悦楽主義者の肖像 01


ドフラミンゴがその男を見下ろしたとき、
その男がその視線を受け止め、見返したとき。
ドフラミンゴは異様な感覚を覚えた。
それは言うなれば、”おぞましさ”だった。

その男の顔は若々しく、整っているにも関わらず、
ドフラミンゴは直感したのだ。この男は化け物だと。

組んだ膝に手をおいて、しばらくドフラミンゴを見つめていた男が、
感慨深気に口を開いた。

「やぁ、ドフラミンゴ。久しいね。
 僕の知らないうちに、随分と悪徳に身を浸したと聞いているよ」

耳に良く馴染む、低く柔らかい声だった。
育ちの良さを感じさせる、その声の持ち主はドフラミンゴの父の弟、
つまりは叔父に当たる人物だ。

叔父の名は。己の父と違って天竜人であり続けた血縁に、
ドフラミンゴはサングラスの奥で目を眇めた。

はじめ、ドフラミンゴはその異様さの正体が、の異常な若さから発せられるものだと思った。
息子程の年齢のドフラミンゴと同い年か、
もしくはドフラミンゴの方が年嵩に見えるのである。
幼い頃に会ったときから変わらず、整った顔立ちには皺も無いし、
おおよそ老いの兆しは見られなかった。
かつて彼の膝元に駆け寄り、菓子と遊び相手をねだった時と変わりない容貌をしている。

あるいは、この空間の異常さから発せられる怖気なのだろうかとも思った。
部屋に居る奴隷達が皆一様にを見つめ、陶酔しているのだ。
まるでこそが信仰の対象のように。
だがそれも無理はない、とドフラミンゴは推察する。

の奴隷の身なりは完璧に整っていた。
男性が身に纏っているのは仕立ての良いスーツに磨かれた靴。
女性の服は清楚で露出度は低く、慎ましやかなフリルや裏地が工夫された素晴らしいものである。
そして男女を問わず、主人を見る眼差しには熱がこもっている。
それはが優れた容貌の持ち主だから、という理由だけでは無い。

天竜人の横暴な振る舞いの矛先となるのは得てして奴隷と呼ばれる彼らで有るが、
は彼らを厚遇しているのだろう。
奴隷の中に怪我をしているものなど誰一人居ない。
その奴隷に、は口を開く。

「君たち、僕を彼と2人きりにしてくれるね?」

の言葉に奴隷が恐る恐る意見した。
他の天竜人相手なら考えられない行為である。

「恐れながら、聖。この方は王下七武海・・・海賊です」

だがはそれを咎めはしない。
それどころか意見した奴隷の顔を注視し、微笑んで見せた。

「心配してくれるんだね?ありがとう」

奴隷の頬が喜びに染まる。

「だが心配は要らないよ。彼は賢い男だ。
 それに、僕が彼を招いたのだから。大丈夫だ、下がりなさい」

柔らかいが有無を言わさないの言葉に、
奴隷は胸を締め付けられたような顔をして、それから退室していった。

使用人の奴隷がいなくなり、がらんとした部屋の真ん中、
目を細めたがドフラミンゴをもてなしはじめる。

「かけなさい、ドフラミンゴ。
 それとも、昔のようにドフィと呼んだ方がいいかな」

促されるまま、乱暴にソファに座る。

世界貴族である天竜人への上納金、
”天上金”を盾に七武海となったドフラミンゴの、
七武海として最初の仕事が天竜人の中でも人格者、
”高潔”と名高いかつての叔父、聖との会談とは予想していなかった。

なぜが今更ドフラミンゴに会おうと思ったのかは定かではない。
だが、ドフラミンゴは、乞われなくともに会いたいと思っていた。
未だ腹の底で煮え続ける怒りのために。

ドフラミンゴは常に浮かべている笑みを忘れたように口を結び、目の前のを睨んでいる。
は、そんなドフラミンゴの所作を気にした様子も無く、手ずからワイングラスを傾けた。

