蘇る亡霊
「”ROOM”!」
ドーム状の、薄い膜のようなものが部屋中に広がる。
動揺するヴェルゴから心臓を奪い返そうと、ローが動いたのだ。
しかし、ヴェルゴは我に返ったのかローの心臓を握る。
「ぐっ、」
ローは鬼哭を取り落とし、胸を押さえうずくまった。
ルフィがすぐにヴェルゴに食ってかかる。
「トラ男! お前、何すんだ!」
がローに駆け寄ろうとする。
「ロー先生!」
ヴェルゴが心臓を手に、声を張り上げる。
「動くな! 従わないならローの心臓をここで握り潰す!」
戦闘体制に入っていたルフィを始め、麦わらの一味とローは
ヴェルゴの言葉に息を詰めた。
ヴェルゴはを一瞥し、ゆっくりと近づいてくる。
はヴェルゴを睨みつけた。
「・・・残念だよ、。
おれはもう二度と、君には会いたくなかったんだ」
「・・・そうでしょうね。
殺した相手になんて何度も会いたくないでしょうから」
ヴェルゴは深いため息を吐いた。
「そうとも、おれは君をまた、殺さなくてはならない」
その低い声には固唾を飲み、剣を握る手に力を込める。
ヴェルゴの強さは知っていた。迎撃できるかどうかも怪しいが、
抵抗せずにむざむざと殺されるのは我慢ならない。
の目に決意の色が濃くなっていくのを見て取ったのか、
うずくまっていたはずのローが声を荒げた。
「待て、ヴェルゴ!」
左胸を抑えながらも、ローはヴェルゴを睨み上げる。
「シーザーとモネの心臓はおれが持っている!」
「!」
ヴェルゴは何かに気づいたようだ。
ローはヴェルゴの視線がから外されたのを見て、不敵に口角を上げた。
「オペオペの実の能力者が死ねば、当然バラバラになった心臓は元には戻らねェ!」
「・・・面倒だな」
ヴェルゴはしばらくうつむき気味に何か考えていたようだが、
すぐに思考がまとまったのか、ローを見下ろした。
「では、取引をしようか、ロー。
おれはと、麦わらの一味を見逃してやっても構わない」
意外な申し出に、皆驚いていた。
は訝しげに眉を顰める。
「なんですって・・・!?」
「おれの目的は、初めからロー、お前一人だ。
お前を始末すれば”彼”も納得するだろう」
「・・・!」
ローは逡巡するような気配を見せた。
ヴェルゴは淡々と条件を突きつける。
「先にシーザーとモネの心臓を返してくれ。それで取引は成立する」
「そんな条件、飲むわけがないでしょう!」
シーザーとモネの心臓を元に戻した途端に、
取引材料がなくなってしまう。
ローの心臓はすぐにでも潰されてしまうかもしれない。
そもそも、ヴェルゴが麦わらの一味を見逃す保証などどこにもない。
が苛立ったように言うと、ヴェルゴの左手が素早くの首を掴んだ。
武装硬化で黒く変色したヴェルゴの腕は、幽霊であるを容易く捕まえることができる。
「おれはローと話しているんだ、」
「うっ!?」
の手から離れた銀色の剣が、床に落ちて高い音を立てた。
締め上げられるような格好になり、は苦しげに眉を寄せる。
「そもそも、君に選べる選択肢があるとでも?」
囁かれる言葉はどこまでも冷酷だ。
それを見て、ルフィが我慢ならないと腕を構えた。
「お前、に何すんだ! やめろ!」
「・・・長年海兵をやっていたせいかな、聞き分けのない海賊は嫌いなんだ」
はローの心臓を持ったヴェルゴの手を見て、ルフィを止める。
「だめよ! ルフィ!」
「くっそォ・・・!」
ルフィは悔しそうに構えを解いた。
歯噛みする麦わらの一味を、ヴェルゴは路傍の石でも見るように見下ろしている。
ローがヴェルゴに問いただした。
「・・・お前がこいつらを見逃す保証がどこにある」
「おれは嘘が苦手なんだ」
