Counselling 3. ロシナンテの場合


ドンキホーテ・ロシナンテがを最初に見た時の感想といえば、
『ファミリーがアジトに一般人を連れ込んで脅してる』だった。

しかしよくよく見れば、そのインテリ然とした男の態度は
幹部連中を相手に堂々としている。

あまり海賊には見ないタイプだった。
同じようにネクタイをしているはずのドフラミンゴとはまるで印象が違う。
スーツを着こなしてはいるが、マフィアのような風体ではなく、
どこかビジネスマンのような雰囲気を漂わせている。

ロシナンテがジロジロとを見ていたものだから、
ドフラミンゴが気づいたらしい、ロシナンテを手招いてその男に声をかけた。

「紹介するぜ、。こいつはドンキホーテ・ロシナンテ。おれの弟だ。
 お前が出かけてた時に所属することになった。
 最高幹部の一人として”コラソン”というコードネームを与えている」

ドフラミンゴから簡潔にロシナンテを紹介されて、は穏やかに応じた。

「やぁ、コラソン、と呼べばいいのかな。
 私は、主に交渉を仕事にしている。よろしく頼むよ」

眼鏡越しに透けて見える目だけが底なし沼のように暗澹としていたが、
それ以外はごくまともな男のようだ。

ロシナンテは『声が出ない』という体でドンキホーテ・ファミリーに潜入したので、
の挨拶には頷いて返した。



ロシナンテがドンキホーテ・ファミリーに属して感じたのは、
徹底してドフラミンゴを絶対とした組織であるということだった。

それも当然のことであると納得はできる。

幼い頃のドフラミンゴは自分が世界の中心だと信じて疑っていないところがあったし、
最高幹部の連中はドフラミンゴに、常にへりくだっている。
他の幹部にしてもドフラミンゴを立てて動いた。

実際、ロシナンテの見る限り、
組員はドフラミンゴの手足や道具に過ぎないのだが、
ドフラミンゴは彼らを”家族”と呼び、幹部はそれに喜んで応えていた。
まるで家族と呼ばれる事を、信頼の証だとでも言うように。

 何が家族だよ、ふざけんじゃねェ。

ロシナンテはタバコに火をつけながら、内心の苛立ちをごまかした。
ドンキホーテ・ファミリーで過ごすのは死ぬほど不愉快だった。
言葉が話せない、という体を装っていて良かったと心底から思う。

血の繋がった家族を自ら手にかけておいて
他人を家族と呼ぶ茶番が、ロシナンテには許し難かったのだ。

そういうこともあって、ロシナンテの変装を兼ねた派手な化粧の下に、
常に不機嫌そうな表情が顔に張り付いてしまうほどだった。

だが、幹部の中に、ドフラミンゴが”家族扱い”をしていない男が一人いる。
元大学教授だという、である。

正直なところ、がドフラミンゴに重用されているのは、
ロシナンテにとっては意外だった。

ドフラミンゴと同世代のは交渉事に強く、
強さではなくその知識を買われてファミリーに招かれたらしい。

確かにはドフラミンゴとよく話している。
仕事の相談にもよく乗っているようだ。
ドフラミンゴと、参謀であるトレーボル。
そしてというのが悪事の計画を立てる際に欠かせないメンバーとなっている。

ドフラミンゴを海賊の道に引きずり込んだトレーボルはともかくとして、
さほど年の変わらないの言う事をプライドの高いドフラミンゴが聞く、と言うのが
ロシナンテにとっては驚くべき事だった。
その上、はドフラミンゴを”雇用主”として尊重はしても
過度に媚びへつらう様子はなく、割合対等に口を聞いた。

タバコの煙を燻らせながら、ロシナンテはドフラミンゴと話すに目をやった。

 それにしても、妙な感じだ。

ロシナンテはに挨拶をした時から、違和感を覚えていた。
初対面だと言うのに、まるで以前、どこかで会ったことがあったかのようだった。

そう言うわけで、ドフラミンゴの挙動や悪事に目を配らせるのと同じくらい、
ロシナンテはのことも目で追うようになっていったのである。



ドフラミンゴの目的は北の海にとどまらず、グランドラインに進出し、
”ドンキホーテ”一族発祥の地、ドレスローザ王国にある事はすぐに知れた。

北の海で組織を拡大し、力をつけてから行動に移すつもりらしいから、
ロシナンテが止める機会はこれからいくらでもある。
できるだけ早期にドフラミンゴを捕まえるべきなのは言うまでもないから、
センゴクへの連絡は欠かせない。

