幽霊と怨念渦巻く古城のほとり


はしばらくの空中浮遊を経て、くまの肉球の跡と思しき地面へ叩きつけられた。

無論、幽霊だから痛みは感じないが、
強制的に空を飛ばされるのは嫌な気分だとため息を吐いた。

「もし旅行する機会があるなら次は別の手段を使いたいわ・・・、
 それにしても、ここ、どこなのかしら」

おそらく他の仲間たちも、同様に飛ばされたのだろう。
行く先によるだろうが、死んでなければ会えるはずだ。
ビブルカードがあるのだから。

しかし、ビブルカードを持って居ないはそうもいかない。

シャボンディ諸島まで戻れるか、いささか不安でもあるが、
とにかく現状把握が一番だ、とは意気込んで、周囲を見回した。

天気は曇り。暗雲が渦巻く多湿の島だ。
先端が渦状の奇妙な山が幾つも見える。
木々は黒く茂り、遠くには城がそびえている。
あたりは針葉樹の森のようだ。

雰囲気はちょうど、スリラーバークに似ているが、
あの島とは似て非なる、不気味な雰囲気が漂っている。

「スリラーバークに似ているけれど、違うみたい・・・!?」

キョロキョロと辺りを探っていると、人が倒れているのが見えた。
は近寄り、息を飲む。

「ゾロ!?」

黄猿から攻撃を受け、くまに真っ先に移動させられていたゾロが気を失っている。
血まみれで、治療が必要だと見ただけでわかった。

「ひどい怪我・・・まだスリラーバークの傷も治ってなかったのに!」

は思わずゾロのそばにしゃがみ込み、肩を揺り起こそうと手を伸ばすが、
幽霊の体はたやすくゾロの体をすり抜けてしまう。

 くまは、に触れることができていたというのに。

は唇を噛み、叫んだ。

「誰か! 誰かいませんか!? 誰か・・・!」

この辺りに人がいる様子はなかったが、それでも声を上げずにはいられなかった。
すると、ふわふわと何かが近寄ってきた。

目が合うと、彼女はぎょっとしたように目を瞬く。

「お、お前たち、麦わらの一味の!」

ツインテールに王冠を被った彼女は、ペローナ。
スリラーバークでウソップとが戦闘し、下した相手だ。
そういえば、ナミが、ペローナはくまによってどこかに消されたと言っていた。

「ペローナちゃん!? あなたもくまに飛ばされて来たのね!?」

も驚いていると、ペローナはゾロに気がついて眉を上げた。

「ん? なんだ、そっちの男は死にそうだな、くまのやつにやられたのか?
 ザマーミロ!! ホロホロホロ!」

高らかに笑うペローナに、はゆっくりと立ち上がり、近寄った。
音もなくにじり寄るに、ペローナは訝しむようなそぶりを見せる。
は震える声で頼み込んだ。

「ペローナちゃん、・・・お願い、ゾロを助けて」
「はぁ?! どうして私が!」

嫌がるペローナを見て、は眉を顰め、
がし、と幽体のペローナの手を問答無用で掴み、頭を下げる。

「このままじゃ本当に死んじゃう、お願い、お願いします・・・!」
「な、なんだよ・・・」

は俯いている。

「私が手当てできるならそうしてる。でも、私じゃできない。
 私、幽霊だから、実体がないから・・・っ」

顔を上げたは泣いていた。
大きな瞳からボロボロと大粒の涙を零すに、ペローナはたじろいでいる。

従えていた白いゴーストたちがオロオロとペローナとの周りを回り出した。

「助けてくれなきゃ末代まで祟ってやるんだからね・・・。
 祟りかたはわからないけど、どうにかしてやるんだから・・・。
 脳みそを振り絞って、あなたの不幸な、
 あるいは残酷な死に方を考えるわよ・・・本気よ・・・」

