鬼さえ斬れれば・下
宇髄邸に軽薄な笑い声が響き渡る。
「いや〜すいませんねえ宇髄様、
俺、冨岡様から破門されちまったんですよ、あっはっはっは!」
隊服姿で己の首を撫でながら言うに深刻なそぶりは全くなく、
屋敷の主人、宇髄天元はあぐらをかいた膝に頬杖をつき、シラーっとした目をに向けた。
「知ってるよ。ていうかお前なんで俺んとこ来たわけ? 暇なの?」
「いえ、俺を隊士に推薦したのは宇髄様なので
なんかお館様あたりから怒られてたら嫌だな〜と思い、あらかじめ謝っとこうかと」
なんだかんだで破門されたことに関して申し訳ない気持ちがあるらしい。
天元は根回しの仕方が分かりづらいと嘆息する。
だいたいにして耀哉がの起こした不祥事の件で天元に何か言うとも思えない。
「変な気を回すな阿呆め、お館様がそんなつまらんこと言うかよ」
天元はさりげなく、正座するの佇まいをうかがうと、
以前はできていなかった全集中・常中も習得しているのが見て取れる。
――冨岡の奴、最低限の仕事はこなしたらしい。
常に陰気で憂鬱そうな顔をしつつも、
任務となれば華々しくも堅実に成果を上げる義勇らしいと言えばらしいのかもしれない。
納得しながら、天元はへ気楽に言った。
「破門したとはいえ、いくらなんでも我流でやれとは言ないだろ冨岡でも。
呼吸使えるようになってんのは見りゃわかるし、
鬼殺に問題ないなら別にいいんじゃねえの?」
「ええ、まあ。それはそうですけど」
珍しく苦笑して歯切れの悪いにらしくねえな、と天元は続ける。
「だいたいそんな気に病むことでもないぞ。
継子を辞める連中はそんな珍しいわけでもねえからよ」
「そうなんですか? せっかく見込みありと期待をかけられたのに?」
は不思議そうである。
天元はを妙に義理堅い男だとやや呆れつつ、
継子に逃げられたことをあっけらかんと話していた同僚の顔を思い出す。
――煉獄の下で続いてモノになった奴は結局甘露寺だけだったな。
割と早めに独立させてたが。
――まあわかるわ。あんな妙ちきりんな刀の指導は無理だろ。
あの女なぜか使いこなしてるけど。
にしても煉獄の稽古から逃げる連中ときたら……。
煉獄杏寿郎の面倒見の良さは柱の中でも群を抜いている。
その杏寿郎の指導を耐えかねる人間に
他の柱の下につくことは到底無理だろうと考えつつ、
天元は吐き捨てるように言った。
「大抵修行がキツくて辞める。総じて根性が無い。
最近の隊士は質が悪い。甘っちょろいったらありゃしねえ」
は天元の悪し様な物言いに後頭部をかいた。
「ハハハ、耳が痛いですねぇ、別に指導がしんどくて辞めたわけでもないんだけど……、
でも、そうなる人が出るのもわからなくもないかな」
がさらに苦笑するので天元は興味を覚えて尋ねる。
「何? 冨岡そんなキッツイ指導したわけ?
アイツが弟子に甘いとは思わんがそんなにか?」
柱の中でもあまり打ち解けているとは言いがたい冨岡義勇だが、
弟子相手にはどのように振る舞っていたのか気になったのだ。
そもそも天元は師弟関係がひと月保つかも怪しいと思っていたクチである。
なんならよく保った方だと思っていた。
――しかしこいつ、冨岡の口下手を苦にしなさそうではあるんだよな。変に勘も効くし。
天元の内心も知らずはなんだか楽しげに答えた。
「型を見せてもらっての見稽古と、あと暇さえあればずーーーっと試合してましたね。
継子になりたての頃は呼吸がおぼつかず試合の形にもならずに
ひたすらボッコボコにされてましたよ、あっはっは!
