に燃えてくれんのはいいけど、
 お前なんか延焼させそうっつーか、ド派手に周りを巻き込みそうなんだよな」

「そんなことはないですよ〜。
 俺は人様に迷惑かけるの、なるべくなら避けたいですし」
「本当かよ……」

全く信用できない軽薄な物言いだったため
頬杖をついた天元に、はふっと意味深な笑みを作る。
 
「そういえば話変わりますけど、
 呼吸のこと教えてくれなかったのは、やっぱりあれです?
 『死ぬつもりの人間に教えることなんか何もない』と思ってのことでした?」

明るく言うが、話す内容は冷厳である。

「でも俺としては、『せっかく教えてもらったのに……』的な未練を
 俺に感じさせないためだと踏んでるんですけど」

「……知らねー。覚えがねーな」

しらを切った天元に、は白々しい爽やかな笑みを浮かべた。

「え〜? しらばっくれちゃって宇髄様ってばお優し〜。
 その隊服の着こなし明らかにカタギじゃねェのに〜」
「どさくさに紛れて何悪口言ってんだこの野郎ふざけんじゃねぇぞ」

聞き捨てならないと一息に述べた天元である。

それからのことを何かかわいそうな生き物を見るように見下げ、指差してみせる。

「ハァ……。、お前には派手好みの良さが分かんねえんだな……」

わざとらしくため息を吐かれてもの笑みは鉄壁だった。
それどころか口の端を上げたまま困ったように眉を下げて苦笑する始末である。

「そうですね。奇抜ならなんでもいいわけじゃないだろとは思ってます」
「テメェ喧嘩売ってんのか!?」

こめかみにはっきりとした十字路を刻んだ天元には愉快そうだ。
声を上げて高らかに笑った。

「あっはは! いやいや、宇髄様は着こなしてらっしゃるし、お似合いですよ。
 歌舞いてて伊達男って感じ! よっ! 日本一! ひゅうひゅう〜!」

完全に太鼓持ちそのものの言動をとるに、
天元は満更でもなさげに顎を撫でた。

「おーおーそうだよ。なんだ、意外と分かってるじゃねえか」

しかしは一瞬で冷めたように真顔になり、
天元から目を逸らしてボソリと呟く。

「ま、俺は絶対その服着ないけど」

「……おーい、まきを! 居るか?!
 俺の昔の隊服残ってたら持ってきてくれ!! すぐ!!!」

襖を開けて妻へ頼んだ後、天元は自身の使っている化粧筆を手に取った。

「やめてくださいすみません。ちなみに全力で抵抗しますよ」

は速やかに謝り、それでいながら真剣な眼差しで天元を上目に見やる。
今日一番の真面目な声と顔を見せたに天元は「お前な……」と半笑いで呟く。

「ところで、こっから本題なんですけど」
「あ? まだなんかあるのかよ」

が脇に置いていた槍を手に、巻き布を解いた。
流れる水を固めたような、美しい青色の刃が露わになる。

「手紙でお伝えしましたが、
 日輪刀を頂いたとき、刃の色が変わってこの通り青くなりました。
 どうやら俺には水の呼吸の適性があるようです」

「覚えてるぜ。それがどうした?」

の言うように手紙で連絡を受けていたため、
が水の呼吸に適性のあることは天元も知ったところだった。

それが自分と関係あるのか、と首をかしげる天元には続ける。

「選別に通ったら『水柱から指導を受けるように』
 と鎹鴉から通達されたんで、どんな人なのかな〜って。
 同じ柱の宇髄様なら人となりを知ってるでしょうし、
 ご挨拶ついでにお話を聞きたく……なんでそんな顎外れそうな顔してんです?」

天元はに指摘された通り、驚嘆していた。

「冨岡が指導すんの? お前を?」

おそらく、に呼吸を習得させるため、
お館様――産屋敷耀哉が育手を斡旋するだろうとは天元にも想像できていた。
しかしこの人選は天元の発想の斜め上だ。

鬼殺隊屈指の剣士“柱”は多忙のため、弟子をとることは滅多に無いが、
それでも後進の育成に熱心な蟲柱・胡蝶しのぶや、
恋柱を一時期継子にしていた炎柱・煉獄杏寿郎など、
部下の教育実績がある人間も、いることにはいる。

だが、水柱・冨岡義勇はそういう、人の育成を得意とする人間ではなさそうに天元には思えた。
しかも相手はである。

――水と油じゃねぇか?

