Reborn
その時は唐突にやって来た。
奪った船に乗りながらの航海の最中、その船団は巨体と裏腹に恐ろしく静かに、
ドフラミンゴとの前に立ちはだかったのだ。
は双眼鏡を外し、こめかみに汗を浮かべながらも唇だけで微笑んで見せた。
「べへへへ、どうやら、久方ぶりに修羅場をくぐらなければならない時が来たみたいだねぇ、
見えるかい、ドフィ」
「・・・ああ、もう目視できる距離だ」
ドフラミンゴの声色も硬い。
巨大な帆船のメインマストには見知った海賊旗が描かれていた。
睨みを効かせる角を持った骸骨、交差する4本の骨、漢数字の八。
”百獣のカイドウ”のシンボルマークだ。
「船の数は3隻か。全く、たかが2人によくもまァ、買いかぶられたものだよ。
だが、”百獣のカイドウ”本人自らがお出ましというわけではなさそうだねぇ。
船首がマンモスの首だ。あれは・・・”ジャック”かな?」
ドフラミンゴは静かに息を吐いた。
そしてに口角を上げてみせる。
「フフフッ、やりようによっては逃げられるだろう。
むしろ舐められてるんだ。・・・あるいは、様子見ってとこだな」
「おや、和解は無理なんだろうねぇ、・・・砲弾だ」
飛んで来た砲弾をは粘液で受け止め、そのまま砲弾を覆い、
パチンコの要領で弾き返した。
遠くの船で爆音と怒号が上がる。
ドフラミンゴは軽く拍手して見せた。
「フフフフフッ、お前射撃も得意だよなァ」
「べへへ、武器の扱いは一通りやったからねぇ。
さァ、これで生きるか死ぬかだ。せいぜい足掻こうじゃないか」
笑うに、ドフラミンゴが笑い返してみせる。
そして弾糸を作り上げ、より糸の砲弾が大きくなるように調節した後、
が撃った船に追い打ちをかけるように砲撃した。
「死ぬつもりなんざサラサラねェ癖によく言うぜ」
※
たった2人に対して3隻もの船を出すこと事態が異常と言っても良かったのだが、
その2人に対峙した人間はすぐにその理由を思い知った。
本船以外の2隻は瞬く間に沈められてしまったのだ。
”元王下七武海”ドフラミンゴの実力は衰えた様子もない。
糸の砲弾、銃弾、槍が雨のように降り注ぎ、船を貫く様はまるで冗談のようだった。
そしてもう一人、”参謀”の実力たるやドフラミンゴに勝るとも劣らないものだ。
可燃性の粘液に覆われた砲弾は一隻の船を容易く吹き飛ばした。
だが、ジャックは面白そうに眉を上げただけで、
2隻を囮にドフラミンゴらの乗る船に乗り込んだのだ。
ドフラミンゴの前に、ジャックが立ちはだかった。
口を鉄製のマスクで覆う男に、
ドフラミンゴは常の如く、挑発するような笑みを浮かべる。
「フッフッフッフッフッ!
久しぶりだなァ、 ”旱害”のジャック!」
災害とも呼ばれるカイドウ幹部の1人は、意外にも静かにドフラミンゴの挑発を受け止めた。
「”尻尾巻いて逃げやがった腰抜け野郎”を追うだけの、
つまらねェ命令だと思っていたが、
・・・どうやら少しは楽しめそうだな」
しかし、破壊を好むジャックの目つきは狂気に駆られている。
「そもそもおれは、大頭の周りをウロついてやがるテメェが気に入らなかった。
嬉しいぜ。・・・なんのわだかまりもなく、テメェを殺せる」
ジャックは指の骨を鳴らし、ドフラミンゴを脅しつけるが、
ドフラミンゴに怯むそぶりはない、むしろ嘲笑うように首を傾げ、笑って見せた。
「フフフフフッ、言ってくれるなァ。おれもホッとしてるんだぜ?
