戦争、その後始末 02


    戦況は刻一刻と変化する。
    負傷していた白ひげが死に、黒ひげが世界中に啖呵を切った。
    敗走する白ひげ海賊団を追う海軍の士気は下がらない。

    そして、モニターを通してその男の顔が映ったのはある種当然のことだった。
    羽をあしらったコートに金髪。トレードマークのサングラスは健在だ。
    なにが面白いのか愉快そうに笑う男に、は拳を握りしめる。

    「・・・落ち着けよ。まだ時期じゃない」

    ローがの手首をとり、その耳に囁いた。
    他の船員には聞かれない程度の声に、は瞬きをして掴まれた自分の手を見つめる。
    白くなった拳には爪が食い込んでいたらしい。微かに血がにじんでいる。
    冷静さを失ったことを恥じるように静かに呟いた。

    「ええ、ロー船長。私、頭に血が上ってたみたいね。
     ・・・映像にあてられたかしら?」

    皮肉な笑みを浮かべるに、ローが黙って視線を注ぐ。
    その視線を受けて、は深く息を吐いた。

    「安心してよ。船の中で待機してる。
     それで良いでしょう?」
    「・・・ああ」

    手首を離して、ローは頷いた。

    「そうしておけ。お前がおれの船に居ることはいずれバレるだろうが、
     それは今じゃなくて良い」
    「ええ。私、待つのは得意よ・・・」

    が映像に再び目を向ける。画面は既に切り替わっていたが、
    その目に燃えるのは憎悪の炎だ。
    ローは苦々しく舌打ちをする。
    の憎悪はまっすぐ、その男だけに注がれている。
    熱烈なまでに。
    ローにはそれが、気に入らないのだ。



    甲板に出て行ったローたちを見送り、
    は甲板の入り口のそばで彼らを待つことにした。
    戦場にドフラミンゴが居ることを考えるとその胸中は穏やかで居られないが、
    それはローとて同じだろう。
    だが、ローは幾分冷静だった。
    待つのは得意だとは言ったが、本当に気が長いのはローの方なのだろう。

    が深呼吸する。
    すると、思いもよらない声が聞こえて来た。

    「そいつをここから逃がす!一旦おれに預けろ!」

    戦闘においても冷静さを失わず、滅多に声を荒げることなどないローが叫んでいる。
    何事だ?と眉を顰めるの耳に、爆音がとどいた。
    軍艦が沖から回り込んで来たのだ。
    おまけに海が大きく揺れている。

    戦場の余波だろうか。まだ暴れ足りないのか、と内心で舌打ちするの元に、
    聞き覚えのある声がする。

    「置いてきなよォー・・・麦わらのルフィをさァー・・・!!!」
    「黄猿!」

    ローが苦々しくその名を呼ぶ。
    は思わず飛び出していた。
    念のためと被っていたフードはそのままに。

    その横で、ジャンパールがけが人を受け止め、ベポが走りだしている。
    ローが飛び出してきたに目を丸くするが、
    は構っては居られないと黄猿を睨み上げた。

    黄猿が甲板に現れた人影に訝し気な表情を浮かべる。

    「んん〜?お前は・・・」
    「・・・目が合ったわね」

    ビームを撃とうとしていた黄猿がその動きを止めた。
    一瞬とも、長い時間ともつかない時間、二人は見つめ合っていた。
    フードで影になっては居るが、のその目が青白い光を帯びつつあるのは今や明らかだ。

    そのとき、誰かが叫ぶ声がする。
    集中が切れたのかがゆっくりと目を閉じた。
    叫び声の方にそちらに気をとられた黄猿を前に、は瞬き、船の奥へと戻る。
    目の端に、赤髪の船が見えたのだ。

    !テメェ・・・!」

    大人しく待っていなかったに青筋を浮かべるローへ、
    は苦々しく言う。

    「・・・ロー船長。あなたの予想は当たったわね。赤髪が来てる。
     私はオペの準備をしておくわ。3大将は追撃してくるでしょうから、
     早めに戻って来てちょうだい」
    「・・・あとで覚えとけよ」

    はローの言葉に内心冷や汗を流しつつ、手術室へ走った。
    横目で確認しただけでも、ジンベエ、麦わらのルフィ、共に重症だったのだ。

    「本当、馬鹿な人たちだわ。私も含めて」

    がネックレスを握りしめて、呟いた言葉は、誰にも聞かれることはなかった。



    海軍の追撃を交わし、ハートの海賊団の行った手術は凄まじいの一言に尽きる。
    ルフィにはかなりの副作用を伴うホルモン治療の痕跡が伺えた。
    兄を助けるためにそれだけ必死だったのだろう。
    また、ルフィの心臓が途中止まりかけてもゴム人間故に電気ショックが使えず、
    ローがその能力でバラして直接心臓マッサージをすると言う
    荒技を繰り広げるハメになったりもした。

    ・・・ローはかなりの体力を消耗したはずである。

    それでも最後まで涼しい顔をしてみせたローに、は内心で舌を巻いた。
    それでなくとも難しい手術だった。
    魚人、ゴム人間を同時に相手して、良く命を取り留めさせたものである、と
    は息を吐く。

    「おつかれさま。ロー船長」
    「・・・

    水を差し出すと、ローはすぐにそれを飲み干した。手の甲で唇を拭う、
    その顔には返り血が飛んでいる。疲労からか、心なしいつもより隈が濃く見えた。
    2人の命を助けたと言うよりは2人を殺したと言われた方がしっくり来そうな様相に、
    は苦笑を浮かべてみせた。

