哀れ? 彼女は娼婦 03

ドンキホーテ・ロシナンテは譲らない


その少女は兄に手を引かれてこの拠点へやって来た。

白いパンプスに薄い水色のワンピース。黒髪に紫色の大きな瞳。
仕草には良家のお嬢様のような気品をも漂わせている。
見るからに儚気で脆弱な少女だった。ここに居るのが場違いだと思う程に。

だからロシナンテはドフラミンゴがその少女を
ドンキホーテファミリーに引き入れると聞いて、改めて兄の正気を疑ったものである。

今までファミリーに入りたいと尋ねて来た子供は居る。彼らは悪ガキだった。
幹部の推薦を受けた子供も居る。彼らはかなり強力な悪魔の実の能力者だった。
しかし、ドフラミンゴが自ら連れて来たのは誰も居ない。

話を聞けば、娼館で働いていた少女を身請けしたのだと言う。勿論戦闘能力なんて無いと。
何でも無いことのように言うドフラミンゴに幹部達は思わず少女を見つめた。
可愛らしく小首を傾げる少女はと名乗った。確かに美しい少女である。

幼い子供が客を取っていたと聞いて、人知れずロシナンテの心は痛んだ。
思わず眉が下がって首を振る。
ここでは子供嫌いだと通しているのだ。
心を鬼にしてロシナンテは少女、に近づいた。
はロシナンテを見上げるとその紫色の瞳を丸くする。

「まぁ、ドフィに良く似ていらっしゃるわ。お名前をお伺いしても、よろしいかしら?」
「・・・」

声を発しないロシナンテには大きく瞬きしてみせた。
ドフラミンゴがそれをフォローするように言う。

「あァ。こいつはドンキホーテ・ロシナンテ。
 幹部で、コラソンというコードネームで動いている。
 おれの実の弟だ。声がでないから専ら筆談で意思疎通を計っているが、
 、お前読唇ができるんだったか?」
「ええ、仕事の一環で覚えました」
「ならコラソンにしてみりゃ、
 他の連中よりは話しやすいだろうな・・・、おい、コラソン!?」

ドフラミンゴが反応するよりも早く、はロシナンテに勢い良く頬を打たれていた。
地面に倒れ臥したは、その繊細な見た目も相まってどうにも哀れだったが、
ロシナンテは黙ってそのままを見つめていた。

不幸な身の上の少女だ。
海賊、ドンキホーテファミリーに馴染むより、幸福な人生があるはずなのだ。
できれば立ち去って欲しい、と手の平を硬く握る。

は頬を抑えながらゆっくりと立ち上がった。
意外にも涙一つ見せず、その大きな瞳でロシナンテを見上げた。
と思えば、眉を下げて、ロシナンテの硬く握られていた拳をその手で包んでみせる。
小さな手だった。
驚いてしばらく硬直していると、は悲し気な声を出した。

「哀れな方ね」

ロシナンテは目を見張る。

「女子供を殴って興奮する殿方は、そう珍しいわけでも無いから安心して良いのですよ」

ロシナンテは自分が一体誰に何を言われたのか理解出来ず、呆然としてしまった。
ドフラミンゴも同様に口をぽかんと開けていたが、次の瞬間腹を抱えて大笑いしていた。
いつでも笑みを浮かべているドフラミンゴだが、涙まで流して笑うのは珍しい。

「フフッ、フフフッ!笑わせるな、!フフフフフッ!
 おい、訂正しなくていいのか、コラソン!」

楽しそうなドフラミンゴの忠告に、ハッ、としてロシナンテはその小さな手を振り払い、
殴り書くようにペンを走らせる。

『ちがう!』
「そうなのですか?
 自身より力の弱い生き物を暴力で屈服させ、
 征服する欲望というのは誰しもに備わっているものですし・・・」

あまりの言い草にロシナンテは揶揄われているのだと思った。
しかし少女の目を見て気がついたのだ。
は本気で言っている。
いつのまにか、空気がしっとりと水気を孕んだように重い。
思わず唇が動いていた。

