幽霊と恐怖
12番グローブでは麦わらの一味と、くまの激しい戦闘が始まっていた。
しかし、幽霊は訝しげに眉をひそめる。
くまの手から出るのは衝撃波ではなくビームだ。
それに何より、ニキュニキュの実の能力者であったはずなのに、
肉球を使ってこないし、よく見ればその掌は一般人と変わらないごく普通の手だった。
だが、ルフィ、ゾロ、サンジといった一味の主力陣の攻撃を一度に受け止めても
不死身のごとく起き上がってくる。
偽物だとしても敵対してくる以上、恐ろしく強いのは変わらない。
結局3人だけでなく、一味総出で攻撃に当たった。
チョッパーは打撃技を叩き込み、
フランキーがチョッパーへの攻撃をしようとする、くまの動きを止めて、
くまを殴打するも、殴り返されて吹き飛ばされた。
ロビンがそれを援護し、腕で作り上げた網で、フランキーにかかる衝撃を止める。
「肉体の戦闘能力も半端じゃねェ・・・!」
幽霊はブルックとうなずき合い、くまの体を通りすぎる。
一度動きを止めようと思ったのだ。
「え・・・?!」
幽霊がくまの動きを止めた瞬間、幽霊は違和感に声をあげた。
ブルックがその隙に、突き技を繰り出そうとマングローブの枝から飛び降りる。
「待って、ブルック! この人・・・人間じゃないわ!体が改造されてる!」
「わわわ、ご忠告いただいたところ、すみませんお嬢さん! 刺さっちゃいました!」
肩の装甲に突き刺さった剣にブルックが焦ってる間、
くまの口が開き、光が集まり始める。
「ちょっ、ちょっとそれヤバイですってー!?」
「ブルック!」
慌てるブルックに幽霊が焦って声をあげる。
レーザーが放たれる直前、ウソップがくまを狙撃した。
「必殺!! ”アトラス彗星”!!!」
ウソップが狙撃した爆弾の一つが口の中に入ったらしい、
慌ててその場から離れたブルックとウソップに、幽霊は胸をなでおろした。
フランキーが息を弾ませながら幽霊の見解に補足する。
「ユーレイの嬢ちゃんが言うように、あいつは身体中を兵器で改造してる!
だが、元は生身の人間だ! 体は硬ェが肌から血も出てる、
不死身のサイボーグってわけじゃねェ!」
フランキーの言葉に、幽霊は頷いた。
「な、なるほど・・・! なら、倒せると言うことね!?」
「生憎どうやって倒すかは、すぐにわかる問題でもねェけどな!」
くまは今度はナミに目をつけたのか口を開け、ビームを放とうと光を集めだした。
「まずい、ナミさん見つかった!」
サンジの忠告を聞いたロビンがくまの肩に腕を生やし、その口を無理矢理閉じさせる。
「”八十輪咲き・四本樹 ショック”!!!」
ビームはくまの口の中で暴発する。
膝をついたくまにだめ押しするように、ナミが天候棒を構え、雷を伝導して見せた。
くまの腹を電光の槍が貫く。
「”電光槍=テンポ”!!!」
これには流石のくまも効いたらしい、いや、効きすぎたのかもしれない。
起き上がったかと思えば、手当たり次第、
狙いもおぼつかないまま手のひらからビームを乱発し始めた。
暴走だ。
それを好機と見たサンジが熱を帯びた黒脚でくまを蹴り上げる。
ゾロへと攻撃をつなぐために放たれた”画竜点睛ショット”をくらい、
くまの体から破片が溢れた。
「もうひと押しね!」
ゾロが畳み掛けるように、”鬼気九刀流”の構えをとった。
阿修羅像のように手と頭を複数有したように見せるほどの気迫だ。
いくつもの斬撃がくまを襲う。
そして最後の攻撃をルフィが決めようとギアを上げた。
その腕は巨人族のものと相違ないだろう。
巨大な腕が、ビームを放とうとしたくまの顔ごと押しつぶすように放たれたのだ。
「”ゴムゴムのギガントライフル”!!!」
その攻撃で、くまは完全に沈黙した。
しかし、一味もほとんど満身創痍の有様だ。
物の干渉を受けることのない、
幽霊だけが普段と変わらずその場にふわふわと浮いていた。
「みんな、大丈夫・・・? 生きてる?」
「死んではいねェよ・・・ギリギリな」
ウソップのツッコミにも切れがない。
「また動きだしそうで、・・・不気味ね」
「戦うより、逃げる方が良かったのかな・・・?」
息を切らせながら言うナミとチョッパーに、ロビンも真剣な眼差しで言った。
「倒せるなら倒しておいた方がいいわ。
・・・どの道追われるんですもの」
ゾロは瓦礫に凭れながら、倒れたくまの体を見て苦々しい顔をする。
本物ではないにしろ、その姿形はゾロに重傷を与えた
バーソロミュー・くま、そのものなのだ。
「結局なんだったんだ、コイツは・・・」
「この人が偽物だとしても、本物のくまさんって、”王下七武海”でしょう?
