Favourite Worst Nightmare


初回のカウンセリングからもう1週間が経つ。
ドフラミンゴはのことを極力遠ざけていた。

仕事もグラディウスを筆頭に幹部連中を介してへと指示を出し、
食事の際もなるべく最低限の会話しかしない。

もっとも、は誰かに話しかけられればそれなりに会話をするが、
そうで無いときは黙々と食事に集中するタイプなので、さほど普段と変わらなかったのだが。

それでもドフラミンゴがへの態度を硬化させたことには、幹部であれば気づいていた。

のやつ、お前に何をしたんだ?」
「別に」

ディアマンテに声をかけられてもドフラミンゴは素っ気なく返した。
明らかにの話題を出されてからイラついた態度をとるドフラミンゴに、
ディアマンテは肩を竦めてみせる。

見かねたのかトレーボルがドフラミンゴの顔を覗き込んだ。

「べへへ、ドフィ、お前らしくないじゃねェか。
 ファミリーに、殴って言うこと聞かすようなことは極力しねェようにしてたろうに」

トレーボルは流石に目ざとい。
だが、ドフラミンゴはとの間に起きた過ちを誰にも知られたくはなかった。
だからこそ、ドフラミンゴは話をそらすように、トレーボルの距離の近さを指摘する。

「トレーボル、近すぎだ」
「べへへへへ! 近すぎるぅ~? 近すぎるけど~?」
「そこがいい・・・」

いつもの戯れじみたやりとりの後、ドフラミンゴは無理矢理笑みを浮かべてみせた。

「アイツに関することでお前たちに話すようなことは何もねェさ。
 心配をかけたなら悪かったが、全く問題はない」

しかし、最高幹部の面々は納得しなかったらしい。ずっと黙っていたピーカが口を開いた。

「だがドフィ、お前の気分が優れねェのが”アイツ”のせいだって言うなら
 仕置きが必要だろう」

その言葉に、ディアマンテもトレーボルも頷いた。

「まァな」
「ケジメってもんがあるもんねぇ~」

ドフラミンゴの意に沿わない人間は殺す。街は焼く。組織は潰す。
ファミリーであっても血の掟を破れば折檻する。

最高幹部はずっとそうしてドフラミンゴの威厳を保ってきたのだから
今度もそうすればいい、と声をあげた。

だが、ドフラミンゴがテーブルを強く叩いたことで彼らは一斉に口を噤んだ。

「ピーカ、ディアマンテ、トレーボル。
 には手を出すな」

ドフラミンゴは周囲を覇気で威圧したことに気がついて嘆息する。

「ケジメをつけさせるって言うならおれ直々にやりゃあいい話だ。昔とは違う。
 お前たちの手を煩わせるまでもねェし、
 そもそもそこまでの問題が起きてるわけでもねェ。・・・この話は終わりだ。いいな」

そこまで言うのなら、とようやく幹部たちは納得したようだった。
ひとまずの事態は収拾したが、ドフラミンゴの抱える問題は、もう一つあった。



と距離を置くようになって3週間が経つ。

は今日も平然と仕事をこなしている。
幹部たちからドフラミンゴと何かあったのか、とは聞かれているだろうが、
のらりくらりと躱し続けて煙に撒いているようだ。

ファミリーとの食事の際、暗澹とした眼差しでコーヒーを口にする横顔は
判で押したように、変わらなかった。

変わったのはドフラミンゴの方である。
ドフラミンゴは今、不機嫌の絶頂にあった。

ファミリーに当たり散らすようなことはないが、血の気が多くなったし、
取引相手には威圧的に接するようになった。
ファミリーの人間でさえ、積極的にはドフラミンゴに近づこうとしない始末である。

原因はわかっている。睡眠不足だ。

実のところ、カウンセリングを終えて数日もしないうちにその兆しは伺えた。
徐々に、以前よりも眠ることが難しくなっていったのだ。

より正確に言うのならば、”あの日使われた小道具”がなければ眠れなくなっていた。

最初の2週間ほどはまだ良かった、音楽も蜜蝋も童話集も、比較的たやすく手に入る。
それらは麻薬のようにドフラミンゴへ深い眠りをもたらした。

夢を見ない、死にも近しい眠りは、
長年悪夢にうなされていたドフラミンゴにとって得難い快楽の一つであった。

だが、だんだんと効かなくなっていった。

音楽をかけようが蜜蝋を灯そうが、以前と同じような悪夢が去来する。
紛らわそうと酒を飲もうが女を抱こうがダメだった。
以前なら我慢できたはずのことが深い眠りを覚えたことで堪え切れなくなっている。

その上必要なものが何かは最悪なことに、よく理解できていた。

だから、ついに、ドフラミンゴはの部屋の戸を叩いたのだ。
ノックの音に応えるように、が扉を開いた。

眉間に皺を寄せ、恐ろしく不機嫌を露わにするドフラミンゴを見て、は頷いて見せる。

「待っていたよ」

招き入れられた部屋は細々したところに変化はあるが、ほとんど前回と変わりがなかった。
蓄音機に蜜蝋、童話集、コップに注がれた飲み物、
そして一人がけのソファに足を組んで座る