「君とこうしてお酒を飲めるだなんて嬉しいな。ワインは好きかい?」
「・・・アンタは変わらないな」

ドフラミンゴがようやく絞り出した言葉には
煮えたぎる様な憎悪と怒りが込められている。

「なぜ何もしなかった」
「・・・何のことだい?ドフィ」
「とぼけるんじゃねえ!
 アンタが父の嘆願を無視したことは知っている。
 ”子供達だけでも天竜人に戻してくれ”と頼み込む父とアンタの会話は今でも覚えてるさ。
 口では自分にそんな権限はないと嘯いちゃいたが、違うだろう!?
 アンタは誰にも何もしなかった。
 天竜人をやめた兄のことなど、おれの父のことなんか一回も口にしなかったんだ!」

怒りを露わにするドフラミンゴには息をつく。

「そう、怒鳴らないでくれ、ドフィ、僕は冷静な会話がしたいんだ」
「アンタが動けば!おれも、弟も、母も!・・・父でさえ天竜人に戻れた可能性が」
「ドフラミンゴ」

酷く冷たい声だった。
が無表情でドフラミンゴを見つめていた。
言葉を遮られたことに怒りを覚えるより先に、ぞくり、と背筋に冷気を覚える。

「癇癪を起こすな、見苦しい」

その言葉に湧き上がるのは不思議なことに、羞恥心であった。
怒りを覚えているはずのに、見限られたくない、
見損なわれたくないと思っていることに気がついて
ドフラミンゴは驚愕を覚える。

が冷ややかに微笑む。

「ドフィ、君の境遇には同情するよ。
 兄は天竜人であるということがどういうことなのか知らなかった。
 だからあんな愚行を犯した。
 その考え方に僕の行動が影響していないとは言えないだろう。
 僕は下々民を"人間扱い"しているとよく言われるしね」

物憂い気な表情を作るに、ドフラミンゴは首を振った。
やはり、最初に感じた異様さは、目の前の男から発せられているのだ。

「・・・違うだろう?」

その目を見てようやくわかる事実がある。
幼い頃にはわからなかった異様さ。
”高潔”と呼ばれる男の歪み。

「アンタは誰も彼もに平等だ。みんな等しく見下してる。
 アンタにとって奴隷とは、言葉のわかる家畜みたいなもんなんだろう?」

ドフラミンゴの指摘に、の目がキラリと光った。
真珠のような純真さを湛えながら、その目の色は汚泥の如く濁っている。

「フフ、君はやはり賢い。少々感情的なきらいは有るが、
 ・・・おそらく僕に一番似た血縁なのだろうな、君は」

の感想にドフラミンゴは黙る。
自身に似ていると言われて、ほの暗い喜びが涌くことに戸惑ったのだ。
は言葉を続けた。

「そうとも。僕は下々民を同じ人間だなんて一度も思ったことなんか無いんだ。
 彼らは愚かだ。目先の欲に取り憑かれ、大局を掴めず、醜く争い、
 隙あらば略奪し、犯し、殺す。
 言葉を話す癖に知性の欠片も無い。
 容易く騙されたかとおもえばその責任を他人になすり付ける。
 ・・・本当に愚鈍で下等な生き物だ」

その声色に柔和さなど欠片も無く、ただひたすらに鋭く冷たい響きが豪勢な調度品に反響した。

ドフラミンゴは自分で突きつけた推理が当たっていると知っても、俄に信じ難かった。
幼いドフラミンゴとロシナンテの兄弟の面倒を見てくれた叔父、
身分に分け隔てなく、他の天竜人の横暴な振る舞いを柔らかく正し、
優しく、高潔と呼ばれた人格者。
その彼が、こんなに冷徹で、非情な考えの持ち主であることなど。

そしてドフラミンゴの予想が当たっているのなら、はこう続けるのだ。

”天竜人も例外ではない”と。

そして、その予想は的中する。

「嘆かわしいことに、昨今の天竜人もその傾向にあるね。
 飼い馴らされていく豚を見ている気分だ。
 まあ、さしてかわりもしないだろうが。
 仮にも貴族と名乗るからには、スタイルを守って欲しいものなんだがね」