しゃあしゃあと言ってのけるヴェルゴには歯を食いしばる。
にはこんなアンフェアな条件を、ローが飲むとは思えなかった。
しかし。
「・・・いいだろう」
「トラ男!?」
ルフィも驚き、声を上げる。
フランキーがローを止めた。
「やめろ! なんでお前がそこまでする!?」
は必死にヴェルゴの腕から逃れようともがき、叫んだ。
ほとんど悲鳴に近い声色だった。
「やめて、ロー先生! お願いだから、せっかく助かった命を投げ出さないで!」
「・・・邪魔をするな、」
の目尻から大粒の涙が溢れる。
頭の中は状況を打破しようと必死に回っているのに、
出た結論はあまりに短絡的で、どうしようもないものだった。
「嫌! ロー先生が死んでしまうくらいなら、」
「・・・君は何も変わらない」
黙って成り行きを見守っていたヴェルゴが、に顔を向け、呟く。
サングラスに隠れた眼差しからは表情は伺えないが、
声にはどこか感傷的な響きがあった。
「大事な者のために、いとも容易く、君は自分を投げ出してしまう」
の思考に空白ができた。
訝しむように眉を顰め、口を開くよりも早く、
誰かが声をあげる。
「おい」
瞬間、音も無くヴェルゴが崩れ落ちた。
まるで無音の銃で撃たれたかのようだ、
肩と腹、腕から血を流し、倒れている。
「・・・”ROOM”」
ローはその隙に自らの心臓を取り戻し、
ヴェルゴをバラバラに切り裂いた。
苛立ち混じりのそれは、まるで奴当たるようにも見える。
はヴェルゴの拘束から逃れ、何が起こったのか分からないまま、扉を見つめる。
扉のそばには黄色いシャツに白いデニムを履いた、道化の化粧をした大男が
煙を吐き出す銃を構えて立っていた。
バラバラになったヴェルゴに吐き捨てるように呟く。
「汚ねェ手でおれの妹に触ってんじゃねェよ」
ルフィは首を傾げている。
「誰だ・・・?」
「を妹って言ったか?」
「味方、なのかしら」
ロビンとフランキーはこめかみに汗を流し、突然の乱入者を見つめている。
ヴェルゴは首だけになりながらも凄まじい形相で乱入者を睨んでいた。
「ロシナンテ・・・!」
「悪ィなヴェルゴ。潜入捜査はお前だけの専売特許じゃねェんだ」
ロシナンテは硝煙を吹き消すと、ベルト横のホルスターに銃を仕舞った。
ローがロシナンテに食ってかかる。
「コラさん、出てくるなって言っただろ!」
ロシナンテは返す刀でローを怒鳴りつけた。
「そんな場合だったか!?
めちゃくちゃ危なかっただろうが!!!
だから言ったんだ、おれは、
心臓なんかむやみやたらに預けるようなモンじゃねェって!!!」
ローは自身に非があるとわかっているのか黙り込む。
ロシナンテはさらに続けた。
「大体おれは納得してねェぞ!
ここまできたらちゃんとに話すべきだろ!!!」
檻の中にいたモネが歯噛みしながらも、
腑に落ちないと眉根を寄せる。
「いつの間に、協力者を引き込んだの?
この島に来たのは確かにローだけだったはず・・・」
「だと思うだろ? 違うんだな、これが。
あんたの目を盗むのは苦労したぜ、モネ。
だが、その辺はローがサポートしてくれたからな!
一回内部に潜入しちまえばこっちのもんだ」
ピースサインを作って戯けるロシナンテにヴェルゴとモネはムッとしたように黙り込んだ。
ロシナンテの登場を驚くのは海賊の面々だけではない。
「テメェ、海賊になったのは聞いてたが、よりによってトラファルガーの船に・・・!」
未だにたしぎと精神が入れ替わっているスモーカーもその一人だ。
かつてロシナンテはスモーカーの先輩にあたる人物だった。
ロシナンテもスモーカーに気づいて眉を上げる。
「おーおー、誰かと思えばスモーカー、だよな?
