幽霊船


霧深い海の中で、陽気な幽霊の私と紳士な骸骨ブルックは毎日毎日歌って過ごした。
今日はさまよえる幽霊船の船長と、その船長に恋をする娘のオペラを歌って踊り、演技する。

ブルックが声を上げた。

『まるで過ぎ去りし遥かな時の彼方から、
 彼女は私に語りかける。
 捉えどころのない永遠の中、夢に見た通り、
 今、目の前に居る彼女を見ているのだ。
 焦がれるように私は視線を上げる、深い夜の中から、彼女を見つめる。
 悪魔の囁きは私の胸をときめかせ、未来永劫、苦悩の中に留まるのだということを思い起こさせる。
 私の中に燃え上がる、この暗い情熱。呪われた私が、それを愛と呼べるだろうか?
 違う!それは、”救済”への憧れなのだ。
 この天使によって、それがもたらされるのだろうか!』

芝居がかった仕草でブルックが私に跪いた。
私は笑いながら声を張る。

『私は今、素晴らしい夢をみているのかしら?
 この目に映るものは、幻なのかしら?
 今までまやかしの空間にいて、たった今目覚めたのかしら?
 苦悩に満ちた様子で、私の前にあなたが立っている。
 あなたの底知れない悲しみが語りかけてくる。
 その悲痛な声に、騙されてるなんてことがあるかしら?
 幾度となく眺めていたあなたが、そこに立っている。
 胸の焼け付くような痛み、この熱い思いをなんと呼べばいいのかしら?
 あなたが焦がれ追い求めるのは”救済”
 不幸なあなた、私がそれを、あなたに与えられるなら!』

スカートを持ち上げて挨拶するようなそぶりをみせると、ブルックが小さく拍手した。

「ブラボーです!完璧!」
「ウフフフッ、”幽霊船”のオペラを幽霊と骸骨が歌う。
 きっとこの霧の海に、誰かが現れたら驚くでしょうね!」

私が言うと「まさに!」とブルックが相づちを打った。

「ヨホホホホッ!風刺が効いてて良いじゃないですか。
 それにしても、幽霊のお嬢さん、なかなか筋がいいですよ。
 歌手や舞台女優だったと言われても驚きません、私」

「そう?ピンと来ないけど・・・歌うのは好きだったのかもね」

歌うのは楽しい。かつてもこんな風に歌っていたのかもしれないとなんとなく思う。
首を傾げてみせるとブルックが残念そうに首をふった。

「ああ、せっかく可愛らしいお嬢さんなのに、パンツ、見えないのが残念です」
「・・・あなたの言動の方が残念だと思うよ、ブルック」

呆れてみせるとブルックはしかし、と腕を組んで不思議そうに言う。

「お嬢さんはオペラや小説の筋書きなんかはすぐ思い出したし、
 もしかしたら私よりずっとお詳しいのに、
 ご自分に関することはなかなか思い出しませんね・・・?」
「そうね・・・あまり自分のことに頓着してなかったのかな?」

そう言うと、ブルックはそういう感じには見えない、と首を振った。

「お洋服も仕立てがいいのが見て取れます。
 どこか裕福な家のご令嬢だったのでは?」
「裕福な・・・よく、分からない」

記憶を失っているし、何しろ基準を知らないのだ。
自分が貧乏か裕福かなんてわからない。
・・・もしかすると、人並みはずれた世間知らずだったのかもしれない。

「うーん、何だか、自分をプロファイルするのは変な気分。
 ブルックは私がどんな風に見える?」

ブルックは顎に手を当てて首を傾げる。

「そうですねぇ、・・・貴族の娘さんのように見えます。
 きっと大切に育てられた箱入り娘だったのでは?
 教養に富んでいるけれど世間には疎い、それにその”手”」
「手?」

私は透けている手の平を掲げる。

「箸より重いものを持った事ないって感じです。
 荒れてもないし、爪も整えられている。
 それでいてマニキュアやアクセサリーのような、華美な装飾は一切纏っていない。
 お洋服も清楚な感じですしね。
 先ほど歌手や舞台女優でも驚かないとは言いましたが、
 容姿を”売り”にするようなお仕事はされてなかったのだと思いますよ」

