アガスティアの葉 02
コラソンを刺した、逃げるぞ、とローに手を引かれて走ったのは
コラソンに私がこっぴどく殴られた次の日のことだ。
状況は読めなかったが、その口ぶりから不味いことになったのは分かっていた。
手を引かれるままに、港までは簡単に逃げられたが、
ジョーラとマッハバイスに捕まってしまった。
ベビー5や、バッファローの言って居たことが事実なら、
コラソンを傷つけたローや、その妹の私は
拷問か、殺されるかするのだろう。
ドフラミンゴの前へと連れてこられたとき、私は半ば命を諦めていた。
ローが刺したコラソンは涼しい顔で煙草を吹かしているのがやたらと憎らしかった。
だが、我々を拷問するにしては、ドフラミンゴの顔つきは穏やかだ。
その上、我々に視線を合わせ、ニ、と威圧感なく笑って見せるのだから
どうも風向きがおかしいと、私はローの手を握る。
「お前達兄妹を正式に、ドンキホーテ海賊団の一員に迎えることにした」
言葉を飲みこんで驚いた我々兄妹を眺めながら、
淡々とドフラミンゴが今後の方針を決めていく中で、私は確信していた。
コラソンを刺したはずのローがお咎め無しで
ドンキホーテ海賊団に入ることになった。
ああ、やはりローは神様に愛されているのだ。
私はローのついで、おこぼれに預かったに過ぎない、と。
それにしても、ローらしくないではないか。
幾ら殴られようが蹴られようが、苛立ち、怒りはしても、
ドフラミンゴの弟に報復するような無謀をローは犯さないと思っていた。
というかもっと下手人がバレないようにやると思っていた。
落ち着いた頃にローにそう零すと、ローは少し拗ねた様な顔をする。
「あいつ、お前の顔に傷を付けただろう」
私の髪を梳いて苛立たし気な顔をするのだから、私は何も言えなくなってしまった。
最悪の体験をしても、ローが私の優しい”お兄さま”であることに、なんら変わりない。
「治る傷だよ、でもありがとう。お兄さま」
「・・・別に」
ぷい、と横を向くローはどこか年相応に見えて、とても可愛らしいと思った。
妹がそんなことを思っていると知ったら、
多分ローは怒るから、口に出すのはやめておくのが賢明だろうが。
※
ローはドフラミンゴの右腕となるべく、海賊としての教育を受けることになった。
端から見てても英才教育を施されているのだな、とすぐに分かる授業内容だ。
それだけ期待されているのだろう。
さて、私はと言えば、銃を握らされた。成長しても女は非力だと言うことから、
力負けすることの無い砲術が相応しいということになったようだ。
ドフラミンゴ自らが戦術をローに教え込むのを横目で見ながら、
私はグラディウスにしごかれる日々である。
「・・・、お前は泣かないな、女のガキのくせに」
グラディウスはボロボロの私にぽつりと言った。
散々背中を蹴って姿勢が悪いだのへっぴり腰をどうにかしろだの
言い放っていたくせに良く言う。
私は思わず口を尖らせていた。
「泣いて銃撃が上手くなるなら幾らでも泣くけど」
「生意気だ」
グラディウスは口ではそう言いながらも私の頭を撫でた。
どこか優し気な手つきに、私は驚く。
つい憎まれ口を叩いてしまった。
「・・・ねぇ、海賊志望の子供が素直で良い子だったら逆に怖いと思わない?」
「フッフッフ!生意気な口は兄譲りか?」
「・・・!若様!」
グラディウスが背筋を正した。
ローの訓練は終わったのか、珍しく、ドフラミンゴがやってきていた。
グラディウスはドフラミンゴに心酔しているので、緊張した面持ちを隠せていない。
私はドフラミンゴを見上げる。
「・・・生意気だと都合が悪いなら、直すように努力しますが」
「へぇ?”素直な良い子”じゃねぇか。何企んでるんだ?」
ひょい、と軽々抱き上げられて、瞬く。
ドフラミンゴは私をぬいぐるみか何かと勘違いしているのだろうか。
私は戸惑いながらそのサングラスの奥にあるはずの目を見つめる。
口に貼付けられた笑みとサングラスのせいで、
ドフラミンゴは怒ってるのか、機嫌がいいのか分からない。
「別に何も企んでなんか無い、です」
「本当か?お前は歳の割に、変に頭が回るからな・・・」
「!」
そうこうしているとローが血相を変えてやって来た。
仮にも船長にもかからわず、ドフラミンゴを睨み上げる。
「ドフラミンゴ、にちょっかいを出すな」
「フッフッフ!ひでぇ言い草だ。船長が船員と話して何が悪い?」
「おい、口の聞き方に気をつけろ、ロー!」
ゆっくりと地面に下ろされた私を背に、ローがドフラミンゴに食って掛かる。
グラディウスがローに怒りを露にし始めて収拾がつかない。
カオスだ。
途方に暮れる私を見て、ドフラミンゴが笑った。
機嫌が良さそうに、私の頭をぐりぐりと撫でて、その場を後にする。
