昼顔

が主に昼の蝶屋敷で行う仕事は、
医療知識を活かしての治療と経過観察、看護だ。

父親の明峰がいる場合、は助手としてかなり控えめに振る舞っているが、
明峰が本郷の医院に足を運んでいる時はとアオイらで患者の対応をするので、
必然的にの裁量は増える。
その結果――。

「はい、この調子で安静にしててください。
 あんまり無茶しないでくださいね、死にますよ。アハハッ!」
さん、笑い事じゃありません」

昼下がりの蝶屋敷の病室、
けがを負って回復に努める隊士の面々に、笑顔で物騒なことを言うと、
それを真顔で嗜める神崎アオイの姿があった。

は隊服の上から羽織った青染めの白衣をなびかせて回診の最中だ。
キリリとした顔のアオイと共に、病室を一人だけ愉快そうに闊歩している。

の物言いは非常に率直で遠慮がなく、むごいことを心底楽しそうに口にするので
患者の面々はが来ると顔色が若干土色になっていた。

父親の明峰が患者に対して優しく、穏やかな接し方をするのとあまりに対照的なので、
「飴と鞭の“鞭”が来た」とか患者の間でヒソヒソと噂されているようだが、
はそれを耳に入れているのかいないのか、今日も通常運転である。

とアオイは寝台を巡り、けがの具合を見て回る。
最後の一人、血鬼術で腕を負傷した隊士の経過観察の最中、
包帯を取って赤紫色に変色した皮膚を検分しながら、
はことさら爽やかな笑みを浮かべた。

「あ~、これあんまり経過良くないですよ。気をつけないと指が取れちゃいますね~」
「はぇッ!?」

シャレにならないことを平然と言われて患者の隊士は白目をむいた。
は反応をうかがいつつも、心底楽しそうに患者の腕を取って、おもむろに軟膏を塗り始める。

「ォワッ……!ぅおおおおおッッッ!?」
「はーい、結構沁みまーす」
「そういうことは先に言ってあげてください!」

悶絶している隊士を前にシレッとのたまうにアオイが注意するが
何も堪えた様子もないは患者から手を離し、手ぬぐいで軟膏を拭いながら笑った。

「安静にして薬を丁寧に塗りましょう! 飲み薬も欠かさず飲んでください。
 かなり沁みるし苦いけど! 指ボロッと取れるよりは全然マシですよ!
 我慢を頑張りましょうね!」
「言い方!!!」

治療そのものは間違っていないにしても対応がとにかく最悪だ。
言い方が酷すぎると咎めたあと、
アオイは半泣きになっている患者の包帯を巻き直して、励ましの言葉をかけた。

「だ、大丈夫ですよ!ちゃんと治りますから……」
「ハイ……ありがとうございます……」

涙目の患者はアオイに深々と頷くばかりであるが、
そこにの気の抜けた声が水を差した。

「はいはい、お大事に~。 
 刀を握れるのは大体二週間後です。それまでは鍛錬禁止ですよ。
 指取れちゃうので! ボロボロっと!! あははははっ!!!」

病室にの高笑いが響く。
アオイはその背を押して廊下まで無理やり連れ出しながら
半ば叫ぶように言った。

「はいさんの回診終了です! お疲れ様でした!」

病室の戸を音を立てて閉めたアオイはキッと険しい顔を作ってを睨みあげた。

「なんでさんは患者を脅すようなことを言うんですかね!?」

は目を細める。
浮かべる笑みは鉄壁だが、どことなく酷薄な色が差したように見えた。

「ちょっとお灸が必要だと思ったんですよ。あの方、けがの程度をナメてたので」
「なんですって? ナメてた?」

アオイが尋ねると、は病室の戸を透かし見るように顔を向ける。

「目視だと変色しててわかりづらいけど、触ると手のひらにマメがありました。
 こっそり鍛錬してますよ、彼」
「……!」

「あの状態でよくやるよね。本当にダメ。最悪」

隊士の中には一刻も早い復帰を望むあまり、医師や看護師の言うことを聞かない人間もいる。
はカルテに万年筆でサラサラと何か書きつけて傍に抱え直し、
アオイに向き直った。

「熱心なのはいいことですけど無茶はいけません。
 いざという時戦えなくなりますから。それは彼の望むところでもないでしょう?」
「……そう、ですね」

――自分も、戦えなくなることの辛さやもどかしさはよくわかる。

アオイは俯いて、頷いた。
は人差し指を立てて朗らかに言う。

「と言うわけで強めにビビらせておけば無茶しないかなって!
 治ると思って無謀に走る患者はビビらせてなんぼですよ!」
「……脅すのはやめてほしいんですけど」

気を取り直してジト目のアオイに、は手をひらひら振って見せた。

「そんな怖い顔しないでくださ〜い。
 ……わかりました。なるべく脅さないようにします。
 なるべくね。ええ、なるべく」

むっとした顔を崩さないアオイにが適当に頷いている最中、
廊下の先にある手洗い場のあたりから、水が注がれる音が響いた。

見れば、栗花落カナヲが花瓶の水を換えている。
はその様子を眺めると、アオイに尋ねた。

「神崎さんは栗花落さんと仲良しなんですね?」
「え?」
「栗花落さんはなるべく神崎さんのそばにいて、様子を気にしている気がします。
 神崎さんと話してると、結構な割合で栗花落さんと目が合うので」

