我が人生最悪の日々
さる島のマフィアのボスの娘に産まれた私が
天竜人に売り飛ばされたのは6歳の頃だった。
両親が私のお誕生日パーティーで頭を吹っ飛ばされ、
あれよあれよと銃声が飛び交う血の晩餐会になったのは全く人生最悪の出来事だった。
が、私は”人生最悪”を今のところ何回か更新している。
思うにそこでくたばってりゃ良かったのだ。
どうやら抗争相手のある男は、返り血に塗れて泣きじゃくる私の顔に母親の面影を重ねたらしい。
母はそこそこに美しい人だった。今にして思えば高慢な澄まし顔だったと思うのだが、
とにかく、私の顔にある一定の価値を見出したようで、男は私を天竜人に売り飛ばした。
背中に焼印を押された後は大体にお察しの通りである。
あまり思い出したくないが、一つ言うべきことがある。
私はこの頃に喉を潰されて声を失った。
これが”人生最悪”の2回目だ。
しかし”禍福は糾える縄の如し”とはよく言ったもので、
私を買った天竜人の気まぐれで悪魔の実を口にした時から、少々運が上向いてきた。
私が口にしたのは”トリトリの実モデル:ベニイロフラミンゴ”。
だが幼かった私は天竜人のお気に召すような、鮮やかなピンク色の羽を持つ美しい鳥の姿にはならなかった。
白とも灰色ともつかない、片足立ちもおぼつかぬ不恰好な小鳥に、
天竜人はさぞがっかりしたのだろう。私を再び売り飛ばしたのだ。
この時、私には少しばかりの知恵と器用さがあったので、
商人が目を離した隙にさっさと書類を書き換え、『珍鳥フラミンゴの小鳥』として過ごすことにした。
何しろこの日飽き性の天竜人が手放したものは私以外にも沢山あったので、
報酬に目が眩んだ商人はかなり適当に目録を作ったのである。
運良くバレずに済んだ私はよしっ、と小さく声をあげた。
潰された喉からは何も出なかったが。
そんなわけで私は小さな檻の中に入れられ、ペットショップの端に捨ておかれるように並んだ。
珍獣の類は時々天竜人のお気に入りのペットになるが、
不恰好な小鳥の私には興味を惹かれる人間もそうはいまい。
天竜人に売りつける動物が不健康ではよろしくないので店員は時々体を洗ってくれたりもするだろう。
機を伺えば逃げられる日も来るはずだ。
そう思っていたのだが。
「おや、君、これは何の小鳥かな?」
立派なひげをたくわえた男が私の入ったカゴを覗き込んでいた。
店員がすっ飛んで来ると目録を片手に緊張の面持ちで答えた。
「珍鳥フラミンゴの小鳥でございます! ホーミング聖!」
「ほう! ”フラミンゴ”! そうか、ふむ・・・」
男は優しげな眼差しでこちらを見聞していた。
私は丸まった体から首だけ上げてじっとその目を見つめ返す。
今まで見てきたどの天竜人よりもお人好しそうな顔のホーミングは何か納得したように何度か頷いていた。
「フフフ、実は私の息子はドフラミンゴと言うのだがね・・・少々やんちゃな男の子なんだ。
聞くに、子供と動物のふれあいは情操教育に良いとか。
優しさや責任感が芽生えると・・・」
私はギョッとして首を引いた。
冗談じゃない。天竜人の子供なんてクソガキばかりだ。
どうせ枝だのナイフだのでつついて遊んで来るようなクズに決まっている。
しかしそんな私の恐怖をよそに店員はブンブンと首を縦に振っている。
「はい! 誠に素晴らしい考えだと思います!」
上ずった声にホーミングは苦笑した。
「君、そんなに大げさに頷かなくてもいいぞ」
「申し訳有りません!!!」
「全く・・・」
終始緊張しきりだった店員に肩をすくめたホーミングは、
檻にリボンをかけてホクホク顔で私を買っていった。
これが”人生最悪”の3回目である。
※
檻にかけられた布が外れると、やたらと豪勢な部屋の真ん中に子供が二人立っていた。
