美人女医と七三分け
一旦、炭治郎とはうどん屋に戻り、禰豆子と合流することにした。
うどん屋の主人に詰め寄られている禰豆子の代わりに
炭治郎が高速で注文したうどんを食い、が速やかに駄賃を払うという一幕もあったが、
今は一刻も早く珠世の元へ向かわねばならないと足を早める。
禰豆子に置き去りにしたことを謝る炭治郎を率いながらが歩いていると、
道の角に佇む愈史郎と出くわした。
「待っててくれたんですか? 俺は匂いをたどれるのに、」
「目くらましの術をかけている場所にいるんだ。たどれるものか。
……それより」
愈史郎は不機嫌そうに禰豆子を指差した。
「鬼じゃないか、その女は。しかも醜女だ」
炭治郎は何を言われたのか一瞬理解できてない様子だったが、
言葉を飲み込んだ瞬間、沸騰したように怒りだした。
「醜女のはずないだろう!! よく見てみろこの顔立ちを!!
街でも評判の美人だったぞ、禰豆子は!!」
も愈史郎の物言いには思うところがあるようで、
半眼になりながら息を吐く。
「おい貴様、失礼千万にもほどがあるだろ。
竈門がブチ切れるのも頷けるぞ。
竈門妹は目鼻立ちのはっきりとした、愛らしい顔をしているではないか」
「もっと言ってやってくださいさん!!」
炭治郎がの言葉に勢い込んで頷くが、
愈史郎はますます眉間にしわを寄せて吐き捨てるように言った。
「俺に話しかけるな赤毛醜女。
本来珠世様に刃を向けるなど万死に値するのだからな。
俺は他ならぬ珠世様の頼みだから案内してやるのだ。ありがたく思え」
「あァ!?」
のこめかみに青筋が浮かぶ。
「なんだと貴様七三分けこの野郎!!! 誰が赤毛醜女だ!!!
この奇跡の顔立ちと艶やかな赤髪を見てほざいたんなら
貴様の目ん玉腐っとるわ!!! 節穴以下!!! 顔についてる価値なし!!!」
「行くぞ」
怒り心頭の人間二人を置いて、スッと愈史郎は背を向けて歩き出した。
「無視をするなァ!!!
喧嘩を売ってきたのは貴様だろうがァ!!!」
「醜女は絶対違うだろ!! 暗いから見えてないんだきっと!!」
と炭治郎は大騒ぎしながらも愈史郎の後をついて行った。
※
一行はある屋敷の前までやってきていた。
愈史郎の血鬼術で追跡が難しくなるようにしている場所らしいが、
正直な話、と炭治郎にそれを確認する余力がない。
愈史郎に己自身を、そして妹を醜女扱いされたことに二人とも怒り狂っているからである。
「この口枷のせいかもしれない!! これを外した禰豆子を見てもらいたい!!」
禰豆子の口枷に触れて吼える炭治郎の肩に手を置いて、
は目を血走らせながら口を開いた。
「いや竈門! 多分こいつ視神経からしてダメだ!
羽交い締めにしろ! 目ん玉一回取り出して洗おう! そうしよう!? な!?」
「それは良くないと思います!!!」
物騒なことを言い出した先輩に首を横に振った炭治郎である。
ぎゃあぎゃあ騒ぐと炭治郎を尻目に愈史郎は珠世に声をかけた。
「戻りました」
「おかえりなさい」
横になった女性を見てと炭治郎は我に返った。
は珠世に顔を向け、尋ねる。
「……結局押し付けるようになってすまなかった。彼女の具合はどうだ?」
「この方は大丈夫ですよ。ご主人は、気の毒ですが拘束して地下牢に入れています」
はそれに得心したように頷くと、腕を組んで珠世と愈史郎に目を向ける。
「しかし妙な連中だな。血を流した彼女の手当ても見たところ完璧だ。
普通血を流した人間を見れば、鬼は多かれ少なかれ食欲を刺激されるだろうに」
の言葉に眉を寄せた愈史郎が拳を向ける。
が、はいとも簡単にそれを受け止めた。
「……さっきから思っていたが、貴様随分好戦的だな?」
掴まれた手を振り払うと、愈史郎はを睨みあげた。
「お前は鬼の俺たちが血肉の匂いに耐えながら、
人間の治療をしてるとでも言いたいのか?」
「愈史郎、よしなさい」
珠世が声をかけると愈史郎は「すみません」と呟いてみせるが、納得はしていない様子だ。
はやれやれと肩を竦めてみせる。
「気に障ったか? 私が抱いたのはもっともな疑問だと思うがな。
しかし……貴様ら普通の鬼ではないのだろう?」
は珠世を指差した。
「貴様は鬼舞辻を抹殺したいと言った。
鬼でありながら鬼舞辻の名前を口にしてもなんともない。
七三分けは確かに鬼なのだろうが、気配がこれまで見てきた鬼のどれとも違う」
