夏空の瞳

鼓鬼討伐戦

喧々囂々 けんけんごうごう

浅草からしばらく離れ、田園風景が続く。
炭治郎とが鴉に導かれるまま南南東に向かう途中、
の鎹鴉がやってきて、けたたましく鳴き出した。

「南南東ォ!! 南南東ォ!! 南南東ニ引キ続キ向カエ!!!」

「む、竈門の怪我の報告はしたんだが、変わりないのか」
「変ワリマセンヨー!!!」

は鴉に苦言を呈したが、鴉は素知らぬ顔で答え、ぷい、と顔を背けて飛んでいってしまう。

は珠世と愈史郎の件が尾を引いているのかもな、と内心眉を顰めた。

鬼殺隊士は命の危険が伴う職業ではあるが、
それでも初めから負傷した人間を鬼と戦わせることは少ない。
ただし、鬼がいることが確定していること、他に派遣できそうな隊士がいないなど、
不運な条件が重なってしまう時は話が別だ。

また、今回に関しては鬼の珠世、愈史郎を見逃した
炭治郎とへの懲罰的な意味合いの指令と言うこともありえなくはない。

だが、は深く考えることをやめる。
どちらにせよ、指令を選り好みする権利は隊士にはないからだ。

は横を歩く炭治郎に目を向けた。

「すまんな、竈門。今回は鬼がいるのが確実なのだろう。
 そういう場合、早急な対処が求められるから
 刀を振れる状態なら怪我をしてても任務に駆り出されることもある。
 骨が痛むだろうから、私がなるべく補佐をするが。……行けるか?」

炭治郎は瞬いた後、きりりとした面持ちでに頷いてみせる。

「……大丈夫です。俺は長男なので! はい!」
「長男なのは関係あるのか?」

は理屈がわからん、と苦笑するが、軽く炭治郎の肩を叩いて笑った。

「いい返事だから構わんけどな!
 しかし全く、人材不足にも困ったものだ。もう少し人手があれば貴様も休めただろうに」

腕を組んでは悩ましげに息を吐いた。
「まあ、鬼殺隊に入隊しようとするのは鬼の被害者だったりするから、
 志望者が少ないのはそう悪いことでもないんだが」と
続けたを伺い、炭治郎は問いかける。

さんは、なんで鬼殺隊に入ったんですか? 
 珠世さんに鬼に恨みはないと、言ってましたけど」

「宇髄さまの役に立ちたかったからだ」

即答されるが、炭治郎は宇髄と言う人物を知らない。

「ええと、」

戸惑った様子の炭治郎に、はどう説明したものか、と迷った様子ながらも答えた。

「宇髄さまは私の……“音の呼吸”の師範だ。多大な恩義がある。
 私は以前、鬼に襲われたところを宇髄さまに守ってもらったのだ。
 この恩を返さなければと弟子入りを志願して今日に至る」