瞬間的にそう思った天元だが、
ガリガリと頭をかいて首を横に振った。

「あ〜〜〜、いやでもそうだな、適性考えりゃそれが一番理に適ってんだろうな」

並の育手にを渡すと監督面の方で問題があると耀哉は踏んだのだろう、と天元は思う。
の選別での成果は素晴らしいが、
同時に垣間見えた凶暴性と加虐的な性質は鬼殺隊の和を乱しかねない。

その点、柱ならばを押さえつけることが可能で、
極めて実践的な技術を叩き込むことができる。

「それにしても冨岡。冨岡ねぇ……あいつもよく受ける気になったもんだ」
「なんか、指導に向いてない人なんですかね」

腕を組んでしみじみ言う天元にが尋ねる。

「ほぼほぼ無表情で何考えてるかイマイチ掴めねぇし、会話が下手くそ。
 たまに喋ったかと思うと空気は読まねぇわ、協調性に難があるわで、
 ……喋り散らかして上っ面の人当たりはそこそこのお前とは真逆の男だわな」

「ほとんど悪口じゃないですか。俺についての評価は否定しませんけど」

ボロクソに言った天元には苦笑いだ。

「まあ癪だが腕は確かだぞ。強いし仕事はキッチリこなす」

天元は柱が強いのは当たり前のことだが、と付け加えて、さらに言った。

「鬼殺隊最多の流派“水の呼吸”のテッペン張るのが水柱。
 当然実力は折り紙付きだ。
 なにせ並の鬼じゃ傷一つつけらんねえときてる」
「へぇ。凄い人なんだ」

感心するである。

「そんな奴だから冨岡が指導に向くかっつーと分からんが、
 とは案外上手くやれるかもね。
 お前人の嫌がることを、そうと分かって言うしやるだろ」

「そうですね! 趣味なので!」

「最悪過ぎるわ。胸張ってんじゃねえよバカ。
 ってことは他人の心理考えを汲むのが得意ってことだろ。
 冨岡の意図も汲めれば呼吸の習得に問題ないんじゃ、
 ……いや、やっぱり分からん。とりあえずせいぜい頑張れ」

「はいはい。もちろんですとも」

途中で匙を投げた天元に
はわかっているのかいないのか、是を唱えて沈黙する。

天元はそろそろ切り上げるかと、軽く息を吐いて、
に向かい口を開いた。

「最後に言っとくが、呼吸が使えねえお前を選別に推薦したのは、
 俺の情がどうこうとかそういうことじゃねえぞ。
 刃の色が変わったから ・・・・・・・・・・ だ」

は一瞬戸惑ったように目を瞬くと、
傍に置いた槍へと目を向ける。

「“これ”、何かの試金石にでもなってるんですか」
「察しの通り。日輪刀はある程度の才覚がなけりゃ色が変わんねぇのよ」

は首を傾げた。
天元の言う“才覚”が何かいまいち掴めなかったらしい。

「……その“才覚”というのは曖昧だな。何か基準があるんです?」
「わからん」
「は?」

にべもない天元の言いように、は思わず素で返した。
の無礼も天元は気にすることはなく、淡々と“色変わりの刀”についてを述べる。

「そもそも、どれだけ呼吸を鍛錬しても色が変わらん奴は変わらんそうだ。
 鍛錬の有無が変化の基準じゃない。
 あれが示すのはあくまで“呼吸の才覚”と“適性”……らしい」

またを指差して天元は言った。

「お前だって流派としての“呼吸”はしてなくとも、人間なんだから息してるだろ?
 まして武芸に覚えがあるならその息の仕方も、まあ常人よりは気ィ使ってるわけだ。
 『ほぼほぼ無意識での息の吸い方、吐き方が水の呼吸に適してるから色が変わった』
 そういうことだろ。……多分」

はますます解せないという顔になって、
腕を組んで指摘する。

「“らしい”とか“多分”とか。宇髄様さっきからすっげえ適当だしあやふやですけど……」

「うるせえな。
 普通は呼吸の指導されてない人間が持っても色変わんねぇんだよ。
 むしろ逆になんでお前色変わったわけ?
 もともと習ってたのは普通の槍術なんだろ? なんなんだお前は?」

