アンビバレンスな水曜日
毎週水曜日の夜になると、決まって不在になるに与えたクッションの山を
ぼんやりと見つめながら、ドフラミンゴは指を組んで思索に耽っていた。
ドフラミンゴが、「長年飼っているフラミンゴのは人間なのではないか」
という疑念を覚えてからもう10年以上経つ。
思えば、昔からは普通の鳥よりも随分と賢く、こちらの言葉を理解している節があった。
しかし、一番に違和感を覚えたきっかけはが覇気を覚えたことだった。
あれは人間でも覚えるのが難しく、動物が自主的な訓練で覚えられるとは思えない。
トレーボルらにも相談したが、
「海楼石の錠でも嵌めてやれば良い」というような答えばかりが返ってくる。
ドフラミンゴとしては、鎖や錠の類を見るとが
体を強張らせるような様子を見せるので気が進まなかった。
割合勝気な性格のがそういう態度を取るということは、
よほど嫌なのだろうと思ったからだ。
そもそも、錠をかけさせたとしても海楼石のせいで消耗するのか、
鎖を人間にかけられたから落ち込むのかの違いを見分けられる自信がなかった。
フラミンゴのは感情豊かで賢いが、
それでも人間同様にコミニュケーションが取れるかというとそうではない。
ドフラミンゴは「多分、こう思っているだろう」という
漠然とした感覚を読み取っているに過ぎない。
だが、側から見ると会話が成立しているように見えるらしい。
ベビー5などは目をキラキラさせて「若様は鳥の言葉がわかるの!?」と聞いてきたほどだ。
そうだったら良いとは何度も思ったが、は言葉を発しはしない。
もしもが悪魔の実の能力者であるならば、
ドフラミンゴはどうするべきなのかを考えあぐねていた。
ファミリーの一員として迎え入れるべきか?
そうなればファミリーとしての仕事をは担うことになるだろう。
・・・銃弾や剣の前にを立たせるのは2度とごめんだ。
だが、人間のをいつまでも飼い殺しにすることも体面が許さない。
そこまでの余裕が今のドンキホーテ・ファミリーにはない。
そこまで考えた後に、ドフラミンゴは自身の組んだ指に目を落とす。
そもそも、なぜは正体を明かさない?
人間でいることが不都合である、と仮定するなら、
の正体の輪郭はなんとなく掴めた気がした。
元々はドフラミンゴの父親、ホーミングがペットショップで買ってきた小鳥がだ。
子供の頃に誰かに売られて、悪魔の実を食べてドフラミンゴの元へやってきたのか、
それとも順序が逆なのか。
が人間だったなら、おそらくしたくもない苦労をしてから
ドフラミンゴのところへと辿り着いたのだろう。
それに、ドフラミンゴと共には迫害を受けた。
美しい羽は一度ズタズタになってしまった。普段はわからないが、
羽の一部は脆く、覇気を用いてやっと空を飛ぶことができる始末である。
そんなことがあったなら人間を恐ろしく思っても不思議ではない。
誰も信用できなくなったって仕方がない。
がドフラミンゴに飼われる”ペットのフラミンゴ”の状態で、
居心地良く過ごせてるのであれば、それに越したことはない。
ドフラミンゴは、だからの正体を暴かずにいる。
が鳥であるのはドフラミンゴにとっても都合がいいことだった。
人間の誰もを信用できないのはドフラミンゴ自身とて同じなのだ。
言葉を発することのない動物で、ドフラミンゴだけが生殺与奪を握っていて、
愛情を注いだぶんだけ懐き、寄り添ってくれるだけの
”賢いフラミンゴの”が、そこに居ればよかった。
ドフラミンゴは壁掛け時計に目をやると、考えることをやめ、部屋を後にする。
今日は約束があるのだ。
※
彼女を見つけたのは先週の夜のことだ。
その日、ドフラミンゴは体調が思わしくなく、機嫌が悪かった。