簡潔ながらなかなか波乱のある事情である。

「そんなことが……、どんな人なんですか?」
「よくぞ聞いてくれたァ!!!」

の目の色が変わった。
それまでどこか淡々とした様子で炭治郎との会話に応じていただが、
今や青い瞳はキラキラと輝いているし、声も弾みに弾んでいる。

「宇髄さまは、宇髄天元さまはな! 派手で強くて立派な日本一の益荒男だ!
 なにせ鬼殺隊の中でも最強と名高い、9人しかおらぬ指折りの剣士、“柱”の一人なのだぞ!」

両手で9本指を立てて見せたは、
そのまま胸の前で指を組み、ほう、と恍惚のため息をこぼした。

「柱であった方から指導を受けられるだけで御の字だが、
 中でも現役の柱の方から教えを受けることができた私は、物凄い果報者なのだ!!!」

勢い込んで力説するに、炭治郎は一歩引きながらも頷いた。

「そ、そうなんですか」
「そうとも!!!」

は胸に手を当てて芝居掛かった所作で言う。

「だから私は応えたい。教わったことを生かしたい。自慢に思ってもらいたい!
 宇髄さまの弟子である私が不甲斐なくてはダメだからな。常に強く美しくあらねば!」

美しいのは絶対なんだな、と炭治郎は内心で呟く。
それにしても、はいつにも増して高揚しているように見える。
自分の美しさを語る時よりもよほどだ。

炭治郎はに小さく微笑みかけた。

「自慢の師範なんですね」
「ああ! その通りだ!」

は屈託無い笑顔で肯定する。
眩い笑みに炭治郎が思わず見惚れた、そんな時だった。

「頼むよ!! 頼む頼む頼む!! 結婚してくれ!!!」

大声で金髪の隊士が、往来で三つ編みの女性にしがみついて求婚している。
泣きながら迫っている様子の隊士に、炭治郎は困惑した様子で呟いた。

「なんだ、一体?」

「あいつ隊員ではないか。隊服を着ている」

が隊士の身なりに気づいて声をかける。
 
「おい、金髪の貴様! 
 こんな往来で結婚の申し入れをするのは雰囲気がないではないか。
 と言うか、彼女は嫌がっているように見えるのだが……」

隊士は振り向くと、を見上げて目を丸くした。

「うわっ、めっちゃ美人だ!?」

「……はっはっは! なんだ貴様正直な奴め!
 その通り。私は美人だ! よろしくな!」

気を良くして快活な笑い声をあげたに、
隊士の懐から飛び出してきたスズメを手に乗せた炭治郎が半眼で言う。

さん、今それどころじゃないと思うんですけど」

「おっと、すまんすまん。
 とりあえず金髪、貴様は一旦彼女から離れろ。
 道のド真ん中で求婚するのは迷惑千万だから」

はひょい、と猫の首をつかむように隊士を引き剥がした。
三つ編みの女性は険しい顔で隊士を睨むと、さっと着物の裾を払う。

は涙と鼻水まみれの隊士を指差して女性に問う。

「ところでお嬢さん。つかぬ事を伺うが、この金髪は恋人か何かで?」
「いいえ、全く違います」
「ならもう家に帰って大丈夫ですよ」

にべもなく言い捨てた女性に炭治郎が朗らかに答えると、
隊士は衝撃を受けた様子で声を荒らげる。

「おいーーーっ!!」

に掴まれたまま隊士は手足をジタバタさせてもがく。

「その子は俺と結婚するんだ! 俺のことが好きなんだから!」

隊士が叫んだ瞬間、三つ編みの女性の強烈なビンタが決まった。
衝撃にが思わず手を離すと、女性はもう我慢ならないと言ったそぶりで
隊士に往復ビンタを食らわせている。

「見事なビンタだな、いっそ清々しい」
さん感心してないで止めて!!! あ、あなたも落ち着いてください!!!」

炭治郎が三つ編みの女性を止めにかかると、女性は心底苛立った様子で隊士を睨む。

「いつ私があなたを好きだと言いましたか!?」

三つ編みの女性曰く、具合が悪そうにうずくまっていた隊士を心配して声をかけたところ、
隊士が勝手に勘違いして求婚するに至ったらしい。
自分には婚約者がいるのだから勘違いは甚だ迷惑だ、と女性は怒り心頭だった。

「それだけ元気なら大丈夫ですねさようなら!!」

一息に捨て台詞を吐くと三つ編みの女性は去っていった。
隊士は絶望した様子でと炭治郎を振り返る。

「なんで邪魔すんだ……あんたらなんなんだよその顔!?」

炭治郎は隊士に対しもはや人間を見る目をしておらず、
は呆れ切って虚無を見たような顔になっている。

「あのな貴様。無理強いする男はモテないぞ。
 だいたいカタギに迷惑をかけてはいかんだろ」

の忠告も馬耳東風。聞き流した隊士はぷりぷり怒りながららを指差した。

「あー、もう! あんたたちのせいで結婚できなかったんですけど!?
 責任を取ってくださいよ!!責任!!そっちの男は最終戦別の時の同期でしょお!?
 あとさんとか言いましたっけ?! 
 責任とってあんたが代わりに俺と結婚してくださいよォ!!!」