「”お前みたいな子供と寝るクズと、一緒にするな・・・!”」
「・・・私を哀れんでいらっしゃるの?」

は微笑んでいた。
おおよそ13の小娘とは思えない程の、色艶を含んだ笑みだった。

「私、好きで娼館で働いていましたから、そんな風に思って頂かなくても良いのですよ。
 お気持ちだけで充分です」

思わず首を振っていた。はますます笑みを深める。
幹部達もその不穏な威圧感に気がついていた。
子供ながらその空気が理解できたのか、バッファローなど、
ベビー5の耳をいち早く塞いでいる。

「そんなはず無いと?思い込まされているだけに違いない?
 でも、私、娼館に来る前からこのような質ですし、
 ・・・なんならお試しになりますか?」

その声色のあまりの艶やかさに、ロシナンテははっきりと後ずさりしていた。
ゾッとする。紫色の瞳の奥で、狂気と官能が渦巻いている。

「おいおい、さっきファミリーには手を出すなと約束しただろう?」

ドフラミンゴの声に空気がさっと軽くなった。
の視線が自分から外れて、ドフラミンゴに向けられた時、
ロシナンテは自分が呼吸を忘れていたことに気がついた。
衣服の下で冷や汗がだらだらと流れている。

「私のような子供が身を売るのをコラソンは哀れんでくださったようなのです。
 その必要は無いのだと言いたかったのですが・・・」
「フフ、そうか、そうだったなァ、お前は子供か。
 すっかり忘れていたが、確かに13はまだガキだな」

ドフラミンゴのその声色と口ぶりに誰かが息を飲んだ。

その意味に気がついて、ロシナンテはせり上がる吐き気を感じていた。
喉の奥から堪え難い酷いむかつきが止まらない。
ドフラミンゴは皆の驚愕を気にも止めず、の紹介を続けた。

「口ぶりから察しただろう?
 は生まれついての色狂い、他人の欲望を引き出す才は病的。
 戦闘なんかにゃ参加させられねえが、この毒は使える」

悪し様に言われているにも拘らず、に傷ついている様子はない。
それどころかドフラミンゴがの頭を軽く撫でると
はにかむように微笑んでみせる。

「・・・このおれがにドンキホーテの席を与えるんだ。
 足手まといにはしないし、ならないだろう。
 お前らもをその辺のガキと思って油断するな。
 なァ、コラソン?」

ドフラミンゴは笑ってはいるものの、明らかにロシナンテに対して牽制していた。
血のつながった実の弟だと言うだけあって、
その振る舞いは大目に見られている部分があったように思うが、
今回はそうもいかないらしい。
青ざめたロシナンテはノートに震える手で『わかった』と書き記した。

「フフフッ、分かれば良いんだ。
 おれたちはファミリー、家族なんだから。
 話し合うべきところは話し合うべきだ。そうだろう?」

ロシナンテの返事に概ね満足した様子で、
ドフラミンゴはの背中を押して拠点へと足を踏み入れた。

その後ろ姿は一見、妹の世話を焼く年の離れた兄にも、
娘をエスコートする若い父親にも見えたが、その手つきには甘さが伺える。
もう誰もが理解していた。

はドフラミンゴの情婦だ。

何と無く後味の悪い空気を残したまま、幹部たちが散り散りになる。
ロシナンテは叫びだしたい気分を抱えたまま、
いつもより早足で自室に戻り、
気がつけば堪えきれずに便器へ胃の中身を全て戻していた。

狂っていた。何もかもが。
兄も、あの少女も。全てが。
過去に父親の首を掻き切った兄を見た後のような心地だった。

いつの間にかロシナンテの瞳から涙が流れ落ちている。
沸々とわき上がる感情に任せて握られた拳が、その爪で傷ついて血を流していた。

「おれは止めて見せる。あの狂気を、絶対に」

ロシナンテはその日からを殴ることはなかった。
は、誰にとっても子供ではなかったからだ。

ドンキホーテ・ロシナンテは揺るがない


燃え盛る炎の中、男の断末魔が響いていた。
白いワンピースに青い羽飾りの着いたガウンを羽織る
まるで音楽に聞き入るように目をとじ、耳を澄ましている。

燃え盛るのは敵対していたマフィアのアジト。断末魔の声はマフィアのボスのものだ。

ファミリーの連中が金や武器を略奪する指示をしているが、どこか半信半疑というかぎこちなかった。
何しろ自分から火のついたアジトに女共々飛び込んでいった男は、義理人情に厚く、
麻薬は決して許さない。
”筋の通らない”ことは絶対にしないと言われていた男だったからだ。