そういうわけで酒場に幹部と取引相手を放り込んで、さっさとねぐらに帰ろうとした時、
ふと、顔を上げると街灯の下、ベンチに座る彼女を見かけたのだ。
ぼうっとした様子で街の灯りを眺めていた。
不思議と初めて会った気のしない女だった。
声をかけてみる気になって、近づくと彼女は目を丸くしてあからさまに焦っていた。
結びつけるのはおかしな話だと後から思ったのだが、
その姿はどことなく”フラミンゴの”に似ていた。
昔ドフラミンゴが「背中に乗せろ」と無茶を言った時もこんなような顔をしていた。
懐かしみながも焦る彼女に構わずに近づくと、立ち上がって逃げようとしたので糸を使った。
彼女は驚いたようで固まってしまう。
ドフラミンゴは彼女の挙動に苛立つ自分に驚いていた。
どうも彼女がに似ているせいか、逃げられたりするのがひどく癪に触った。
声をかけ、返事を待つが、何も答えない。
彼女は喉を抑え、口を何度か開いたが、そのまま沈黙した。
喉を潰されていることに気がついて、ドフラミンゴは彼女を哀れんだ。
自然と謝罪が口をついて出た。
彼女は首を横に振って口を開いた。『気にしてない』と唇は形作った。
逃げ出そうとしたのはドフラミンゴに似ている”見つかったらまずい知り合い”がいるからだと。
彼女は声を失っていても言葉をくるくると巡らせた。
不親切な女だと思った。ドフラミンゴが読唇できなければ会話も成立しないだろうに。
だが、不思議と彼女の言いそうなことも手に取るように理解できていたので、
会話はスムーズだった。
まるで昔からの知り合い、それこそ”賢いフラミンゴの”が人の形をとって、
ドフラミンゴの前に現れたように。
もしかすると、本当にそうなのかもしれない。
だが、確信が持てたわけでもない。
会話を引き延ばして”何か”を掴みたかったドフラミンゴだったが、
その前に彼女はドフラミンゴの体調不良を指摘して帰ろうとしたものだから、
思わず腕を掴み、そして驚いた。
彼女の腕には傷があった。
ドフラミンゴの覚えた直感が、もし、本物なら、
彼女が”フラミンゴの”なら、その傷は”あの時”の――。
腕を掴んだまま、不穏な予感に俯いたドフラミンゴの手を、彼女は優しく叩くと
先ほどよりも幾分ゆっくり言葉を作った。
「気にしてない」と「大事なものを守ってついた傷だ」と。
本当に気にしてなさそうに、にかっと笑った顔へ、
ドフラミンゴはなんとか笑みを繕った。
彼女はドフラミンゴの顔を見て少し悩んだ様子ながら、
次の約束らしきものを取り付けて去っていった。
何か最後に言っていた気もするが、暗闇に溶けた顔からは読み取れなかった。
だが、だいたい想像がつく。
「フフフフッ! どうせ、『寝ろ』とかそんなとこだろうな、お前が、”お前”なら」
※
先週取り付けた約束通りにドフラミンゴが街灯下のベンチに向かうと、
やはり彼女はぼうっと街明かりを眺めていた。
彼女はドフラミンゴに気がつくと「よっ」という感じでドフラミンゴに手を挙げる。
ドフラミンゴは面食らってしまった。随分と仕草が気安い。
どことなく脱力したらしいドフラミンゴが不思議だったのか、彼女は怪訝そうに首を傾げている。
「・・・その手の挨拶を女にされたのは初めてだ」
ドフラミンゴが言うと、彼女はキョトンとしたあと、肩を竦めて見せた。
『気安かったなら謝るよ』
「別に」
嫌だったわけではない。
ドフラミンゴは彼女にそう断って、笑みを浮かべた。
「さて、お前、酒は飲めるか?」
『えッ?! あの、ジュースでいいんだけど、』
彼女は困惑した様子だ。だが、ドフラミンゴは許さなかった。
「それじゃおれのカッコがつかねェよ」
有無を言わせぬ笑みを浮かべたドフラミンゴに、彼女は難しい顔をしていたが、