言われてみれば、最近はカナヲがよくそばにいるような気がする、と
アオイは口元に手をやって考え込んだ。

「そう言えば、近頃はそうかもしれない……」

いや、思えば様子が変わったのはが蝶屋敷に来た日ではなかろうか。

――カナヲはのことを見ているのかもしれない。

「へえ、最近になってのことなんですね。
 栗花落さんは挨拶しても笑い返してはくれますが、全然喋ってくれません。
 悲しいな~」

全く悲しそうに聞こえないの声を聞いて、
アオイは、カナヲがにどういう印象を持っているのか定かではないにしろ、
挨拶さえ返していないなら好印象を持っているわけではないだろうと思う。

は蝶屋敷の少女たちに対しては基本的に物腰柔らかで親切だけれども、
胸襟を開いて話しているわけではないように感じる。
だから、の言動には含みがあって、怖いのだ。

「……カナヲはさんに特別冷たいわけではなく、もともと寡黙な娘なんですよ」
「そうかな? まあどちらでもいいですけど」

は納得したわけではなさそうだが、それ以上カナヲについて何か言うこともなく、
カルテの整理に診療室へと向かった。その足取りは軽やかだ。

「今日は胡蝶様の授業があるから、カルテもささっと片しちゃいますね!」

は鼻歌でも歌いそうなくらいの上機嫌。

アオイは意外に思っているのだが、
どうやらしのぶとの授業はそれなりにうまくいっているようなのだ。



蝶屋敷の調合室で胡蝶しのぶはと作業台を挟んで座り、向かい合う。
口頭でしのぶがに質問し、がそれに答えるという形式で授業が進む。
しのぶは人差し指を立ててに尋ねた。

「鬼に毒を使用する場合、いたずらに強毒を使えばいいというものではありません。
 使用する毒は鬼の強さに応じ使い分ける必要があります。
 鬼の強さを測るとき、どこを見るべきでしょうか?」

「鬼の体の大きさと鬼気の強さ。
 優先度が高いのは体の大きさより鬼気。鬼気の強さは概ね
 理性がない、言葉が通じる、血鬼術を使える、十二鬼月・下弦、十二鬼月・上弦
 の順に強くなります」

の答えには淀みがない。
しのぶは胸の前でパン、と手を合わせてニコニコと微笑んだ。
 
「はい、正解です。さすがに覚えが早いですね」

は自らの襟足を撫でて苦笑する。

「あはは。この辺は実感が伴っていますから。
 とはいえ十二鬼月には遭遇したことがないので、なんとも言えませんけどね。
 大勢居る鬼の中、鬼舞辻から指折りの階級が与えられているというだけで、
 その力量は察するべきかと思います」

しのぶの目がそっと伏せられた。
十二鬼月の地位にある鬼が、どれほどの怪物であるか、しのぶはよく知っている。

「そうですね。口惜しいことですが、十二鬼月と会敵した場合、
 隊士から死傷者が出るのは半ば当然のこととして作戦を立てるのが普通です。
 これは柱であっても例外ではありません。特に、上弦の鬼が相手なら」

「あれ? 上弦の鬼の討伐履歴、ここ百年以上ゼロですよね?」

は首を傾げて尋ねた。

「上弦に殺された隊士が今際の際、鴉か誰かに情報を残したりしてるんですか?
 喰い殺されたなら『上弦に殺された』ということも、辿るのが難しいと思うんですけど」
「……」

姉、胡蝶カナエの最期が脳裏を過ぎった故に、しのぶは一瞬、言葉に詰まった。

はますます怪訝そうに眉をあげる。

「胡蝶様?」

「確かに君の言うとおり、喰い殺された隊士の遺体が残らないのはよくあることですが、
 中には、なんとか自分を喰わせず朝を迎えて力尽きる者もいますので」

しのぶの答えには納得したようで深々と頷いた。

「なるほど、遺言を遺して死ねる人も居ると。意地ですね。でも気持ちはわかりますよ。
 俺も喰われて死ぬのは嫌ですもん。鬼と戦って死ぬなら相討ちがいいです。
 相手も必ず殺します」