前髪の分厚い男の子は私を見てギョッとした様子でホーミングの背に隠れた。
もう一人は私を見ると顔の半分を占める大きなサングラスごと首を傾けて、不躾に私を指差す。
「父上、コイツはなんだえ?」
「フラミンゴの子供だよ、ドフィ、ちゃんと大きくなるまで育ててやりなさい」
ホーミングの言葉に、ドフィと呼ばれた子供は訝しげに眉を顰める。
「図鑑で見たフラミンゴはピンクとか赤とかの色をしてるえ。
こいつ灰色だし、片足立ちなんてできるのかえ?」
そうぶつくさ言いながら、ドフィは檻の鍵を開けた。
もう一人の子供はおっかなびっくり、ホーミングの背から様子を伺っている。
「あ、兄上! 怖くないの?」
「怖いもんか、こんな小せェ鳥。おいお前、片足で立ってみろ」
私は胡乱げにドフィを見上げた。サングラス越しに目があった気がする。
なんで私がお前のいうことを聞かなきゃならないんだよ。
そう思って顔を背けると、ドフィは回り込んで顔を覗き込んできた。
私が再びそっぽを向くとそちらに移動して、また見つめてくる。
コイツ割としつこいな・・・。
そのままじっとこちらを見ているドフィに、私は根負けして右足を持ち上げた。
「おお!」
歓声をあげた子供二人と大人一人に私はすっ、と足を下ろした。
子供の私に片足立ちは地味に難しいのだ。
残念そうな顔をした子供らに、ホーミングが優しく言い聞かせる。
「まだバランスを取るのが難しいのかもしれないね」
「ふーん」
ドフィは私のことをむんず、と抱き上げた。
いきなりの暴挙にぬいぐるみのように大人しくしている私を見て、
ニッと笑みを浮かべるとホーミングを振り返る。
「父上、おれ、こいつ気に入ったえ」
「そうか! では名前をつけてやりなさい」
朗らかな笑みを浮かべたホーミングに
ドフィはちょっと迷っていたが、私を「」と名付けた。
「! 今日からお前はだえ!」
そう言うとドフィは私の小さな羽をとって、
・・・あろうことか振り回したのである。
泡を食ったのは私だけではない。
弟が悲鳴をあげた。
「わ、わ!? 兄上、かわいそうだよ!」
「ドフラミンゴーーーー!!! 生き物は大事になさーーーーい!!!」
慌ててホーミングが私をドフラミンゴから取り上げると、
ドフラミンゴはむくれた顔をしている。
私はと言うと息も絶え絶えになってホーミングの腕の中、ため息をついた。
やっぱり天竜人の子供なんてクソガキだと強く思い直したのだ。
しつこいが、割と賢そうな子供だと思ったのに。
※
私を与えられてからというもの、ドフラミンゴは私をお気に入りのぬいぐるみのように連れ歩いた。
当初私の小さな羽をぶん回したことはコイツなりに反省したようで、
あれ以降は乱暴に扱う様子もない。
しかしコイツのダメな所は一旦自分が虐げて良いとか、
何をしても良いと思った相手に対してはめちゃくちゃに冷淡だと言うことである。
奴隷への扱いなど最低最悪だ。
ロシナンテとか家族のいる場ではそうでもないけど、彼らが目を離すと
奴隷のことをゴミを見るような目で見ている。
だが。
「、こっちにくるえ」
夜、皆が寝静まった頃、だだっ広い部屋にロシナンテと二人で寝かされていたドフラミンゴは
時々私をこっそりと呼んだ。
私がドフラミンゴの元に向かうと、ドフラミンゴは私をベッドの中に引き込んだ。
羽毛で汚れるので召使にはいい顔をされないが、ドフラミンゴは気にしない。
ドフラミンゴは私を抱き枕のようにして眠ることがある。
それはロシナンテにきついことを言って母親に叱られた時だとか、
転んだのに何事もなかったふりをしたとか、そういう日の夜だった。
「・・・ピンク色の部分、増えてきたな」
ドフラミンゴは私の羽を撫でながら呟く。
「お前もいつかは飛べるようになるのかえ?
