Counselling 1. ドフラミンゴの場合
全ては偶然だった。
たまたま補給に立ち寄った島の書店に並べられた本のタイトルが目を引いて、
その中身がやたらに面白く、作家がその島の大学教授であったから顔を見てやろうと
わざわざ目立たないよう気を配って講義に忍び込んだ。
普段ならもう少し予定が詰まっていたのに、仕事が笑えるほど順調で時間があった。
偶然と気まぐれがその男とドフラミンゴを出会わせたのだ。
北の海では唯一の政府お墨付きの大学教授であるからには、老人が出て来ると思ったがそうではなかった。
濃い灰色の髪を撫で付けて、パリッとした三つ揃えを着込んだ、
ドフラミンゴとそう年も変わらぬ男が教壇に立つ。
男は死人のように乾いた眼差しで有象無象の生徒たちを眺め、チョークを手に声を上げた。
「それでは授業を始めよう――」
その声を聞いた時、ドフラミンゴはどういうわけか、その男を、
※
「ドフラミンゴ」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ドフラミンゴはコップを手にしたの声に起こされ、
テーブルに置かれたサングラスをかけた。
「良く眠っていたから起こすのを躊躇したのだが、そのままだと風邪を引くだろう。
自室に戻りたまえ」
「・・・今、何時だ」
「一時を回ったところだな」
壁掛け時計を首で示したに、
ブランデーを落としたホットミルクを寄越されて、ドフラミンゴは目を眇めた。
「ガキ扱いしやがって」
「私は子供にブランデー入りの飲み物を渡したりはしない」
は平坦な声色で答える。
暖炉には火が燃えていた。
ドフラミンゴがに与えた部屋は山ほどの専門書が壁一面に整列され、
書き物の途中らしい机には乱雑に積み上げられた資料がある。
部屋の真ん中には向かい合うように一人がけのソファが2つと間にローテーブルが置かれていて、
つい立ての奥にベッドがなければ、が大学に持っていた研究室とさほど変わらない印象になっていた。
もっとも、がカタギであった頃の部屋や持ち物を、ドフラミンゴは全て燃やしてしまったのだが。
ぼんやりと部屋を眺めていたドフラミンゴはそういえば、と眉を上げた。
「近頃お前の部屋にローが入り浸ってるんだってな。ガキは嫌いなんじゃなかったか?」
「嫌いだが、だからと言って尊重しない訳にはいくまい。
同じ海賊団に所属する”同僚”ならば」
の物言いに、ドフラミンゴは愉快そうに肩を震わせる。
子供が嫌いだと言う割にこの上なく対等に扱うの言動はどこか滑稽だった。
「フッフッフッ! 同僚とは言い得て妙だな!」
「それとも”未来の上司”とでも言うべきだろうか。
君の将来の右腕にと見込んでいるのだろう? 確かに彼は賢い子供だ。
病を克服すれば十二分に君の手足として申し分のない実力を身につけるだろうよ」
ドフラミンゴはの顔をまじまじと眺めた。
ファミリーに所属してからと言うもの、
は”ドフラミンゴを除いた”幹部らとは、
常にビジネスライクな距離感を持って関係を築いていたように見える。
こんな風に褒めるようなことはまずなかった。
「・・・あァ、おれのガキの頃に良く似てるよ、あいつは」
「へぇ?」
は関心のなさそうな顔でホットミルクを口にしている。
そこで会話を終わらせても良かったのだが、ドフラミンゴは会話を続けることを選んだ。
「お前はどんなガキだったんだ?」
「なぜ?」
質問を質問で返したに、ドフラミンゴは指を組んで答える。
「どういう生い立ちがお前みてェなイかれた男を作り上げたのか、興味がある」
はドフラミンゴの揶揄するような悪意の篭った笑みに、
死人のような生気のない顔を向けた。
パーツを見れば整っているのだが、それが返って蝋人形のような印象を与えるのは、
常にその灰色の目が、暗澹と濁っているからだろう。
はため息交じりにドフラミンゴに答えた。
「おそらく、君の期待には沿えないと思う。
私は平凡な、どこにでもいる農家に生まれたのだから」
ドフラミンゴは呆気にとられてサングラスの下、目を瞬いた。
は小さく笑うと、言葉を続ける。
「両親は私を跡取りにしたかったようだが、弟に押し付けて家を出た。
そのあとは、あちこちで仕事をしながら学校に行った。
飛び級制度を使って早く卒業した後に論文が評価されて教授の職を得た。後は君の知る通りだ」
「・・・そこまでは普通だな」