・・・見た目えらいことになってるなァ。ローのせいか。
今中将なんだって? 出世したな! 捕まってるけど」
「ぐっ!」
スモーカーは呻いた。たしぎと入れ替わっている上に拘束されている
今の状況では何も格好がつかないと気づいたのである。
は呆然とロシナンテを見つめていたが、うわごとのように呟いた。
「・・・”ロシナンテ”?」
その声に、ロシナンテはゆっくりと振り返る。
「・・・久しぶりだな、」
目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
懐かしむように微笑んで、を見つめている。
「お前の兄貴の、ロシナンテだよ」
は大きく目を見開いた。
「って、おっさんになっちまったから、分かんねェかな・・・」
苦笑して頰をかくロシナンテに、は表情を歪めた。
「”ロシー兄さん”・・・!」
「、おう」
の周りを黒い霧が覆う。
それを通り過ぎると呪いが解けるように、の体が色を取り戻していった。
全身を実体化させて、ハラハラと涙を零しながらはロシナンテに駆け寄る。
ロシナンテは駆け寄るを抱き止めようと膝をついて腕を広げた。
が、しかし。
「ぶべらッ?!」
ロシナンテの頬に強烈な右ストレートが決まった。
絵に描いたような感動の再会は脆くも崩れ去り、
麦わらの一味とロー、シーザーやモネ、ヴェルゴでさえぽかんと口を開けている。
「殴った!?」
「えええええ!?」
しかもはそのままロシナンテを殴り続けている。
「・・・の実体化って」
「ああ、”武装色の覇気”だ」
ロビンが呆然と呟くのに、ルフィがうんうん、と頷いている。
ローは我に返ってを止めにかかった。
「ちょっ・・・、待て!」
「どうして私を置いて行ったの! 黙って! 何も! 言わずに!!!
ロー先生まで連れてったでしょう!!!」
ローに右腕を取られてようやくはまともな言葉を絞り出した。
目にわずかに冷静さが戻っている。しかし怒りが収まる様子はなかった。
「しかも声が出るってどういうことなの!?」
ロシナンテの顔に「まずい」という文字が浮かんだ気がした。
ローは「あぁ・・・」と短く嘆いてを止めていた手を解く。
弁解するチャンスがあるうちに何か言わなくては、と
ロシナンテは血の味のする口を開く。
「あ、・・・あのな、これには、深いわけが」
は涙の滲む目を吊り上げ、人差し指をロシナンテに突きつける。
「復唱して! ”報告! 連絡! 相談!” はい!」
「ほ・・・報告、連絡、相談・・・」
あまりの剣幕に素直に復唱したロシナンテに、
はまくしたてた。
「良いこと!? あなたに足りないのがそれよ!!! わかる!? いつもそう!!!
大事なことを話してくれないし、嘘は吐くし・・・しかもすぐバレるような嘘!!!
