Lesson 1. ローの場合


トラファルガー・ローがドンキホーテ・ファミリーに入ってからしばらく経つが、
ファミリーの中に、どうも掴めない人間が一人いる。

という男はドンキホーテ・ファミリーの一員でありながら、
全く海賊らしからぬ人物だった。

年の頃はドフラミンゴより少しばかり年上で、べっ甲でできたフレームのメガネをかけている。
いつも三つ揃えのスーツを着て、ドフラミンゴと話していることが多く、
ファミリーの仕事には、交渉ごとを除いてほとんど同伴しない。

一応得物であるらしいパーカッション式リボルバーが一丁、懐に吊っているのは知っているが、
それにの指が触れたところを、ローは見たことがなかった。

「私に何か用かな、トラファルガー君」

本を落ち着いて読める部屋はスパイダーマイルズには一つだけだ。
二人がけのソファに腰掛けて読書に勤しんでいた先客、が本に目を落としたまま言う。
その物言いが慇懃な教師のようで、ローは眉を顰めた。

「読書しに来ただけだ。お前に用があるわけじゃない」
「そうかい」

は素っ気なく答えるとそのままローの存在を忘れてしまったように活字を追っている。
時折ノートにメモを取っているのをなんとなくローは見ていたが、
本来の目的に勤しむことにした。自習である。

の横に座り、本を開く。
ドフラミンゴの寄越したのは戦術、経営の本がほとんどで、ローにとってはあまり馴染みのない分野だった。
医学に関しては大人顔負けの知識を有している自信もあるが、
戦術に関しては文字通り一から学ぶ必要があると、ローは気負っている。

そうやって難しい顔をしていたローを見かねたのか、が口を開いた。

「詰まっているようだな」

淡々とした言葉に詰られたような気になって、
ローはを睨みあげた。

「うるせェな、だったらお前に分かるのか」

ベビー5が泣き出したような目つきで凄んでもは涼しい顔だった。
それどころか態とらしく眉を上げて見せる。

「私は元大学教授だ。専門は心理学だった。
 戦術も心理学からの見方なら、得意分野なのだが」

「・・・は? いつの話だよ」

ローは怪訝そうにを伺った。

「21から26まで教鞭をとっていた」
「嘘つけ、大学卒業するのは22歳だろ」

30手前で海賊をやっているのに、教授だったにしては若すぎると指摘するも、
は静かに経歴を答えていった。

「私の修学した大学には飛び級制度があった。
 博士課程を19で収めて論文がいくつか評価されたのでそういう職に就いただけのこと」

「何か他に質問は?」と続けたに、ローは怪訝そうに首をかしげた。
嘘を吐いている様子はないが、だとしたらなお不思議だった。

「なんで大学教授が海賊なんてやってんだ?」
「職場と家をドフラミンゴに焼かれたので、成り行きだ」

平然とした様子でとんでもないことを言い出したので、ローはぎょっとしてを注視した。

「嘘じゃ、ねェんだよな?」
「嘘を吐くメリットが無い」

それでも半信半疑のローに、はため息をこぼした。

「私は何冊か本も書いたんだが、たまたまそれを見て、どうも思うところあったらしい。
 当時勤めていた大学にも足を運び、私の講義にも紛れていたようだ。
 一度勧誘を受けて断ったら、職場と家とを焼かれたので
 交渉ののち海賊団に所属することになった。
 簡単に言えばそうなる」

「いや、おかしいだろ・・・」

ドフラミンゴに強引に勧誘を受けたのはわかったが、
にも関わらずどうしてそこまで普通にして居られるのかがわからない。
無理矢理仲間にされたという様子でもないのもおかしい。
とローはを奇妙な生き物を見るような目で見つめた。

はローの怪訝そうな様子に気づいたらしく、頷いて答えた。

「私は物に執着しない質でね。
 家は燃えたら住めないし、職場がなければ賃金も発生しないので、
 代わりに報酬と寝床を要求した。ドフラミンゴはそれに頷いたので、なら、まあいいかと」

「いいのかよ、それで」

呆れるローに、はうっすらと笑みを浮かべた。

「強引な手段だと思うところがないとは言えまいが、提示された報酬と仕事に納得しているからな。
 あと、『そこまでするのか』と思うと、少々面白かったので」

珍しい表情だった。
は滅多に笑わず、気だるそうな表情をしているのが常である。

「で、どこがわからないのかな、トラファルガー君」

気を取り直したように告げたにローは多少逡巡したが、
結局意地を張るのもバカらしいと、本を指差した。

「・・・この辺の専門用語が」
「よろしい」

はローの質問に淀みなく答え始めた。

大学教授であったのは嘘ではないらしい。
優れた教師をローは何人か知っていた。そのうちの一人は医者であった父親だが、
は父親に匹敵する、あるいはより優れた教師役だった。
ローに考える余地を与え、思考を訓練し、
導き出した答えをブラッシュアップさせる手腕には確かなものがあった。

「今日はここまでにしよう」

勉強に没頭していたローにが懐中時計を取り出して言った。
気がつけば時計の針が二巡していた。ローには瞬きほどの時間に思えたと言うのに。

「君は勉強が好きな方だね。読書や机にかじりつくのを苦に思わない。
 本にも親しんで来たんだろう、慣れが見える」

はローの進捗を見て眼鏡越しに目を眇める。
ローは訝しむように首を傾げた。

「それは褒めてんのか? 貶してるのか?」

「事実を述べているまでだ。
 教師から見て教えやすいのは君のような人物だろうと思うが、
 特に褒めても貶してもいない」

平坦に返したに、ローはつい、口を開いてしまった。

「ドフラミンゴもそうか?」

唐突に思えたのだろう。は少々眉を上げたように見える。

「なぜ?」

問い返されてごまかす理由が思いつかず、ローは素直に答えた。

「・・・似てるってよく言われるから」

は考え込むようなそぶりを見せた後、首を横に振った。

「物の見方も判断基準も様々だが、そうだな。
 君とドフラミンゴはあまり似ていないかもしれない。重なる部分はあるが、」

は淡々とローの長所と短所を指摘する。

「君は思慮深い。目の前に複数の選択肢があるなら、
 君はその選択肢を選んだらどうなるか、ある程度確率の高い展開の予想ができる。
 故にそれらを臨機応変に選ぶことに秀でているが、選択した結果予想もつかない出来事に遭遇した際、
 判断にタイムラグが発生する傾向にある」

の指がデスクを柔らかく叩いた。

「ドフラミンゴの場合、彼は選択肢をそもそもあまり迷わない。彼の判断基準は一つだ。
 ”自身の目的にそぐわない物は排除する。利用できるなら活かす”
 ・・・言い換えるなら、彼の前に選択肢は実質存在しない」

小難しい説明に頭に疑問符を浮かべたローへ、は噛み砕いて言った。

「君は自分の考えを曲げることもあるが、
 ドフラミンゴの方が頑なだと言うことだ。良くも、悪くも」

はそれから自分の読書に戻ってしまい、
ローの質問に答える気はないと態度で示した。

ローはに言われたことを反芻しながら寝床へと戻った。

『ドフラミンゴの方が頑なだと言うことだ。良くも、悪くも』

この言葉は、後々、ローの脳裏に何度か過ぎることになる。