地獄の園


結婚式を終えたを待ち受けていたのは悍ましい現実だった。

ウェディングドレスから簡素なワンピースに着替えた後、自室に戻ろうとしたに、
そこはお前の寝起きする部屋ではないとドフラミンゴが断じたのはつい先ほどのこと、
意味を測りかねていただが、ドフラミンゴに案内されるままたどり着いたのは
王の部屋だった。

かつては母と父が共に過ごした寝室がドフラミンゴとのために整えられていた。
ドフラミンゴは寝台に腰掛け、硬直するを笑っている。

 ここが王と王妃の部屋なのは間違いではない。
 間違いではないのだが、これは・・・。

状況の意味するところを悟った瞬間、
全身の産毛が総毛立ったような感覚を覚えていた。
一刻も早く、その場から立ち去りたかった。

「私は自室を持っていますので、そちらで休ませていただきます、
 おやすみなさいませ、・・・!?」

振り返り、ドアノブに手をかけたところで、体の自由がきかなくなった。

心臓が大きく鼓動し、冷や汗で服が冷たくなる。

背後でドフラミンゴが寝台から立ち上がったのが分かった。
頭上から影が落ちる。
骨ばった指が、の髪を避けて、首筋を撫でた。

「なァ、、」

わかるよな。

そう続いた言葉に、は固く目を瞑った。

数日共に過ごしただけだが、はドフラミンゴがどういう男なのか、
おぼろげに理解し始めていた。

狡猾で手段を選ばない男。目的は必ず遂行する男。
そして、”命令せずに命令する”男である。

おそらくドフラミンゴにとって最も理想的なのは
「望んだものが自ら手のひらに飛び込んでくる」そういう状況だ。

はドフラミンゴに逆らえない。
逆らえば人質が死に、も殺されかねない。

 私が死ぬのは今ではない。

は深く、ため息を零した。

「・・・明かりを、消して、くれますか?」

の懇願に、ドフラミンゴは喉を鳴らすように笑い出した。
さほどの間を置かず、室内から明かりという明かりが消えた。



強張る身体を必死に緩めようと努めても、恐怖と屈辱がの心を頑なにした。
女王になればどのみち通った道なのだと言い聞かせてもダメだった。

一時間が永遠のように思えた。

物語では人と人とが結ばれる場面は美しく素晴らしいことのように描かれるのに、
の身の上で起こったのはひどい苦痛に塗れた、最低最悪の出来事だった。

「あ、ぁ・・・! い、いたい、ぃ、や、やめて・・・っ!」

散々身体を弄られ、咥えさせられた上に下手くそと罵られ、
貫かれた挙句の果てに破瓜された血を太腿に擦られた。

汗ばみながらも眉根を寄せた男の顔が視界に広がる。

「”痛い”じゃ、ねェだろ、イイって言うんだよ」
「ああっ! く、ぅ・・・!」

犬を躾けるように尻を軽く叩かれる。悔しさのあまり涙が溢れる。
突き上げられる度内臓がせり上がるような心地がした。
おそらく屈服すると言うのはこういうことを言うのだとは思った。

みっともなく涙や鼻水を零し、汗と体液に塗れ、
自分のものとは思えない甲高い声が喉をすべり出るのを止められない。
従わなければ終わらないと分かっている。
だからどんな侮辱でも飲み下さなくてはならない。

「っい、いい、っあ、い、いッ・・・!」

その醜態を興奮とともに嘲笑う男が何より憎らしいのに、良いようにされている。
涙に歪んだ景色の端に、唇を舐める男の顔が見えた気がした。

女の身の上に生まれてきたことを後悔するのは、
スカーレットに恋をしたことを自覚して以来のことだった。

いつ事が終わったのかは覚えていない。
が目を覚ました頃には、色濃い情交の後を残して、ドフラミンゴは姿を消していた。

寝室から繋がる浴室に入り、皮が剥けそうなほどに身体を擦り洗いながら、
おそらくこれがドフラミンゴにとって国盗りのクライマックスだったのだと気づいた。
女王となるはずだったを犯し暴くことで
ドレスローザは名実ともにドフラミンゴのものになった。