おかげでつる中将は常にドフラミンゴの行く先を追い回すようになっていった。

「クソ! あのババアどこから嗅ぎつけて来やがる!」

ドフラミンゴは不機嫌そうにグラスをテーブルに叩き置いた。

「ベヘヘ、ドフィ〜、そうカッカするなよォ、今のところなんとか撒いてるじゃねェか」
「しかしヤケにしつこいよなァ、おつるの奴は」

トレーボルがドフラミンゴをなだめ、ディアマンテがため息を零した。

、お前はどう思う?」
「仕事熱心な方だね、彼女は」

は新聞を読みながら言う。

「我々は海賊として買われているのだろう。
 これから”おおごと”をしでかしそうな連中だとね。
 だからその前に捕まえようと言うわけだ」

「・・・計画が漏れているとでも?」

ドフラミンゴが眉を顰める。

ロシナンテは顔には出さないように努めたが、
心臓が嫌な音を立てたことには気がついていた。

「いいや? 彼女、ベテランなんだろう?
 勘の利く方なんじゃないか?」

は淡々と断じ、新聞を折りたたんで、
懐から手帳を取り出し、書き物を始める。

「計画の漏れを疑う段階ではない。今は」

の言葉にディアマンテとトレーボルはそれぞれ頷く。

「そりゃそうだろ。考えすぎだぜドフィ」
「んね〜、でも慎重なのはいいことじゃねェか。
 おっと、商談の時間だァ」

武器の商談を控えていたらしいディアマンテとトレーボルはさっさと部屋を後にする。
ロシナンテはその場にいるのがとドフラミンゴだけになったのを確認して、
ドフラミンゴにメモを見せた。

『二人とも 金曜日はなにしてる?』

ドフラミンゴが露骨に不機嫌そうな顔になった。
はちら、とメモに目をやったかと思えば素知らぬ顔で書き物を続けている。

潜入してしばらくしてから気づいたことだが、
毎週金曜日、ドフラミンゴとは決まって行方をくらますのである。

この二人のことだ。何か企んでいるに違いない、と探りを入れることにしたのである。

「お前には関係ねェよ」

ドフラミンゴは恐ろしく低い声で言う。
潜入捜査を始めてから、
いっそ過保護なほどロシナンテに対して気遣っていたドフラミンゴだが、
この時は様子が違った。

 ますます怪しい。

そう思って追求しようとペンを手に取った矢先、
が口を開いた。

「カウンセリングをしてるんだよ。私は心理学者だからね」
「・・・
「別に隠すようなことではないだろうに」

ロシナンテは意外そうに瞬いた。
あまりそう言った方面に明るくないロシナンテが思い浮かべたのは
いわゆる『悩み事の相談』のようなものだった。

ロシナンテは心配半分、探り半分でペンを走らせる。

『ドフィ なにか なやみでもあるのか?』

「ドフラミンゴに直接聞きたまえ、一応プライバシーというものがあるから」
「その会話をおれの目の前でするのはどうかと思うが」

に見せたメモをそのままドフラミンゴに見せると、
ドフラミンゴは眉間を揉みながら答えた。

「仕事の相談だの、不眠症の相談だの、
 そういうことを定期的にやってるんだ。大したことじゃない」

確かに、ドフラミンゴはカウンセリングを受けていることを人に知られたがらないだろう。
普段はファミリーの長として弱みを見せないように気を配っているようでもある。
不機嫌になったのも納得がいった。