呼吸に慣れればそれなりに試合っぽい形にはなりましたが」
天元にはが初期、義勇にひたすら一方的に打ちのめされる様子が容易に想像できた。
並の隊士ならばそこで逃げ出してもおかしくはなかったのだろうが、
相手は、ド級の天邪鬼である。
なぜか破門された相手に叩きのめされたことをニコニコと愉快な思い出のように語る始末だ。
「とにかく見て覚える、身体で覚えるの指導でしたよ。
一番実践的でしょうね、もうちょっと口で言ってくれてもいいとは正直思ったけども」
「あいつ説明下手だからなァ……」
天元が漏らした感想に、はちょっと考えるそぶりを見せた。
どうも納得いかなかったらしい。
「……あれは口下手由来と言うより多分、ああいう教え方をされたからそのまま俺に伝えたんだと思います。
冨岡様が鬼殺隊に入るまで何してたかとかは聞いてないですけど、
元々は全然刀なんか持つ気もなかった人なんじゃないですか?
俺が打ち合い形式の稽古をねだると微妙に嫌そうな顔してたし、あの人争い事全般が嫌いだと思うよ」
の言葉に、かえって天元の方が面食らう。
確かに冨岡の来歴を天元は知らない。
おおよそ身内なりなんなりが鬼に殺されたのだろうと想像はつくが、
それでも義勇が争い事を好まないタチだとは思ったことがなかった。
言われてみれば妙にしっくりくる。が、正直天元は半信半疑だ。
「マジで? あいつたまに口開くと『喧嘩売ってんじゃねえか』ってこと言うぜ?」
天元が首を傾げているのに対し、は腕を組んで苦笑する。
「多分、常に気ィ張ってるから言葉選んでる余裕がないんですよ。
……いや、それを他人に汲めっていうのが酷って言うか、
察してくれって態度は一種のわがままなんですが。
でも冨岡様は察してもらおうともあんまり思ってないでしょ。
万人にほっといて欲しいんじゃないかな。俺はほっとかないけどね、面白いから」
「……はぁ、そんなもんかね?」
の冨岡義勇評はやや独特である。
天元は顎を撫でて、目の前のを見やる。
刀を取る気がなかったらしい義勇と対照的に、
は鬼殺隊に入る以前から達人と称しておかしくない槍の腕前である。
「そういや、はなんで槍なんか習ってたんだ?」
は天元の問いに朗らかに答えた。
「いわゆる“武道”って、人格形成のためにやるでしょう。
今開いてる道場で実践としての武術を習わせるところってあんまりないと思います。
ですので、運動能力向上はもちろん自制心を養うためですね、ええ」
したり顔のに天元は目を丸くして仰天する。
「ハァ!? お前槍の腕はともかく自制心は全ッ然身についてねェじゃん!」
「アハハハハ! そこは槍を習ってなかったらもっと堪え性のない人間だったということでひとつ」
明確に罵られたと言うのに手を叩いて爆笑していただが、何を思ったのか不意に肩を落とした。
「というか、その辺そもそも道場選びを失敗したようなものなので……」
の扱う槍は極めて実用的である。合戦場でも十二分に通用したのではと思わせる迫力があった。
ならば、槍術をに授けた師範というのも一角の人物であっておかしくはない。
が、師範にしても明治、江戸末期の人間だろう。
合戦も廃れた時代に槍の傑物が残っているものだろうか、
と天元は自分が大正に残る忍者であることを棚に上げながら思う。
何よりそんな物騒な道場が割合平和なご時世で流行るのも不思議な話である。
「そんな実践第一の師範だったのか、今時珍しいな」
「うーん、他の弟子には普通にしてたみたいですがね。
俺はなんか……変な贔屓をされてこうなりました」
「へえ〜、例えばどんな?」
天元には「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりにスラスラと言う。
「他の弟子とは隔離されまして指導は基本一対一。
稽古の時間中槍を振るのもそこそこに、
なぜか芸者遊びに付き合わされたり、酒飲まされたり、
飯作らされたり、散らかし放題の部屋掃除させられたり、
絵だの壺だのの目利きをさせられたり……」
