アガスティアの葉 01
運命がねじ曲がる音がする。
それは扉が歪んで軋む様な、不愉快な音だ。
その音は、私の心臓から響いている。
「。起きろ」
私の顔を覗き込んだ兄、トラファルガー・ローは、どこか不安そうだった。
たまにローはこんな顔をする。
まるで私が二度と目覚めないんじゃないかって思ってるみたいな顔だ。
かつて私やローを蝕んだ病は、ローがその手で治したと言うのに。
「レディの寝室に勝手に入って寝顔を覗き込むのは、
デリカシーにかけるんじゃない?お兄さま」
「レディ扱いしてほしけりゃ寝汚いのを治せよ愚妹」
軽口を叩くとローは息を吐いた。
呆れているのか安堵なのか、私は聞かないでおくことにする。
そんなことよりも、腕に入ったその模様が目についた。
「あっ!?また入れ墨増やしたの?」
「うるせぇ、なんでそういうとこだけ目敏いんだお前」
「そりゃ腕に増えたら気づくよ。
私には絶対墨入れるなってうるさいくせに、自分ばっかり」
ローの顔が心底嫌そうなものに変わる。
「妹とお揃いとかありえないだろ。
・・・万が一とは思うが墨入れて帰って来たら、」
ローの目つきが尖る。
ただでさえ子供に泣かれる様な顔なんだから怖い顔をしないでほしい。
「”船に乗せない、置いていく”でしょ?分かってるよ。
ピアス開けただけでめちゃくちゃ大騒ぎしたんだから
本気で面倒くさいことになるって分かってるし」
おまけにお揃いなんてありえない、とか言いながら
私の耳に揺れるのはローに贈られた、ローと同じ金色のピアスだ。矛盾している。
「おい、面倒くさいってなんだ?おれはお前のためを思って・・・」
いけない。地雷を踏んだ。
ローはお説教が始まったら、長いのだ。
私は戸棚から薬を幾つか取り出して、ローに渡した。
「ハァ・・・ほら、”キャプテン”
入れ墨入れた後は熱出るんだから。薬先に渡しとくよ。
皆にかっこわるいとこは見せられないもんね」
「・・・!、お前・・・いや、何でも無い」
笑った私の顔を見て、少し寂しそうな、悲しそうな、喜びが滲んだみたいな、
複雑な顔をしたローに、私も同じ様な顔をしたはずだ。
私たち兄妹は、両親に良く似ている。ローは父に、私は母にそっくりだ。
近頃特に、面影がかぶさってくる。彼らの年齢に、近づいているのだ。
「もうすぐ新世界だね、キャプテン」
「ああ」
お互いに寄り添いながら生きて来た。
私は成人し、ローは海賊の船長になった。
その上2億の賞金を懸けられている。
私の首にもいくらかの値がついた。
私はこのままねじれた運命を歩むのだろう。
髪をざっと束ねる。
ローが死ぬまで、私は死なないと決めているのだ。
※
13年前の話をしよう。
あの地獄のような光景を、今でも私は悪夢とともに思い出す。
あの頃私はどこにでもいる運の悪い小娘で、
優しく、人々の命を助けることに尽力し、最後まで病の克服を試みていた両親が、
心ない銃弾に倒れるのを私はただ、見ていることしか出来なかった。
銃声に気づいたローが、両親の死体に縋り付いて慟哭している。
そのとき、私の脳裏に、不可思議な感触と記憶が入り込んで来た。
”私はこの光景を知っていた”
異常な事態だと思った。
それははたして”両親の死”よりも重要なことだったのだろうか?