やがて頷いた。
『わかった』
※
ジュース奢れって言ったばかりに酒場の・・・しかも人払いとかしてるっぽい店の
カウンターにドフラミンゴと並んで座ってるわけなんですけど、
へー・・・酒場ってこんな風になってるんだ。
取引先とかには連れてってもらうこともあるけど、酒場は入れてくれなかったしな。
店員から渡されたメニューをしげしげと眺め、それから辺りを見渡す私の手から、
ドフラミンゴはメニューを取り上げて勝手に店員に飲み物を頼んだあと、面白そうに笑った。
「なんだ、珍しそうだな?」
『あんまり来ないんだ、こういう場所』
ドフラミンゴは私の服装にちらっと目をやってから意外そうに眉を上げた。
「そのナリでか」
うるせェよ。
私がキャバレーのダンサーみたいな格好なのは
行動できる時間帯が限られてて開いてる店がないからであってだな・・・。
あとは単純に可愛いからだよ。
いいじゃんスパンコール。いいじゃん羽根飾り。可愛いでしょ。似合ってるし。
『見た目で人を判断しないでくれよ。こう見えて箱入りなんだぞ』
「へェ? おれに似た”過保護な男”がいるんだったな」
こちらに話を振ってくるので肯定してやる。
「父親か? それとも恋人か?」
強いて言うなら”飼い主”です。あとお前だよ。
そんなことを言えるわけもないので、煙に巻く方向で言葉を選んだ。
『どっちでもないな・・・難しいんだ。
あいつとの関係に適切な言葉を探すの。私に学がないからってのもあるけど』
「・・・読み書きができないわけじゃねェだろ、
メニューの字は読めてたはずだ」
目ざといな。私はドフラミンゴに頷いた。
『むしろ字を書くのは得意な方』
6歳の頃から大人顔負けの綺麗な字を書けてたのだ。
今はめっきり文字を書かなくなってしまったけど、
何度か練習すればそこそこ綺麗に書けるだろう。
「ならノートだのペンだの持てばいいだろうに。
おれは読唇できるからいいが、他の奴とどうやって意思疎通をはかる?」
『身振り・手振り・表情っていう便利なものがあるでしょ。意外と通じるよ』
「不親切な女だな」
ドフラミンゴは呆れた様子である。
それから店員が持ってきた酒のグラスを掲げてきたので、
私はおそらくこうするべきなんだろうな、と同じようにグラスを合わせた。
ドフラミンゴが頼んだのはトパーズのような色のしゅわしゅわした飲み物だった。
これ何? 正体がわかんないものを飲むのは正直抵抗があるんだけど。
口をつけると、未だかつてない味が口の中に広がった。
辛いんだか苦いんだかわかんないし、舌の上でパチパチ泡がはじけている。
しかもなんか液体が通った部分が熱い気がする、なんだよこれは!
「フッフッフッフッ!」
ドフラミンゴは目を白黒させる私を笑っている。
はぁ? なんだお前。わざとこんなもん寄越したんじゃねェだろうな。
『・・・口の中を攻撃されてるみたいなんだけど』
「フフフッ、飲み慣れてねェのは本当らしいな」
ドフラミンゴはグラスを傾けて私と同じ飲み物をうまそうに飲み干してしまった。
嘘だろ・・・。
『本当に私と同じ飲み物を頼んだんでしょうね?』
「寄越せ」
私が一口飲んだだけの代物を、ドフラミンゴは先ほどと同じように飲んでいる。
ああそう。同じものだったってわけ。
どうせ飲み慣れない箱入り娘ですよ。付き合えなくて悪かったな。
『だからジュースでいいって言ったじゃん。オレンジジュースがいいんだけど・・・』
「なら飲めそうなものを探せばいい」
『人の話聞いてた?』
おい、やけに酒にこだわるな・・・飲めないってわかったんだからジュースを寄越してくれよ。
私はオレンジジュースが好きなんだよ。お前が昔飲んでたやつとか・・・んん?