「おいおい……」
割と恨み節のようなものが透けて見えて天元は思わずのけぞって引いた。
その様を見ては羅列するのを切り上げたが、わざとらしくため息を吐いて続ける。
「教え方は上手いんだと思います。多方面めきめき上達させられましたから。
実際道場も繁盛してる風だったし。
でも俺の場合例えるなら、……包丁の扱いだけを学びに来たのに
扱いと同時にまな板まで切れる状態まで整備された、的な」
「なんでそんなことすんだよ」
呆れ気味の天元に、はあっけらかんと言った。
「ありゃ多分趣味ですね。宇髄様って、道具の手入れ好きですか?」
「好きでも嫌いでもねえ。必要ならやるけど」
「宝田師範は手入れが好きなんです。
俺のことも道具と同じように見てたんだろうと思います」
道具と同じように見られていたのだろうとなんの気無しに言われて、
天元は一瞬、思考に空白を覚えた。が、は気づいていない様子である。
「俺の一挙手一投足、技が冴えるたび自分ごとのように喜ぶ人でした。
俺も元々の性分がアレなので槍でバカスカ斬鉄できるようになるのは
楽しいっちゃ楽しいんですけど、当初の目的とはだいぶ……」
天元は気を取り直して、の言葉を引き取った。
「異なるわな」
「ですね」
これ以上はどうにも嫌なことを思い出しそうだと天元はの進退の話に話題を変える。
「お前胡蝶の預かりになるんだろ? 継子にはならねぇとは聞いたが」
「おお、さすが忍者。お耳が早い」
はおどけたあと、聞かれたことには真面目に答えた。
「“副官”という特殊な立ち位置になるようです。
主に医学薬学分野での補佐が俺の仕事になるとか。
単独任務は基本的に無し。鬼殺の段取りは付属する蟲柱の判断を逐一仰ぐようにと
お館様に厳命されました。蟲柱から折を見て徐々に単独任務も許可されるだろうとのことですが」
そこまで言うとはやれやれ、と芝居がかった所作で肩をすくめて見せる。
「まあ、副官って言えば聞こえはいいけど要するに使い走りですよ。
でも蟲柱様も実質お目付役みたいなもんですよね、
ほんと申し訳ないな。俺が問題児なばっかりに……」
しおらしいことを言いつつ特に反省してるとは思えない軽い声色だったので天元は一応突っ込んだ。
「、お前な。自覚あってそう思ってるなら態度で示せ態度で」
「アハハ!」
は笑って誤魔化すと、思い出したように付け加える。
「あとは……仮に甲の階級に出世したとしても、
俺が“副官”でいるうちは絶対に柱に昇進しない、とのこと」
天元は驚きに目を見張る。
基本的に鬼殺隊は実力主義。
隊士は鬼殺さえこなしていれば文句は言われず、階級も鬼を退治するだけ上がっていく。
隊士に求められる資質は“柱になるための条件“がほぼ正確に表している。
柱になるには、鬼を五十体以上倒すことか、
十二鬼月と呼ばれる鬼の中でも格別強力な鬼たちを倒せるかの、
どちらかを達成できれば良いとされているが、転じて『どちらも可能か』が考慮される。
鬼を五十体倒すのには通常二年から五年ほどかかる。
置かれた条件、状況、好調・不調に左右されず、必ず鬼の首を斬れると示せるかが要となる。
五十体を素早く倒せた場合は、下級の鬼をものともしない、
圧倒的な実力だったかどうかも加えて示さねばならない。
十二鬼月を倒せれば、それだけで理不尽極まりない鬼の膂力、
精度の高い血鬼術に対応し、首を刎ねることのできる一騎当千の実力であることを示す。
鬼が人を喰らった分だけ力をつける性質がある以上、
隊士は任務において少人数での活動をするのが望ましい。
人海戦術は失敗した時の危険が大きく、鬼殺隊に致命的な打撃を与えかねない。
ゆえに、隊士一人一人が恐るべき強者となるのが理想である。
人格、指揮能力などは二の次、とにかく強力な鬼を数多く屠れる実力こそが求められる。
にもかかわらず、に対してこうも厳格な対応がとられると天元は思わなかったのだ。
は明白に、鬼殺の才を持っているのだから。
――それだけ人質殺人未遂が問題視されたってことか?
