投影・錆兎

冨岡義勇がに稽古をつけて三日。

義勇はの飲み込みの速さに驚嘆していた。
もともと槍術の心得があることが幸いしてか、呼吸法の理解があまりにも早い。
呼吸を実戦に耐えうるものにするのに、これは十日、
いや、七日もかからないかもしれないと踏んでいる。

とはいえ、全てが順調というわけでもない。問題もあった。
義勇と、二人の扱う得物の差である。

には間違いなく武芸の才があるが、
槍が使えるからと言ってすぐに剣が使えるようになるわけではない。
むしろ、槍術が体に染み付いているからこそ、
刀での間合いの把握がおぼつかず、うまく対応することができなかったりする。

義勇はに剣術として水の呼吸を習得させるには
それなりに時間を要するだろうと分かっていた。

竹刀を持たせて打ち合いもしてみたが、筋は悪くないものの、
の槍術を見た後だと見劣りすることは否めない。

――ならば、のもともと極めている槍術に呼吸法を合わせたほうがいいだろう。

そのように思いつつ、それだけでは不足もあると義勇は指導の方針を定めた。

『宝蔵院流の槍術に加えて、
 水の呼吸の中でも特に首斬りに適していると思われる技をに再現させること』

そうと決まればと、義勇はとの稽古に臨む。



昼下がりの水柱邸、剣道場。
向かい合って、座したを前に義勇は口を開いた。

「水の呼吸は」

何から説明すべきかと言葉を選んで、

「使い手が多い」

そして失敗した。

内心軌道修正せねばと思ってまた口を開くより先に
の方が答えてしまう。

「あ、それ、宇髄様からも聞きましたよ。他にも評判は方々からかねがね。
 水の呼吸はこれまで剣を握ったことのない者にも優しい流派だそうですね」

指を立てて言うに仕方なく、義勇は頷いた。

義勇の実感としても水の呼吸は初心者に適していると思う。
なぜなら、

「鬼殺に必要な所作は、水の呼吸基本の十型で全て網羅しているからだ」

は納得するところがあったようでしみじみと頷いている。

「ええ。冨岡様の剣技を見ても、それは分かります。
 斬ることに特化した技が多いですけど、それ一辺倒というわけでもないし。
 突き技や防御、広範囲に対応する技もありますもんね」

義勇もの認識で問題ないと言葉を続けた。

「鬼殺においては首を斬ることが出来ねば話にならない。
 刀が最良の武器であることに疑いはない」

「……ふむ」

槍使いであるは義勇の物言いに引っかかりを覚えたらしい。
片眉を跳ね上げたかと思うと、小首を傾げた。

「俺の十文字槍、かなり首斬りに特化してますけど、それでも不足がありますか?
 宝蔵院流に呼吸を乗せれば鬼殺にも問題なく対応できると思いますよ。
 実際選別でもバンバン鬼の首は斬ってるわけですし」

「その槍術に加えて、水の呼吸の壱ノ型、肆ノ型を槍で再現できるなら話は別だ」

「……ああ、なるほど」

義勇の言葉には瞬いてから緩やかに目を細める。

「つまり、『宝蔵院流槍術は頸を斬るのに適した技の種類が多くないから、
 水面斬りや打ち潮のような斬る技を追加で覚えた方が良いよ』ってことであってます?」

紆余曲折はあったものの、当初の予定通り、
に斬撃を覚えさせる方向で指導することを説明出来た、と安堵する義勇である。

ただしはなぜか義勇へ疑問を呈しているが。

「俺ははじめからそう言っているが?」

義勇が「なにを疑うことがあるのか」とキョトンとしているのを見て、
は朗らかな笑みを作った。

「冨岡様が言ったのは要約すると『槍は鬼殺に向いてない・刀最良』っていう
 剣術原理主義者みてェな見解だよ。言葉尻だけ捉えればよ」

――そんなつもりじゃなかったのだが。

義勇が弁解に口を開こうとするのをは手を振って制した。

「悪気がないのと『多分こういう意図なんだろうな〜』っていうのが
 “俺は”わかるのでいいですけど! 全然気にしてませんから!」

“俺は”というのをことさらに強調して全てを水に流したである。
そしては「ところで……」と居住まいを正した。

「いま冨岡様、聞き間違えじゃなければ『剣術を槍で再現しろ』って言いました?」
「言った」

間髪入れずに肯定すると、が慈悲の微笑みを浮かべたまま
ぴしりと固まったような気がする。

「無茶では?」
「出来ないのか?」

何度か手合わせをして、が槍の達人であることはすでに知ってのところだ。
その上呼吸の習得も異様なまでに早いときている。
が武芸の天才であることを、義勇は疑っていなかった。
だからこその「出来ないのか?」という、素直な疑問である。

