テンタクルス・アヴァンチュール


「・・・私を、竜宮城に?」

の問いに、王宮からの使者を名乗る人魚が頷く。

「はい。殿は優れた獣医と聞いています。
 しらほし姫の愛鮫、メガロが体調を崩した様でして・・・」
「・・・ああ、先日魚の病について論文を発表したから、それを読んでくれたのかしら。
 ありがたいことですね。すぐに向かいます」

が微笑むと使いのタツノオトシゴの人魚は頬を染めた。
そのまま何も言わず、動きもしない使者に、は首を傾げる。

「あの、どうかなされたの・・・?」
「あ、いえ、す、すぐに船を用意いたします」
「そう、では私も準備しますね」

その様子をの屋敷から見ていたらしい、
ハチが血相を変えてに近づいてきた。

「な、なんで竜宮城の使いがくるんだ?
 なんか悪さでもしたのか、それとも誰か誑かしたのか!」

肩をつかんで揺さぶるハチに、は嘆息する。

「ハチさん・・・そんなに信用ないのかしら、私。
 姫様の愛鮫を治療して欲しいのだそうよ。
 それに私に誑かされるような物好きはそう居ないと思うけど」
「本当か?お前さん近頃妙にモテてるだろう?」
「そんなことないわよ」

ハチは6つある腕を組んだ。
まさか、が竜宮城に招待を受けるような医者になるとは、と
感慨深く思ったのだ

しばらく前、懇意にしていたらしい船医が航海に出て、少し落ち込んでいた時期もあったが、
時間が経つとどういうわけかは活発になった。

今までは屋敷に籠り、時折訪れる患者を相手にしているか、薬品を作っているか、だったが、
今では自身の研究を積極的に発表し、町にもよく出るようになった。

あの引っ込み思案だった
海を越え、権威ある人間の学者まで論文を送ったというのだから驚く。
そしてその論文は注目を得ているらしい。
人魚は魚と話ができる。
その性質を生かして書かれた、魚の病についての治療法や、
凶暴な海獣の生態については人間に取っては新鮮に映るのだろう、とは言う。
ハチには詳しいことが分からないが。

少しずつ外の世界に目を向け始めたは相変わらず前髪を隠し、
丈の長いワンピースやスカートを纏っているが、以前とはどこか違って見える。
それはハチや、ケイミーだけではなく、他の魚人や人魚にもそう映るらしい。
は多くの異性に好意を寄せられるようになった。
驚くべきことに、自身に自覚は無いが。

ハチはいい加減に気づくべきだと思っている。
だから気を使いつつも、に自覚を促そうと言葉を選ぶのだ。

「ニュー・・・だがお前、診療の度に口説かれてるんじゃ、困るんじゃねぇか?」
「あれは、特殊なケースじゃない?
 ・・・私じゃなくても、誰でも良かったのではないかしら?」

その困ったような顔を見て、ハチは呆れる。
ペットの診察をしたに強引に迫った魚人を偶然見つけ、
追い返したハチに言わせてもらうなら、に迫る魚人は本気だった。

相手にしてもらえないどころか、その好意に気づきもしない
焦れての行動だったというのに未だには本気にしていない。
殴ったハチが言うことではないが、相手が哀れだ。

「・・・案外酷いこと言うよな、おまえさん。
 そろそろ準備したほうがいい。竜宮城に行くんだろ?」
「そうね。では行ってくるわ、ハチさん」

朗らかに言ったを見送り、ハチは手を振り、そしてため息を吐いた。
まさか本当に、城でだれか誑かしてこないだろうか、と不安に思いながら。



竜宮城。
絢爛豪華なその城の謁見の間に通されたは深呼吸する。
目の前に居るのは、魚人島の王、ネプチューンだ。
他にも国の政治を動かしている大臣の姿や、王子たちの姿も見える。