・・・この人、政府関係者ということは考えられないかしら」
幽霊は顎に手を当てながら呟いた。
フランキーがそれに賛同するように頷く。
「有りうる話だ。こいつが”改造人間”である以上、元々は人間ってことは確かなんだ。
双子の兄弟か、もしくはスーパーそっくり人間を改造したと考えるのが自然だからな」
「この人が、くま本人との関係者である可能性はほぼ100%だものね。
瓜二つですもの」
幽霊は腕を組む。
ルフィがギア3の反動から解放されたのか子供の姿から元の青年の姿に戻っている。
「いきなりこんな、全力の戦闘になるとは・・・思わなかった・・・!」
息を切らせながらぐったりと瓦礫に凭れるルフィに、
倒れ伏したくまを確認していたサンジが忠告する。
「まず身を隠した方がいいな。・・・今また見つかったら、
おれら一網打尽だぞ」
そして、まるでタイミングを見計らったかのように、彼らは現れたのだ。
「全くてめェら、やってくれるぜ!!!」
まさかりを担いだ男、そして、もう一人のバーソロミュー・くまの姿をした男が、
一味の前に姿を見せた。
これが、幽霊が麦わらの一味になってから味わう、二度目の苦渋の始まりだったのだ。
※
戦桃丸と名乗った男はすぐさま一味を捉えようと、
くまのような男『PX-1』に合図し始めた。
ルフィはバラバラに逃げようとすぐに決めて指示を出した。
ゾロとサンジ、ルフィ自身の戦力を分けながら逃亡するのだ。
その判断は的確だったと幽霊は思う。
ブルックとゾロ、ウソップらとともに幽霊は別れて逃げた。
戦桃丸とPX-1は残りの二手に向かっていく。
「私たちの方には誰もこなかったわね」
「ありがてェな、けどあいつら大丈夫か?!」
ウソップが振り向いた、その時、
ビームがどこからか飛んできた。
その光線は、ゾロに直撃してしまう。
「ゾロ?」
「ゾローーーー!?」
一瞬の出来事だった。
まるで光のような速さで現れたその男が、
ゾロをビームで射抜いたのだ。
一同は決して油断はしていなかったはずだというのに。
ロビンがその男を確認して、思わずといったように叫ぶ。
「気をつけて!!! その男”海軍大将”よ!!!」
「・・・もう手遅れだよォ~」
ストライプのスーツの上から正義のコートを羽織り、
サングラス越しにゾロを見下ろすその目は、
飄々とした話し方に反して恐ろしく冷たかった。
海軍大将、黄猿だ。
幽霊は咄嗟に、なおもゾロに攻撃しようとする黄猿に向かっていった。
何も考えていない、無謀とも言える行動だった。
当然のごとく、黄猿は幽霊にビームを放った。
おそらく普通の人間だったなら幽霊は抵抗する間も無く死んでいただろう。
しかし、”幽霊はすでに死んでいる”。
黄猿は幽霊がビームをすり抜けて、己に向かってくるのを見て目を瞬いた。
しかし、幽霊もまた、黄猿の体をすり抜けてしまう。
なんの手応えも得られずに、幽霊は振り返る。
物を通り抜ける時には、
幽霊にも少なからずその”感触”のようなものが分かるというのに、
黄猿にはそれがなかった。
黄猿は幽霊をまじまじと見て、あごを撫でる。
「・・・なんか冷やっとしたねェ。
おォ~? よく見るとお嬢ちゃん透けてるねェ。
わっし、お化けってやつを初めて見たよォ。
やっぱり念仏唱えれば成仏するのかい?」
幽霊は軽く目を眇めるが、スカートを持ち上げて軽く挨拶をして見せた。
「・・・初めまして。海軍大将の、黄猿さん。
・・・失礼なことを聞くけど、あなた本当に生きてる人間なの?