    「顔にまで血が飛んでるわよ」

    タオルを渡したの手を、ローが掴んだ。
    その表情は険しい。

    、なぜ待っていなかった」

    が黄猿と相対したときのことを言っているのだろう、と気づくまで、大分時間がかかった。
    は目を伏せる。

    「潜水艦に穴があいたら逃げられないと思ったのよ。
     ”光”はあなたの能力でもすり替えられないでしょう?
     魔眼を使えば、気を反らせるから」

    ローが眉根を寄せる。

    「・・・あの場でああ動くのは仕方なかったのは分かる。
     だが自分を犠牲にするような真似するんじゃねぇよ。お前の目的は、」
    「ロー船長」

    がローの言葉を遮った。
    珍しい仕草だった。

    「私は客員海賊だけれど、それでもあなたを船長と呼んでいるわ。
     ・・・あなたの命のほうが、私の命より、ひいては私の目的よりも大事よ」

    ローが息を飲んだ。
    その顔を見て、はおや、と内心で首を傾げる。

    珍しい表情だった。ついぞ見たことのない顔である。
    ローがに何か言おうと口を開いた瞬間、甲板から船員が駆け込んで来た。

    「せ、船長!大変です。か、海賊女帝が追ってきました!」
    「・・・何だと」



    潜水艦に寄せられた軍艦に、ローが苛立たし気な視線を向ける。
    黄色い潜水艦の甲板には世界一の美女と名高い海賊女帝、ボア・ハンコックが立っていた。
    七武海だからと警戒はしていたものの、どうやら敵意は無いらしい。
    船員達に相対しながらも、ごく普通に会話をしていた。

    「軍艦に乗ってる海兵、皆石化してるわね」

    の呟きに、ローは軍艦を一瞥し、すぐに女帝へと視線を戻した。
    船員がハンコックの美しさにため息を零す中で、
    ローは一人冷静に見える。

    「ルフィの容態は!生きてはいるのか!?」
    「やれることは全部やった。
     手術の範疇では命をつないでいるが、あり得ない程のダメージを蓄積している。
     まだ生きられる保証は無い」

    その美貌に詰め寄られても眉を顰めながら淡々とその経過を説明して見せた。
    流石ね、とが頷くのを見て、ペンギンとシャチが何とも言えない顔をしている。

    ハンコックがルフィの容態を聞き、
    その表情に憂いを見せると、軍艦の上から恐ろしく巨大な顔の人物が現れた。
    よくよく見れば、派手な衣装の人間達が軍艦でわーわーと声を上げている。

    「それは当然だっチャブル!ヒィーハァー!」
    「何だ!?あいつら!」

    ペンギンがその迫力に圧倒されたように叫んだ。
    その顔は引きつっている。

    「インペルダウンの囚人達。ルフィの味方のようじゃ。軍艦に忍び込んでおった」
    「エンポリオ・イワンコフ。革命軍の重鎮だわ。
     なるほど、麦わらのホルモン治療はあの人が・・・」

    が納得したと言わんばかりにその口元に手を当てた。
    イワンコフが甲板へと降り立つ、
    その巨体に潜水艦が大きく揺れた。

    「麦わらボーイはインペルダウンで既に立つことすら出来ない身体になってたのよ!
     よくもまァ、アレだけ暴れ回ったもんだチャブル!
     それもこれも、全ては兄、エースを救出したい一心!」

    イワンコフは遣り切れない、という表情を浮かべて言った。

    「その兄が、自分を守るため目の前で死ぬなんて・・・神も仏もありゃしない・・・!
     精神の一つや二つ崩壊して当然よ!」

    はネックレスを握りしめていた。
    チェーンに通された金色のリングを指でなぞっている。

    「そう・・・だからあんなに無茶な治療痕が見られたのね。
     医者としては感心しないけれど、麦わらのルフィがやれと言ったのでしょう?
     なら仕方ないわ」
    「んん?あら、ヴァナタ・・・」

    イワンコフがをじっ、と見つめている。
    がその視線に首を傾げると、イワンコフは軽くかぶりを振った。

    ハンコックはルフィの心痛を慮ってか涙を見せる。

    「何と言う悲劇じゃ・・・。できるものならわらわが身代わりになってあげたい。
     可哀想なルフィ・・・」

    その涙がハンコックの美貌を損ねることは無い。
    ペンギンやシャチはその仕草に見蕩れていた。
    ローはそれを見て深いため息を零す。

    「・・・ところで、ヴァナタ、麦わらボーイとは友達なの?」
    「いや。助ける義理もねぇ、親切が不安なら 何か理屈をつけようか?」

    冷静なローの瞳を見つめたイワンコフがいいえ、と頭をふった。

    「直感が身体を動かす時ってあるものよ」

    その言葉に、は軽く目を眇める。
    すると、船室から足音が聞こえて来た。

    「・・・ジンベエ。起きたのね」

    甲板に現れたジンベエは傷を抑えながら、ローに感謝の言葉を口にする。
    ローは腕を組みながら「寝てろ、死ぬぞ」とにべもなく返すだけだった。

    ジンベエは悔しそうにその身体を震わせる。

    「心が落ち着かん・・・無理じゃ。ワシに取っても今回失ったものは、
     余りに大きい。それ故に・・・」

    ジンベエは船室へと目をやった。

    「ルフィ君の心中はもはや計り知れん。
     命を取り留めても、彼が目覚めた時が、心配じゃ」

    船内から何かが壊れる様な音が聞こえて来る。
    が額を抑える。

    「・・・言ってる側から」

    船内からアラートが聞こえている。手術室の方だ。
    「暴れるな!」「落ち着け!」などと聞こえる声からするに、麦わらが起きたらしい。
    しかも。あまり芳しくは無い状況で。