緊張しないと言えば嘘になるが、フードを被っていては無礼だろう。
は被っていたフードをとる。
長い前髪で目を隠したは、ネプチューンに頭を下げた。

「しらほし姫様の愛鮫、メガロの治療に参じました。
 海洋生物学者兼獣医のです」
「うむ、面を上げるんじゃもん。
 よく来てくれた・・・!」

ネプチューンはにねぎらいの言葉をかける。

よ、おぬしは不思議に思ったことじゃろう。
 この竜宮城にも医師が居ない訳では無い。
 だが、この度のメガロの病はどうも薬が効かない。
 しらほしが寝ても覚めてもメガロを心配していてのう・・・。
 このままではしらほしまで身体を壊してしまいかねないのじゃ、
 おぬしは若くして、獣医としていくつもの論文を発表し、
 その治療実績も素晴らしいと聞いている。力になって欲しいんじゃもん」

「身に余るお言葉です」

は俯く。
過分な期待を寄せられているようにも思えた。
人々の注目を集めているこのような状況も、本当を言えば苦手だ。
だがすぐに前を向いた。
医師が毅然としていなくてはどうする、と
ローが居たのなら叱咤されていただろう、と思ったのだ。
思わずの唇には小さな笑みが浮かんでいた。

「では、どのようなお薬を出されていたのか、
 後ほど担当医の方にもお話を伺いましょう。
 案内を、よろしくお願いいたします」



硬殻塔の中に招き入れられる外部の医師というのはが初めてらしい。
海の戦士として名高いフカボシ王子が付き添いになると聞いて、
は少々のやりにくさを感じたが、
しらほし姫のおかれる状況を考えれば無理もあるまいと歩を進めた。

硬殻塔はまるで要塞だった。
きらびやかな竜宮城の中で異彩を放つ、牢獄のような作りに、は息を飲んだ。

「厳重ですね、バンダー・デッケンは未だに姫様に求婚を?」
「ああ、未だに武器が1日に1度は飛んでくる」

フカボシは硬い声色で答える。
は硬殻塔の壁や扉に突き刺さる斧や剣に眉を顰める。
分厚い前髪でその表情は伺えないが、心配している様子なのは伝わったようだ。
フカボシがに言う。

殿、できるなら、治療の合間にしらほしの話し相手もしてやってほしい」
「私に、姫様の?」

は首を傾げる。

「しらほしは6歳のころからこの硬殻塔に居る。
 友人らしい友人もできず、そのことを父上、ネプチューン王は気にかけているのです。
 勿論、あなたの功績を知り、登城をお願いしたのですが・・・」

フカボシの申し出には驚く。
昔だったなら、『私には恐れ多い』とか、
『私のようなものに勤まらない』と断っていただろう。
しかし、今のは違った。

「・・・私のようなものでよろしければ、ご随意に」

うっすらと微笑んだに、フカボシは少々面食らったようだ。
それに気づかぬまま、は前を向き、
硬殻塔のしらほし姫の部屋へと足を踏み入れたのだった。



「メガロ、メガロは大丈夫なのでしょうか、
 ずっと元気が無いのです・・・!」
「・・・しらほし姫様、落ち着いてください」
「しらほし、殿が治療出来ないだろう、離してやりなさい」

を手の平にぎゅっとつかんだしらほし姫が泣いている。
噂に聞いていたが、随分と体が大きく、美しいお姫様だ。
フカボシに嗜められ、しらほしはを離した。

メガロは確かに臥せっていた。呼吸も荒く、苦しそうだ。

「高熱が続いて、食欲もないのですね」

聴診器でその呼吸音を確認したは、
宮廷の医師から渡されたカルテを確認しながら、症状を確認する。

「しらほし姫様、メガロはずっと、姫様のお側に?」
「ええ・・・!」

は少々考えるようなそぶりを見せる。

「メガロは風邪と言うよりは、
 魚人、人魚で言うインフルエンザに近いものだと思います。
 魚人や人魚、人に感染することはありません。
 宮廷医の方もその可能性を視野に入れていたようですが、
 投薬、注射に効果が見られず、私に登城を頼まれたのですね。
 新型だと過去のワクチンが効かないこともありますから」