私は! 6歳の! 女の子じゃ! ないのよ!!! バカにしないでよ・・・!」
の目から涙がとめどなく溢れ出している。
「バカにしないで!!! う、ぅ・・・!」
はロシナンテの胸ぐらを掴んだまま嗚咽して泣き出した。
ロシナンテは目を瞬くと、困ったような顔をして、その肩を優しくさする。
「・・・」
「・・・ドフィにも同じことを言ったわ」
その時、ローだけが静かに息を飲み、密やかに奥歯を噛んでいた。
は涙を拭い、淡々と呟く。
「兄妹喧嘩をしたの。ドフィに、暴言を吐いて、ドフィは唖然としてた。
ウフフ・・・、それっきり、それっきりよ。
会えなくて・・・あれが最後になってしまった」
ロシナンテは幽霊に戻っても座り込んだままのに
目を眇め、問いただした。
「、おれたちは、お前が自殺したと聞かされたんだ。
お前が残した遺書も、ドフラミンゴから渡された。
でも、それは違ったんだろ、お前は殺されたんだよな・・・?!」
13年前、何が起きたのかを知りたいと思っているのは、
だけではなかったのだ。
「あの日・・・本当は、何があったんだ?」
はロシナンテの問いには答えず、ゆっくりと立ち上がった。
ローと視線を合わさぬまま、言葉を紡ぐ。
「ロー先生。あなたと、ロシー兄さんが、・・・ヴェルゴがここにいると言うことは、
この施設、ドフィ兄さんが、”ドフラミンゴ”が絡んでいるのね?」
唇を噛み、黙り込んだままのローに、は振り返った。
確認するように、問いかける。
「私を含めた麦わらの一味をこの島から遠ざけようとしたのは、
私がドフラミンゴに関する記憶を、
・・・思い出すべきじゃないと、思ったからなのね?」
ローは目を閉じ、深いため息を吐いた。
やがて観念するように、ポツポツと語り始める。
「・・・ああ、そうだ。お前は知らなくて良かったんだ、ドフラミンゴが、」
言い淀むローに、は首を横に振る。
「子供を薬漬けにしたり、殺戮兵器を作るような人間の、親玉だって?
・・・馬鹿ね。いつかはわかることなのに、」
その言葉に目を伏せたローを見て、ロシナンテは何か言いかけ、止めた。
ローの13年間の旅路を知るロシナンテには、
ローの心情を考えるとに対しても思うところがあるのだが、
それを口にして良いのは、おそらくローだけだとわかっていた。
の口から出た”ドフラミンゴ”という言葉に反応したのはローだけではない。
「おい、幽霊! なんでここでドフラミンゴの名前が出てくる!?」
捕らえられたスモーカーも、思いもよらぬ人物の名前に戸惑っていた。
ルフィが訝しげに首を傾げている。
「ドフラミンゴって、誰だ?」
「”王下七武海”の一人よ、ルフィ。の口ぶりでは・・・、」
ロビンは言い淀んだ。
これは自身の口から話すべきだと思ったのだろう。
ロビンと目を合わせたは一度頷くと、
スモーカーへと目を向けた。
「海兵さん。ヴェルゴを”中将”と呼んでいたわね」
「!」
それから、ヴェルゴへと視線を移す。
「ヴェルゴ、あなたが嘘が苦手なのは知っているわ。
本当に海兵になったんでしょう。
・・・ドフラミンゴに命じられるがままに」
ヴェルゴは沈黙したままだが、否定はしなかった。
その様子を見て、スモーカーは奥歯を噛みしめる。
「・・・潜入されてたってわけだな、自分が情けねェ。
こんな近くのドブネズミの悪臭に気づかねェとは・・・!」
「・・・優秀な”白猟”の目をも掻い潜ったドブネズミを褒めて欲しいもんだね」
ヴェルゴが皮肉に口角を歪めた。
「この島でシーザーが好き勝手に実験をできているのも、ドフラミンゴの後ろ盾があるから。
そう考えると辻褄が合うものね。
我が兄ながら、どうしようもない人と手を組んだものだわ」
「どうしようもないとはなんだ!? 失敬だぞ幽霊、貴様ァ!!!」
シーザーが檻の中で憤っている。
フランキーが呆然と呟いた。
「・・・お前、ってことは」
は目を閉じ、頷いた。
「私は、ドフラミンゴと、ロシナンテの妹。
・・・ドンキホーテ・」
の脳裏に”家族”の記憶が蘇る。
世界で何より愛おしく、憎らしかった”兄”の顔が脳裏に浮かぶ。
そしてそれに付随する記憶が、まるで映画のように、絵画のように、物語のように溢れてくる。
これまでパズルのピースを埋めるように、記憶を取り戻す旅を続けてきた。
今、少しのピースの欠けはあるものの、その全体像は見えている。
だからこう言っても良いのだろう。
は静かに息を吐き、ルフィらに答えた。
「まだ、ほんの少しの”欠け”があるけれど、
概ねの記憶を取り戻すことができたわ」