戦争、その後始末 04
シルバーズ・レイリーに、ルフィの容態について伝言を残すと、
ローは船を出そうと船員に指示を飛ばした。
ハートの海賊団の船員たちがくるくるとコマのように働きはじめる。
もその手伝いをしようとその場を離れようとするが、
その背に声をかけられれば、脚を止めざるをえない。
「お嬢さん。君はカルミアと言う女性を存じ上げているかな?」
レイリーの口から出た女の名前に、はゆっくりと振り返る。
努めて無表情を作ったの顔は幽鬼のように虚ろで冷ややかな目をしていた。
「その女なら私が殺したわ」
常ならぬの冷たい声色に、ローが眉を顰める。
レイリーは軽く目を瞬くも、特に咎める様子もみせなかった。
「そうか。残念だ。あの子はとても美しかった。
君に、良く似ている」
の顔を静かに見つめるレイリーの表情には憐憫の情が見て取れる。
は一度目を瞬くも、静かに息を吐いた。
「・・・私が知っているその女は愛した男を殺して死んだ。
私に自分を殺させた。確かにあの女は美しかったわ。
世界で一番と言って差し支えない程に。
でも、私の知る限り、あの女程おぞましい生き物を見たことが無い」
はきびすを返す。
足早に船へと脚を運び、苦々しく呟いた。
「私はあの女のようにはならない。・・・絶対に」
船へとその姿を消したを見送ったレイリーは肩を竦めた。
「怒らせてしまったようだな。そんなつもりは無かったが」
「嘘吐けよ。厄介なことしてくれやがって。
あれが不機嫌になると面倒なんだ」
ローがうんざりしたように首を振ると、レイリーが面白そうに笑う。
「それにしては上手く付き合っているように見えるがね。
夢魔だろう。彼女は」
「知っていたのか」
レイリーの指摘にローは薄々勘づいていたが、
どこまでも油断ならない男だと内心で舌を巻く。
「いやあ、彼女の母親とは知り合いでね。
随分前に姿を消したと思っていたら、娘を設けていたとは」
「・・・」
ローは目を伏せる。
カルミアという夢魔については、ローも覚えがある。
が船に乗るときに寄越した人体実験のレポートに登場する夢魔。
と共に書き手の謝罪を受けたその夢魔は、
レイリーの口ぶりやの態度から察するに、の母親なのだろう。
ローはレイリーに向き直る。
客員海賊の機嫌を損ねた冥王に、投げかける言葉はどこか刺々しかった。
「・・・重ねて言うが、麦わら屋は2週間絶対安静だ。
暴れたら命の保証はできねぇと伝えておけ」
「ああ、伝えておこう」
麦わら帽子を片手に抱えて手を振るレイリーを振り返らず、
ローは黄色い潜水艦へと乗り込んだ。
※
新聞を捲るの顔色は優れない。
「麦わらのルフィが16点鐘・・・安静って言葉の意味、
冥王は知っているのかしら」
女ヶ島を発ってからというものは努めて平生を保っては居るものの、
どこか物憂い気な表情を見せるようになっていた。
船員もその様子をみて、口には出さないものの、心配しているらしい。
「そう暗い顔しないでくださいよ」
「ほら。船長がみんな集めるんだからさんも行くぞ!」
「分かったわ」
弱々しい笑みにペンギンもシャチも少し気遣わし気ではあったが、
努めて明るく振る舞うことにしたらしい。
次の島について楽しそうに話し始めた。
「新世界、最初の島は魚人島だろ!?マーメイドカフェが楽しみだ」
「ほんとにな!」
はしゃぐペンギンとシャチに連れられるがまま甲板に出ると、
ローは昼寝をしているベポをソファ代わりにしている。
「皆を集めてどうしたの。針路についてかしら」
「ああ、新世界だが、今すぐには入らない」
ローの言葉に船員達は驚きを露にする。
「えー!?まだ入らないんですか!?」
「早く行きましょうよー、新世界!」
「何を待ってるんですか船長!」
は腕を組んで黙ったままだ。
マリンフォード、その戦争を目撃した時から、そうなるだろうと
予測していた。
ローは船員の不満にも落ち着いて返す。
「時期を待つと、そう言ったんだ。
焦ることないだろ、ワンピースは逃げやしねェ」
ローの言い分はもっともだが、とペンギンはなおも言い募る。
「で、でもほら、早速黒ひげの奴らが暴れだしてるし、
麦わらだって・・・」
「ぐずぐずしてたらおれたち他の連中に出し抜かれちまいますよォ」
「潰し合う奴らは潰し合ってくれりゃ好都合だろ。
おれはつまらねェ戦いに参加する気はない」
「ごちゃごちゃ言ってねェで黙っておれに従え、
取るべきイスは・・・必ず奪う」
言葉を詰まらせる船員に、
不敵に口の端をつり上げて、ローは笑った。
「船長ー!」
「おれたちどこまでも付いていきますー!」
歓声を上げる船員に笑みを深めたローだが、
一歩引いた様子のを見るとその口角を下げてみせた。
「。お前ちょっと残れ。ほかの奴は戻って良い」
は目を瞑って静かに言った。
「仰せの通りに、ロー船長」
いつものセリフだが覇気が無い。
ベポも席を外したその甲板で、ローが眦を尖らせた。
「おい、いつまで拗ねてんだ、いい加減にしろ」
「ハァ・・・感傷にも浸らせてくれない船長をもつと苦労するわ。