「そ、それで、メガロは治るのですか・・・?」
「ええ、大丈夫です。新型のワクチンなら私が持っています。
 けれど、一度水を変えた方がいいかもしれません」

は少し躊躇いながらも、しらほしに向き直る。

「ワクチンを打った後は綺麗な水を張った部屋で静養させるべきでしょう。
 他の魚や魚人、人魚がいると、ストレス
 ・・・刺激になってしまうこともありますから。
 姫様には辛いことだと存じ上げていますので、
 このようなことを言うのは心苦しいのですが・・・」

しらほしは涙を拭い、唇を噛む。
一人で硬殻塔に居るしらほし姫の唯一と言っても良い話し相手がメガロなのだ。
きっと寂しいに違いない。
だが、しらほしは胸に手を当てて言った。

「そ、それでメガロが元気になるのでしたら!私は我慢いたします!」
「・・・あの、差し出がましい、申し出かもしれませんが」

はおずおずと提案する。

「往診もありますので、メガロが元気になるまで、
 私が姫様の、その、お話相手を務めます。
 メガロの代わりにはなりませんが、姫様の退屈しのぎになると、良いのですが」

しらほしは息を飲んだ。
やはり断られるだろうか、身分違いだし、身の程知らずだったろうか、と
が俯くとしらほしがを手の平に乗せた。

「はい、是非、お願いいたします」

目尻を赤くした、しらほしは花の綻ぶように微笑んだ。



「ありがとうございます、殿。
 しらほしがあんなに喜んだのを見たのは、久々です」

「いえ、私は出来ることをしただけですから。
 ・・・本当は、私のようなものが姫様とお話ししたり、
 竜宮城に出入りすることなど、とても恐れ多いことだと思っているのですけれど」

フカボシに答えるの表情は柔らかく、また儚気だった。
海を越えて論文を送り、人間の学者とやり取りをするような活発な人魚には見えない。

「・・・謙虚な方なのですね。
 幾つも論文を発表しているし、治療実績もあると伺っていますから、
 もっと自信家な方だと勝手に思っていたのですが」

「いえ、そんなことは・・・、いけない!
 フカボシ王子、私は施術に関しては自信がありますよ!
 それだけは謙遜してはいけませんもの!」

慌てて発言を撤回したにフカボシは目を丸くし、
すこし間を置いてクスクスと笑う。

「そうですね、そこに自信が無いと言われては困ります」
「・・・悪い癖です。お恥ずかしい」

前髪が揺れて、金色の、瞳孔が横に入った瞳が少しだけ見える。
隠すのがもったいない、とフカボシは思った。
その、魚人島に住んでいるものに取っては珍しい肌を見せない装いも相まって、
はどこか浮世離れした令嬢のようにも見える。

「こんな有り様では怒られてしまいますね」
「どなたか、師のような方がいらっしゃるのですか」
「ええ」

の表情が緩やかに綻ぶ。
その眼差しが見えずとも、笑うと印象がとたんに違って見える。

「・・・色々なことを私に教えてくださいました」

の声色には奇妙な含みがあった。
フカボシは微かに目を伏せる。
その含みに感じたのは微かな苦みと、心臓が少しだけ早く鼓動を打った感触。

「その方は、今は?」
「・・・船医でしたので、どこか、遠い海を航海していらっしゃると思います。
 とても勤勉な方でした。
 医師ならば自信家であれという姿勢も、その方から教わったのです。
 論文を書くきっかけも、その方からのアドバイスで・・・。
 今の私を作った人なのです」
「では、その方には感謝しなくてはいけませんね」

フカボシは笑みを作る。
は顔を上げた。

「その方のおかげで、あなたがここに来た。
 メガロを早く処置することが出来た。
 しらほしが喜びます。・・・もちろん、私も」
「・・・そう言って頂けると、光栄です」

ははにかんで笑う。
その笑みを可愛らしいと思うのに、
フカボシは、どこか胸を締め付けられるような感触も覚えていた。