は義勇のなんの他意もない、ただひたすらに不思議そうな顔を見て、
深々とため息を吐いた。それからなぜか半笑いで口を開く。

「……いや、やるだけやりましょう。手本見せてください。まず壱ノ型から」

がすっくと立ち上がると常の軽薄な印象が薄れる。
義勇はそれに応えるように、自身も傍に置いた木刀を手に取り立ち上がった。



 水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

これは両腕を交差させ、勢いをつけて水平に刀を振るい、鬼の頸を両断する技である。
水の呼吸の中でも基礎の基礎。最悪この型さえ極めれば鬼を倒せるようになる。
多少姿勢が崩れたとしても威力が落ちづらいので重宝する技でもあった。

義勇が手本を見せると、が槍を低く構えた。

義勇は「水の呼吸を再現しろ」と言ってはみたが、
その実、の再現が水の呼吸と呼べない代物であったとしても、
鬼の頸を斬るのに不足がなければそれで構わないと思っていた。

頸を斬るのに対応する技を体が覚えるまで繰り返せば実戦で不足がなくなる。
そう思ったが故の再現の提案だ。
“肝心なのは任務を遂行できること”だと重々承知していたからである。

は構えた槍を振る。
勢いをつけて水平、両腕を交差させて片手で重い槍を振る様は荒々しく、力強い。
ただ、本人は納得いっていないのか、不満げに目を眇める。

「……なんか違うな」

は一人口元に手をやって、つぶやいた。

「少なくとも跳躍に耐えうるようにならねば……。
 体勢が崩れていても水平に首を斬り落とせるような技にならないと、
 水面斬りとは言えない。……もう一回手本をお願いします」

義勇は頷いて、また水面斬りを披露する。
がそれを見て技の意図を読み解いては己の槍術で再現しようとする。
それをひたすら繰り返した。

繰り返していくうちに義勇は気づいた。
お互いの得物の軌跡が徐々に鏡合わせのようになっていく。
無論、義勇の持っているのは木刀で、の手にしているのは竹槍にも関わらず、
その“印象”が重なるのだ。

不思議な感覚だった。
なぜだかが水の呼吸を再現しようとするたび、
義勇は鱗滝から水の呼吸を教わった時を思い出す。
ひたすら鍛錬に励んでいた時のこと、それよりも前のことを。

――必死だった。
馬鹿正直に鬼の存在を口にしてしまって、
周りには姉が惨たらしく死んだことで心を病んだと思われた。
誰も自分の言うことを信じない。
可哀想なものを見るような、腫れ物に触るような態度を取られ、
挙句に医者に見せると言われて逃げ出した。
その時からずっと走っている。
果てのない泥の中を泳いでいるような気がする。

義勇の刀の軌跡が少しのブレもなく、直線を描いて閃く。

――運良く出会った鱗滝先生が、鬼を退治する職があるのだと、
鬼殺隊の存在を教えてくれたことでようやく、少しだけ、光明が差した気がした。
祝言をあげて幸福になるはずだった姉が死んで、
自分が生きているのは不相応だという思いはいつまでも拭えない。
庇われて生かされたことに、意味や理由が欲しかった。

の槍が振れる。波のように見える。

――訓練は辛かった。
それまで刀など持ったこともなかった手のひらはすぐにマメや傷だらけになった。
姉の形見の着物に袖を通してなんとか自分を奮い立たせた。

飛沫の幻影が色濃くなった。
だがこの技は義勇が放ったものか、それともが放ったものか、もうその判別がつかない。

――姉が好んで着ていたのは華やかな柄のある着物では無かったが、
男の自分が女ものの着物を着るのは変だろうかと、ある時にふと思った。
共に剣を学ぶ友人に尋ねてみる。
「男らしく」といつも口にする彼が自分の身なりを
内心どう思っていたのかを聞くのは、少々、恐ろしかった。