でも、私はその記憶を無視出来なかった。
なぜならその記憶では私は死んでいて、
兄であるローが苦難に見舞われることが運命なのだとでも言いたげだったからだ。
だが、実のところ私はそのとき、薄情にもローのことなど考えていなかった。
自分自身が”死んでいた”という記憶の感触に恐れ戦いていたのだ。
”私は死んでいたはずの人間だ”
その感触は余りに生々しく、私の身体に焼き付いた。
ローは泣きながら振り返った。
涙一つ零しもせず、呆然と立ち尽くしていた私を見て、ローは息を飲み、
すぐに涙を拭い、私に駆け寄った。
後から聞いた話によると、両親のむごたらしい死を目の当たりにして、
私の心が壊れたのだと思ったらしい。
「!・・・見るな!見なくて良い・・・!」
ローが私を強く抱き締めて、何度も見るな、と叫んでいた。
その体温にようやく我に返って、私はようやく事態を飲み込んだ。
不可思議な記憶が嘘だろうが本当だろうが、幻だろうが現実だろうが、
今目の前で失われたのは、私の唯一無二の両親だった。
「・・・お父さま、お母さま」
正気に戻った私は、やっと泣くことが出来たのだった。
※
生家だった病院には火が投げ込まれた。
逃げ出して、焼ける病院を私たちは二人で見つめた。
そうすることしか出来なかったのだ。
「・・・お兄さま、なぜ、お父さまもお母さまも、
こんな目に合わなくてはいけなかったんだろうね」
「・・・政府のせいだ。シスターも、友達も、みんな死んだ。
。お前だけでも、生きていて良かった」
噛み締める様な、悲痛な声色に、私はつないだ手をぎゅ、と握る。
「お兄さま・・・でも・・・」
「わかってる。今助かっても、きっとおれもお前も死ぬ。このままじゃ」
腕に、脚に、白い肌が広がり始めている。ローにも私にも同じものがあった。
堪えていたんだろう。ローの目から涙が一粒零れた。
つられて私の目から同じように涙がこぼれる。
「王様は逃げ出した。政府は今もあの病気が感染症だって嘘をついてる。
父様は見抜いてた。これが中毒だって。でも政府は聞く耳を持たなかった」
「・・・どうして、こんなことが許されるんだろう」
ローが俯いた。
低く唸る様な声が、私の鼓膜を打った。
「許さない」
「・・・お兄さま?」
「誰が許しても、おれが許さない。
こんな、こんなのが許されていいわけない!」
ローは荒んだ目をして叫んだ。
私は知っていた。ローが”そうなること”を知っていた。
私に付き合ってお祭りに行って、アイスを一緒に並んで食べた、優しい兄。
父に憧れて、一心不乱に勉強していた兄。
将来は立派な医者になるために、と英才教育を施されていた兄。
それでも、私は、ローがこの国の医者にはならないってことをどこかで分かっていたのだ。
ローは私の肩をつかんだ。奥歯を噛み締めて、
まるで辛酸を舐めたかのように、苦しそうに告知した。
私なんかよりよっぽど辛そうだった。
「。お前はなんでか珀鉛病の進行が遅い。カルテも見た。
おれたちは同じ時期に、死ぬ。多分3年と、3ヶ月だ」
「・・・うん」
「それまでに、おれは」
全部ぶっ壊したい、殺したい。許せないんだ。なにもかもが。
そう言ったローの目は炎のようにゆらいで居る。
その目に映った私は虚ろな顔をしていた。
「お兄さま。私わかってる。
だからそれまで一緒に生きよう。・・・死ぬまで」
私は呟いた。
「私も、世界政府が許せない」
多分、あの”記憶”は、天啓とか、インスピレーションと呼ぶべきものだったんだろう。
私はこのとき、自分の命の使い方を決めたのだ。
それまで兄や両親に甘えていた、ただの小娘の私は、あの”記憶”に殺されたに違いない。
ローがどこか痛ましいものを見る様な目で私を見ている。
私はローの手を握る。
深い傷を舐め合いながら、私たちは生きていかなくてはならない。
※
死体の山にまぎれても、身体にダイナマイトや手榴弾を巻いても、
不思議と全然気にならなかった。
薄汚れた身なりの子供を見る大人の目は冷たいが、そんなことは取るに足らないものだ。
「スパイダーマイルズに、北の海で一番強く、非道な海賊が居るらしい。
おれはそいつの部下になって、全部壊すんだ」
そう言いながら、私の手を引くローはまだ躊躇っているようだった。
「お兄さま、また私のこと気にしてるでしょう。
いいよ気にしなくて。
私は自分が間違った命の使い方をしてるなんて思ってないもの」
私の言い草に、ローは驚いたようだったが、ぐ、と口をつぐんでしまう。
多分戸惑っているのだろう。私は変わってしまったのだ。
でも、そんなのはローだって同じだ。
だから二人で爆弾を巻きながら、海賊の根城に尋ねていけるんだろう。
海賊へ直談判した感触は悪く無かった。
海賊、ドフラミンゴはローを気に入ったのではないかと思う。
その場を幹部に任せて出て行ったドフラミンゴは去り際に私達を見ていた。
視線が私たちのつながれた手に注がれたようで、私は首を傾げた。
ディアマンテとトレーボルは面白がるように私たちに質問する。
余命についてや故郷についてなどだ。
概ねローが答えていたが時々は私も答えた。
「ウハハ!!
