Birth
流石に、ジャックとの戦闘は百戦錬磨の海賊である2人をも疲弊させた。
ドフラミンゴは応急処置はしたものの、医師による治療が必要だったし、
は目立った外傷はないが、とにかく疲れ果てていた。
幸いにして次の島まではそう遠くなかった。二日程度で到着できるだろう。
誰もいなくなったジャックの船から積み荷を奪う事さえ億劫で、
夜を待たず錨を下ろし、2人は甲板で泥のように眠った。
先に目が覚めたのはドフラミンゴの方だった。
の方が疲労が大きかったのだろう。
何しろ文字通り、敵を皆殺しにしたのだ。
昔はともかく、今は前線に立つことも少なくなっていたのだから、当然といえば当然である。
ドフラミンゴはしゃがみこんでの眠る様を眺めた。
サングラスも壊れてしまった。
まさかこんな風に、素顔を露わにしたまま眠る無防備な顔を、見る日が来るとは思わなかった。
寝姿を晒すようなことを、は家族が相手でも絶対にしなかったからだ。
きっと髪一筋でも触れればたちまち目を覚ますだろう。
今、ドフラミンゴが眺めていると言うのに起きないのが不思議な位だ。
の髪が一房、頰にかかった。
ドフラミンゴはそれに手を伸ばしかけて、止めた。
それから立ち上がる。
ジャックの船から積み荷を奪い、次の島まで向うのだ。
そのうちも目を覚ます。
ボロボロになった船は乗り捨てればいい。
そう考えた後、ドフラミンゴは右手を眺め、静かに息をついた。
ドフラミンゴにとって、この逃亡生活は概ね愉快ではあったが、
しかし、いつまでも忍耐を強いられる点については、苦痛でもあったのだ。
※
目を覚ましたと共に次の島へとたどり着いたドフラミンゴは、
医院で治療を受けていた。
は今頃造船所で比較的小さな船を買う算段をとりつけているだろう。
ドフラミンゴの傷は医師の見立てによると、すぐに回復するとのことだった。
傷が残ってもそう目立つものでもないらしい。
それを聞いて、ドフラミンゴは少々の安堵を覚えて、
いつから傷の有無をこだわるようになったのかを思い出していた。
『王たるもの膝をつくな。むやみに血を流すな』
そう言って、他ならぬが、
ドフラミンゴに傷がつかぬよう注意を払っていたからだろう。
そして、先日の大立ち回りに意識を寄せた。
あの圧倒的な暴力。炎。剣さばき。
磨き上げられた悪魔の実の能力が作り出す殺戮。
怒るは美しかった。
それも、ドフラミンゴが害されて、は怒ったのだ。
正直ドフラミンゴにとっても意外なことではあった。
湧き上がる小さな喜びに、ドフラミンゴは微かに笑みを深めたが、
しかし、の真意を読み解こうとすると、その笑みは剥がれ落ちる。
の過去を知らなかった内は、ドフラミンゴに流れる”古い血”に
敬意のようなものがあるのだろうかと思っていた。
だが、は天竜人に恨みしか持っていなかった。
ドフラミンゴはの火傷、その位置をまだ覚えている。
14歳の身の程知らずの子供に肌を許したは、あの日何を思っていたのだろう。
悍ましい凌辱の記憶を堪えて居たのだとしたら、気づかなかった自分自身を殺してやりたくなった。
今なら・・・。
ドフラミンゴはそこで思考を断ち切った。
許されない限り触れることは出来ないのだ。
※
仮宿に戻ると、はすでにその部屋に戻っていた。
「船は適当なものを見繕っておいた」
「フフフッ、ありがとよ」
はサングラスを外したままである。
「・・・珍しいな、作り直せば良かっただろ」
目元を叩いて見せるドフラミンゴに、
は「ああ、」とどこか上の空の返事を寄越した。
「必要かなァ、やはり。
私の目つきが気に入らないと言う人間が、昔は多かった」
それがどう言う連中かは大体想像がついた。
ドフラミンゴは黙ってを見つめている。
「生まれついての形もあるのだろうが、
感情が目に出やすいんだろうねぇ。
口ではどんなに取り繕えても
軽蔑や、怒りが、この目を通して伝わるものらしい。
・・・なァ、ドフラミンゴ」
はドフラミンゴを見ていた。
「お前は私を”伴侶”だと言った。
だが、私の出生はお前の価値観からしてみれば、唾棄すべきものではないのかな?」
たまらずにドフラミンゴのこめかみに、青筋が浮いた。
の言いそうなことはよく分かっていた。
『私は天竜人の玩具だった。奴隷だった。だからお前に私は相応しくない。諦めろ』
体の良い方便だ。
ドフラミンゴに差別意識と選民思考が根付いていると知っているならそう言うだろう。
残念だがもう試している。
何度もそれらのフィルターをかけたところで、が欲しいことには変わらなかった。
そして、何より。
「私は奴隷だった、故に、」
「だったら、その奴隷の心一つ手に入らないおれは何だ!?」
ドフラミンゴはの言葉を遮り、怒鳴りつけた。
瞬いたに、ドフラミンゴは繕うように口角を上げる。
しかし怒りは収まらないようだった。
「ああ、おれは、おれを、よく理解してるよ。
おれは今まで筋金入りの悪党だった!