 ならばこれっきりで済むだろうか。

一瞬胸をよぎったそんな儚い期待はその日の夜にたやすく裏切られた。
その日から、は夜毎寝室で悲鳴をあげることになるのである。

その上が辱めを受けるのは寝台の上だけではなかった。

とドフラミンゴが結婚して1週間ほど経った朝食の席で、
ディアマンテがナイフを片手にドフラミンゴへ目を向けた。

「で、どうだ、温室育ちの姫君の具合は」
「締まりはいいがよくはねェな」
「そこは仕込めばいい」

ニヤついた男たちの視線がの全身に突き刺さる。

海賊として過ごした歴の長い者達は皆しれっとした表情で食事を続けている。

だが、長くと接していた故か、他に思うところがあるのか、モネの顔は強張り、
ヴィオラは眉根を寄せ、決しての居る方を向こうとはせず、怒りと屈辱に震えていた。

は自身の体温が指先から冷え切っていくのを感じていた。

『殺してやる』

そんな風に今すぐにでも喚き散らして、手に持ったナイフを振り回してやりたい。
しかしはそうしなかった。代わりに静かに目を伏せる。

 こいつらは王宮を闊歩して偉くなったと勘違いしている”ゴミ”だ。品性下劣の”クズ”だ。
 あるいは”豚の糞”である。

はふさわしい表現を見つけたことで思考にゆとりを持つことができた。
人間は家畜の糞尿にいちいち怒りを覚えないし、せいぜい悪臭に眉を顰めるだけである。

俯いていたは顔を上げた。

「朝食にはふさわしくない話題ですね」

男たちはの言葉に顔を見合わせ笑い出したが、
が涼しい顔でナイフとフォークを操るのを見てなんとなく白けたような雰囲気になり、
その場は別の話題に移っていった。

は味のわからなくなった食事を続ける。
喚き散らすのを堪えるのも、涙を堪えるのも、そう難しいことではなかった。



近頃小人が寄り付かなくなった庭園の雑草を、はむしり取っていた。
鎌を使い、生い茂った草を刈り取りながら、ドフラミンゴの作り上げたドレスローザが
にとって恐ろしく醜悪な出来栄えになったことを思い返す。

街を行き交うおもちゃ。ドフラミンゴが来るまでは存在しなかった”労働力”が現れてから
人間はさほど働かなくとも生活できるようになった。

コロシアムではドフラミンゴに逆らった人間が囚人奴隷の剣闘士として殺し合いに興じ、
国民はそれを見世物に笑うようになった。

化粧品を入れる煌びやかな容器を作っていた工場では、
人造悪魔の実が製造されるようになった。

化粧品の原料となる美しい花々の栽培を手伝ってくれた小人たちは、
不自然な果実を奴隷のように作らされている。

世界中の女性に魔法をかけようと、
胸をときめかせ出来上がりを待った調合工場はおもちゃ工場になり、
悪趣味な子供部屋のような内装に塗りたくられた。

貿易港は刺激的な構想を持った商人たちではなく
海賊や、武器を密輸する男たちと、
永遠に働かされるおもちゃたちで溢れかえる。

ドレスローザを離れたメルシエの商売は順調らしい。
外部から集めた社員はほとんどが彼についていき、
また、察しの良い一部のドレスローザ市民もその後を追った。
風の噂で「for regina」というブランドを立ち上げたとの声が聞こえた。

金での繋がりしかないと思っていた外の人間の方が
よほどの心を理解してくれているように思った。

生き残ったドレスローザの兵士達は時間を経るごとに、
ドフラミンゴと共に過ごすことの多いを見て、軽蔑と嫌悪感を隠さなくなった。
の動揺は忘れ去られたようだった。
国民の全てがにとっての人質なのだと理解してくれる人間はほとんどいない。

ヴィオラとは未だに口を聞く機会が与えられずにいたが、
ヴィオラが何をさせられているのかは閨事の最中にドフラミンゴから聞かされている。
武器の扱いを覚え、山ほどいる海賊たちの心を覗き、
ドフラミンゴにとっての不安分子を取り除いているのだと。

『もう、殺し屋って言ってもおかしくねェなァ、お前の妹は』

飽きもせず執拗にを嬲り、
自分で命じておきながらヴィオラの現状を嘲笑うドフラミンゴに、
は枕を噛みながら無言で答えた。
が感情的になるのを、ドフラミンゴはどうも面白がっている節があった。