「なに言ってんだ?!」

突然の求婚にギョッとする炭治郎だが当のは軽く受け流す。

「貴様この流れで私に求婚するの最悪の極みだろ。
 そもそもすまん! 普通に好みじゃない!」

爽やかに笑顔で振られた隊士は思い切り喚いた。

「酷すぎるでしょ!!! あと横のお前すごい顔してるけど何!?」

炭治郎は「勇気があるな」「止めるべきか?」「軽率すぎるだろ」
「なんだこいつ」「大丈夫か?」「本当に同じ人間か?」など
諸々の感情が入り混じり引きつった顔になっていた。



自分はすぐに死ぬ、弱い、だから自分が結婚できるまで守れ!!!と
散々に泣いた隊士は我妻善逸と名乗った。

と炭治郎も名乗りあげると、善逸は炭治郎にすがりつき出した。
炭治郎は眉をひそめ、心底困った様子で善逸の肩を揺する。

「なんで善逸は剣士になったんだ?! なんでそんなに恥を晒すんだ?!」
「言い方ひどいだろ!!」

「ハハハ。竈門は割とそう言うところあるよな!」

うんうん、とは善逸に頷いた。

それでも善逸は炭治郎に問われたことに答えるつもりがあったのか、
女に騙されて借金したこと、借金を肩代わりした老人が育手だったことを
仰け反りながら叫んだ。

その剣幕に炭治郎は何か別の生き物を見るような目を向けている。

「助けて! 俺を守って! そうださん、さん守って! 
 あんた階級すごい上だし強いんでしょ?!」

と目があった善逸が言うと、は腕を組んで嘆息する。

「我妻……貴様、客観的に見てめちゃくちゃに情けないことを言っている自覚はあるのか?」

「あるよ、ありますぅ!!! でもでも怖いんだよ任務が!!! 
 無理なの! 本当の本当に無理なの!!!」

善逸はの足に抱きついて頰をすり寄せる。
は「おい!?」と声を荒らげた。

「鼻を垂らしながらすり寄ってくるな! 私の美脚に抱きつくな!
 ええい、何でそんなに自信がないのだ?!
 選抜も突破しとるし、そこそこに鍛えているように見えるぞ!」

「いくら鍛えたってダメだったんですぅ。
 選抜で生き残ったのは運が良かっただけですぅ。
 次の任務で死ぬんだ俺死ぬわこれ死ぬ本当死ぬ絶対死ぬ……」

念仏のように死ぬ死ぬ、と唱え出した善逸に、
は炭治郎に目を合わせ、善逸を親指で指差した。

「……おい竈門、貴様の同期だろ。何とかしろ」
「知りません。知人に存在しません」

炭治郎はふるふると首を横に振った。

「嘘だろ!? 記憶力の問題だよそれは!!!」

善逸はさすがに同期にぞんざいな扱いを受けて衝撃を受けた様子である。
の足から離れて炭治郎に「ひどい!」と喚いていた。

は腰に手を当て、善逸の顔を覗き込んだ。

「というか貴様、私のような美少女を『守ってあげたい』と思うならともかく、
 『守ってくれ』とはどうなんだ? そういう癖なのか?」

「それ俺が知りたいよ?! どういう癖!?」

どう言うことだよ!とギョッとした善逸は我に返った様子で、
を上から下までジロジロと眺め、ぽつりと呟く。

「だってさん、……並の男よりは断然…………強そう」

「まァな! よくわかってるな我妻! 私は強くて出来る美少女なのだ!!!」

気まずそうな感想だったが当の本人は気にしておらず、それどころか上機嫌になっている。
芝居掛かった所作で横髪を払い、胸を張って自らを美少女と称すに、
善逸はパチクリと目を瞬き、横にいた炭治郎に尋ねる。

「え? 何? もしかしてずっとこうなのこの人?」
「そうだよ……」

炭治郎は眉間を揉みながら答えた。
チュン、とスズメが相槌を打つように答えたのが、畦道の真ん中でやけに響いたのだった。



鴉に案内され鬼殺隊一行が訪れたのは山の中にポツンと佇む屋敷である。
庭木はぼうぼうに生えているものの、屋敷自体は手入れがなされているのかそう古びた感じはしない。
だが、不用心にも玄関の戸が開け放たれているし、二階の窓も開いている。