天元の正直かつ率直な疑問には吹き出した。

「あはは! こっちもわかんないなぁ、それは!」

お手上げですと自分でも手をひらひら振ったは間違いなく規格外。

これまでの常識が通じない人間なのだから、
呼吸の適性をいち早く示した理由など、深く考えても無駄だと天元は諦めている。

「とりあえず呼吸が使えるのがわかって良かったじゃねえか。それでいいだろ」

「まぁ、でも納得しました。それで宇髄様は俺を選別に推薦してくれたんですね。
 少なくとも刀が色を変えるだけの力量が俺にあるから、と……ふむ」

は口元に手をやって考えるそぶりを見せた。

「よくもまあ死にたがりの俺を選別に出す気になったな〜とは思ってたんですけど、
 ……よほど猫の手も借りたいと見える。人手不足なんですね?」

「まァな。本来お前みたいな前例作るのもどうかとは思ったが、
 そうも言ってらんねぇのよ」

嘆息する天元には何を思い出したのかぽつりと呟く。
 
「なんで呼吸にこだわるんです?」
「ん?」

「別に呼吸使わなくたって頸は斬れますでしょ」

天元は軽く目を眇めた。

「誰も彼もがお前みたいな加虐趣味の戦闘狂じゃねぇんだ。
 呼吸を鍛錬してようやっと斬った張ったの世界に立てる。
 そういう奴が普通なの」

「ふーん。俺からしてみりゃ好きでもねぇのに
 テメェで選んで殺しを生業にする方が普通じゃないけどな」

恐ろしく冷淡に呟いてから、は微笑む。

「まあどうでもいいですよ他人のことは。
 それぞれ事情がおありでしょうし」

天元はぐっと厳しい顔を作ってを見やる。

おそらく選別で見せたのもこういう、
人の柔らかな心に爪を立てて面白がるような物言いをする、
底意地の悪さだったのだろう。

「……嫌味な野郎だ」

「そうは言うけどあなた、それほど怒ってもないでしょう」

吐き捨てるような天元にもは全く動じない。

「俺の挑発や暴言には、あなた全然乗らないよね。どうでもいいと思ってる。
 冷静で合理的だ。個人的な感情は排して隊の損得を計算して動いてるんですね。
 でも、かと言って冷淡ではない。大手を振って選別に俺を行かしたわけでもない」

は口角を不敵に上げた。

「じゃなきゃ俺の挨拶に、応えてくれるわけもなし」

始末に負えないことに、の指摘は図星なのである。

性根が捻くれてる上にやたら人を読むのが得意だと
このように相対する人間を最低最悪の気分にさせるものなのだな、と
天元は唇をへの字に曲げて押し黙る。

はそんな天元を見てクスクス笑った。

「ふふふ。宇髄様のそういうところ、好ましいです。見習いたいなあ」
「あのさァ……」

隠しておきたいところを簡単に暴いた挙句、軽率に好意を示すに天元は眉間を抑えて揉んだ。

「もう、お前帰れ。お前みたいなの相手にすんの、鬼殺の数倍疲れるわ」
「あっははは! お邪魔しました〜」

は戯けた調子を見せた後すっくと立ち上がった。
そのまま部屋を出ていくかと思うが途中で立ち止まり、天元に背を向けたまま口を開く。

「宇髄様、俺がこうなったのは、別にあなたのせいじゃないよ」

天元は黙ってその背を見つめる。

書生風の出で立ちで穏やかな振る舞いをするではあるが、
その時ばかりは纏う雰囲気を鋭く、精悍なものへと変えていた。

「むしろ俺は鬼殺を知るきっかけとなったあなたに、心から感謝してるんだ」

振り返った瞳は決意に燃えている。

「この恩は仕事でお返しします」

そしてまた、常の通りに表情を和らげるのである。

「それしか能がありませんのでね」



宇髄天元はが去った後、なんとも言えぬ思いで深くため息を吐いた。

天元はの名を聞き、また相対するたびに思うことがある。

春夜の本郷での鬼退治。
天元はこれに、間に合ったのか、それとも手遅れだったのか、分かりかねていた。

が鬼に襲われる前に天元が鬼を退治していたのなら、
の悪癖は開花せず、医者になる夢を追いかけていられたのだろうか、と。

今更考えても仕方のないことばかりが脳裏をよぎり、天元は硬く、目を瞑った。