もしやドフラミンゴ、私を酔わそうとしてるのか?
・・・ほーう? なるほどね。そっちがそういうつもりなら、こっちにも考えがあるぞ。
※
アルコールが入ればよほど酒に強くとも、多少自制心が緩む。
そしたら何か、”確信”のようなものを彼女は口走るかもしれない。
だからこそ、ドフラミンゴは酒場を選んで彼女を誘ったわけだが、
先ほどからドフラミンゴばかりが酒を飲まされている。
彼女は運ばれてくる酒を一口含むと、
『苦い』とか『甘すぎる』とか言ってグラスをドフラミンゴに流した。
お前には遠慮とか忖度とかがないのか、と呆れるドフラミンゴだったが、
彼女はそのまま何食わぬ顔でオリーブをつまんでいる。
「おれの勧める酒が飲めないって言うんだな」
『うん』
軽く脅して見ても、彼女はけろっとしている。
返って店員の方が怯える始末だ。
ばかばかしくなってドフラミンゴは普段は口にしない甘ったるい酒に口をつけた。
確かにこれは甘すぎる。
そして何杯かグラスを空にしたあと、ドフラミンゴは横に座る彼女に眉を顰める。
「・・・お前、おれを酔わせようとしてねェか?」
彼女は笑った。悪戯がバレた後の子供のような顔だった。
ドフラミンゴはサングラスの下で目を細める。
「酔わせてからどうするつもりだった?」
『君と同じことを企んでた』
彼女の返答に、ドフラミンゴは当初の予定とは裏腹、自分が口走ってしまった。
「なんだ、お前、おれの名前を聞き出そうとしてたのか、」
ドフラミンゴはこめかみに手を当てていたので、彼女が驚いたことには気づかなかった。
そのまま名乗ろうと口を開くと、ふっと人差し指が唇に触れた。彼女は首を横に振る。
『知らないほうがいいよ』
訝しんだドフラミンゴに彼女は何か言ったようだったが、
酒が入ったドフラミンゴには読み取れなかった。
「もう一度、」
『必要ない』
短く言葉を選んだ彼女に、ドフラミンゴは沈黙する。
正直なところ、微笑んだ彼女の言わんとするところを、
ドフラミンゴはなんとなくわかっていた。
”海賊”ドンキホーテ・ドフラミンゴは見ず知らずの女の傷跡に動揺しない。
声が出ない女を鬱陶しいと思うことはあっても、
彼女の言葉を聴き逃すまいと、必死に唇を読んだりはしない。
ドフラミンゴは他人が自分に求める人物像を瞬時に理解できていたし、
それをしばしば望まれるがままに演じてもいた。
船長としてか、売人としてか、男としてか、家族としてか、
様々なペルソナを使い分けることは当然のことだったのだが、なぜか・・・。
この喉の潰れた、腕に傷のある女の前で仮面は意味をなさないように思えた。
彼女が求めている人物像は、強いて言うなら立場や建前を別にした、ただの名無しの人間。
つまり個人としてのドンキホーテ・ドフラミンゴであって、それ以上でも以下でもないようだった。
ドフラミンゴが誘惑しようがおどそうが、優しくしようが素っ気なかろうが、
彼女は波風立たず平坦に振る舞う。
ドフラミンゴを前に緊張を解く女はあまりいないのだが、
彼女はまるでずっと前からドフラミンゴを知っているように、くつろいでいる。
それにつられてか、ドフラミンゴは常よりも穏やかな気分だった。
確かに、彼女との会話はそう悪いものではない。
「・・・お前はもう少し”気遣い”を覚えた方がいい」
『なんだって?』
「さしあたっては紙とペンが必要だな」
「そうすればオレンジジュースも自分で頼める」
そう笑ったドフラミンゴに、彼女は怪訝そうに首を捻っていた。