それがどうだろう。
がその男の横に侍って3ヶ月もしないうちに、男はみるみる壊れていった。
最初は息抜き程度だったギャンブル。それが男の嫌う麻薬のような作用を持ち始め、
次第に男は賭け事に、女に、贅沢に、暴力に溺れた。

終いにはあれほど男を慕っていた部下がドフラミンゴの足元に額を擦り付け、
頼むからあの男の暴虐を止めてくれ、あの男を殺してくれと懇願するまで水の底に沈んでいたのだ。

ドフラミンゴは頼まれたからには仕方ない、と渋々の体を装ってその腰を上げたが、
実際には笑いが止まらなかったに違いない。
金品、銃火器、それにその広大な縄張り、
それがそのままドフラミンゴの懐に転がり込んでくるのだ。
一人を送り込んだだけで。

ドフラミンゴが上機嫌にの頭を柔らかく撫でると、
紫色の瞳がゆっくりと嬉しそうにほどけた。

「フフフッ!最初の仕事にしちゃあ、良く出来たな、
 上手くいき過ぎているくらいだ!
 あの男、セニョールにも一目置かれていた、仁義に厚い男だったはずだ。
 どうやってギャンブル狂いの色狂いに誑し込んだんだ?」

はドフラミンゴを見上げ無邪気に笑みを作る。
その手首に青あざを見つけて、ロシナンテは眉を顰めた。
ドフラミンゴもの手首を見とめて、
同じような表情をしていたが、2人とも何も言わなかったせいか、
は2人の表情の変化には気づかなかったらしい。

「あの方、とても真面目でした。だれにも弱みを見せずに、
 ずうっと”理想のボス”の仮面を被っていらっしゃった。
 抑圧されれば欲望と言うものは、知らず知らずのうち、
 心臓の一番奥の柔らかな部分に種をまくものです。
 私はそれを、すこし手入れしただけですわ」

「まったく幼いのに大した毒婦だ。おかげでおれたちは儲かるわけだがな」
「ベヘヘ、ドフィの慧眼のなせる技だ。しかし今のナリでこの成果
 ・・・成人したらどんな悪女になることやら」

そんな感想を漏らすディアマンテとトレーボルに、ロシナンテは歯がみしていた。
がこのまま大人になってしまえば、おそらくはおぞましい怪物になるのだろう。

見た目だけは良く出来た人形のように可愛らしいのが、
ますますその異形を際立たせているようで、
ロシナンテは正直に近づくことに苦痛を覚えていた。

どうすることも出来ないのだ。は決して自分を”不幸”だとは思っていない。
それどころかは積極的にその淫虐を楽しんでいる。

は小首を不思議そうに傾げてみせた。

「皆様私を悪女とか、毒婦とか、そんな風におっしゃいますけれど、
 私はそんなにいけないことをしたのかしら?」

ああ、まただ。
ロシナンテはこんどこそはっきりと不快感を表情に出していたに違いない。
この悪寒。から迸るのは覇気ではない。
それでも身体は強ばってしまう。
の狂気に。

は独り言のように続けて言った。

「誰しもがその心の内側に仕舞いこんでいる欲望を引き出してあげただけなのに。
 それってそんなに悪いことなのかしら。
 だって皆様ごらんになった?
 血にまみれながら泣き叫ぶ女の腰を抱き、ルーレットの会場まで行こうとしたあの方。
 その息の根が止まる瞬間まで欲望にとりつかれていらっしゃった・・・」

頬に手を当てて呟かれた言葉にロシナンテはきびすを返していた。
ディアマンテもトレーボルも、ドフラミンゴでさえそれを咎めない。
あるいは彼らも、同じ怖気を感じていたのかもしれない。