の槍が煌めいて空を裂く。

――声がする。呆れと少しの笑いを含んだ声が『今更何を言ってるんだ?』と。
けれどそれから真面目な面差しになって、錆兎は考え込むように腕を組む。

『……男なら前に進む以外に道は無い。
 後ろ向きになってうずくまり、いつまでも立ち上がらない奴は男じゃない。
 でも、お前はお前の姉と一緒に前に進むんだろう?
 形見を肌身離さずにいるとは、そういうことじゃないのか?』

――自分がなんと答えたのかは忘れてしまったけれど、

『だから俺は、お前を男らしくないとは思わないぞ、義勇』

――朗らかに笑う顔に励まされた。認めてもらえて嬉しかったことは覚えている。
鱗滝先生も錆兎も、義勇の思いを汲んで、温かく応えてくれる。

――錆兎は心が清らかだ。正義感が強くて、優しい。鱗滝先生も。
そういう人の使う剣術は、水の呼吸は、
鬼を殺すための術だというのに清々しく見えるのだから不思議だと、
昔、そんなふうに思っていた。

 水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

まぼろしの水飛沫が空中を舞う。
水平になぎ払われたその動きには少しの歪みも淀みもない。

愚直なまでに正しく力強い一撃。錆兎の剣技。

――今、槍の一閃に同じものを見た。



カラン、と高い音を立てて木刀が義勇の手からこぼれ落ちた。
こめかみから汗がつたうのが不快で、袖で拭う。
いつの間にか訓練に夢中になってしまっていたらしい。

「あっ、今のは良かったですね! あれ?……冨岡様?」

も深い集中から解かれたのか声を弾ませていた。
しかし木刀を落としたまま、うつむいて何も言わない義勇を不審に思ったのか、
が義勇に近づいて目の前でひらひらと手を振った。

目が合うと、へらりとは苦笑する。

「すみません、自分では結構いい線いってたと思うんですけど、
 槍と刀では全く同じというわけにはいかないです。
 ……やっぱり槍で水の呼吸を再現するなんて無茶だったかな?」

人差し指で頰をかくに、義勇は首を大きく横に振った。

「今のは確かに水の呼吸だ」
「え?」

瞬くの目を見て義勇は言う。

「誰がなんと言おうとも、今のお前の技は水の呼吸だった。
 使う得物が槍であっても」

――そうでなければに錆兎の面影を見るはずもない。

。お前には全ての水の呼吸を槍で再現してもらう」
「は……?」

昂る心のまま告げると、は驚いて目を丸くした。

「壱ノ型と肆ノ型だけという話では?」
「気が変わった」

冨岡義勇は、誰より水柱に相応しい人間を知っている。

強く、実力を自負しながらも おご らない。
困難を前に決して挫けない。
人を助けることを惜しまない。
正義感が強く、人を思いやれる心を持っている。

そういう人間が水柱になるべきだ。

――だから鍛え上げて、を水柱にしよう。

「お前にならそれができるはずだ」

「いや、ちょっと待ってください。
 宝蔵院流槍術と呼吸法で十分鬼殺に対応できる以上、
 水の呼吸を全て習得することに鍛錬の時間を割くのは非効率的では……?」

急に方針を転換した義勇に戸惑うであるが、
義勇の中ではの水の呼吸の習得は決定事項であった。
困惑するに義勇は確信を持って言い放つ。
 
「お前は俺の継子だろう」
「え? はい。そうですね」
「なら水の呼吸を覚えろ。そうでなければ困る」

――異論は認めない。
義勇は全身でそう告げていた。

「えー……、最初と言ってることが違うんですけど。
 ……とりあえず、なんか知りませんが、大いに期待を寄せられてることはわかりました」

は嘆息すると真面目な顔を作って義勇に問いかける。

「……冨岡様は本当に、俺ならできるとお思いなんですね?」
「当然」

なんの迷いもなく頷かれて、は重々しく頷いた。

「なるほど」

それからニッと歯を見せて笑うと拳を握りしめて勢い込んだ。

「あなたみたいな人にそんなこと言われたらやる気出ちゃうな!」
「?」

なぜ自分に期待をかけられたら奮起するのだろうか、と
今度は義勇が困惑する番だった。

「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味ですよ」

聞いてみても満更でもなさそうには笑ってばかりで、
確たる答えを義勇に教えてはくれないのである。