「意地? どういう意味ですか?」

「だって喰われちまったら鬼の栄養分になるんでしょう? 絶対に嫌ですよ。
 俺は自分の髪のひとすじ、血の一滴たりともくれてやりたくないですね」

は芝居掛かった所作で自分の胸に手を当てた。

「俺は俺だけのものです。
 人の命を貪って生きる、鬼畜生の血肉になるなんざまっぴらごめん。
 俺を殺すなら、それだけたっぷり対価を払っていただかないと割に合いませんよ。
 そう思いませんか?」

物騒な言葉と裏腹には穏やかに尋ねる。
しのぶは場違いなほど爽やかな面持ちのにため息交じりに答えた。

「……君の自己評価がとっても高いことが今のでわかりました」
「アハハ! 意外ですか?」
「いいえ、ちっとも」
「手厳しいですね! まあ、これでも大事にされてきた自覚があるので」

「その君がどうして鬼殺隊に入ったんです?」

は、医師になるための英才教育を受けてきたことが窺える青年だった。

父親の明峰は紛うことのない名医で、しのぶから見ても尊敬すべき人格者である。
蝶屋敷に来てからの仕事ぶりを見ても、跡継ぎとして将来を嘱望されていたことは容易に想像できた。

――だからこそ、が鬼殺隊士になることを選んだ理由がわからない。

「素敵なお父様じゃありませんか。跡を継ぐに充分な知識と腕が君にはあるのに、なぜ?」

はにこやかな笑みをたたえる。

「やだな胡蝶様ったら。仕事にも向き不向きってあるじゃないですか」
「自分が医者に向いていないと?」

は患者を脅したり不穏な物言いで怖がらせたりするものの、
処置と判断は的確だ。腕は確かだと思う。不向きには見えない。

そんなしのぶの疑問を感じ取ったのか、はわざとらしく肩をすくめてみせる。

「と言うよりも、俺にとっては鬼殺隊士が天職なんです。
 人を生かすより鬼を殺す方が楽なんですよ。頸を薙ぎ払えば済むことなんですから」

――簡単に言ってくれる。

しのぶは机の下、には見えないように拳を握った。

だが、確かにには鬼殺の才覚がある。槍の扱いに長けて体格も良い。
頸を斬るのに躊躇もない。葛藤なく鬼を斬れるのは隊士の中でも稀有な存在だ。

「ついでに言うと、俺は“他者に苦痛を与える才覚”にも恵まれておりまして、
 人相手にこれを発揮してしまうと大問題ですが、鬼相手なら問題がありませんでしょう?」

無言のしのぶに構わずは続けた。
 
「だから俺は隊士になった。医師としての素養はともかく、
 隊士としての素養は十全に満ちているとの自負がありますのでね」

「賛同いたしかねます」

顔色と声色ばかりは穏やかにしのぶは言ったが、
そこに込められた冷ややかさをはきちんと嗅ぎ取ったらしい。
面白そうに眉を上げる。

「おや、どの辺りが?」
「『苦痛を与える才覚を鬼相手ならば発揮しても問題ない』とのたまうあたりでしょうか」

しのぶの物言いに、は小さく含むように笑うと、小首をかしげた。

「ふふふ。では胡蝶様はどのような鬼殺をお望みで?」

「鬼を殺すことを愉しんではいけません。いたずらに苦しめるのもよくありません。
 本当は、人と鬼とで仲良くできれば一番いいのですけど」

あまりに想定外の言葉だったらしい。
はきょとんと目を丸くして、しのぶの言葉を確かめるようになぞった。

「……仲良く? 鬼とですか?」
「ええ。鬼はかつては人でありながら、いま現在は人を喰わざるを得ない、哀れな生き物ですから」

しのぶが口にする言葉は、カナエの遺志に倣っている。

カナエが死んでから、せめてその思いを自分が継ぎたいと思い、
カナエの思考を真似て、口にするようになって久しい。
だからしのぶの口からは、スラスラと鬼を慮る言葉が出てくるのだ。

「なるべく苦しめないように気を配りたいものです。
 ああ、でも、鬼に人を苦しめて殺してきた罪があるならば、罪は償われなければなりません。
 罰が必要になることも、きっとあるのだろうとは思います」

これを隊士に向けて言った時の反応は概ね、
正気を疑われるか、無理なことだと諭されるか、嫌悪されるかのどれかだった。

残酷趣味のきらいがあるならば、
嫌悪の感情が返ってくるだろうとしのぶは予想していたのだが、
の反応は嫌悪ではなかった。
それどころか正気を疑われるわけでも、諭すような言葉をかけるわけでもない。

「……左様ですか」

はそれまで浮かべていた笑みを取り払い、しのぶの顔を無表情で見つめるばかりだ。

探るような目をしていた。

その様が、しのぶの笑顔の下にある答えを見透かそうとしているように感じて、
しのぶは視線を振り払うように言葉を投げた。

「どうしましたか? 君? 何か私に言いたいことが?」

しのぶが優しい笑みを装って問いかけると、は常の笑みを浮かべ直して、柔らかく告げる。

「いえ、何も」