能力を研鑽し、闇取引に精通し、国すらも略奪した!
七武海として、ジョーカーとして、国王として、権力を握った!
そのために邪魔だった人間は肉親だろうが何だろうが殺した!
・・・だから何だって言うんだ!?」
手のひらで目を覆い、呟く。
「――お前はおれを見やしない」
「・・・そこまで言うなら、何故、お前は私に何も言わなかった?」
は静かに問いかける。
ドフラミンゴは暫く黙り込んだ後、諦めたように零した。
「嫌われたくなかった」
「・・・!?」
は呆然としている。
一度口から出た言葉がドフラミンゴの頭の中でガンガンと反響している。
そうとも、それだけだった。子供染みた恐怖がまだ残っているのだ。
ドフラミンゴは開き直るように顔を上げた。
「見損なわれるのも、見限られるのも、見捨てられるのも嫌だったんだ。
フフフフフッ!・・・幻滅したか、」
「ドフィ・・・?」
ドフラミンゴの口調には自嘲と自己嫌悪が色濃く見える。
「・・・このおれが、犬みてェによだれ垂らして、
出るはずもないお前の許しを待ってるんだぜ、笑えるだろう?」
しかし、の顔には戸惑いと疑念しか浮かんではいない。
は唇を戦慄かせていた。
「なぜ、そこまで・・・?
不毛にも程があるだろう。
お前とて、私がどういう女だか分からないはずが無いと言うのに」
の眉が寄せられたのを見て、ドフラミンゴは小さく笑う。
「分かっていたさ。30年近くずっと、お前を見ていた。
叶わないことはよく承知していた。
だから、お前の妄想を打ち砕いた日に決めたんだよ。
。おれはお前を逃がさないし、離さない」
「・・・無意味だ。ドフィ、私は、まともな愛情とやらを注がれたことが無い。
憎悪と狂気、妄想だけが私の全てだった。
ドフィ、そんな女に、お前は何を求めているんだ」
「全てを」
狂っている自覚があった。
正直に言ってしまえば、それがどれほどの価値なのか、
そもそも価値あるものなのかすら、わからないのだが。
「一言言えば、お前は容易く身体を開いただろうが、
絶対に心を開きはしなかっただろう。
おれはお前の心も欲しい」
随分と長い間、胸の内を巣食っていた望みだった。
「・・・おれを愛してくれ。。
その為なら、おれは何も惜しまない」
は額に手を当てていた。
眉は苦悶に歪み、
「・・・愚か者め」
その声は震えている。
「それで30年もの間、私の意向を汲んだと言うのか」
「そうだ。まァ、お前の意思は概ねおれと同じようなものだったから、
さほど苦ではなかったし、趣味嗜好も似ていたからなァ、
『ヴィオラを慰めろ』と言われた時位だ。堪えたのは」
「あの娘こそ愛するに値する女だろうに」
「――理屈じゃねェんだよ。分かれ」
利用価値や打算、思惑など、狂人には何の意味もない。
とてよく知っていることだろう。
は硬く目を瞑り、暫く何か考えていたと思えば、
緩やかに椅子から立ち上がった。
「・・・お前がそこまで言うのなら、ドフィ。
努力してみよう。私も」
はドフラミンゴに歩み寄る。
「お前の破滅だけを祈っていたのなら、私はお前から距離を取っただろう。
私はお前が可愛かった。お前が戦いに身を投じる姿が好きだった」
ドフラミンゴは息を飲んだ。
の手が、いとも簡単に、ドフラミンゴの頬を撫でた。
「教えておくれ、ドフィ。
私はお前を・・・どう、愛せばいい?」
なんて女だ。
ドフラミンゴは密やかに歯を食いしばった。