その雰囲気も真昼間だと言うのにどこか薄暗い。
まともな屋敷でないことは明らかだった。

炭治郎は屋敷を睨んで呟く。

「血の匂いがするな……。今まで嗅いだことない感じだけど……」
「えっ? なんか匂いする? それより変な音しないか?」

炭治郎は自身の嗅覚を遺憾無く発揮している。
善逸はそれに首を傾げている。どちらかといえば音の方が気になっている様子だ。

「私には匂いも音もわからんが。うん、まあ、これは鬼がいるだろ。それに……」
「やややや、やっぱりそうなの!? さん前に立って! 俺の前に!!」

善逸がの影に隠れようと、肩にかけている羽織の裾を掴んだ。

「近ッ!? いや、前に立つのは別に構わんけど、そもそもに距離が近いわ! 
 首あたりに鼻息がかかっとるんだけど!? 普通に不快!」

ぴったりと張り付いてきた善逸をベリベリと引き剥がし、
は善逸に指を立てて告げた。

「我妻、みだりに女子に近寄ったり触るもんじゃない。
 私は寛容だから3回までなら許してやるけど、
 次やったら気絶するまでぶん殴るぞ。これ、予告な」

「気絶するまで!?」

善逸はの物騒な言葉に肩を震わせた。
は快活な笑顔で善逸に親指を立てて頷いて見せる。

「そういうのは合意を得るか金を払え! な!?」
「金払え!? あんた結構すげーこと言うな!?」

やかましい二人に苦笑していた炭治郎は人の気配を感じて振り返る。

「あれ? こんなところにどうしたんだろう?」

そこには兄妹と思しき子供二人が佇んでいた。

近寄る炭治郎に兄妹は怯えるそぶりを見せるが、
炭治郎はスズメを使って兄妹を安心させたあと、話を聞くことにする。

兄妹曰く、夜道を歩いていたら体の大きな化け物に、長兄を連れ去られたらしい。

怪我をした長兄の血をたどって屋敷までたどり着いたことを知った炭治郎は
彼らの長兄を必ず助けてやると兄妹に頷いた。

そのやりとりを横目に見ていた善逸が、怪訝そうな声を上げる。

「なあ、この音なんなんだ? 聞こえてるの俺だけ?」
「私は何も、竈門は?」
「俺も聞こえないですが」

首を横に振ったと炭治郎に、善逸は眉をひそめた。

「気持ち悪い音だ。ずっと聞こえる。……鼓か? これ?」

善逸が呟いた瞬間、それまで他の人間には聞こえなかった、
ポン、ポン、ポン、と鼓を打つ音が徐々に大きく聞こえてきた。
最後にポン、と大きく鳴ったかと思うと、二階の窓から人が降ってくる。

がすぐさま駆け出して、その人影を受け止めた。

「大丈夫ですか!? 意識はありますか!?」

が語調を和らげ尋ねる。
血みどろで朦朧とした様子の男がの顔を見た。

「出られた……、せっかく、出られたのに……」

あまりにも傷が深すぎると、はどこか冷静に思っていた。
男自身それをわかっているのか、に聞いた。

「死……ぬのか……? 俺……」

はしばしの沈黙の後、口を開いた。

「辛い思いをしましたね。私の声だけを聞いてください。
 お疲れでしょう。少しだけ、眠るだけです」

男は瞬いて、の目を見た。
は優しく微笑んで見せる。

「もう、何も怖いことはないですよ。さぁ、まぶたを閉じて」

ヒュ、と息を飲んだ男は、徐々に、本当に眠りに落ちるよう緩やかに目を瞑る。

再び鼓の音と、今度は獣の唸るような声がその場に響いた。
その音が静まった頃に、炭治郎がに尋ねる。

さん、その人は……」
「死んだ」

は抱きかかえていた男をゆっくりと地面に横たえる。
振り返って兄妹に声をかけた。

「お前たち、彼はお前たちの、」
「ち、違う。兄ちゃんじゃない。兄ちゃんは柿色の着物きてる……」

怯えながらも答えた兄妹に頷くと、は立ち上がり、告げる。

「行くぞ、竈門、我妻」

屋敷の中には鬼が居る。それから、鬼に連れ去られた人間も。

一行は鬼の棲む屋敷へと足を踏み入れる。
今回は鬼の討伐と、連れ去られた人間の救出が急務である。