「ああ、そうとも。私は笑ってしまうほど平凡な男だよ」
「嘘吐け」
ドフラミンゴは鼻白んだように頬杖をついた。
「平凡な人間は家と職場を焼かれて腹を抱えて笑ったりはしねェ。
海賊になって1週間も経たないうちに銃の扱いを覚えて人を撃たねェ。
他人の一生をめちゃくちゃにするような計画を息をするように立案することもねェ」
「”ドフラミンゴ君”」
並べ立てるようにの異常を指摘したドフラミンゴに、は口を開いた。
「なぜ、もっと端的に私の異常性を指摘しない?」
ドフラミンゴは黙り込んだ。
はテーブルに置いた本を開き、ページをめくり始める。
「”平凡な男は自分の家を焼いた男とは寝ない”そうだろう?」
「・・・フッフッフッ、そうだな。だからイかれてるって言うんだよ」
自身の声が、どこか力なく聞こえて、ドフラミンゴが苛立ちに眉を顰めた。
は適当に捲っていたページから顔を上げる。
「私の生い立ちに、”異常”の原因を見つけようとするのは無駄だよ、ドフラミンゴ君。
環境によって人格は育まれるという、君の体感は概ね正しいが、何事にも例外はある」
の声が嫌に滑らかに聞こえた。
「世の中には生まれながらに良心が欠落した人間が存在するのだ。
犯罪心理学の分野では”サイコパス”とも呼ばれている。私は”それ”だ」
向かい合って座るが足を組んで頬杖をついた。
その有様にどこか既視感を得て、ドフラミンゴは唇を引き結んだ。
顔も、体格も違う。生い立ちも、趣味嗜好も、全くと言っていいほど違うはずだ。
それなのに、まるで鏡を見ているようだった。
極端なまでに口角を上げる、大げさな手振り、声の抑揚のつけ方が徐々に”誰か”と重なってくる。
はわざとやっている。
「良心の欠落、共感の欠如、虚言癖、責任能力の欠陥、
罪悪感のなさ、過大な自尊心、口が立ち、表面上は魅力的」
「・・・幾つかは当てはまってないように思えるが」
「ふふ、矯正したんだよ。おれの専門を忘れたわけではないだろう?」
は稀代の心理学者だ。
他人に与える印象を自在に操ることを、簡単にやってのけるのがこの男だった。
現に今、そこに生気のない、蝋人形のような男はいなかった。
悪意の篭った笑みを浮かべたはドフラミンゴを見上げてみせる。
「大学教授の職を得るには真っ当な人間で居た方が都合が良かったからな。
おれの望みらしい望みというのは、学ぶことだ。
そうしている間だけ、おれは安らぐことができる。さて、」
唇を引き結んだドフラミンゴに、は首を傾げた。
「おとなしく部屋に戻るか? それとも”本を読んでやろう”か?」
揶揄するような男の横っ面を張り飛ばした後、
ドフラミンゴはを引きずり倒して唇を奪ってやった。
は笑っている。殴られた痛みなど感じてはいないように。
「ふふふッ、随分熱烈じゃないか、なァ?」
「うるせェ、黙って集中しろ」
「まァ、君、割と最初から”そう”だけど」
の手が、ドフラミンゴのサングラスを外した。
灰色の目には、無様なほど不服そうな顔が映り込んでいる。
「どうしてもおれを手元に置いておきたかったらしいが、いい加減理由を教えてくれよ」
「知るか」
「わけもわからずおれの全部を焼いたのか? ドフラミンゴ君。衝動的にもほどがあるな」
ドフラミンゴは詰られて眉を顰める。
はドフラミンゴの背を軽く叩いた。
「嘘だね。君は知ってるはずだ。君、おれに、何を見たんだ?」
「・・・わからねェって、言ってるだろうが」
なぜ、あの日、ドフラミンゴがの講義を受けた時、
どうしてもを手元に置きたいと思ったのか、ドフラミンゴには本当にわからなかった。
というか、わかりたくなかった、と言うのが正しい。
理由を明確にしてしまえば、何もかもが終わってしまう予感がしていた。
今まで築き上げた立場や、あるいは、もっと根本的なものが。
「言いたくないなら言いたくないで、別に構わないが」
はドフラミンゴの逡巡を嘲笑う。
「おれはいずれ”答え”に辿り着くだろう。
おれは人の胸の内を暴くのが、学問に次いで好きだから」
不愉快なことばかり囁く声を黙らせにかかりながら、確かにその日が来るのだろうと、
ドフラミンゴは奇妙な確信を得ていた。
そして恐らくその時が、を殺すべき時なのだと。
その日が来るのが待ち遠しかった。
そうでなくては、決定的な理由がなければドフラミンゴは、”まだ”を殺したくないのだから。