一言だ。たったの一言で、腑抜けにさせられてしまう。
ドフラミンゴは直感していた。
一生をかけても、に敵わないはずだ。
そうでなければこんなにも、幸福で、情けなく赤面しているはずがない。
思えばドフラミンゴに、触れることさえ躊躇わせるような女だった。
「ドフィ?」
突然黙り込んだドフラミンゴに首を傾げる、の手を引いた。
きっと優しく触れるべきなのだと知っている。
歓喜に打ち震え、逸る感情を必死に宥めながら、ドフラミンゴはの前髪を払う。
鋭い眼差しが、今は何故だか和らいで見えた。
「教えてやる。いいか? 」
は少し不安げに眉を潜めたが頷く。
ドフラミンゴはそれに緩く首を横に振った。
「嫌ならいいんだぞ、まだ待てる」
「そうじゃない・・・少し、不安なだけだ。何しろ誰かに肌を見せなくなって久しい」
「フフ、そりゃそうだな。お前に男が出来ねぇように、
おれがどれだけ気を配ったと思う?」
ドフラミンゴの言葉に、は苦笑する。
「・・・私がお前の限界に付き合えるとは思えないんだがな」
そこに嫌悪は見えない。
ドフラミンゴはの後頭部に手を這わせ、唇を合わせた。
※
は激しい快楽の渦に叩き込まれる最中、思い出していた。
かつてドフラミンゴはの手管に翻弄されていた。
その時、ドフラミンゴはまだ若かったのだ。
子供が大人になる最中のことで、声を上擦らせ、
夢中での背に手を回して喘いでいた。
肌を合わせるのはその一度きりだと思っていたのに、
30年近く時を経て、また褥を共にする羽目になろうとは。
しかし、時間と言うものは平等に流れ、人間に変化を与えるものだと
は揺さぶられるたび、悲鳴じみた嬌声が喉を滑り出るのを他人事のように思いながら、
未だ残る冷静な思考の隅で考えていた。
考えれば考えるほど酷い状況だ。
子供のころから育て上げた男に、まるで貪られる様に抱かれている。
最初は優しく触れられていた。宥めるように、慰めるように。
それが、段々と理性が剥がれ落ちる様に激しくなり、
がドフラミンゴを全て受け入れると、箍が外れた様だった。
「・・・っ、ドフィ、まって、まってくれ、ぁ、あっ」
「、悪いな、まてねぇ」
両者の声には余白が無かった。
汗が落ちる。指先が絡んだ。
もう子供の手ではない。節くれて、の手を容易く包み込めるだろう。
互いの指を組んだ手に力を込めるとひっきりなしにかき混ぜられる。
肉がぶつかる度、身をよじって耐えた。
息を吐いて、いまだかつて味わったことのない、深い快楽に溺れる。
にとってセックスは苦痛の運動だった。欲望の排泄だった。
だから知らなかったのだ、こんな風に、甘やかされ、丁寧に解す様に相手を受け入れ、
皮膚と粘膜を分かち合う様な激しい方法を。
その上ドフラミンゴは歯の浮くような、それでいて呆れるほど拙い台詞を並べ立てた。
可愛い。好きだ。綺麗だ。愛している。
その度は喘ぎ、眉を顰め、終いには打ち震えて泣き出した。
聞いていられない。情け無いほど上ずった懇願がの喉を滑りでた。
「や、止めてくれ、ドフィ。恥ずかしい」
ドフラミンゴの眉間に深く皺が刻まれた。
「お前は、本当に・・・」
その声には様々な感情が滲んでいた。
「っえ?!あっ・・・?!」
背中に手が回った。きつく抱きしめられていた。
隙間が埋まる。ぐずぐずに溶けた中を深くまで抉られる。
の目の前で星が飛んだ気がした。
「ぁ、あっ・・・!、うぅっ・・・!」
――イかされる。
