見果てぬ夢
船は新世界の海を進む。
眠らない幽霊であるとドフラミンゴは甲板で見張りを買って出ていた。
だが、波は緩やかで、周囲の見晴らしも良く、敵も出る様子がない。
平穏な夜に退屈してか、ドフラミンゴはどうやら真面目に見張りをやる気がないらしい。
「”幽霊”ってのは面白ェ体だな。
温度変化がわからないのと覇気を身につけねェと実体を持てないのが面倒だが・・・。
おれとお前でできることは違うのか?」
から能力について聞き出そうとしているドフラミンゴに、
は腕を組んだ。
「基本的には変わらないけど、透明になったりとかはできないわよ。
私と違って兄さんはモデルゴーストの応用能力を使えない。
あぁ、そういえば、兄さんと私で”ガワ”を変えることはできるようになったと思う」
「”ガワ”?」
訝しむようなドフラミンゴの視線に、やって見たほうが早い、と
が指を鳴らした。
途端にドフラミンゴの視界が回る。
「!」
「どうかしら・・・ああ、声も変わるのね」
視点が定まってきたドフラミンゴは目の前の”自分”に驚き、
唖然と手のひらを見つめた。華奢な指が開いて閉じる。
前を見れば見慣れた”自分自身”が、同じく確かめるように手のひらを見つめていた。
「妙な気分ね、これは。必要に迫られればやってもいいけど、
あんまりやりたくないわ、そう思わない?」
女性らしい口調だが、声は低いテノールだ。ちぐはぐである。
「・・・おい、おれの外見でその口調は止めろ」
乱暴な口調の鈴を鳴らすような声色に、
見た目がドフラミンゴのはキョトンとしてから、その口角をあげて見せた。
「”おっと、盲点だったな、これならどうだ?”」
はそれらしい口調を作って見せる。
ドフラミンゴは確かに妙な感覚だな、と眉を上げる。
おそらくドッペルゲンガーを見たならこんな気分になるだろう。
だが、ひとまずドフラミンゴはにこう言った。
「遊ぶなよ、おれで」
「”フッフッフッ!”」
不服そうなドフラミンゴにが笑う。
指を鳴らすと、再び視界は元に戻った。
「やっぱり自分自身が一番だわ」
「ああ、滅多なことではやりたくない」
息を吐いたドフラミンゴの耳に、バターン! と何かが倒れるような音が聞こえた。
何事かと振り返ればロシナンテが転んでいる。
「・・・相変わらずだな」
「わ!? ロシー兄さん大丈夫?」
どうやらドジなのは未だに治らないらしい、と
呆れた眼差しをドフラミンゴはロシナンテへと向ける。
は心配そうにロシナンテに近寄った。
「ああ、おれは平気だ、イテテ・・・。
あと、紅茶も無事だ、なんかドジる予感がして床に置いたから!」
「ドジる予感って・・・兄さん・・・」
ロシナンテが傍のティーセットを指差した。
どうやら差し入れに来たらしい。
とドフラミンゴは覇気を使い、暖かな紅茶を口にする。
そんな二人をしばらく眺めていたと思えば、
ドフラミンゴとの間に、ロシナンテは腰を下ろした。
少しの沈黙の後、兄弟はポツポツと話し出す。
「新世界の海にしちゃ、穏やかな方だな」
「そうだな」
空は快晴だ。月明かりと星明かりが眩い。
滅多なことがない限りはこのまま朝を迎えてくれることだろう。
星の一粒一粒がクリアに見えた。
「ウフフフッ、私が6歳の頃だから、もう30年以上前だけど、・・・同じように星を見たわね」
が笑いながら言うと、ドフラミンゴも頷いた。
「ああ、あのあばら屋で」
「覚えてるのか? ドフィ」
「少しはな」
幼少の頃は忘れたいことばかりだったが、
それでも少しは覚えていたいこともあったのだとドフラミンゴは空を見上げた。
は二人を見て、頬杖をつく。
「随分様変わりしてしまったわ。ドフィ兄さんも、ロシー兄さんも。昔はあんなに可愛かったのに」
”すっかりおじさんになっちゃって”
そんな含みを読み取って二人の兄の口の端が引きつった。
「・・・お前もな、。あの頃お前は天使のようだったってのに、
今やわがままで生意気になっちまってなァ」
こっそり頷いたロシナンテと、揶揄するようなドフラミンゴに、
は朗らかな笑みを作った。
「あら、二人とも生首にされたいの?」
