哀れ? 彼女は娼婦 04

継続する好意


は血みどろの男を眺めながら、自分の人生がどう変化したのかを思い返していた。

は娼婦だった。いや、いまでも娼婦なのかもしれない。

ドフラミンゴに身請けされて娼館に飼われていた頃よりもずっと行動範囲は広がったが、
あまり感情の涌かない相手と交わり、誑し込む作業は変わらず、
また相手の欲望をなぞり、愛で、貪り尽くす悦びを至上のものとする
淫蕩な本質はそのままである。

はそれで良いと思っている。

脳みその命令に従い、官能によって魂を癒し、
魂によって官能を癒すことがの幸福なのだから。

人によってはそのあり方を受け付けることが出来ず、激しく誹られることもある。
真っ当な感情であるとはまるで他人事のように思っていた。
に常識が理解出来ない訳では無い。
ただ、その常識の通りに動くのが、にとって難しいだけなのである。
価値観の合わない相手は放ってやり過ごすのが一番良いのだとは考えていた。

だが、あまりに過ぎた罵詈雑言にはドフラミンゴが制裁を与えるようになった。
本人は罵られようが見くびられようが特に気にしないが、
ドフラミンゴはそれではいけないとを諭した。

お前が罵られるのはおれが、
ドンキホーテファミリーが悪く言われるのと同じなのだと言って。

確かにそれは気分が良く無い。

そんなふうに答えたに、ドフラミンゴは笑いながらキスをするのだった。

そう、の人生にドフラミンゴが現れたのが最大の転機だった。
これは誰に聞いても同意を得られるに違いない。

ドフラミンゴは駆け出しの娼婦のパトロンになり、
の淫蕩な本質を誰よりも早く見抜いてそれを許し、愛でた。

その質を理解するからこそ、ドフラミンゴは今でもの事を縛らずに、渡り歩かせているのだろう。
なぜならを抱えこみ続ければ、恐らく正気で居られないと分かっているのだ。
余りに強過ぎる快楽は麻薬に等しく、
眠りに恵まれている訳では無いドフラミンゴがと夜を過ごせば
深い眠りに陥るのだから。

だがその心情を正確に窺い知ることなどにはできやしない。
人間とは複雑なものである。
が仕事を終えて帰ってくると、ファミリーの前ではその成果を褒め、
笑みを深めるドフラミンゴだったが、寝室での態度は様変わりする。

手首を痛むまで掴み、歯形が残るよう肌を噛み、手酷い言葉で痴態を責め、
自分本位に事を終えるのだ。

娼館に通っていたときでさえそんなそぶりを見せなかったので最初は驚いた。
まるで浮気を責めるようだ、とも思った。
ドフラミンゴ自身が、お前は情婦には向かないからと示した関係であるにも関わらず、
目の奥にじりじりと焦げつくような苛立ちを覗かせながらを抱くのである。

だが、はその交わりが好きだった。

手首に巻き付いた青黒いアザを眺めて、
なるほど、ベビー5がやたらと必要とされたがる気持ちも分かる、と思った。
確かにその時ばかりは肉体的な快楽だけではなく、
求められる悦びというものを感じ取っているように思えたのだ。

荒事に関する意識も変化したように思う。
戦うのは今でも苦手だ。だが足手まといにはなりたく無かった。
ドンキホーテファミリーは女子供であっても戦闘能力を有している。
は自身が彼らに比べ、余りに非力なことにも気がついていた。

最初にファミリーを紹介されたときには余りに場違いで、
取り繕うように笑みばかり浮かべていたはずだ。
そのとき感じた、恥じ入るような感覚は今でも思い出せる。
守られるだけでは、迷惑をかけるのだと知った時の心臓が凍るような感触も。

だから必要最低限、身を守る術を身につけようとナイフと銃を覚えた。
練習そのものはまるで苦ではなかった。
それがドフラミンゴのためになるならば。
そんな風に思った自分自身に微かな違和感を覚え始めたのはいつからだっただろうか。

変化を決定的に意識させたのはあるときにロシナンテが言った
「”健全な恋をしろ”」と言う言葉だった。

それはどうやらドフラミンゴ以外の男を愛し、慈しめ、というのと殆ど同義だったのだと
後に気がついたが、土台無理な話であったと思う。

はそもそも自身が健全というにはほど遠い。
他人の欲望に触れずにはいられない。
そしてその欲望を満たす機会を用意してくれるのは今ではドフラミンゴだけなのだ。

自身を満たす男を好ましく思って何が悪いのだろう、とは思った。

は恋を知らなかった。
知っていたのは欲望を満たす手段の多様性と、それにしなやかに沿うための方法。

恋愛小説や演劇の台本を読みかえせばそれが分かるのかとも思い読書に励んだが、
やはりには記述される恋の殆どが、
欲望を高めるための言わば前戯のようなものにしか感じられなかった。
それがロシナンテの言う恋のニュアンスと異なるだろうとも理解していた。