は頷いたロシナンテと、どこか安堵した様子のドフラミンゴを見て口を開いた。

「そういえば、君が口を利けないのも、精神的なものが理由だそうだね?
 コラソン?」

は書き物を終えて、ロシナンテへ暗澹とした眼差しを向けた。

「私でよければ相談に乗ろうか?」

ロシナンテは面倒なことになったと思った。

潜入捜査に当たってナギナギの能力を使い、声が出ないことにしているだけで、
実際には声が出せる。

とりあえず、必要ないと断りの文句を書こうとしたが
その前にドフラミンゴが凄まじい剣幕で立ち上がったので、ペンを取り落としてしまった。

ドフラミンゴはを今にも殺しそうなほどに睨みあげ、怒鳴りつけようとした。
が、どういうわけか、堪えたように見えた。
ただ、間違いなく怒り狂っている。

「・・・ふふ」

しかし鬼のような形相で睨まれた男は小さく笑っていた。

「コラソン、どうやら君のお兄さんは、
 私にカウンセリングをやってほしくないらしい。すまないな」

そう言って、は足取りも軽く、部屋を後にした。
が部屋を後にしたのを見送って、
ドフラミンゴはソファに乱暴に座り直す。

「お前も用がねェならさっさと出て行け」

再び不機嫌の絶頂に逆戻りしたドフラミンゴに頷いて、
ロシナンテも部屋を出る。

 何かあるな。

ロシナンテは次の金曜日のことを頭に止めて、自室へと向かった。



ロシナンテは金曜日の夜のとドフラミンゴを偵察した。
カウンセリングはの部屋で概ね行われた。
金曜の夜に始まり、翌日の朝にドフラミンゴは部屋を後にする。

どうやらその日に限ってはの部屋から寝起きしているらしい。
ただのカウンセリングにしては随分と長時間やるんだな、と、
ロシナンテは怪訝に思わないこともなかった。

ただ、ドフラミンゴは睡眠不足を相談しているとも口にしていたので、
もしかするとそのまま寝かしつけるようなことをしているんだろうか、とも思っていた。

ただ、そうすると気になるのは、がロシナンテにカウンセリングを勧めた時の
ドフラミンゴの剣幕である。

気になったロシナンテはの部屋の横、倉庫へと潜り込み、
網を貼ることにした。

サイレントの要領で、倉庫との部屋にドーム状の膜を張った。
こうすることで、隣の部屋の音が鮮明に聞こえるようになるというわけだ。
ナギナギの実はつくづくスパイ活動に向いている能力である。

しばらくすると、ドアノブが回る音がして、とドフラミンゴが入ってきた。

「君、短気が過ぎるんじゃないかな」
「うるせェよ。お前がどうせ口八丁でどうにかするだろうが」
「頼られるのは嬉しい限りだが、円滑な交渉のためにもご協力いただきたいところだ。
 君のために働いているんだよ、私は」

二人の会話は商談のフィードバックから始まった。
途中レコードが音量を絞って流れたり、何かに火をつけるような音が聞こえたが、
会話自体は他のファミリーがいる時とさほど変わりがない。

たわいもない世間話を続け、ロシナンテが何本かタバコを吸い終えた時に、それは始まった。

「調子は変わらずかい?」
「・・・ああ」
「おれの何が引鉄になっているんだろうね。というか、なんで君、おれを殺さないのかな?」

突然の物騒な会話に、ロシナンテはぎょっと、の部屋の方の壁を振り返った。
ドフラミンゴはの疑問に、低く、喉を鳴らして笑う。

「・・・フッ、フフフッ、殺されてェのか?」
「納得したいのさ。君の憎悪と、好意に」

の答えに、ドフラミンゴはいたく気分を害したらしい、
鼻を鳴らして、を詰った。

「ふざけるなよ、いつ誰が好意なんてもんをお前に抱いたって?」
「とりあえず、おれを使っての悪趣味な自慰行為に耽るくらいにはおれを気に入ってるだろう」

「なんだって?」

ロシナンテが胸の内で呟いたのと、ドフラミンゴの低い、問いただすような声が重なった。
は冷ややかな声で囁いた。

「言葉の通りだが?」
「お前・・・!」

「言っておくが、暴力を振るうんだったらおれは”朗読”してやらない。
 嫌いなんだよ、理性のない人間。動物とどう違うんだろうな?
 お前は人か? それとも理性のない動物か?」

冷たい声に、ロシナンテはに抱いていた奇妙な既視感が強くなったのを感じていた。
そしてそれに呼応するように、ドフラミンゴも黙り込む。
 
「よろしい。今日は”赤い靴”にした。
 ・・・君、残酷な顛末の話の方が効果が現れやすいからね」

それから聞こえてくる音は、想定外の情景を作り出した。
が冷静に朗読している声、ドフラミンゴの呻くような声、
衣ずれ、吐息、倒れ込むような大きな物音。
が笑っている。ドフラミンゴは小さく喘いでいる。

 おれは何をやっているんだろうか。

壁を挟んで何が行われているか察したロシナンテは、
衝撃のあまり、思わず現実逃避した。
海軍でもそういう趣味の人間はいないことはなかったが、
ドフラミンゴがそうだとは知らなかったし、正直なところ知りたくなかった。

その上やり取りの主導権は終始が握っているようだった。
はドフラミンゴを散々に甚振り、解体していく。

「ハッ、は、は、ァ・・・!」

その声は朦朧としている。
何をどうされているのかは分からないが、さっきから水音が途切れないでいる。

その時、が鋭く言った。

「目を開けろ、ドフラミンゴ」

ロシナンテは、ドフラミンゴを呼ぶ声に、これ以上ない既視感を覚えて、目を見張った。
ナギナギの実の能力で声が出ないことは知っていても、思わず口を押さえていた。

「”親父・・・!”」

サァッと血の気が引いていくのがロシナンテ自身にもわかった。
この声、の、落ち着いて優しげな低い声は、少し鋭くなると、
かつて兄弟を叱りつけた時の父親にそっくりだった。