テメェのとこの”死にたがりのバカ”との取引なんざ、
もう金を積まれてもやりたかねェんだよ」
互いのこめかみには青筋が浮かんでいる。
「その舌、切り落としてやる・・・!」
「やってみろ。できるもんなら!」
覇気が衝突した。
覇気の身についていない一部のプレジャーズとギフターズと呼ばれる面々は気絶している。
それを尻目に、は粘液でジャックの部下たちを覆いながら
海に履き捨てるようにあしらっていた。
「やたら数が多いな、ドフィを助太刀したいのは山々だが、」
マンモスの怪力に糸を使って対処するドフラミンゴを横目で伺いながら、
腕を狼に変えたギフターズの1人を躱し、その首を仕込み杖でなぎ払った。
悲鳴と怒号が上がる。
「まァ良い、どの道全て蹴散らすつもりだ。
ねぇねぇお前たち、焼死と斬殺、どちらが好みだ?」
冷めた目で周囲を見渡すに、
ジャックの部下は、まるで”ジャック”を見るように怯えた様子だった。
粘液を浴びせかけて人を燃やし、微笑むに、誰かが呟く。
「イかれてやがる・・・!」
「べへへへへッ!笑えるな。今更だろうに。
狂っていない海賊などいるものか!」
「身に覚えがあるだろうが」と呟くが剣を薙いだ。
※
「チ、キツネ野郎どもが、」
ジャックは忌々しいと言わんばかりに舌打ちする。
もドフラミンゴも力で押し切るというよりは、
策を弄して勝ちを掴むタイプの人間たちである。
そして、悪魔の実の能力者としては新世界の中でも熟練だ。
不完全な悪魔の実”SMILE”の能力者達はとても太刀打ちできないだろう。
そもそも、その性質を熟知している相手である。
数で分があっても中々倒せる連中ではない。
戦況が不利と悟ったジャックは次の一手を打った。
船の上で、毒を撒いたのである。
すぐに周囲の部下からマスクを奪い取ったとドフラミンゴだが、
完全に無傷とは行かなかった。
特には、霞む目の中で集中的な攻撃を受ける。
「・・・ッ!」
攻撃を捌ききれず、が膝をついた。
その隙を見逃すジャックではなかった。
獣人と化し、をマンモスの鼻で殴ろうとする。
そこに躍り出る影があった。
は目を瞬いた。
痛みもなく、衝撃もなく、それは一瞬の出来事だったのだ。
「ドフィ!」
強かに吹き飛ばされ、マストに叩きつけられたドフラミンゴの額に血が流れる、
その腹には刀が突き刺さっていた。
ジャックの部下の剣である。
ドフラミンゴはを庇い、避けられたはずの剣も打撃も避け損ねたのだ。
血を吐くドフラミンゴに、は目を見開いていた。
にとってそれは、”妄想”の中で、いくらでも見た光景である。
ルフィに殴られ、ローに切られ、
ドフラミンゴは築いた全てを失い、インペルダウンに送られる。
そういう運命だった。
虚勢を張るように、つる中将に笑って見せたその顔さえもありありと思い出せるほどだ。
だが、今はどうだろう、その唇は苦痛に歪んでいる。
ジャックがドフラミンゴに何か言っているが、耳に入ってこない。
苦しめて殺そうとしているのだけは、理解できた。
その時、なぜだかは昔のことを思い出して居た。
奴隷の烙印を自ら焼いた日には”トレーボル”になった。
は運命に抗うことをしなかった。
どこまでいっても、人は運命の奴隷のままなのだと思っていた。
しかし、ドフラミンゴはたやすく運命を変えてしまった。
誰も先行きの知らない未来へ、の手を引いて、ドフラミンゴは運命から逃れた。
それ故に終わり方は誰も知らない。
今ここで、終わってもおかしくはないのだと、は初めて恐怖を覚えた。
そして、震えるほどの怒りも。
「、よくも」
は自身の唇から言葉が出ていることに気付いては居なかった。
「私の王を、よくも・・・!」
の足元から、粘液が濁流のように迸った。
足元から這い上がるように粘液がジャックの体を覆う。
ジャックは驚愕を滲ませ、振り返ろうとした。
しかし、粘液はまるで虫を閉じ込める琥珀のように、ジャックの動きを止めていた。
ごぼ、と粘液の中で溺れるジャックに、はさらに粘液を叩きつける。
おもちゃ工場で、船をも持ち上げたほどの力で。
「”メテオーラ”!!!」
吹き飛ばされるジャックに向けて、は銃撃して見せた。
可燃性の粘液が瞬く間に爆発して風を生む。
「・・・花火は好きなんだが、もう少し趣が欲しいねぇ」
ドフラミンゴですら唖然とを眺めて居た。
一瞬のうちに、鮮やかに、はジャックを退けて見せたのだ。
「あの男が魚人だと言うことは知れている。
多少”焼き魚”にでもなりはしただろうが海底でも生きているだろうなァ、
ねぇ、引き上げに向かうんだろう、お前たち」
は笑っている。
誰より残酷に。誰よりも高慢に。
