Counselling 2. 長靴をはいた猫


ドフラミンゴがその部屋に足を踏み入れたとき、
以前とは少しばかり趣が違うことに気がついた。

いつの間に集めたのかわからない膨大な本に囲まれた部屋だと言うのは変わらないが、
毛足の柔らかな絨毯が敷かれ、ソファの横には蓄音機が、
ローテーブルの上には蜜蝋と分厚い童話集が置かれていた。

「かけたまえ」

ドフラミンゴは促されるままに、の向かいのソファに腰掛ける。

「部屋の趣味を変えたのか?」
「そんなところだな。少し待ってくれ、飲み物を用意する」

が持ってきたのはブランデーを水で割ったものだった。
口をつけると、よくドフラミンゴが酒場で頼んでるものと変わらない味がする。
のこういう、度のすぎた目敏さにドフラミンゴはいつも奇妙な不快感を覚えるのだが、
今日はなぜだかさほどでもなかった。

は音量を絞ってレコードを流し、何個かの蜜蝋に火を灯すと
ドフラミンゴと同じように水割りを飲みながらたわいもない話をした。

「ドンキホーテファミリーの年齢層の広さについては驚かされる。
 海賊というのは皆こうなのか?」

「よそのことは知らねェよ。ただ、年齢が偏るのは避けたいとは思ってる。
 長く海賊稼業をやる予定だからな」

は感心したように頷いた。

「なるほどね、世代交代も視野に入れてるわけだ。彼らは志願してきたのか?」
「最高幹部以外はスカウトがほとんどだ」
「私の時のように、だな」
「そうとも、フフフッ!」

ドフラミンゴが機嫌よく笑うと、は何を思ったのか息を吐いた。

「それにしても君は子供の扱いが上手い。・・・私は子供が苦手だ。
 何を考えているのかよく分からない」

ドフラミンゴは意外そうに眉を上げた。

「そうは見えないが」
「邪険にするわけにもいかないだろう。実のところかなり気を使っている」

肩をすくめたに、ドフラミンゴの方が問いかける。

「お前は早々にウチに馴染んでるように見えるがな。
 実際はどうだ?」

「最初のうちは事あるごとに喧嘩に巻き込まれるのにぎょっとしていたが、近頃は慣れてきた」

「フッフッフッ! グラディウスから聞いてるぜ。
 荒事を口八丁でなんとかするから銃の腕が上がらねェってな」

は見た目が優男風なのも相まって絡まれやすいらしい。
だが、あしらいがうまいのでその場を取り繕って毎回事なきを得ているのだ。

に銃の指南をしたグラディウスは
”仕事”以外でが銃を抜く機会がないのを嘆いていた。
教えたからにはどんどん使って欲しいと思っているようだ。

「君たちみたいに歴が長くはないから仕方ないだろう。
 抜かずに済むならそれでいいじゃないか。
 銃弾もタダじゃないんだし。さて、」

は面白がってグラスを煽っているドフラミンゴに向き直る。

「知っているかもしれないが、人間が夢を見る理由にはいくつか説がある。
 もっとも一般的なのは『寝てる間に脳が記憶を整理しているから』というものだ」

世間話の延長のようなトーンで、は”カウンセリング”の本題に入った。

「不快かもしれないが、悪夢の種類についてを教えて欲しい」

は傍にあるレコードに目を配らせた。

「君の悪夢は体験から抽出され、このレコードのように延々再生されるものなのか、
 あるいは”誇張された”ものなのか」

「・・・両方だ」

短く返したドフラミンゴに、は少し考えるそぶりを見せたが、
そう間も無く返事をよこした。

「結構。では対処に移る」

ドフラミンゴは首を傾げた。

「具体的な内容を聞いたりはしねェんだな」

「確かに悪夢の内容を言葉にして第三者に話すことが効果的な場合もあるが、
 多分、君の場合は逆効果だ」

はテーブルを柔らかく指で叩いた。

「最初に言ったが、夢というのは”記憶の整理”であり、
 健康な睡眠がとれてるなら夢というのはよく覚えていない方が普通らしい」

「悪夢は心身に与えるショックが大きいので覚えていることが多いそうだ。
『いい夢を見た時より悪夢を見た時の方が詳細に覚えている』という統計もある。
 また、悪夢は眠りが浅いと見る傾向にあるようだ」

「君の場合、過去の出来事を基にした”悪夢”を何度も見ているせいで
 眠ることに対する警戒心を抱いてしまい、睡眠時間が十分に取れず眠りが浅くなったり、
 また起きている間に何度も悪夢について考えることで
 無意識のうちに”悪夢の補強”を行なってるんじゃないかと思う」