その時は、おれを背に乗せて飛ぶんだ」
無茶振りをしてきたドフラミンゴの頭を、
私はくちばしで優しくつついた。
ドフラミンゴはくすぐったそうに笑って、目を閉じる。
サングラスのない寝顔を眺めてから、私も羽に顔を埋めた。
残念ながら私はこの、身内以外に死ぬほど冷淡なクソガキのことが
あまり嫌いになれないでいるのだ。
※
私の纏う羽が全てピンク色になった頃、
ドフラミンゴは私に空を飛ぶ方法を教えようとした。
映像でんでん虫で鳥が飛ぶ様子を見せたり、
翼もないのに両腕をはためかせてみたり。
そんな風に懸命になって接してくるものだから、
私もやる気になって羽を広げた。
ドフラミンゴはそんなに気が長い方ではないと思うのに、
私の飛行訓練にはよく付き合ってくれた。
だから、空が飛べるようになった日には、満面の笑みで迎えてくれた。
「、よくやった!」
屈託無く笑ったドフラミンゴの胸に、私は飛び込んだ。
この時には、隙を見て逃げ出そうとかは考えなくなっていた。
ドフラミンゴは私を撫で回しながら、ふと思いついたように呟く。
「背中に乗るのは・・・冗談だえ、ヒョロヒョロのお前になんか乗れないえ」
思い切り距離を取ろうとした私にドフラミンゴは言葉の途中で慌てて発言を撤回したが、
ドフラミンゴが本気であったことは私が一番よく知っていた。
※
4回目の”人生最悪”はそれからすぐにやってきた。
ドフラミンゴが8歳になって、ホーミングが天竜人を辞めたのだ。
北の海の果て、世界政府の非加盟国に置き去りにされたとき、
味わった辛酸は凄まじいものだった。
世界中の悪意という悪意がドンキホーテの一家を標的にしたかのようだった。
お人好しのホーミングはなす術なく財産を奪われ、一家はひどい迫害を受けた。
フラミンゴの私はその島じゃ目立つので、いつも夜になってからドンキホーテの一家の元へ戻った。
私を食べたって良かっただろうに、彼らはそんなこと思いつきもしないと言った様子で、
ただひたすらに逃げ惑っていた。
「お前は賢いな、。昼間はおれ達とは別のところに隠れてるんだろ?
お前は目立つもんなァ・・・」
あばら屋で薄汚れた私の羽を撫でながら、
私の拾ってきた果物をドフラミンゴはロシナンテと分けあって食べた。
魚を取ってこれる日もあるのだが、その日は全然ダメだった。
ドフラミンゴのガリガリに痩せ細った腕に、私は頭をこすりつける。
「おれたちのことなんて置いて行ってもいいんだえ? お前飛べるんだから、」
ロシナンテが寝静まった頃に、ドフラミンゴはふと、そう言った。
私は首を鞭のように振ってドフラミンゴの肩をたたく。
「いてェ! わかった、わかったえ!・・・もう置いていけなんて言わないえ」
ドフラミンゴは私の不服を感じ取ってか、なだめるように羽を撫でた。
「変な奴だえ。おれがお前なら、ずっと遠くに逃げるのに」
笑って言ったそれが、なんだか泣いているようにも見えてしまって、
私は羽を広げてドフラミンゴに被さった。
「フフッ、あったかいえ。ロシーも入れてやってくれよ」
両羽を大きく広げて、私は兄弟の毛布になってやる。
彼らになんの罪があったのか、私は今でもよくわからないでいる。
ただ、迫害は子供の心を傷つけるのには十分過ぎて、
それで多分、取り返しがつかないことになったのだと思う。
※
「! !!! どうして・・・!」
10歳になったばかりのドフラミンゴが泣きながら私を抱きしめた。
私の左羽には矢が刺さっていた。
自慢の羽は煤けてボロボロだ。綺麗に治ればいいんだけど、あまり期待はできそうにない。
「・・・お前を助けようとしたみたいだった」
近頃ドフラミンゴがよくつるんでいた少年、ヴェルゴがうなだれて答える。
窓から宙づりにされて、矢を射られたドンキホーテの一家を、私は庇いだてたのだ。
全く義理堅い女になったものだなぁ、と自分でも呆れてしまうが、
ただ見ているだけ、なんてことはできなかったのだからしょうがない。
ドフラミンゴは半狂乱になってヴェルゴを問いただす。
「ちゃんと治るのか?! もう一回飛べるようになるのか!?」
「わかんないよ・・・、とにかく、手当てしないと」
ヴェルゴとドフラミンゴは私をなるべく丁寧に手当てした。
酒を傷口に振って包帯を巻いた。死ぬほど痛かったが我慢した。
「・・・が飛べなくなったら、矢で射った奴らの腕の骨を全部砕いてやる」
ドフラミンゴは物騒なことを言っていたが、私も同じような気持ちだった。
一家を宙づりにして矢で射るような連中は、
骨という骨を砕かれて死ねばいいと思っていた。
私は多分人間だったら笑っていただろうと思った。
こんなところにマフィアの血筋を感じてしまったのだ。
全く、親の因果は子に報うものである。