「・・・私がそれを許すと思うか?」
その声は底冷えするほどに冷たく、
しかしサングラスで隠されているはずの目は
怒りによって火のように煌々と燃えていた。
ドフラミンゴに向ける、その声すら苛立ちにささくれだっていた。
「馬鹿者が。王が部下のために、
身を呈するなど、あってはならない」
ドフラミンゴは無理に口の端をあげて見せる。
「・・・フフフフフッ、手厳しいなァ、
そもそも、今のお前を、おれは部下と思ってはいない」
「ほう? ではなんだ? 奴隷か? おもちゃか?」
皮肉に笑いながらも、ドフラミンゴにジャックの部下を近寄らせず、
杖を振るうを、ドフラミンゴは眩しいものでも見るように眺めた。
「伴侶さ」
血を浴び、誰かを斬り伏せる姿が、ドフラミンゴには何より美しいものに見える。
30年近く魔法にかけられているようだ。
はまだ、その頭上に冠を被っているようだった。
何年も前に、ドフラミンゴに譲り渡したその王冠を。
「生涯側に置くと決めた。それ以外に何と呼べばいい?」
振り返り、ドフラミンゴを見下ろすその目は、サングラスが隠している。
引き結ばれた唇が、やがて開いた。
「ふ、」
「ククッ」
「べへへへへへへへッ!」
は腹を抱えて笑っている。
ドフラミンゴも、ジャックの部下たちも訝しげにを見て居た。
は笑い終えると息を整えながら、小さく呟いた。
「・・・良いだろう」
掌から粘液が滴る。意志を持つようにジャックの部下たちを覆い、
はマッチを擦った。
「知っての通り、私のベタベタはねぇ。可燃性なんだよ」
船が燃えるのもかまわずは派手に粘液を爆発させた。
逃げ惑い、また立ち向かってくる人間を殺しながら、
陶酔するようには微笑む。
「ああ・・・私は火によって生まれた」
は自らの火傷のある位置に手を這わせた。
「だから私は火によって死ぬのだ」
そこには諦観と自嘲が見て取れる。
「思えば隠居など、全く私にはふさわしくなかったな、
安穏と生きることなど、私にはできなかったのだねぇ、今、思い知ったとも」
それから敵を挑発するように、は続ける。
「踊っておくれ、お前たち、火の中で。
歌っておくれ、お前たち、泣き叫ぶように。
今日は私の生まれた日なのだ!
鉛玉と剣戟、悲鳴で音楽を奏でておくれ! 私は、」
そして高らかに、名乗り上げた。
「私は””。ドンキホーテ・ファミリーの、海賊だ」
※
は自らに問いかける。
現状が不満か?
先行きのわからない世界は不安か?
向けられる、”愛”とも”憎悪”とも似た”情”が恐ろしいか?
不思議と答えは否だった。
傷ついた男に狼狽えるなど、らしくはない。
だが悪くはない気分だった。
肩の荷が下りたような、そんな気分だった。
我々の歩みを邪魔するものは全て焼いてしまおう。
切り捨てて、打ち捨ててゆこう。
誰も我々を止めることなどできない。
誰も我々を縛ることなど。
誰も起き上がる者がいなくなって、は膝を着いた。
殺戮によって興奮していた体が疲労を思い出したようだった。
格好は酷い有様だった。血にまみれ、煤に汚れていた。
靴のヒールはいつだか折れて、脱ぎ捨てて裸足だ。
服はあちこちが破れ、傷だらけで、見苦しいものになっているはずだった。
ここまでが疲弊したのは、10代、20代の頃以来だ。
は杖にしがみ付くようにして、落ちてくる髪の中に表情を隠した。
サングラスのつるの部分が壊れたのか、うつむいた拍子に落ちて割れてしまった。
その様を、ドフラミンゴは片膝を立てて眺めている。
「・・・見事だった」
声には称賛と陶酔が見て取れる。
は声をあげて笑った。
「クク、この有様を見て、それを言うのか! べへへへへ!
お前は狂っている。——この私と同じように!」
髪の隙間から尖った目が覗いた。
氷のようだった眼差しは煌々と燃えている。
「だが、気狂いだと罵られようとも、策謀と略奪こそが我が人生。
・・・お前も道連れだ、ドフラミンゴ」
ドフラミンゴは息を飲んだ。
は未だかつて、見たことのない顔をしていた。
何かがの中で変わったのだと、ドフラミンゴは気づいていた。
「ありとあらゆる悪徳の限りを尽くし、共に歩もう、地獄まで」
望んでいた形ではないが、これも”自由”だ。
は笑い、立ち上がり、ドフラミンゴへと手を差し伸べる。
ドフラミンゴは迷いなくその手を取った。
互いに血みどろで疲れ切っていたが、
ルクリスのその手はいつかと同じ、温かな手のひらだった。
しかし、ドフラミンゴの手はいつかよりも逞しく、
の眼差しには熱がある。
ドフラミンゴは笑い返した。
常の貼り付けたようなものではなく、かすかに口角だけを上げて、
を見ていた。
それだけで満足だったのだ。
今は、まだ。