の指摘に、珠世は目を伏せて呟く。
「あなたは呪いのことを、ご存知なのですね」
「詳細は知らん……貴様はあれを“呪い”と呼ぶのだな」
珠世は固く目を瞑る。
「名乗っていませんでしたね。私は珠世と申します。
その子は愈史郎。仲良くしてやってくださいね」
機嫌の悪そうな愈史郎を横目にと炭治郎も名乗り、
珠世は長い話になるだろうからと病室から座敷へと二人を案内した。
腰を落ち着けたところで、珠世は自らが特殊な鬼であることを説明し始める。
「私は鬼舞辻の呪いを外しています。
私は、私の体を随分弄りましたから」
「か、体を、弄った?」
不穏な調子の言葉に、思わず炭治郎が声をあげた。
それに珠世は頷いて、詳細を告げる。
「人を喰らうことなく暮らしていけるようにしました」
珠世は鬼でありながら、人の血を少量飲むだけで生きていけるようにしたのだと言う。
そしてさらに、愈史郎は珠世よりも少量の血で事足りるのだと。
その理由は驚くべきものだった。
「愈史郎は私が鬼にしました」
「……なんの目的で?」
が険しい声色で聞くも、珠世には動じた様子がない。
「誤解しないで欲しいのですが、私は鬼をいたずらに増やすつもりはありません。
不治の病や怪我などを負って余命いくばくもない方に、
鬼となっても生き永らえたいか訊ねて処置をしています」
は難しい表情を浮かべながらも、黙り込んだ。
納得し切れてはいないものの、酌量の余地があると感じたらしい。
「鬼舞辻以外は鬼を増やすことができないと言うのも、あながち間違いでもありません。
二百年以上かかって鬼にできたのは愈史郎ただ一人でしたから」
炭治郎が驚きに目を剥いて叫ぶ。
「二百年以上かかって鬼にできたのは愈史郎ただ一人でした!? 珠世さん、」
は何を言い出すのかを悟って鋭く炭治郎を咎めた。
「竈門! 三大禁句!」
「失礼しました!」
の声で背筋を正した炭治郎に、珠世と愈史郎は怪訝そうな顔をする。
炭治郎は気を取り直すかのように咳払いをして、珠世に尋ねた。
「……珠世さん。鬼になってしまった人を、人に戻す方法はあるのでしょうか?」
「鬼を人に戻す方法は、ありますよ」
珠世は断言した。
は驚愕に息を飲んだ。
炭治郎は前のめりになって珠世に詰め寄る。
「教えてくださっ……」
「寄ろうとするな珠世様に!!」
愈史郎の見事な一本背負いが炭治郎にきまった。
珠世は愈史郎を眉を顰めて叱りつける。
「愈史郎。なぜ暴力を振るうの。駄目です。許しませんよ」
「はい、申し訳ありません!!」
どことなくキラッと目を輝かせた愈史郎に、 は呆れ顔で珠世に聞こえぬよう囁いた。
「……七三分け貴様、叱られて微妙に嬉しそうなのは少しアレだぞ。……気色が悪い」
「うるさい、黙って珠世様のありがたいお話を聞くのだ……!」
ひそひそと言い合うと愈史郎に首をひねりつつも、珠世は本題へと戻った。
「どんな傷にも病にも薬や治療法はあります。
でも、今の時点では鬼を人に戻すことができない。
多くの鬼の血を調べることが必要なのです」
「……なるほど」
鬼殺隊の隊員ならば自然、鬼と接する機会も多い。
珠世は治療法を確立するため、作業を分担してやらせようとしているのだとは悟った。
穿った見方をするのなら、危険の伴う作業を
だが、その見返りに、珠世は治療法を
鬼を人間に戻すことのできる治療法。
それは炭治郎にとってだけでなく、鬼殺隊にとってもこの上なく、有用なものである。
「あなたがたにお願いしたいのは、
できる限り鬼舞辻の血の濃い鬼から、血液を採取すること。
それから、炭治郎さん」
炭治郎へと目を向けた珠世はコロコロと畳の上に転がっている禰豆子を指した。
「妹さんの血を調べさせてください」
珠世曰く、禰豆子の状態はやはりかなり特殊なのだと言う。
その血を調べることが鬼化の治療法を確立する鍵となるだろうと確信している様子だ。
炭治郎は一も二もなく珠世の願いを聞き入れる。
「それ以外に道がないのなら俺はやります。
それに、珠世さんが治療法を見つけてくれたなら、
禰豆子だけじゃなく、もっと沢山の人が助かりますよね?」
「……そうね」
微笑んで肯定する珠世に頬を染めた炭治郎だが、
隣に座るの反応も気になると、恐る恐る伺った。
「さんは……」
「別に構わんし、協力が必要ならやるぞ?