「カウンセリングを受けたいと言いつつ、それには何も書かないんだな、君は」

月曜日の昼。ロシナンテはの部屋にいた。
『声を出せるようになりたい』と申し出たロシナンテのことをは拒みはしなかった。

簡単な問診票のようなものを渡されたがロシナンテは手をつけず、を睨む。

『ドンキホーテ・ファミリーから出て行け』

はロシナンテがカウンセリングを目的として来たのではなく、
交渉をしに来たことに気づいていたらしい。

ロシナンテがメモを見せても、さほど表情を変えはしなかった。

「なぜ?」

は頬杖をついて、ロシナンテに問いかける。
ロシナンテは眉間にシワを寄せて、
メモに殴り書いた。

『おまえは ドフィの そばに いて いい 人間 じゃない』
「・・・へぇ?」

は指を組み、ロシナンテを見上げた。
同じソファに腰掛けていても身長が随分違うので、
ロシナンテの方が幾分目線が高い。

しかしに怯む様子はなく、むしろロシナンテの理不尽な提案を楽しんでいるようだった。

「君は兄思いなのだね? 私の存在はドフラミンゴのためにならない・・・なるほどな、」

ほとんど暗澹とした暗い表情を浮かべていることが常なの口元に、
緩やかな笑みが浮かんだ。

「その通りだよ」

ロシナンテは、怪訝そうに眉をひそめる。

「客観的に見れば、私は彼にとって強すぎる睡眠導入剤だ。
 薬に頼るのも物によっては悪くはないが、私はそうではない。自覚はしている」

温かなコーヒーに口をつけて、はロシナンテを嘲笑う。

「だが、止めないよ」

は穏やかに、しかし確かな悪意を持ってロシナンテに答えた。

「そして止めさせる権利も君にはない。わかっているね?」

ロシナンテはの胸ぐらを掴んだ。
殴ってでも言うことを聞かせてやる。そう言う心持ちでに挑んだのだ。
は冷えた目を返す。

「コラソン、暴力で私は屈服できかねる。それは私の最も軽蔑する手段だ。
 私を殴った時点で、相手は私にとっての人間ではなくなる」

そう言われた時点で、なぜだかロシナンテは拳を振り下ろすことができなくなった。

「理性ある生き物であるならば、対話を持って物事を解決すべきだ。これは私のポリシーでね。
 理性のない人間は猿とどう違う? くだらない。実にくだらない。
 暴力で相手を屈服させようなど。私は断固として反抗する」

は冷ややかに告げる。

「私を屈服させたいなら、理由と理屈を用意してくるんだな、”ロシナンテ”」
「“名前で呼ぶな!!!”」

ロシナンテは、を怒鳴りつけていた。
もちろん、ロシナンテの喉からは何の音もしなかったが。

目を丸くするの胸ぐらから手を離し、
ロシナンテは虚脱したようにソファに座り、目元を覆った。
ひどく落ち込んで、感傷的な気分だった。”まるで、父親に叱られた時のように”。

は襟を整えながらその様子を不思議そうに眺めていたが、
やがて何かに思い当たったように、顎に手をやって頷いた。

「ああ、なるほどね。・・・”声”か」

ゾッと、ロシナンテの背に鳥肌が走る。
その時ロシナンテはに、何か、決定的なものを握らせてしまった気がしたのだ。

「問題はそれが誰のものか、と言うことだが」

はソファに座り直し、足を組んだ。

「悩ましいな、君とドフラミンゴの共通する関係者はそういまい。
 割と絞られてくる上に・・・これを知ってしまうと、飽きが早くなる気もする」

「・・・”なにを言っている?”」

ロシナンテはペンを走らせる気力もなく、口だけを動かした。
は読唇の心得があるんだかないんだか分からないが、
淡々と持論を展開し始める。

「おれはパズルを組み立てるのが好きだが、あれは完成するまでの過程が楽しいのであって、
 完成してしまえばただの”絵”だ。それもつぎはぎの入った出来の悪い・・・。
 絵画鑑賞は趣味じゃないし、もう一度崩して最初から、というのもね。
 同じ作業を何回もやるのは好きじゃない」

はしばらく何か考えているようだったが、
ふと顔をあげ、ようやくロシナンテが座っていたことに気がついたような顔をした。

「あぁ、君はもういいよ。そもそも君、カウンセリングなんて必要ないだろう?」

 この男は今、何を言った?

狼狽するロシナンテに、は悪意を隠そうともせず、笑った。

「心配することはない。君の行動と、それによる顛末にも興味がある。
 結果どうなったとしても、うん」

その、暗澹とした瞳には呆然としたロシナンテの顔が映り込んでいる。

「楽しそうじゃないか? なァ?」

その陶然とした声を聞いた瞬間、ロシナンテは逃げるようにの部屋を後にしていた。
関わりたくなかった。もう二度と会いたくもなかったが、そうもいかない。

は、ドフラミンゴとは違う意味で、おそるべき怪物だったのだ。