恋とは何だ。
それをする必要はあるのか。
欲望を満たす新たな手段となりうるのか。
誘惑とは違うのか。

には分からなかった。

人に聞いてみるかとファミリーに声をかけてみたこともあったが
ジョーラに問えば「まだまだ子供ざます」と鼻で笑われ、
セニョール・ピンクに問えば「フィガロの結婚を読めば良い」と洒落た返しが帰って来た。
何故かドフラミンゴを前にすると、その質問ができなかったこともの肩を落とさせたものだ。

それがどのようなものか、漠然と理解したのは
ドフラミンゴの頭を膝に抱え、ぼうっと窓の外の夕日を眺めていたときだった。
膝の上ではドフラミンゴが良く眠っていて、眉間に皺も無く、安らかな寝顔を晒していた。
まるで野生の獣が心を開き、身体を預けているかのようだ。

その顔を眺めているうち、小さな衝動を感じて、
いつものように、その本能に命じられるがままに、
はドフラミンゴの唇に口づけた。
軽く触れるだけの子供の様な口づけだった。

口づけられても、ドフラミンゴは眠り続けている。
部屋は夕日で赤く染め上げられている。
ドフラミンゴの金色の髪が睫毛が、本物の黄金のように輝いていた。
そのときの中で全ての歯車がかみ合った。
全てが完璧だと思ったのだ。

娼館で出会った時の、酷く苛立ったドフラミンゴを見た時の心地を思い出した。
その時に感じたのは”なんとしてもこの男を誘惑しなくてはならない”という衝動だった。

なぜそんなことを思ったのか、今なら分かる。

久しく感じていなかった目の奥の熱さを感じては戸惑う。
何もかもが満ち足りている。

は唇を動かした。
声は出ていなかった。
ただ言葉をなぞるだけの意味の無い行為だった。

ああ、私、ずっとこの方に恋をしていたのだわ。

目を閉じていたはゆっくりとその紫色の瞳を開いた。
現実がそこに広がっている。
あのとき感じたのとはまるで反対の、臓腑の底が煮えくりかえる程の、
どす黒い感情を感じていた。

哲学する憎悪


このまま放っておいたら間違いなく死ぬ。
そんな状況下に男を追いやってなお、ドフラミンゴがその脳天には、
その心臓には鉛玉を打ち込まなかったという事実が
に齎した衝撃というのは凄まじかったのだ。

はおおよそ他人にたいして激しい感情を覚えることがなかったが故に
その扱いに戸惑ったが、その衝動の赴くまま行動するのは憚られるという事実だけは
何故だかその本能が知っているようだった。
だからは拳を握り、必死に平生を保つ。

傍目には、どういう感情がの中で渦巻いていたのか分からなかったに違いない。
は自覚している。
苦痛を覆い隠すのが、自分は病的に得意なのだと。

きびすを返すファミリーに反しては男の元へと脚を運び、
降り続ける雪に覆われていくコラソンだった男、
ドンキホーテ・ロシナンテの身体を見下ろした。

まだ息があるのだろう。咳き込んでいる。
そこにが立っていることに気がついたのか、ロシナンテは小さく指を動かした。
微かに目が開いて、眉を顰めている。

「ロシナンテ、あなたの欲しいものは手に入った?」

冷たい声色だった。ロシナンテの唇はうごかない。
でもその目に満足感を読み取って、は目を眇める。

「・・・”哀れな方ね”」

はいつかの言葉をなぞる。

「ローに未来を与えて、自由を与えたつもりでいるんでしょう。
 あの子が幸福に生きてくれればいいと思っているんだわ。
 自分の命が失われても、それでもあの子の命が助かれば良いと」

はそっと跪いた。ロシナンテの顎を掴み、囁く。

「・・・思い上がりも甚だしい」

それは殆ど呪詛のような声色だった。

「あの子がそれを我慢出来ると思うの?
 あなたに救われた命をのうのうと生きることができるとでも?
 あの子は必ず戻ってくる。殺意と苦悩に苛まれながら、あの子は生きる。
 自分を地獄へ突き落とした者を、同じ地獄に落とさなくては我慢ならないと呪いながら。
 ・・・あなたは意図せずあの子を縛り付けた。他ならぬその善意によって」