私だっていつでも明るく美しく居られるわけじゃあないのよ」
「茶化すな。それで誤摩化されるおれだと思うのか」
「・・・いいえ、残念ながらね。
聞きたければ聞けば良いわ。どうせ気になっていたのでしょう。
冥王が口にした女について」
ローは口をつぐむ。
レイリーの口ぶりやの動揺、そしてなによりあの悪趣味なレポートからして、
その顛末が愉快なものだとは思えない。
どうやらローが一応気を使っているらしいことに気がついて
は眉を跳ね上げた。
「あら、随分と優しいじゃないの。
・・・別に良いわよ、聞かせてあげるわ。後味の良い話ではないけれど」
がローの隣に腰掛けた。その唇に笑みは無い。
「シルバーズ・レイリーの口ぶりから察したでしょうけど。
カルミアは私の母よ。
私が一番最初に魔眼で殺した相手が彼女だった」
は淡々と言い放った。その目は暗く淀んでいる。
「数十年前、世界政府が”夢魔”に関心を示し、その一族を捕らえた。実験をするために」
ローは言葉を忘れたように、を見詰めている。
嘘や、いつもの悪趣味な冗談ではないことは、の表情を見れば明白だった。
は欠片も笑っていない。
「実験の目的は、夢魔に子供を産ませ、その子供を人間兵器として使うこと。
悪趣味な世界政府の考えそうなことだとは思わない?」
「・・・ああ。そうだな」
ローの顔に苛立ちが浮かぶ。何を思い返しているのかは定かではない。
は言葉を続けた。
「母は人体実験の最中、私を産んだ。そして私を洗脳しようとする学者達に歯向かって、
尋常でない程の投薬と暴行をうけて理性を無くした。私のことも分からなくなった。
意味の分からない言葉の羅列を繰り返し呟き、投げ入れられる”餌”を貪ってばかりいた」
「科学者の一人だった父は、理性を無くした母を見て愕然としてたわ。
しばらくは、それまでと同じように振る舞おうと努力しているように見えた。
でもできなかった。耐えられずに、母にすべてを差し出した。
父を殺した母は絶望して、私に自分を殺させたわ。
そうせざるを得ない状況に、私を追い込んでみせた」
は目を閉じる。
目を閉じるとすぐに思い出せるあの日、あの日からは化け物になった。
他人の命を啜らずには生きられない化け物に母がを作り替えたのだ。
「そこまでの仕打ちを受けて、よく海軍に席を置けたもんだな」
ローの声色には僅かながらいたわる様な響きがある。
はまっすぐに遠くを睨む。
「・・・今思うと、カルミアから魔眼を受けたのだと思う。
彼女には”生きろ”と言われたわ。
だから私は、どんな手段を使っても生きていかなくてはと思った」
憎い政府の力を借りてでも、とは呟いた。
「私が賞金首になった日。軍艦を血祭りに上げたあの日
殺した軍の科学者は多かれ少なかれあの実験に関わっていた。
・・・死んで当然のクズ共よ。でも、」
は天を仰ぐ。
ネックレスを握りしめ、何かを思い返している。
「婚約者が死ななければ、私は彼らを殺さずにいれたとも思うのよ。
海軍で母の言葉に縛られ、惰性で生きる私に、本当に”生きたい”と思わせてくれた。
あの人が生きて笑ってさえ居れば、私は満足だったんだから」
「・・・悪かった」
ローは帽子を目深に被る。
は驚いて息を飲んだ。
目を細めて、皮肉気な笑みを浮かべる。
「・・・私が勝手に話したことだわ」
「それでもだ」
「頑固ね、あなたも」
の繕う様な諧謔味を持たせた言葉に、ローは軽く息を吐いた。
「おれにも居たんだ。絶対死んで欲しく無かった人が。
世界政府を憎んでドフラミンゴの元へ行ったおれを、その人は救ってくれた。
だが、おれを救って、ドフラミンゴに殺された」
が目を瞬く。
ローの口から”その男”について語られるのは初めてだった。
は奥歯を噛み締める。
「あの人が生きていたら。そう思わない日は無い。
だが医者なら誰だって知っている。死んだ人間は生き返らない。
だからせめて、あの人の意思を受け継いで、生きて死ぬと決めている」
ローの目がの瞳と重なる。
「誰かの命を、自分を犠牲にしてまで救おうとするだなんて、
馬鹿な奴だって思うか?」
「・・・そうね」
は目蓋を閉じる。
深く呼吸する。
「でも、そういう人がいつだって誰かを救うんだわ」
の言葉に、ローも目を伏せた。
は目を開く。
「ロー船長。今、新世界に入らず、
時期を待つのは、まずこの前半の海で力をつけるためなのでしょう」
「ああ」
「待つのは得意よ。あなた程ではないけれど」
「そうだな。痺れを切らして黄猿の前に飛び出す位だ。たかが知れてる」
「・・・あなたちょっと根に持ってない?ねぇ?」
が調子を取り戻したことに気づいたローが目深に被った帽子の下、
微かに口角を上げたのに気づかぬまま、は立ち上がる。
「それでもいつまでもシャボンディ諸島付近に居たら、流石に海軍に見つかるわ。
行きましょう、ロー船長」
手を差し伸べられたローは軽く瞬く。
にしては珍しい対等な信頼を示す様な行動だった。
ローは素直にその手を借りて立ち上がると鬼哭を肩に船室へと戻る。
その後ろを歩くの目には複雑な色が浮かんでいた。