言葉に詰まった兄達に、は喉を鳴らして笑い出す。
「ウフフフフッ、冗談よ。
・・・こんな日が来るのを、私は何年も待ちわびたのだもの」
『体調が良くなったら、また3人で星読みをしたいわ』
昔ローとロシナンテに打ち明けた願いは10数年の時を経て叶った。
も懐かしむように空を見上げる。
かつて自分自身を諦めていたは、幼いローにこう言ったのだ。
『誰だって一度きりしか、人生を歩めない。
でも”物語”の中では、私は誰にでもなれる。
何度だって味わえるわ。見た事無いものが見える。
聞いた事の無い音楽だって、物語の中なら』
物語はにとっての救いだった。
ページをめくればは、”ではない誰か”になれた。
”ここではないどこか”に行くことができた。
『海賊になって宝物を追いかけたり、
歌手になったり、誰かの恋人や友達になったりする。
はたまたシリアルキラーにだってなれる』
そう、何にでもなれた。
だが奇妙なことに、ローに例えて聞かせたものに
はのまま、現実でもなることができた。
海賊にも、歌手にも、誰かの友人にも、そして恋人にだって。
「生きていると何が起きるとわからないわ」
は微笑む。
何もかもを諦めたを、ローが励ました言葉を思い出していた。
『見た事の無いものだって、聞いた事の無い音楽だって、
本や、絵画や、この部屋にある宝の中から、お前は読み取る事が出来るんだろう。
だけど、お前の病気が治ったら、お前はそれに直に触れるんだ』
『誰かの言葉や、視点を通さずに。
誰かの物語があるなら、お前の物語だってあるだろう』
幼くしてローは核心をついていた。
やはりローはよりもずっとずっと賢い子供だったのだ。
「本当、ロー先生の言った通りだった! ウフフフフッ」
笑い出したに、ロシナンテが首をひねる。
「なんの話だ?」
「私は1度きりの人生を2回も生きているせいか、とっても人生が充実してるって話よ」
がロシナンテにそう返すと、ドフラミンゴは納得したようで頷いた。
「・・・だろうな。日記を読めばそれは分かる。
歌手もやってたんだろう、あのガイコツと」
「え? そうなのか?!」
そういえばバルトロメオがそんなようなことを言っていたが、とロシナンテが目を丸くしている。
「ウフフッ、楽しかったわよ!
ツアーもやったわ、メインはあくまでブルックで、私は添え物だったけど!」
ドフラミンゴは立膝をついてを眺める。
「その上4億の賞金首になっちまうんだからなァ」
「海賊にとっちゃあ、悪名も箔の内だが、4億はな・・・」
ロシナンテは妹が高額賞金首なのは複雑だ、と腕を組む。
「・・・いいのよ、もう。なっちゃったんだからしょうがないわ。
諦めも肝心よ」
どうやら自分自身と折り合いをつけたらしいに、
ドフラミンゴは尋ねる。
「それで? これからどうするつもりだ。
世界中から狙われる”キラー・クイーン”は」
「もちろん、冒険を続けるわ!」
は手を叩き、思わず立ち上がった。
よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりだ。
「私、とても充実してるって言ったけど、でも満足してないの。
世界の端から端までを歩みたい。
見たことのないものが見たいわ。聞いたことのない音楽を聴くのよ。
見聞きしたものを全部、自分の言葉で書くの。”私の物語”を作り上げるのよ!」
は生き生きと夢を語る。
長い冒険の果てに見つけた、の夢を。
「それが誰かの励みになればいい。誰かの拠り所になればいい。私の物語は寓話だから。
明日を歩む力に。冒険にこぎ出すきっかけになってほしい」
かつての自分が物語に救われたように、とは目を細めた。
「見慣れた風景を私の目を見てみる人もいるでしょう。
見知らぬ景色を私の言葉で初めて想像する人もいると思う。
私の知らないところで、”私”が誰かに寄り添ってあげられるなんて、
そんな素晴らしいことがあるかしら!」
「・・・そうだな」
「いいんじゃないか?」
微笑ましげにを見つめるドフラミンゴとロシナンテに、
は笑いかけ、夜空に手を伸ばした。
「それこそ本当の、不老不死なのだわ。