が滔々と語った言葉はドフラミンゴをいたく傷つけた。

この男は全てを見下しているに違いない。
奴隷も市民も、同じ天竜人でさえも、彼に取っては大抵の人が俗物の豚なのだ。
そして、それはドフラミンゴも例外ではない。

ドフラミンゴの表情の変化に、
の唇が緩やかに笑みの形を作った。

「ふふ、いい顔だ、ドフィ。
 僕はそう、僕に気に入られているに違いないと、そう人を”勘違い”させてね、
 それを裏切ってみせるのが好きなんだ。
 例えば君も知っているだろうが、僕に不老手術をした男。もう名前も覚えちゃいない。
 勝手に僕に命を捧げた彼に、僕は耳元で囁いてやった。
 『ところで君はどこのどちら様だい?』
 ・・・その時の男の顔をお前にも見せてやりたいよ。
 だってその男と、今のお前は同じ顔をしているんだから」

酷薄な笑みを浮かべるに、ドフラミンゴは奥歯を噛み締める。

「・・・殺してやる」

殺意を隠さないドフラミンゴには目を細めた。
艶めいた微笑みだった。

「できないだろう?ドフィ」

甘さを含んだ声色で、は滔々と語る。

「僕は世界貴族。天竜人だ。
 僕にかすり傷一つつけただけでも、
 それどころか、僕の持ち物に傷を一つつけただけで、
 君がとても苦労して築き上げたものは根こそぎ奪われる。
 分かっているね?・・・だからこそ、そんなに怒っているのに、
 君は僕に攻撃しないんだろう?
 君は賢い。
 よくぞまあ、兄に突き落とされた汚泥から這い上がったものだ。
 だから僕は、君と話がしたかった」

はグラスを傾けた。
ドフラミンゴは苛立ちまじりに渡されたグラスを煽る。
それを見て、は吐き捨てるように言った。

「退屈なんだ、なぁ、ドフラミンゴ。
 近頃では誰も彼もが僕に世辞やおべっか意外の意見を言わないし、
 そうかと思えば、つまらない事や分かりきったことを聞いてくる。
 毎日毎日毎日だ・・・。もう、うんざりなんだよ」

の熱のある視線に見据えられて、ドフラミンゴの心臓が高鳴る。

「引っ掻き回してやれ。この下らない世界を、お前の力で。
 僕が支援してやる」

ドフラミンゴは驚愕する。

支援すると言ったのか、
天竜人が、己を殺したがっている海賊を援助すると。

ドフラミンゴの口元に笑みが戻る。

滑稽だと思った。
覚えていた怒りが吹っ飛んでしまった様な、
そんな感覚だった。

「フフフッ、フッフッフッフ!
 アンタ、死にたいのか?」

ドフラミンゴにつられるようには笑った。
の素の笑みは邪悪で、どこか子供のような無邪気さを孕んでいた。

「ある意味ではその通りさ。
 お前の悪だくみには興味があるんだ。
 だってお前の趣味は僕に良く似ている。
 ・・・実に見事にドレスローザを乗っ取ったものだ。
 フフ、地位も金も何もかもを上手く使いこなすがいい。
 欲しいものがあれば便宜を図ってやろう」

「僕の退屈を殺してくれ、ドフラミンゴ」

喜びに背筋が震える。
は確かに人を惹き付ける能力があるのだろう。
ドフラミンゴはから、すべてを奪ってやろうと決意した。 いつかこの男に成り代わってみせると。

その整った顔を涙で汚し、地面に額を擦らせて跪かせてやる。

その有様を想像するだけで愉快だった。

「フフフッ!あァ、構わねえよ?
 次いでにお前の命もいつかは奪わせてもらおうか?」

冗談半分、本気半分で言ったドフラミンゴに、がおどける。

「おや、僕は脅されているのか、怖い怖い・・・フフフフフッ!」

その笑い方はドフラミンゴのものに良く似ていた。
今となっては血のつながった唯一の人間であるは、
ドフラミンゴにとって許し難い敵である。

わき上がった愛憎の行き着く先がどこなのかは知る由もないが、
今はドフラミンゴはの手をしっかりと握りしめるのだった。