何にも感触がなかったわ」
時間稼ぎにはなるだろうか。
幽霊の思惑を知ってか知らずか、黄猿は口の端を上げる。
「わっしは”ピカピカの実”の『光人間』。ロギアだからねェ。
”光”に触れることが、できると思うかい?」
幽霊はハッと息を飲んだ。
その瞬間、ロビンがゾロを移動させようとしていたというのに、
黄猿はゾロの体を踏みつけて見せた。
幽霊の体越しに。
「もちろん、”能力者”だから自在に実体を得ることも出来るよォ、
残念だったねェ、幽霊のお嬢ちゃん、・・・時間稼ぎにもなりやしないねェ」
幽霊が驚愕に瞬き、黄猿がゾロに向けて容赦なくビームを放とうとした時
幽霊の体がざわざわと歪んだ。
すぐに幽霊がその場から離れる。
レイリーが黄猿の足を蹴り上げて、黄猿を止めたのだ。
これには黄猿も予想外だったらしい、表情を変えて、レイリーを睨んだ。
「・・・あんたの出る幕かい、”冥王”レイリー」
「海兵がお嬢さんを苛めるのは感心しないな。
若い芽を摘むんじゃない・・・、
これから始まるのだよ!! 彼らの時代は・・・!」
「レイリーのおじさま・・・!」
「おっさん・・・!」
止めに入ろうとしていたルフィが助けられたことに気づいて目を潤ませている。
ウソップやブルックも同様だ。
少なくとも、まだゾロは生きている。
「よ、よかった、ゾロ・・・!
やっぱスゲェんだ、このおっさん」
「すり抜けてしまう体を、今、止めましたね・・・なんで?!」
ブルックの言葉に、幽霊はレイリーの横顔を見上げた。
その答えを、すでにレイリーは示している気がした。
幽霊自身がまだ掴みきれていないだけのような。
しかし、悠長に答えを探している暇はないだろう。
そう思ったのは幽霊だけではなかった。ルフィが渾身の力を振り絞って叫ぶ。
「ウソップ、ブルック、幽霊!!! ゾロを連れて逃げろ!!!」
その声にウソップがゾロを抱え、ブルックと共に走り出した。
並走する幽霊の耳に、ルフィの声が聞こえる。
「全員!!! 逃げることだけ考えろ!!!
今のおれたちじゃ、こいつらには勝てねェ!!!」
幽霊は唇を噛み締めた。
それがルフィにとって、どれほど悔しい言葉かを考えると辛かった。
時間稼ぎすらできない自分自身の無力が許せなかったのだ。
そして、状況はさらに悪化していく。
※
「旅行するなら、どこに行きたい?」
本物のバーソロミュー・くまが現れたのは、
一味にとって致命的だったと言っていいだろう。
次々と仲間がくまの肉球に触れた瞬間、姿を消してしまうのだから。
幽霊は消えていく仲間を見て、初めて、恐怖を覚えた。
すでに死んでいる幽霊にとって、今までどんな攻撃も衝撃も恐ろしくはなかった。
しかし、今はどうだ。
置いていかれること、二度と仲間と会えないかもしれないことが、
こんなにも恐ろしい。
くまは幽霊に触れようとしたが、冷たい空気を撫でるだけだった。
それにはくまも驚いたような顔をしている。
「そうか、幽霊には触れねェんだ!」
ルフィがほっとしたように叫んだ言葉に、幽霊は奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
くまは自身の手のひらを眺め、呟いた。
「なるほど、お前の場合は少し勝手が違う・・・」
そして、次に伸びてきた掌は、幽霊を確かに捉えたのだ。
幽霊の首を持ち上げるように触れるくまに、
幽霊もルフィも目を瞬く。
「えっ?!なんで!? おい、お前、幽霊を離せ!」
ルフィがくまに攻撃しようとするも、片手で止められてしまう。
幽霊に触れて助けようと手を伸ばしても、
ルフィの手のひらは幽霊をすり抜けてしまうのだ。
幽霊は驚愕と共に、納得もしていた。
以前、幽霊は”誰かに首を掴まれ、持ち上げられた”ことがある。
キリキリと締まる首に、幽霊は苦悶の表情を浮かべながらも、くまを睨んだ。
「”前”も、こんな風に、締め上げ、られたことが、あるわ・・・!
レディに、対する、扱いが、なってないわよ!? 気安く、触らないで!」
その声が皮切りになったのかもしれない。
「・・・!」
くまが幽霊に触れている手に徐々に霜が降りていく。
くまが表情を変えて、抱えていたバイブルを懐にしまい、もう片方の手が幽霊に迫る。
「幽霊!!!」
ルフィの声が聞こえた。
幽霊はもしかすると死ぬ直前というのは、こんな感じだったのかもしれない、と思った。
観念するように歯を食いしばり、目を瞑る。
ああ、”前”も私は受け入れたのだ。受け入れざるを得なかったから・・・。
本当は嫌だったはずなのに、悔しかった、はずなのに・・・。
その瞬間、誰かが叫んだ。
「!!!」
幽霊は思わず目を見開いた。
ずっと探していたパズルのピースが、音を立てて嵌った時のような感触を覚えていた。
それは”私の名前”だ。
声の主を探そうと顔を上げた時、くまの掌が幽霊に触れた。
そして、幽霊はシャボンディ諸島、12番グローブから完璧に消えてしまったのだ。
他の一味の仲間たちと、同様に。