「君、我慢強いのだな。もう少し早く戸を叩いてくれるかと思っていたのだが」
「あれ以来眠れなくなった。なんとかしろ・・・!」

ドフラミンゴが奥歯を噛み締め、絞り出すように言うと、はソファの肘掛に頬杖をついた。

「カウンセラーには正確な事実を伝えるべきだよ、ドフラミンゴ君」

驚くべきことに、あるいは、当然というべきか
はドフラミンゴがどのような状態にあるのかを
完璧に理解しているようだった。

「君は深い眠りにつくことができるようになったはずだ。
 でもだんだんとできなくなっていった」

ローテーブルに置かれた本を手に取り、パラパラとめくりながら、
は淡々と、ドフラミンゴが3週間どのように眠ろうと足掻いたのかを述べる。
まるで見てきたかのように。

「蜜蝋、音楽、童話集。おれの用意した比較的手軽な”スイッチ”は君自身でも用意できるが、
 それらは決定的な入眠スイッチじゃなかった。
 だから香水の香りが永遠に続かないように、騙し騙しで使っていてもいずれ限界がくるわけだ」

はソファから腰を浮かし、ドフラミンゴのサングラスに手をかける。
苛立ったドフラミンゴの目の下にはひどい隈ができていた。

「さて、”決定的なスイッチ”がなんだったのかは、君も、おれも、よく分かっている。
 前回はおれも急なことだったので適切な対応ができなかったが、
 今日はある程度何が起こるかの予測が付いている」

「おい、まさかとは思うが、また、」

ドフラミンゴは前回の”カウンセリング”での、恐ろしい痴態を思い出して呻いた。
だがは非情にも、断言する。

「承知の上でここを訪れたのだろう?
 君が欲しいのが深い眠りなのか、それとも倒錯した快感なのかは、
 おれにとってはどちらでもいいことだし、結果はどうせ変わらない」

は、愕然とするドフラミンゴへ穏やかに言った。
その目に嘲りと侮蔑を滲ませて、薄い唇を吊り上げる。

「さぁ、朗読会をしようじゃないか。」

蜜蝋の明かりが香りだけを残して消えていく。
がページを捲れるだけの朧げな光を残して、部屋は薄闇に包まれていった。



 おそらく、その気になればこいつの頭なんて赤子の手を捻るように潰せる。

ドフラミンゴは息を荒げながら足を組んで自身には目もくれず朗読するを睨んだ。

 声が頭に響いている。

まだ残されている理性はドフラミンゴの頭の中で、の声を叩きのめそうと叫び続ける。
『最悪だ、最悪だ、最悪だ!』『殺してやる』
だが、それらの声は現実に響くの、冷静で淡々とした声にどうしても勝てない。

の残酷なところはドフラミンゴに残る理性を、完全には殺しきってくれないところだった。
おそらく何もかもを放り出してしまえば楽になれることはドフラミンゴ自身分かっているのだが、
は分かっているのかいないのか、それを許しはしなかった。

暗澹とした眼差しに射抜かれるたびに、理性は息を吹き返す。
息を続かせるのは怒りだったり、憎悪だったりした。

食い入るような視線には組んでいた足を下ろし、ドフラミンゴを手招いた。
いかにも仕方がなさそうな仕草に苛立ちを覚えながら、
這うようにドフラミンゴはの膝元に移動する。

跪いて許しを請うような体勢は屈辱以外のなにものでもないが、それが痺れるような興奮を生んでいる。
は朗読を続けながらきまぐれにドフラミンゴの頬を撫でた。猫でもあやすような仕草だった。

「――――ッ」

ポタポタと、放たれた飛沫が床に落ちる。

「――、満足かな?」

ウンザリしたような声に頭を振った。全く満足できなかった。

「・・・しゃぶらせろ」

掠れた懇願には深いため息をこぼした。
心底どうでも良さそうな顔だった。

そうやって、ドフラミンゴは屠殺場の豚や牛のように解体されていった。

肩書きやプライドや身につけた強さと言うものがなんの意味もなさない、
動物の毛皮のように剥ぎ取られていく。

残されたのは何にも守られていない柔らかな本性だけで、
はそれをいとも簡単に弄んだ。

力の差は歴然に違いない。
ドフラミンゴの腕と、の腕の太さは丸太と枝ほどの違いがある。
だが、ドフラミンゴは抵抗できずに散々に掻き乱されている。

女だって滅多にあげないような弱り切った声をあげた。
自分がどんな顔をしているのかわからない。

徐々に記憶が保てなくなっていく。
目を閉じたままでいる時間が長くなっていき、そして、
ドフラミンゴは夢を見ることのない、深い眠りについたのである。



目を覚まして起き上がった時の、複雑な心境ときたらなかった。
恐ろしく快適な目覚めだった。

昨晩散々に打ちのめされた理性は怒りに燃えていたがそれ以上に絶望していた。

朝の日差しは室内を照らす。蜜蝋も蓄音機も童話集もすっかり片付けられていて、
散々に汚した絨毯は別のものに取り替えられている。

昨晩の狂乱の残滓を残しているのはドフラミンゴ自身だけだ。

は勝手に、一人だけ身なりを整えていた。

「おはよう、ドフラミンゴ君」

死人のような顔を向けるに、ドフラミンゴは口を噤んだ。
への殺意は残っていない。

理由はわかっている。
これを手放したら、深い眠りも、あの恐るべき快楽にも二度と手に入らないのだから。

それは認めたくはないが、認めざるを得ない最低な事実だった。
自己嫌悪に苛まれるドフラミンゴの内心など知りもせず、は言う。

「次の朗読会は一週間後だ。構わないね」

ドフラミンゴはやめろとは言えなかった。

「・・・悪夢みてェな奴だな、お前は」

苦し紛れに罵った一言に、は虚をつかれたように目を瞬かせ、
そして、笑った。

その、心底面白がっている、悪意の篭った笑みを見た時、ドフラミンゴはようやく気がついた。
ドフラミンゴにとっての最低で最高の悪夢が形を成したのが、だったのだと。

こうして、ドフラミンゴはこのカウンセリングを受け入れたのである。