兄妹揃って何もかも全部壊したいってか、
頭のネジ飛んでるな、お前ら」
サングラスを外して値踏みするように私たちを見るディアマンテを見上げる。
彼らにとってみれば、我々は非力な子供に違いない。
だが、その口から出て来たのは意外にも受け入れる言葉だった。
「まァ、ウチはガキでも受け入れはするがな、
今まで100人は来たが殆ど2日以内に泣いて逃げ出す」
「・・・あの子達は?」
私が気配に振り向くと、子供が二人、こちらを見ていた。
「ああ、そいつらもガキだが”生き残り”だ。バッファローに、ベビー5」
「ニーン!トレーボル様!ディアマンテ様!」
「コラさんが帰って来た!」
扉を開けたと思ったら、大男が転んでいた。
彼が、コラさんだろうか。
笑うバッファローとベビー5に、大男は容赦なく平手打ちをする。
紅茶を飲んでは熱さに吹き出してソファから転がり落ちた大男はやはりコラソンと言うらしい。
ディアマンテが言葉を続ける。
「船長ドフィの実の弟だ。血筋のせいか腕は立つ。
昔ショックな事件があったらしく、口がきけない」
コラソンが突然、ローの頭と私の腕を掴んだ。
唐突な展開についていけず、コラソンに引きずられる私たちに
ディアマンテが面白がるように言い放った言葉がやけに耳に残った。
「そいつは子供嫌いだ。注意しろ」
窓ガラスを割って、ロー共々外に投げ出される。
「!」
「・・・うわ!」
ローが空中で必死に私を引き寄せて、庇う様なそぶりをみせた。
鉄山に勢い良く叩き付けられて、呻く。
目を開けると、こめかみの辺りからローが血を流していた。
「お兄さま!血が・・・!」
「平気だ!それよりお前に怪我はないか、」
心配そうに私を見るローに、私は首を振った。
ローは安堵した表情を見せるが、すぐに落ちてきた窓の方を睨んで呟いた。
「何だ、あのイカレたやつは・・・!」
私はハンカチをローの額に当てる。
私は分かっていた。
コラソン。彼がキーパーソンなのだ。
”記憶”が囁いてくる。
彼が我々を殺すことは、きっとないだろう、と。
私はいつしか、”記憶”を信仰するようになっていた。
記憶の囁きが本当ならローがこの先とてつもなく辛い思いをしていくことは間違いない。
でも、それでもローは生きていてくれるのだ。
ローが大人になれるかもしれないというのは私にとっては何よりの希望だった。
※
一週間、コラソンは我々兄妹を痛めつけた。
殴られる、蹴られるは当たり前だったが、
やはり不思議と致命傷にいたる傷は与えられなかった。
そうこうしているうちにドフラミンゴに呼び出された。
食卓を囲む海賊達は、食事に舌鼓を打ちながら、時折こちらに視線を寄越す。
コラソンに痛めつけられたボロボロの格好で
品定めされるみたいな目に合うのは業腹だが、仕方の無いことだとも思う。
ドンキホーテ海賊団は口々に海賊の掟を口にする。
これはきっと顔合わせも兼ねて居るのだろう。
やはりローは気に入られているに違いない。
ドフラミンゴが笑みを深めて、我々に質問する。
ローはディアマンテに答えたのと同じようにすらすらと答えた。
不愉快な質問にも素直に答えてみせるのは、
ドフラミンゴが珀鉛病についてどうやら正しい知識を有しているらしいからだろう。
そして、ドフラミンゴはローの「もう何も信じていない」という答えに満足したらしい。
今度は私にも水を向けた。
「お前はどうだ?。兄貴を止めようとは思わなかったのか?」
どうしてか、コラソンも私の方をじっと見たように思えた。
私は少し首を傾げたが、ゆっくりと正直な気持ちを口にする。
「・・・復讐したいのは私だって同じだよ。
目の前で、大事なものを奪われた。今も奪われ続けてる。
それを黙って受け入れることなんか出来ない」
「あなただってそうでしょう」
一瞬、ドフラミンゴから鋭利な刃物のような眼差しが飛んできた。
機嫌を損ねたのだろうか。・・・殺されるのかもしれない。
息を飲んだローが硬く私の手を握る。私は軽く目を眇めながら、その手を握り返す。
怖くは無い。敵意を向けられても、構いやしない。
どうせ死ぬ運命だった。
兄、ローと違って、私は偶然の生み出した命なのだ。
私は神様に愛されていない。
私はそれを知っている。
ドフラミンゴの、結ばれた唇が綻ぶ。私は眉を顰めた。
「・・・良い度胸だ。まったく自分の命なんざ惜しく無いって顔してるなァ」
「それってなにか悪いことなの?」
「いいや。なんにも悪く無いさ」
ドフラミンゴは愉快そうだった。
ローに何かを見出したらしいドフラミンゴは、
私にも同様に何か見出したのかもしれない。
でも、そんなことはどうでも良いのだ。
私の死に方はもう決めている。
ローと一緒に死ぬか、ローのために死ぬかだ。
運命はすでに、決まっているのだから。