ちょいと厳しすぎる気もするが、なんにせよ……。
「……がっつり首輪つけられたってわけだな」
天元の結論に対して、は格別気にする様子もなく頷いた。
「そうなんでしょうね。立身出世に興味があるわけじゃないのでどうでもいいです。
俺は鬼が斬れればそれでいいので」
どうやら本気で言っているらしい。「そんなことより、」とは天元に尋ねた。
「例によってあれですけど胡蝶様ってどんな人ですか? 面白い毒作ってるのは知ってますけど!」
「面白い毒ってなんだよ」とぼやく天元にもは物怖じせず
「面白い毒は面白い毒ですよ〜」とヘラヘラ笑っていた。
天元は半眼になりつつ適当に言う。
「どんな人と言われてもな。別に俺がことさら言うことは何も。
知っての通り胡蝶は毒使い。精製から実践まで全部一人でこなす女だよ」
しかし、は鳩が豆鉄砲を喰らったように目を丸くしている。
天元は何に驚いているのかが理解できず怪訝に首を傾けた。
しばらく部屋に沈黙が漂うも、が呆然と口を開く。
「……え? 女なんですか?」
これには天元の方が唖然とする羽目になった。
「は? お前、胡蝶のこと男だと思ってたの?」
蟲柱・胡蝶しのぶ。名前からして普通に女と分かりそうなものだが、と天元は訝しんだが、
「男であっても“しのぶ“と読ませる名前がないわけでもないでしょう」とは反論した。
「それに今のご時世、超専門家級の医学薬学の知識があるって言ったら、だいたい男ですよ」
確かに女医は男の医者に比べ数は少ないだろうが偏見である。
が、公的に女医が認められたのも明治に入ってからなので、言わんとすることもわかった。
しのぶのことをもともと知っていた天元にとってはだいぶ違和感のある勘違いなのだが。
そして、そこまで盛大に思い違いをしたとなると、
が勝手に作っていた想像の“胡蝶しのぶ”が気になる。
「……おい、胡蝶の性別知るまでどんな奴想像してたか言ってみろ」
は戸惑いつつも素直に口を開く。
「ええ? ……現役隊士で柱なら若いんでしょう?
でも鬼に効く毒の開発者ならちょっとは年いってるだろうし、20代後半から30代前半の男。
作ってる毒の感じからしてクソ意地が悪そう。
冨岡様は直接鬼には使わなかったけど、
あれ鬼に浴びせかけたら絶対硫酸みたいに皮膚ドロッドロなると思うんだよな〜!
顔とか狙ってぶっかけてみたかった〜!」
「あのさぁ……」
「クソ意地が悪いのは絶対お前の方だよ」という罵倒を飲み込んで、
天元はてんで的外れの“仮想胡蝶しのぶ“を鼻で笑った。
「つーか全然違ェわ。胡蝶はお前とそんな歳変わんねえよ」
「嘘でしょ?!」
は衝撃を受けた様子で思いの丈を叫んだ。
「
やたらに昂った調子のに天元は正直引いていたが、
はそんなことなど全く意に介す様子もなく、興奮に目を輝かせていた。
「しかも女だって言うなら……毒の精製に至るまでほぼほぼ学校行かねえで独学ですよね、
すっげえな……!!! やばい。俄然会うの楽しみになってきました!!!」
意気軒昂のお手本のような状態で喜んでいるに、天元は冷めた目を向けつつ忠告する。
「なんかわくわくしてるとこアレだがお前胡蝶に
『男だと思ってた』とか口が裂けても言うなよ、間違いなくしばかれるから」
笑顔だがよく見るとこめかみに青筋を浮かべたしのぶが、
シュッシュッと硬く握った拳で素振りをした後、
的確な部位に強烈な拳を当ててくる様子が天元には容易に想像できた。
しのぶは物腰柔らかに振る舞うが、生来真面目なので冗談が通じないところがあるし、
頑固だし、と考えが及んだところで、天元は顎を撫でながら真剣な面持ちでを見やる。
「……いや。派手に口滑らしてぶん殴られた方がむしろお前のためか?」
天元の失礼千万の口ぶりに、はなぜだか手を叩いてウケていた。
「アハハハハ! 先に聞いといてよかったです!」