「、お前のお兄さまは過保護だな。将来は苦労するぜ」
囁かれた言葉に、私はローに見えないように、頷いた。
でもあなたも結構過保護だよね、と内心で思う。
コラソンは今日もドジって、ドフラミンゴの気に入っていたはずの
ソファを紅茶塗れにしていたが、
ドフラミンゴは呆れて『しょうがねぇな』と言ったきりだった。
※
紅茶を入れるのはベビー5の仕事だが、
その日、たまたまベビー5はバッファローと出かけていた。
おまけに私の講師のようになっているグラディウスは何らかの任務で出かけていて、
ローはと言えばドフラミンゴと悪だくみをしていた。
他の幹部達も思い思い好きなように過ごしている。
・・・つまり、その日は私とコラソンの2人きりで留守番となったのだった。
コラソンはどうも暇なのか、紙飛行機を作っては飛ばし、作っては飛ばしている。
「ゴミになるんだからやめなよ」
コラソンに忠告すると、ちらりと横目で私を見たがすぐに紙飛行機を飛ばす作業に戻る。
なんなんだよ、この大人は・・・。
私はコラソンをジト目で睨む。
暇なのか、苛立っているのか、その両方だろうか。コラソンはぼうっとしているらしい。
・・・仕方が無い、紅茶でも入れてやるか、と私は読んでいた本を置いて立ち上がった。
何か飲んで落ち着けば、ああいう拗ねたような、当てつけのような行動は
止めるのではと期待を込めたのだ。
そして私の淡い期待はものの見事に裏切られた。
「あのさぁ・・・カップから湯気でてるじゃない?
熱いって分かってるじゃない?冷まそうとか思わないの?」
私の入れた紅茶を思い切り吹き出したコラソンはどことなくばつが悪そうな雰囲気だ。
私のワンピース、スカートの端ががちょっと濡れている。
火傷はしなかったものの、面倒だ。
掃除は下っ端の仕事だ。
モップを持ってくる。ついでに紙飛行機も掃除してしまおう、と
てきぱきと働く私を、コラソンが黙って見ている。
視線が後頭部に刺さる。
奇妙なまでにコラソンが大人しいので、話しかけてみることにした。
「ねえ、何でローのこと、黙ってたの?」
床を掃除しながら質問すると、コラソンは紙飛行機を飛ばしたらしい。
トス、と言う音がしたかと思うと、後頭部に痛みを覚えた。
「あ痛ッ!なに!?」
見事私の頭に命中した紙飛行機を悪態をつきながら開くと、
『なんのことだ』の文字。
・・・回りくどいし、しらばっくれても意味はないのに。
「ふーん、言いたく無いなら別に良いよ。
ローが酷い目に合うとこなんて見たく無いし、見せしめだって言って、
ローの前で私を殺すとか、そういう事態になったら困るし。
黙っててくれた方が有り難いもの」
私の言い草に驚いたらしい気配がする。
コラソンはまた紙飛行機を飛ばした。
今度は先端が頭に刺さる前にキャッチしてみせた。
「『そうなりたくなきゃとっとと出てけ』?」
声にだしてコラソンの書いた文字を読む。
正直意外だ。
「・・・コラソン、私、あなたは『ドフィはそんなことしない』って書くと思ってた。
やりかねないって思ってるんだ?ローへの罰で、ドフラミンゴが私を殺しかねないって。
コラソン、それが嫌だったの?」
次の瞬間、パン、と乾いた音がして、私は吹っ飛ばされていた。
平手打ちをされたのだ。
コラソンはサングラスの奥に瞳を隠しているが、微かに動揺してる気がした。
頬を抑える。じんじんと、痛み、帯びてくる熱に、私は怒りを込めて挑発した。
「その反応、図星って言ってるみたいなものだよ」
『なまいきだ』
「まぁね」
私は肩を竦めてみせる。
今度は紙飛行機を飛ばす余裕もなかったみたいだ。
コラソンは私を睨む。怒っている。
だが、不思議なことに、殺す気なんて微塵も感じられなかった。
「コラソン。私は出て行かないよ。
ローと一緒に生きるんだから。
まぁ、私がローの弱みになるんだったらその限りじゃないけど」
立ち上がってスカートの埃を払うと紙切れを差し出された。
『あにのために死ぬのか』
コラソンは何とも言えない表情を浮かべていた。
嘲る様な、哀れむような、そんな顔だ。
私は首を横に振った。
「違うよ。自分のために死ぬに決まってるじゃない。
自分がそうしたいからそうするんだよ。
こう言っちゃうと良く無いけどさ、ローの気持ちなんてどうでも良いんだ。
私が勝手に、ローに生きていて欲しいだけなんだから」
私は掃除用具を持って扉へ向かう。
「私みたいな生意気なガキがいたらイライラするんでしょ、コラソン。
隣の部屋に居るから敵襲があったら呼んでよ」
コラソンはだんまりを決め込んだ。
むすっとした顔は、どうしてだろう、子供のようにも見える。
「・・・さっきの話の続きだけどさ、
妹に出し抜かれるローの顔、私嫌いじゃないんだ。
この意味わかる?