「お前冗談じゃねェぞ!?
 ああ、もう! わかった!わかったから!」

しおらしいそぶりを見せたかと思えば、思い切り脅しをかけてきたに、
ペローナは降参だと手を上げた。

ペローナは実体を得るとゾロを引きずるようにして、城へと連れ帰った。
は暫く泣きながらも丁寧に手当の仕方をペローナに指示し始める。

「指図ばっかしやがってお前! 本当に! 覚えとけよ!?」

口ではなんだかんだと文句を言いながらも、ペローナはゾロをきちんと手当した。
泣き止んだはホッと胸をなでおろし、そのままゾロが目を覚ますのを待つことにする。

慣れない手当を終えて息をついたのはペローナも同じだ。
眠そうなそぶりを見せるペローナに、さすがには申し訳なさそうな顔をする。

「ありがとう、ペローナちゃん。
 私、眠らないから、ペローナちゃんは寝てても良いよ」

「ばか、見張ってないと何しでかすかわかんねェだろ」

目を擦りながらじとりとを睨むペローナに、
は目をパチパチと瞬かせると、優しく眦を緩めた。

「ありがとう」
「・・・うるさい、何のことだよ」

唇を尖らせてそっぽを向いたペローナに、
はクスクスと笑い出したのだった。



窓から光が差し込み、ゾロは目を開けた。
起き抜けで曖昧な記憶が、徐々に蘇り始める。

「・・・生きてた。どこだ、ここは」

覚醒する意識の中、ゾロはくまの顔を思い出して、思わず苛立ちに声を上げた。
それに飛び起きたのがペローナだ。

「きゃあああああー!?」

は寝入ってしまったペローナを気遣い城を散歩していたが、
叫び声を聞いて部屋に戻った。

体を起こしたゾロを見て、パッと顔を輝かせる。

「目が覚めたのね、ゾロ!」

ゾロはとペローナを見比べて怪訝そうな顔をした。

「ん? 幽霊、それに、なんだ、テメェは」
「お前こそなんだよ!! 突然叫びやがって!?」

ぷりぷりと怒り出したペローナを無視して、
ゾロは周囲を見回した。

「・・・おれの刀はどこだ?」
「武器なんか渡すわけないだろ!」

騒ぎ出した2人に、はホッと息を吐いた。

「元気そうで何よりだわ、ええ」

それから気をとりなおして、2人に向きなおる。

「ゾロの意識が戻ったことだし、状況を確認しましょう。
 ペローナちゃん、ここ、どこだかわかる?」

に問いかけられ、ペローナはムッとした顔をして見せた。

「分かってたら苦労してない。私もくまに飛ばされたんだぞ!
 召使いもベーグルサンドと暖かいココアも、
 可愛いぬいぐるみもない旅行なんて聞いてなーい!!!」

鬱憤が溜まっていたのか、不満を口にするペローナに、は頷いた。

「そうね。確かに人は居ないみたいなの。
 ここ、一応は立派なお城なんだけど」

の言葉に我に返ったのか、ペローナは息を吐いた。

「・・・ああ。そうだ。生きてる人間は私たちくらいじゃないか?」

それまで話を聞いて居たゾロは、に尋ねた。

「おい、他の奴らは」

は目を伏せ、首を横に振る。

「ここに飛ばされたのは、私とあなただけよ、ゾロ。
 多分みんな、別の場所に飛ばされたんだと思う」

「・・・そうか」

互いに思うところがあるのか、沈黙がよぎった。
は、その間に何かに気がついたのか顔をあげる。

「それから、あの、これはごく、個人的なことなのだけど、名前を思い出したわ」
「!?」

ゾロは驚いたそぶりを見せた。
船にいる間中、自分のことは思い出せないと散々嘆くを見ていたからだ。

は胸に手を当てて、目を伏せる。

「私の名前は・・・シャボンディに、私の名前を知ってる人がいたみたい。
 この島に来る寸前に、誰かに呼ばれたの」

ゾロは腕を組む。

「あの帽子被ってた海賊にか? 話してただろう」

人間屋で白熊と仲間2人を引き連れて居た海賊を相手に、
が何か話しかけていたのを、ゾロは覚えていたのだ。
知り合いだったのか、と尋ねるゾロに、は首を横に振った。

「わからないわ。一瞬のことで、彼の声だったかどうかも・・・。
 彼は私を知らないと言っていたから、違うのかもしれない。
 シャボンディに帰ったら、見つけられればいいんだけど」

考えるそぶりを見せるに、ゾロはベッドから起き上がった。
慌ててペローナが声を上げる。

「お、おい、起きてもいいのか?」

「寝たきりじゃ鈍るだけだ。外がどんなもんか様子を見る。
 シャボンディ諸島にさっさと帰ろう。船の手配だの何だのも必要だろう」

ゾロの提案に、は微笑んだ。

「ありがとう、ゾロ」



3人で連れ立って城の外に出ることになった。

ペローナはゾロに「私を切らないと約束するなら刀は返してやる!」と念を押して
退屈しのぎだとうそぶいて着いて来たが、
おそらく、1人であの古城に居て不安だったのだろうと、
は小さくクスクス笑った。