長々と語るに、ドフラミンゴは空になったグラスを手の中で遊ばせながら問いかける。

「つまり?」
「悪夢についてはなるべく考えないようにするべきということだ」
「・・・」

『気の持ちよう』のような何の生産性もない答えが返ってきて
ドフラミンゴは大げさに落胆を露わにして見せた。

「そう渋い顔をしないでくれたまえよ。具体的な対処についてはこれから話すんだから」
「そりゃ良かった。それで済むなら苦労はねェと思ってたとこだったからな」

揶揄するようなドフラミンゴの返事を半ば無視して、は次の段階に移った。

「では、ここからが私の本領だ。とりあえず悪夢に対する緊張や警戒心を解くことための
 簡単な”スイッチ”を作ろうかと思う」
「”スイッチ”?」

不思議そうなドフラミンゴに、が頷く。

「まあ、おまじないというか、自分に課すルーティーンのようなものだ。
 例えば、寝間着は一番ポピュラーな”睡眠導入スイッチ”だな。
 『この服を着たら眠る』という意識に自分を持っていくわけだよ」

なるほど、とドフラミンゴは腕を組む。
のいうこともまあわかる。確かに以前当人も言っていた通り、
”気休め”くらいにはなるかもしれない。

「気に入っている音楽や香り、あるいは読書も精神を落ち着かせるのには向いている。
 もしくは、気の入りにくい童話をそらんじることなんかも”スイッチ”にはふさわしい」

蜜蝋の横に置かれていた童話集はそういうわけか、とドフラミンゴはテーブルの上に目をやった。

「しかし、なんで童話なんだよ」
「ものによっては朝まで読みふけるからな。君もそういうタイプだろ?」

断定されるが、間違ってはいない。
どことなく腑に落ちない気分を味わっているドフラミンゴを尻目に、
は灯していた蜜蝋の数を減らし、レコードを止めてオルゴールのネジを回した。
穏やかな旋律はドフラミンゴも聞いたことのあるものだ。

「では、目を閉じてくれ」

の意図を察して、ドフラミンゴは笑った。
まず、オルゴールを”スイッチ”にして眠りを誘うつもりらしい。

「フフフッ、お前は出ていかねェのか」
「ソファで寝ると風邪をひくし体を痛めるよ、ドフラミンゴ君。
 きちんと起こしてやるとも」

ドフラミンゴはに促された通りに、
素直にサングラスを外して腕で顔を覆った。

暗闇にオルゴールの音が響いている。

蜜蝋の香りや、水割りのせいだろうか、確かに少しの眠気が
ドフラミンゴの脳に帳を下ろし始めた。

いつのまにか、オルゴールの音色も途絶えていた。
あまりに静かなので、まるでこの部屋にはドフラミンゴ一人しか居ないような気さえしてくる。

ドフラミンゴは思わず、そこに居るはずのに問いかけた。

、居るのか?」
「・・・居るとも」

少しの逡巡の後に、が返事をよこした。

「フフフ、あんまり静かなんで、死んじまったかと思ったよ」
「生きてるよ」

「・・・本当か? いっつも死んだ魚みてェな目、しやがって」
「割とよく言われる」
「よく言われるのかよ、フッフッ」

愉快そうに笑ったドフラミンゴに、は呆れた様子だった。

「君、おしゃべりだな。眠る気があるのか?」
「フフフフフッ」

そして、ドフラミンゴは、テーブルの上にあった本のことを思い出した。
はまだあれを使っていない。
確かに、の用意したものはドフラミンゴに眠気をもたらしているように思える。

「・・・なァ、童話があったろ? 靴はいた、猫だか、犬だかの」
「ああ。”長靴をはいた猫”」

が頷いたので、ドフラミンゴは命令した。

「あれが読みてェ」「君、読めそうにないけど」
「じゃあ、読んでくれ」「・・・」

「読め、ほら」

暗闇の中に深いため息が聞こえた。



 声がする。淡々と物語を紡ぐだけの声が。

「”猫は袋の中にレタスと小麦のくずを入れて遠くの方へ放り出しておきました”」

うつらうつらとまどろむうちに、ドフラミンゴは幼い頃のことを思い出していた。

たくさんある絵本の中でも、人間や動物が死ぬ話は遠ざけられた。残酷だからと。
こんな話は子供に読み聞かせるものではないと両親が渋い顔をした。

だけどドフラミンゴはそれが読みたかったのだ。
遠ざけられれば遠ざけられるほど気になった。
だからある日こっそり、家の外にある図書館でその本たちを手に取った。

「”そして、まだ世の中の嘘を知らない若いうさぎたちが
 何の気なしに袋の中のものを食べに、潜り込んでくるのを待っていました”」

猫が奸計を巡らせて、貧しい男を成り上がらせる話。
デタラメばかりを言う男が処刑されるまでを描いた話。
平民の分際で贅沢ばかりを望んだゆえに、焼いた鉄の靴で踊らされる話・・・。