”見果てぬ夢”。だけどきっと、叶えられる」
金色にきらめく光がの指先に灯り、離れていった。
は歌い出した。
眠りについた船員達には聞こえないほど、それでも甲板の上には確かに響くほどの声で。
「『見果てぬ夢を夢見 敵わぬ敵と戦う
耐え難い悲しみに耐え 勇者ですら怯む場所へ向かう』」
光の軌跡は船の形を描く。波を進むサウザンドサニー号だ。
がそれに触れると、光は弾け、また別の軌跡を描き出す。
「『正し難い不正を正し 彼方より清く純潔なるものを愛する
両腕が萎れ疲れても諦めず 届かぬ星を目指す』」
の幻が作り上げた”麦わらの一味”が生き生きと動き出した。
「『これこそ私の求めるもの いかに望みは薄く
いかに遠くにあろうとも あの星の後を追う』」
ブルックはバイオリンを弾き、ルフィはの手を引くそぶりを見せる。
ナミがの背中を押して、チョッパーがの足元を駆けていく。
サンジは目をハートにしてに恭しく挨拶する。
ゾロは腕を組んで頷き、ウソップとフランキーはの肩を叩いた。
ロビンは微笑み、の日記Fableを差し出した。
はそれを受け取ってみせる。
「『疑うこともなく 休むこともなく 信じるもののために戦う
運命の導きとあらば 地獄へ行くことも構わない』」
弾むように、踊るように歩きながら、幻のペンを走らせた。
「『この栄光に満ちた冒険に 忠実でありさえすれば
たとえ死の床につこうとも 私は安らかで居られるわ』」
ペンを動かすたび出会った人々がの前に現れ、また消えていく。
スリラーバーク、シャボンディ諸島、シッケアール王国跡地、ピオニア、
魚人島、パンクハザード、そしてドレスローザ。
絵巻物のように風景が繋がる。
の歩んだ冒険の軌跡が、光の線で再現され、消えて、また浮かび上がる。
「『この世界もより良いものになるでしょう 蔑まれ 満身創痍となりながら
最後の勇気を振り絞り 届かぬ星を目指したのだから!』」
がペンを放ると、光の粒になって消えていった。
手を広げ空を仰ぐと、星屑が雨のように降る。
甲板に金色の光が落ちては消える。
は届かぬ星を落として見せたのだ。
宝石のようにきらめく星は、幻とわかっているのに何よりも美しい。
本物の星と幻の星が夜空を彩り、流れ星が幾筋も落ちた。
「すっげェ、流星群だ・・・!」
感嘆するロシナンテに、は悪戯っぽく笑い、手を広げる。
「さぁ、どれが本物で、どれが偽物かしら? 当ててみて!」
「どれも一緒だろここまでくると。・・・本物も偽物も関係ねェ」
ロシナンテの横に座り夜空を指差したに、
ロシナンテとドフラミンゴは唖然としていた。
はそんな兄二人の反応が面白くないのか、不服そうな声を上げる。
「ええー? つまらないわよ、ドフィ兄さん。星を読むのは得意でしょう?」
「読めるか、こんな土砂降りみてェな・・・フフ、フッフッフッフッ!!!」
「・・・フフ、そりゃそうだな! 、やり過ぎだ」
ドフラミンゴが妹の加減を知らないイタズラに、腹を抱えて笑い出した。
つられてロシナンテも笑ってを小突く。
「そう? 何事も手を抜かないでやるべきだわ」
は不思議そうに首を傾げているものの、その顔には笑みが浮かんでいる。
「お前は加減を知らなすぎる」
「同感」
「・・・なんでそこだけ気が合うのよ」
しみじみと告げられたドフラミンゴの言葉に、ロシナンテが頷いた。
がそれにムッと頬を膨らませる。
満天の星空を前に会話するドンキホーテの兄妹。
ローはひっそりと甲板の端で、彼らを見ていた。
13年前は考えられなかった光景がそこにはあった。
腕を組み、手すりにもたれかかりながら、
屈託無く笑うにつられるように、ロー自身も静かに笑みを湛える。
積もる話も、交わしたい言葉も山ほどあった。
けれど今はこうして、笑いあう、ドンキホーテの兄妹を見ていたかったのだ。
嘘みたいな話が、今現実となったのだから。
夜風は等しく彼らを撫でた。
船は星の海に浮かび、自由と冒険の旅路を行く。
夜だと言うのに眩い光を伴いながら。
Fable Fin.
-Happily ever after-