傷つけたかった。
安らかな死など与えてなるものかとはその口にはっきりとした刃を持った。
刃を受けたロシナンテは軽く目を眇め、の名前を呟く。
その唇に何故か皮肉な笑みを覗かせながら、ロシナンテは自分の声で言い放つ。

「やはりお前は、兄と似合いの、化け物だ」

は答えず、そのままゆっくりと小さなナイフを突き刺した。その位置は肝臓。
刺されれば致命的な臓器の一つだ。血が噴き出す。そのままぐるりと手首を回して、
はロシナンテの臓腑を抉った。
苦痛に声なき声で呻く、ロシナンテを見下ろした。

 この男は死ぬ。私に憎しみを教えて。

「人を縛り付けるのがお上手な、哀れな男ね、あなたは、」
「”哀れ、なのは、”」

ロシナンテの言葉を、は最後まで聞くことは出来なかった。
いつの間に戻って来たのだろう。
の手をドフラミンゴがつかみあげている。
ドフラミンゴは何も言わず、引きずるようにを船まで連れて行った。

哀れ、彼女は娼婦


ドフラミンゴはを側に抱えながらつるの船を撒いてみせた。
「砲撃しろ」「舵をきれ」的確な指示をとばす間にも、
ドフラミンゴの手はずっとの肩に食い込んでいた。
ぎりぎりと締め付ける様な音を聞いて、
ベビー5が思わず青ざめ、小さな悲鳴を上げていた程だ。
きっと骨が折れ、砕けているに違いない。

だが、はそれでも、うめき声一つ上げなかった。
これから何が起こるか、きっとこの船の誰もが知っている。

肩を砕かれたまま、船室まで連れてこられたは放り投げられるように
ベッドに身体を叩き付けられる。
起き上がろうとするも、その身体はまったく動かせなかった。
寄生糸だ。
こんな使われ方をされたのは初めてでは目を見開いた。

着ていたコートもシャツも、スカートも全て剥ぎ取られる。
首を押さえつけられて口づけられる。
貪るように、食らいつくような口づけは経験が無い訳では無かったが、酷いものだった。
血の感触に眉を顰め、は息が出来ずに喘ぐ。
苦痛に目を閉じると首から顎に移った手の平に、ぐ、と力を込められた。
目を開くとドフラミンゴの瞳の奥で、暴虐が渦巻いている。

その唇に笑みは無い。
ミニオン島に着てからずっとだ。

は気がつけば涙を流していた。
動く左手でドフラミンゴの頬をなだめるように撫で、その額に口づける。

「・・・酷くして、ください」
「・・・!」

苦痛に喘ぐの言葉に、ドフラミンゴが僅かに驚いたのが分かった。

「腕も脚も全部砕いていい。喉を潰しても、殴ってもいいの。
 私を、めちゃくちゃにして、下さい、そうでなくちゃ、」

は精一杯の笑みを浮かべてみせた。
涙に濡れた紫色の瞳が光っている。
そこにあるのは狂気ではない。

「そうしなくちゃ、あなたは眠れないのだもの」

ドフラミンゴが一度口を開いて、また噤んだ。

がその閉じた唇に口づける。
動かない肩も庇わずに、欲望の輪郭を探っていく。
本当に気が狂ったように、暴力的なセックスに没頭する。
何度も口づけて、どちらがどちらなのか分からなくなるまでそれを続ける。
の頬に落ちたのが、涙だったのか汗だったのか、それとも自分の血なのかすら、
もう判別が着かない。

前髪を掴んで、歯を食いしばって、シーツを手繰って、身体を撫で回し、
全身で会話をするように、嵐に堪えるように、相手を心から愛するように、
はドフラミンゴを受け入れた。

ドフラミンゴはこの日を悪夢に見るのだろう。
願わくばその時に側に侍り、傷を塞ぐ助けになれれば良い。
が何度目か分からぬ絶頂に震え、その唇が重なったとき、
はそんなことを思っていた。

これは悲劇なのだろうか。それとも喜劇なのだろうか。
朝には抱き殺されているのか。それとも生きてドフラミンゴの側に侍っているのか。

には分からない。
何故なら彼女は娼婦。
その運命は今や、ドフラミンゴのものなのだ。