ドフラミンゴが今まで読んでた絵本より種類に富んでいて面白かった。

だから、遠縁の親戚だか誰かが
『悪いことをすると”D”の一族が天竜人の子供を食ってしまう』
なんていう迷信を口にして弟が怖がって泣き出した時も、ドフラミンゴは怖くなんてなかった。

「”案の定、もう早速、向こう見ずの若い、馬鹿なうさぎが一匹、
 その袋の中へと飛び込みました”」

泣きわめく弟を必死になだめる両親を見て、ドフラミンゴは鼻白んだ。
そしてこう思ったのだ。

『慣れてないから怖がるのだ』『似たような迷信ならいくらだってある』
『怖いものを遠ざけて甘やかすからそうなるんだ』

――自分こそ、砂糖菓子でくるめられたように甘やかされていた癖に。
世の中のことを何も知らない、愚かな子供だったと言うのに。

「”猫はここぞとばかりに、すかさず袋の紐を締めて、そのうさぎを”」

 声がする。誰かによく似ている声が。
 死ぬほど不愉快なはずなのに、ひどく落ち着くのは何故だ。
 昔もこんな風に、誰かが。

「”情け容赦もなく殺してしまいました”」

肘掛に置いた指が、ドフラミンゴの意思とは関係なく跳ねた。



がドフラミンゴの変化に気づくのはすぐだった。
先ほどまで落ち着いていたはずのドフラミンゴが、息を荒げているのだ。
朗読をやめて声をかける。

「ドフラミンゴ君?」
「ッは、ァ」

ドフラミンゴはそれどころではなかった。の声がするたび、
奇妙な恍惚で背筋が痺れる。
なけなしの理性が叫び出しそうな状況なのに、その場を動くこともできなかった。

「・・・あのさァ」

恐ろしく冷たい声がドフラミンゴの耳朶を打つ。

「おれは君の”睡眠”に対してアプローチを試みたわけだけど。
 なんで君、一人で盛ってるんだよ」

服を寛げて自分を慰めはじめたドフラミンゴを、は呆れと軽蔑を隠さない声で詰った。
それすら今のドフラミンゴには強すぎる刺激だった。

「ッ、知るか、お前が、やったんだろ、」
「確かに君にとって心地よい環境を作ろうとはしたが。
 逆に興奮状態になるとはどういうことだ。何が”スイッチ”になったんだろうな?」

はしばらく考え込んだ。沈黙が部屋を満たすと、
ドフラミンゴの異様な興奮も徐々に落ち着いてくる。
その様子を見ていたは早々に答えに行き合ったらしい。

「状況を鑑みるに、”朗読”か」
「・・・っ」

朗読だけではない。”声”だ。
だがそんなことを知る由もないは立ち上がる。

「とりあえず、私は適当に寝床を確保するので、君は、・・・!?」

ドフラミンゴは退室しようと立ち上がったを引きずり倒した。
絨毯の上に組み敷かれたは驚愕の眼差しでドフラミンゴを射抜く。

「お前の、せいだ、ッ、お前の、」
「いや、だから、」
「責任とれよ」

低く唸るドフラミンゴに、は怪訝そうに眉を上げた。

「・・・は?」
「、ッ、ふざけんなよ、お前が、おれを、こうしたんだから、どうにかしろ」
「落ち着きたまえよ、自分が何を言ってるのかわかって、っぐ!?」

鈍い音がした。宥めようとするをドフラミンゴは思い切り殴っていた。
メガネが絨毯の上、遠くの方に転がったのも気にならなかった。
薄暗い中でも、の鼻から血が滴っているのがわかる。

甚振ってやりたかった。ドフラミンゴの口角が吊り上がる。

 今だ。今、この男を嬲り殺しにしてやる。

そう思って拳を振り上げたドフラミンゴに、この上なく冷ややかな声がした。

「・・・お前は”待て”もできないのか、”ドフラミンゴ”」

拳を止める。思わず息を飲んでいた。
嘘だと思いたかった。ただ詰られただけなのに、
息が止まりそうなほどの、凄まじい快楽だった。

「何が『お前がおれをこうしたんだ』だ。勝手におったてといて、
 こっちに責任をなすりつけてくるんじゃねェよ」

の足がドフラミンゴのペニスに強く押し付けられる。
痛みに眉を顰めたドフラミンゴに、の目が細められた。

さっきから、心臓の音がずっと頭の奥に響いている。

「まァ、おれが妙な”スイッチ”を入れたのは確かだろうが。
 そうだ。ここで見ててやろうか?」

「な、」

「一人でなんとかしろ」

『見ててやるから』

そう言って、蜜蝋の薄い明かりが映った灰色の瞳が、
愉快そうに笑ったのが見えた。



「おい、いい加減退いてくれ」

ドフラミンゴは足元の痛みに目を覚ました。
どうやら声の主に思い切り蹴られたらしい。

驚いて距離を取ると、顔を腫らしたが不機嫌そうにドフラミンゴを見遣った。
のろのろと起き上がり、転がったメガネを拾うも、
ガラスにヒビが入っていてとてもじゃないが
使えるような状況じゃなさそうだった。