「・・・何笑ってんだよ」
「いいえ、別に」

ジト目でペローナに睨まれたはしらばっくれて見せた後、
ぐるりとあたりを見渡した。
しかし、周囲は見れば見るほど、人の気配が感じられない。

「国が滅んで久しいのかしら。瓦礫に草も茂っているし・・・、
 それにしてはお城の状態は綺麗だったから
 全く人の手が入っていないわけではないんでしょうけど」

の疑問に、ペローナはそういえば、と目を瞬いた。

「確かに、ある程度の食料はあったからな。
 あの城も誰か住んでるんだとは思うが、私は誰も見てないぞ」
「なら留守にしてるんだろ」

ゾロは素っ気なく返事をよこして、ペローナの機嫌を損ねていた。

「じゃあ私たち、家主の居ない隙に
 勝手に部屋を借りてるってことになるんだけど」

ゾロとペローナは「何言ってんだ、お前」とでも言いたげにを見た。

「・・・そういえば、私たち全員海賊だったわね。
 犯罪者だわ。ええ、問題ないわね」

どれくらい歩を進めたのだろうか、
廃墟のはずれに巨大な墓標を見つけて、3人は息を飲んだ。

「・・・お墓ね」
「ああ、墓だな」
「墓以外の何物でもないな」

巨大な十字架の墓標だが、元々は一本の大樹だったのだろう。
十字架の根本は木の根がうねっている。錆びた剣があちこちに刺さるその姿は、
異様な威圧感を放って3人を迎えた。

は墓標にそっと手を触れる。

「大木を、十字架の形に切り出したのかしら」

すると、何かの気配を感じ取ったのか、ゾロがいきなり刀を抜いた。
驚き振り返ると、甲冑を身にまとったヒヒがゾロと鍔迫り合いを繰り広げている。

「ええ!? ヒヒ!?」
「なんだこいつら、やたら強ェ・・・!」

しかもゾロは怪我が祟っているのか、うまく撃退できないでいるらしい。
ゾロは歯を食いしばりながらヒヒの腹に蹴りを入れ、
なんとか距離をとって見せると、悔しげに唸った。

「クソ・・・ッ」

その様子を見たはキッ、と眦を吊り上げると、ヒヒの体をすり抜けた。
ぎょっとしたように固まるヒヒの隙をみて、
ゾロと目を合わせる。

ゾロはの言いたいことを汲み取ったのか、頷いて見せた。

「一度体勢を立て直すぞ!」
「”戦略的撤退”というやつね!!!」
「あっ! 待てお前ら、私を置いていくなー!?」

全速力でとペローナがゾロを先導し、城まで戻ってくることができた。
ヒヒは途中までは追いかけて来たが、なんとか撒いたらしい。

は気疲れで大きくため息をついた。

「な、何だったの、あのヒヒは。
 武器の扱いに慣れている動物って居るものなの?」
「グランドラインの動物は訳が分かんねェからな・・・」

ゾロも息が上がって居る様子だ。
それを見て、は軽く目を眇めた。
どう見ても、ゾロは本調子ではなさそうだ。

「ひとまず、ゾロは療養した方がいいと思うわ。
 家主、この場合は城主かしら?
 その人には悪いけれど、暫く部屋を借りましょう。
 私じゃ、あのヒヒは倒せそうにないし。
 ゾロ! 早く元気になって倒してちょうだい!」

「なんだそれ・・・」

ペローナは呆れている。
おどけて見せるに、ゾロは意地悪そうに口角を上げた。

「すぐにシャボンディに戻らねぇと、
 お前の名前を知ってる奴が居なくなるかもしれねェぞ」

はキョトンと目を瞬き、それから首を横に振った。

「私、そこまでわがままじゃないわよ」
「・・・へェ?」

ゾロは面白そうに笑っている。
はそれを見て、面白くなさそうに腕を組んだ。

「とにかく! ゾロは怪我を治すべきよね。
 チョッパーから教わった手当を私がペローナちゃんに教えて、
 やってもらえば治るでしょ? もともと健康なんだもの!」

「おい! だからなんでお前は自然と私をこき使うんだよ!?」
「ウフフフフフッ」

笑ってごまかすに、ペローナは怒っている。

それから数日間、ゾロはなるべく療養に努め、驚異的な回復を見せていた。
ペローナとは島を見て回り、規模や全容を把握しようと空中を散歩し、
この島から脱するための方法を考え始めた、その矢先の出来事だった。

”城主”が帰還したのである。