思い返す度、草をむしる手に力が入る。

 この手に持った鎌が刈り取るのが、
 あの”クズども”の終始ニヤついた顔のついた首だったならどれほど胸がすくだろうか。

が夫とその家族へ殺意を抱いたのは一度や二度ではなかったが、
彼らを殺す力のないことは痛いほど分かっていた。



危ういバランスで保たれていたの正気が失われたきっかけは、
本当に些細なことだった。

あくる日、ドフラミンゴがの化粧瓶を壊したのである。

おそらくその行為に他意はなかったのだろう。
偶然、鏡台の上に置いておいたそれがコートの端に引っかかっただけで、
それ以上でも以下でもない。

「あ・・・」

は砕け散ったものを見て、小さく声をあげた。
ドフラミンゴは割れたガラスを見て呟く。

「中身は入っていなかったようだな」

砕けたのは最初に、スカーレットとヴィオラにアイディアをもらって作った化粧水の瓶だ。
10代の少女たちに興味を持ってもらえるよう知恵を絞った、の夢の残滓だった。

はすぐに割れたガラス瓶のそばにより、
欠けらを素手で拾い集めようとしたが、ドフラミンゴに腕を引かれ、止められる。

「おい、ガラスだぞ」
「いえ、構いません」

バラの細工は半分だけ形を残し、あとは無残に砕けていた。
どんなことをしても元どおりにすることはできないが、それでも、拾い集めなくてはと
手を伸ばそうとするに、ドフラミンゴは腕を掴む手に力を込めた。

痛みに眉を顰めたに、ドフラミンゴは怪訝そうに首を傾げる。

「お前がそこまで慌てるとは珍しい。思い入れでもあるものだったか?」
「・・・昔使っていた化粧品です」

の声にどこか言い訳めいたものを感じたらしい、ドフラミンゴは喉を鳴らして笑った。

「物はいつか壊れるもんだ。諦めるんだな」

の指先が微かにガラスに触れて、離れた。

 諦める? 何を諦めるというのだろう。
 私が執着しているものなど、ろくに残されていないというのに。

はわずかに口角を上げた。
滑稽だった。ドフラミンゴが居なければ腹を抱えて笑っていたところだ。

ドフラミンゴがとの取引材料にする”人質”は
今やにとってなんの価値もなかった。

ドフラミンゴとその家族は本人たちでも気づかぬうちに、
から価値あるものを奪い去ったのだ。

 ただ今は死にたい。
 許されるならすぐにでも。

しかし、自らを縊り殺すのは容易いことだとも知っていた。
いつでもできることだ。

 なら、いつやるのが良いか。
 今か、明日か? いや、違う。

犬死に何の意味もない。
生き地獄に叩き落とされたのならば、叩き落とした人間の足を掴み、
同じ場所に引きずりおろしてやらなければ気が済まない。

には死ぬべき時がある。
ドフラミンゴとその家族に、そしての献身に答えなかったドレスローザ王国へ、
思い知らせてやる方法があるはずなのだ。

 方法を探るためには、正気でいなくてはならない。
 たとえ、”まともでいる”ということが何より難しくても。

は息を吐いた。
ガラスを拾い集めようとするのを止め、淡々とドフラミンゴに答える。

「そうですね、ここまで壊れてしまっては取り返しがつきません。
 ”使用人”に掃除させましょう」

そう言ってドフラミンゴを見上げると、
腕を掴んでいたドフラミンゴの手が肩をたどり、の首筋を撫でた。
それからうなじの下、の着ていたワンピースのファスナーが降りていく。

箍が外れたのがこの時だったのだろう。

は抜け殻のようになった衣服を床に置いたまま、
寝台になだれ込み、降ってくる口づけに応えながら、
かつては有能な秘書であり、自らを裏切ったモネのことを考えていた。

モネは、にとって”お友達のようなもの”になりかけていた。
給金を払う立場と受け取る立場でも、木漏れ日の差すの庭園で、共に笑い合うことができた。
たわいもない話をすることだってできたのだ。

今となっては、同じことができるはずもない。

”取り返しがつかないものは使用人に後始末を頼むのがいい”

それだけの話だった。