竈門より私の方が階級が高いから、
多分強力な鬼とかち合うことも多くなるだろうしな」
のあまりにもさっぱりとした言動に、炭治郎は瞬いて尋ねた。
「えっ!? いいんですか?!」
の方も炭治郎の反応に心外そうに首を傾げている。
「無論だ。なんだ竈門、そんな意外だったか?」
「はい……」
「いやいや、後輩が困ってるなら助けるだろ、先輩として当然だ」
かなり大らかな態度のを珠世はしげしげと眺め、思わずと言った調子で口を開いた。
「……変わった隊士ですね、あなたは。
炭治郎さんはともかく、あなたは鬼狩りとしての歴が長そうに見えます。
そういう隊士は鬼に対して嫌悪感を強く持つものだと思っていたのですが」
「私は常に美しい人間でありたいと思っている。
私の信条において“慈悲深く、懐深い”のが美しい女の条件だ。
なので物事には柔軟に対応するようにしている。
……まァそれも、状況次第であるのだが、今回は頑なになる必要もなさそうだと判断した」
常人に理解できるかどうかはともかくとして、
自分には自分なりの理屈があるのだと、は述べる。
胸に手を当てて、さらに続けた。
「だいたいにして、私自身は鬼に格別の恨みを抱いているわけではない。
鬼殺隊士とは職業軍人のようなものだと思っている。
争わず殺生しないで済むならそれに越したことはないし、
協力できるならすべきだろう。互いに利があることならなおさらだ」
一人頷いたは珠世に目を合わせて、勝気な笑みを浮かべる。
「何より貴様らは、少なくともこの目的においては
信に足る人物であると思ったのでな。
……信じるよ」
「……ありがとう、ございます」
珠世もどこか安堵した様子である。
炭治郎も話がまとまったところで、ずっと気になっていたのだが、と
に声をかけた。
「そう言えば、さんは随分勘が利くんですね?」
「まァな! 竈門の鼻と同じように、私には“女の勘”があるのだ!!!」
は腕を組み、ドン、と自信満々に胸を張った。
「なんだそれは……」
意味がわからん、と引いた様子の愈史郎を
は親指を立て、人差し指と中指を合わせて指差した。
「ちなみに私の勘によるとそこの七三分けは本命以外の女を女と思ってない口で、
竈門妹や私を失礼千万にも“醜女”と呼んだのもそういうところから来ている」
「!?」
驚嘆に絶句する愈史郎を前にして、
立て板に水を流すようには勘付いたことを述べる。
「全く頼まれてもおらんのだろうに、他の女など眼中にないと誇示して
必死に操立てしているつもりなのだ、この男は」
「なっ、なっ、なにを言って……?!」
「ほらな、動じた……当たりだろ?」
たじろぐ愈史郎を見て、はニヤニヤと悪い笑みを浮かべる。
「いかにもモテぬ男の考えそうなことよなァ~~~?
真の色男は贔屓をしない。皆に平等に接するものだぞ?」
顔色を青くしたり赤くしたりしている愈史郎ににじり寄り、
がっと馴れ馴れしく肩を組んだは、ヒソヒソと耳元で囁いた。
「そんなんだから貴様、まともに相手にもされとらんのだ。ふふふっ」
「おっ、おま、お前……っ!!!」
「ふっふっふ。その顔で溜飲が下がった。
今日のところはこの辺で勘弁しておいてやろう……」
距離を取り、舌を出して笑うを愈史郎は真っ赤な顔で睨み、
炭治郎と珠世は頭に疑問符を浮かべながら、首をかしげるのだった。