ドフラミンゴは自分の頭から血の気が引いていくのを感じていた。
ドフラミンゴの脳みそは昨晩、何が起こったのかを忘れてくれてはいなかった。
全て覚えている。吐き気がするほど鮮明に。

呆然とするドフラミンゴを尻目に、は水差しから水を飲んでいる。
冷静なを見ているうちに、ふつふつと怒りを覚えたドフラミンゴは
その背に罵声を浴びせかけた。

「お前・・・! 最悪だ。
 おい、どうしてくれるんだ、・・・!!!」

は振り返って、
事もあろうにドフラミンゴを路傍の石でも見るような目で見下ろした。

「ガタガタ騒がないでくれよ、生娘でもあるまいし」

あんまりな言い草に固まるドフラミンゴに、は深いため息をつく。

「あのな、一応言っておくが私は被害者だ。
 見ろよこのシャツ、もはや衣服の役割を果たしてないぞ、気に入っていたのに」

の着ているシャツは確かに酷い有様だった。
ボタンはほとんど弾け飛び、袖のあたりは破れている。
今はほとんど布を仕方なく羽織ってるような状態だった。

自分がやったのは覚えていたが、それでも怒りは収まらない。

「被害者ヅラするんじゃねェよ!
 元はと言えばお前が、妙な催眠みてェなことをやりだしたのが発端だろうが!!!」

「はぁ? それはこちらのセリフだな。
 勝手に盛りだして、挙げ句の果てに私を巻き込んで
 さんざ喘いでた癖に人のせいにしないでくれたまえ」

わなわな震えるドフラミンゴに、は腕を組んで首を傾げた。

「とりあえず君、さほど見た目は問題なさそうだな。
 さっさと自室に戻って風呂にでも入ったらどうだ?」

ドアを指さされ、ドフラミンゴは奥歯を噛んだ。
は頰が痛むのか左側を抑えてため息を零す。

「全く、思いきり殴ってくれたおかげで顔は腫れるわ、眼鏡も壊れるわで散々だ。
 説明を求められたら君の不興を買ったと、適当に理由をつけるがそれでいいかね?」

「知るか!!!」

ドフラミンゴはその場にいることが耐えられなくなって、
派手な音を立ててドアを締め、逃げるようにの部屋を後にした。



「意外だな、殺されるものだと思っていたのだが」

身支度を適当に整えたは、ソファに腰掛け、
ノートを取り出して一人物思いに耽る。

昨晩のカウンセリングで、ドフラミンゴの悪夢の原因を探りだすのは容易かった。
ドフラミンゴに現在の人間関係や仕事、生活に対してさほどの不満がないことは
雑談の中から伺えた。

悪夢の原因を”トラウマ”だとあたりをつけて聞いてみれば、
ドフラミンゴは素直に肯定したので、
の仮説は間違っていたわけではないだろう。

トラウマを緩和する対処をしようとしたことまでは適切な処置だったと思っている。
だが、それが思わぬ効果を発揮してしまったようだった。

ドフラミンゴがに対して、
奇妙な敵意や殺意を抱いていることには自身気づいていた。

おそらく、昨晩の”ドフラミンゴの異様な興奮”は、
に対する感情が歪んで発露したものなのだろう。

に覚えはないが、
なんらかの理由でドフラミンゴはを憎悪し、
そして”屈服させたがっている”。

だが、昨晩の反応の全てがの仮説と同じわけではなかった。

「殴られたあたりまでは仮説通りだったが、おれが強く止めた後から様子が変わった。
 あれはなんと言うか、”止められたがっている”
 ”命令されたがっている”ようにも見えたが、さて」

はノートにさらさらとキーワードを書き連ねる。

”朗読”、”長靴をはいた猫”、”コントロールされたがっている?”、”強い興奮”。

「”朗読”がトリガーになったのは明らかだが、別の本でも同じような効果になるのか、
 あるいは別の要因があるのか、」

は最後に一つの単語を書き加えて、ノートを閉じた。

”依存性”。

「・・・予想とは違う展開になったが、これはこれで面白い」