「命が終わるまで、とても気持ち良さそうでしたよ?」

は無自覚の怪物だ。化け物なのだ。
だから同じ化け物に恋をするに違いない。

ロシナンテは苛立ちに任せて煙草を踏みにじった。
何も出来ない。救う道を示すこともできない自分自身も同じように
踏みにじってしまいたかった。

ドンキホーテ・ロシナンテは分からない


「コラソン、肩が燃えているわ。お水をかけるからしゃがんでちょうだい」

また気づかずに、タバコの火でコートを燃やしていたのだろう。
バケツを持ったがロシナンテに声をかけた。
大人しくロシナンテは身を屈め、に水をかけられる。
小さな手の平で燻っていた羽を払うとは離れた。

その任務の特性から、あまりアジトに居着かないだが、
アジトに居る時は必ずドフラミンゴの部屋から寝起きしているようで、
の、役目を果たさない寝室はドフラミンゴの部屋のすぐ側にある。

ロシナンテの部屋にも近いのですれ違うこともままあるが、
は意外にも声をかけて来たりはしなかった。
感情の機微に敏感なのだろうか、ロシナンテがを苦手としていることに、
は気づいているのかもしれない。
しかし今日のようにドジを踏んだ日は別である。

はドジの後始末をしたロシナンテから少しだけ距離を取ったが、
なにかを確かめるようにその顔を見つめていた。
いつもはこんなに不躾に見つめるようなことはしないので
ロシナンテが首を傾げると、が呟いた。

「コラソンは、あまりドフィには似ていらっしゃらないのね。
 お顔立ちは良く似ているのに」

ロシナンテはサングラスの奥で目を瞬かせた。
唇をぱくぱくと動かす。
念のためカームをかけるのを忘れずに。

「”どういう意味だ”」
「内面についての話です。・・・コラソン、あなた辛くはない?」
「”何が”」
「私、海賊になってみて思うのです。
 好き好んでこの道を行く方は、
 皆様どこかまともで居られないようなところがあると」

は廊下の窓の外の景色よりも遠くを見ていた。
紫色の瞳に影が落ちる。

「コラソン。あなたは”まとも”だわ。
 私のようなものを哀れんでくださった。
 私の異常を知ってからは、私にきちんと嫌悪感を持っていらっしゃる。
 他の方々は、このファミリーに貢献するなら構わないと割り切っていらっしゃるのに」
「・・・」

ロシナンテは、が最初は自身の異常を厭わしく思って居たのかもしれないと、
そのとき初めて気がついた。
今では自分から狂気へと身を窶しているのだから、
同情するのもおかしいと思うが、とロシナンテは内心で吐き捨てる。

「”お前は狂っている。兄とお似合いだ”」

気づけばそんな言葉を唇が形作っていた。
は笑う。

「まぁ、それは嬉しいわ。ありがとう。
 でも、それじゃあドフィを悪く言ってるように聞こえるわ。
 聞かなかったことにしてあげる」

ドジった、とロシナンテは内心で舌打ちする。
それを誤摩化すようにらしくも無い言葉を呟いていた。

「”・・・まだガキなんだからもっと健全な恋でもすれば良いんだ”」
「けんぜん、こい」

はぱちぱちと大きな目を瞬き、コラソンの呟いた単語を反復する。
それから困ったように眉を顰めてみせた。

「私、恋ってどんなものか、知らないわ」

ロシナンテの心臓が大きく鳴った。
はロシナンテが驚いているのを不思議そうに見ていたが、
ナイフと銃を覚えるのだと断ってすぐにその場を去っていった。

ロシナンテは知っている。
がドフラミンゴを見つめる眼差しには、狂気の他に熱が混じっていることを。
戦闘能力に欠ける己を恥じて、ナイフと銃を覚えるのはドフラミンゴのためだということを。

黒いワンピースを纏った背中を目で追いかけた。
どういうわけだか知らないが、あっという間に化け物だと思っていたものが、
普通の少女に見えて来てしまって、ロシナンテは目を眇める。
脳裏で初めてあった時に聞いた、悲し気な声がリフレインしていた。

”哀れな方ね”

「"哀れなのは、お前の方だ、"」

他人の欲望は掴めても、自身の恋心にさえ気づかない、
彼女はどうしようもなくアンバランスで、哀れな子供だった。