コラソンだって私の気持ち、分かってくれるんじゃない?」
「”クソガキ”」
コラソンの唇が私を罵ったのが分かった。
私はニヤッと笑って扉の外に出る。
コラソンの飛ばした紙飛行機の先端が私の出てった扉に刺さった。
そこに何が書いてあったのか、私には分からなかった。
※
「フフフ、お前の妹は変わってるな、ロー」
「なんだよ、急に」
窓越しに、銃撃を教わるがグラディウスに蹴られているのを見て、ローが眉を顰めた。
最初は止めようとしたが、
が訓練にならないからとローを嗜めて以来、しぶしぶ見守ることに決めているらしい。
「グラディウスが褒めてたぞ。女でガキの癖に、根性が座ってるってな」
「・・・前はあんなんじゃなかった」
「ヘェ?」
ローが絞り出すように答えたのに、ドフラミンゴが興味深そうに頬杖をついて、
その先を促した。
「はもっと泣き虫だったし、甘ったれだった。
医者の娘だから、解剖とかは全然平気だったけど、
血が沢山出る様な施術の時は真っ青になってたよ」
あいつに銃なんかほんとは撃たせたく無かった。
ローは内心で呟く。
ドフラミンゴはそんなローの内心を見抜いたように、口の端をつり上げた。
「お前だってからすりゃ変わってるさ。なぁ”お兄さま”?」
「・・・うるせぇ」
「妹がしっかりしたら寂しい気持ちは分からないでもないがな。
兄思いの良い妹じゃねえか」
「・・・」
ローは複雑な顔をした。
ドフラミンゴも、ローがそう言う顔をする気持ちを、なんとなく理解していた。
と会話して、幾つか分かることがある。
は自分の命とローの命が平等だとは思っていない。
海賊団の船員として活動する中で、
何度もはローの前に身を挺した。
ローが幾らやめろと言っても、はローの盾を気取って前に出る。
何度か口喧嘩のようなものをしてるところも見たが、
ローが一方的に怒っているだけで、のれんに腕押し、
には何の効果も無さそうだった。
極めつけにこんな言葉をローに言い放った。
『お兄さまが死んだら私は死ぬけど、
お兄さまは私が死んでも死なないでしょ?
まぁ・・・今2人とも生きてるんだからさ。気にしなくて良いじゃない』
そう言ってローを絶句させていたは至極当然のことを言ったのに、
と言わんばかりに首を傾げる。
『私がお兄さまを庇うのがそんなに嫌なの?
ならその必要がない位強くなってよ、お兄さま』
にこにこと笑った顔は年相応に無邪気で、生意気だった。
それ以来、ローは悟ったのだろう。
何を言っても無駄なのだと。
そう言うわけで、ローはそれまで以上に訓練に打ち込むようになった。
当然だろう、とドフラミンゴは思う。
自身がローの立場なら、きっとローと同じことをしたはずだ。
ドフラミンゴはのことも気に入っている。
最悪の体験をローと分かち合い、年齢に不相応な賢しさを身につけた少女は、
未だに食事の前に神に祈る。
思わず神を信じているのか?と問えば、やはり普通ではない答えが返って来た。
『信じてるよ』
『フフフ、お前たちに最悪な体験をさせた”神様”に、よく祈る気になれるな?』
『・・・信じてるけど、神様が私を愛してくれてるとは思ってない』
不意を突かれたように、笑みを浮かべることも忘れたドフラミンゴに、
はそらんじるように言葉を紡ぐ。
『日曜日には教会に行ってお祈りをした。
聖書だって暗記する位読んだ。
それでも神様は私を愛さなかった』
は皮肉っぽく笑ってみせる。
時折この少女は、ローよりもずっと年上に見えた。
『それってそんなに珍しいことでもないんじゃない?
どうでも良い人間に慕われたって、なにも返す気にはならないし、
気に入ってる人間に慕われたら、それに報いようと思う』
ドフラミンゴはの目を覗き込む。
ガラス玉のような目が、ドフラミンゴを見返していた。
『あなただってそうでしょう』
は時折、こうして示唆に富んだことを言う。
まるで未来を見透かしたようにの口から出る、予言のような言葉。
生意気な言葉に苛立つこともあるが、例え殺してしまったところで、
は当然の如くそれを受け入れるのだろう。
は口癖のように呟くのだ。
「運命はすでに、決まっているのだから」と。