はその予感に唇を噛んだ。
下腹に熱が溜まっていく。
ガラスのコップの縁で、ぎりぎり表面張力で零れずに保っている、水面を思い返していた。
背筋を甘い痺れが撫でて行く。二の腕に鳥肌が立っていた。もう、一押しで溢れてしまう。
ふと、幼い頃のドフラミンゴの顔がルクリスの脳裏をよぎった。
が欲しいと言って、緊張に身体を強ばらせながらも、
貪欲に触れたがった14の少年の顔だ。
少し上体を起こして、ドフラミンゴはルクリスを見た。
も朦朧とする意識の中ドフラミンゴを見返した。
ドフラミンゴは汗を流し、その唇に笑みを浮かべると、
果実にかじり付く様に唇を合わせた。
ああ、比べ物にならない。
腰を掴んでいたドフラミンゴの手に力が入った。
の目が大きく見開かれる。
白いペンキがぶちまけられる。ガラスが割れる、透明な水が溢れてこぼれる。
断片的なイメージが砕けて行った。
喉からは弱り切った声が零れ、足の指がまっすぐ伸びた。
「あぁ、ドフィ、もうーー」
そこから暫くしないうちに、ドフラミンゴが息を飲んで、深いため息を吐く。
しばらくそのまま互いの息遣いだけを聴いていた。
獣の息遣いだった。深く注がれてしまった。
は半ば呆然自失の境地に居ながらそれだけは理解していた。
目を瞑り、息を整えている最中に汗が落ちて来たのか、冷たさに少し眉を顰めた。
年甲斐の無い交わりだったことは自覚している。随分切実に求めてくれたものだ。
何か声をかけるべきかとドフラミンゴに目を向ける。
しかしは言葉を失った。
絞り出す様に、その名前を呼べたのが不思議な位だった。
「ドフィ・・・?」
「・・・おれが、お前を、何度諦めたと思う?
おれが、どれだけ、」
唇は弧を描いている。
しかしその目は潤み、こぼれ落ちた水滴が頬に一筋、二筋と線を描いていた。
「14の頃のおれに、教えてやりたいもんだな、フフッ、フッフッフッフ!」
笑いながら抱き締められる。
されるがままになったの頭上で、小さな声がする。
「今なら死んでもいい」
「・・・何を、馬鹿なことを」
は深く息を吐いた。
「お前、おれがいい年で良かったな。若かったら殺してた」
「あのねぇ、まさか半世紀近く生きて来て、
こんな年甲斐も無く求められるとは思ってなかったんだよ。
お前もよくこんな年増相手に・・・」
「フフフ、言ったろう。お前は幾つでも綺麗で可愛い」
の髪に唇を寄せ、ドフラミンゴは囁いた。
「聞き足りねぇなら、何回でも聞かせてやるよ」
「・・・いや、無理だ、今日は」
「」
は胡乱気な顔をしてドフラミンゴに向き直る。
ドフラミンゴはの目を見ていた。
「・・・仕方のない男だよ、お前は」
※
は億劫そうに身体を起こした。
乱れた髪が素肌をなぞるのをドフラミンゴは静かに目で追った。
30年自制出来たと言うのに、いや、自制出来たからこそなのかもしれない。
まだ身体の内を熱が燻っている。
結局この日、ドフラミンゴは意識の続く限り、ずっと幸福と恍惚に溺れていた。
あのが、ドフラミンゴを愛そうと努め、ドフラミンゴを見て、感じていた。
囁かれる言葉に恥じらい、触れるたびに身をよじり、汗と涙を流し、声をあげ、頬を染めていた。
ドフラミンゴの責めに屈服して、極まる最中に名前を呼ばれた。
その弱り切った声をずっと聞いていたかった。
全てを注ぎ切っても足りないと思った。
終わらせたくなかったのだ。
ドフラミンゴは笑う。
これこそが、一生に一度の夜だった。