ブルックの推理に私は目を瞬いた。
確かにそんな感じがするのだ。

「ブルック、あなた名推理だわ!推理小説の探偵みたい!」

思わず拍手してみるとブルックは照れたようにアフロを掻いた。

「いやぁ、それほどでも・・・あてずっぽうですし」
「あたらずも遠からずって感じがする。なんとなくだけど」
「何か思い出しましたか?」
「・・・それは全然」

私は肩を落とした。

「名前、確かにあったはずなのよ。
 昔、誰かに呼んでもらったわ、その人に、髪を梳いてもらった」
「恋人がいたのかもしれませんねェ」

ブルックの言葉に、私は霧の向こうを眺める。
そこに、失った記憶の残滓が漂っているかのように。

「・・・わからないわ。でも、大事な人が居たんだと思う。
 ずっと側に居てあげなくてはいけない人だった。
 離れてしまったら、誰が”あの人”を、」

言葉を紡ぐ度にズキズキと頭が痛み出す。
幽霊のくせに頭痛は起きるらしい。そのことを私は苦々しく思った。
見かねたブルックが静かに言う。

「お嬢さん、無理はなさらずに。
 我々に時間はたっぷりとあるのです。・・・有り余るほど」
「ブルック・・・、ありがとう」

ブルックはヴァイオリンは構えずに、鼻歌を歌いはじめた。
ブルックの大好きな”ビンクスの酒”だ。
私もその鼻歌に答えるように歌う。

「出たァー!!!」
「ゴースト船ー!!!」

「あら?」

誰かの声がした。
ブルックは構わずに歌い続けている。
私は船首のほうまでふわりと移動した。

「ねぇ、ブルック、人が居る!麦わら帽子を被った髑髏の旗・・・海賊!」
「じゃあ、驚かせてあげましょう」

ブルックはなんとなく、悪戯っぽく笑ったような気がした。
私はそれに口の端が釣り上がるのを自覚する。

「フッフッフ・・・!いいアイディアね!」

頷いて私はビンクスの酒の続きを歌う。
ブルックとのデュエットだ。
海賊には海賊の歌をもって出迎えるのが良いだろうと思ったのだ。

ゆっくりと私たちの乗る船が、海賊船の横を通り過ぎる。
ざっと7名と、ぬいぐるみのような動物がこちらを見て、
恐れ戦いているのが見えた。



驚くべき事に、海賊の彼らは我々の船を調べる気らしい。
賑やかな声が聞こえてくる。

「なんで行くの!?やっぱり私帰る!」
「だからおれ一人でいいって」
「ダメだ、アホやっておれ達の船が呪われたらどうすんだ!」

ブルックは嬉しそうに歌い続けている。
なにせ”まともな”生きている人間と会うのは彼にとっても久しぶりなはずだ。

「大丈夫!ナミさんはおれが守るぜ!」
「ナミ、お前『宝船』楽しみにしてただろ?」
「コレが『宝船』なわけないでしょ!見たでしょ!?
 動く骸骨と幽霊!」
「あいつらが宝の番人だ。あいつらを探そう!」

ブルックも私も待ちきれなくなって、そっと船のへりから顔を覗かせる。

麦わら帽子の青年と、金髪のくわえ煙草の青年、
オレンジ色の髪をした可愛い女の子が目を見開いてこちらを見ていた。

「ぎゃあああああ!!!」

「ウフフッすっごい吃驚してる!
 そんなところで驚いてないで、甲板でお話しましょうよ!」

私が笑うと、金髪の青年がちょっと意外そうに目を見開いていた。
麦わら帽子の青年は私の言葉にぱちくりと目を瞬くと、やがて、にぃ、と笑ってみせる。

「おう!」
「えぇ!?止めましょうよルフィ!」
「い、いや、ナミさん、ちょっと甲板で話すくらいなら・・・」
「サンジ君まで!?」

甲板に3人を迎え入れると、ブルックはシルクハットを持ち上げて挨拶する。

「吃驚しました!
 何十年ぶりでしょうか、人とまともにお会いするのは!」
「ウフフッ!何せ”幽霊”の私と出会ったのでさえ、数ヶ月前のことだものね?」

ふわり、とブルックの肩に手を置くと、麦わらの青年がこちらを指差して
面白そうに笑っていた。

「見ろ!喋ってる!骸骨がアフロで喋ってる!
 幽霊がフワッフワ浮いてる!スゲェ!!!」
「う、美しい、でも幽霊・・・!」
「・・・!」

金髪の青年と、女の子は膝が笑っている。怖がっているのだろう。
ブルックが女の子に声をかけた。

「おやおや、そちら実に麗しきお嬢さん!
 んビューティフォー!
 私美人に目がないんです!骸骨だから目はないんですけども!ヨホホホホ!」
「えっ、いえ・・・そんな」

女の子は震えている。
ブルックのことだからいつものセリフを吐くだろうと、私はブルックから手を離した。
案の定、ブルックは女の子の目線までしゃがみ込み、とぼけた調子で女の子に言った。

「パンツ見せて貰ってもよろしいですか?」
「見せるかっ!」

ばきっ、と良い音がして、ブルックがはり倒された。
にも拘らず、ブルックは楽しそうに笑っている。

「ヨホホホッ!手厳シィー!!!」
「そりゃ殴られてもしょうがないよ。セクハラだもん。
 私も殴れるもんなら殴ってるわ。・・・ごめんね、お姉さん」
「えっ、ええ」

女の子は幽霊の私や、骸骨のブルックに戸惑っているようだ。
そんな彼女の緊張をほぐすためか、ブルックがスカルジョークを飛ばす。

「骨身に沁みました。骸骨なだけに!」
「うっさい!!!」

女の子は肩をいからせて怒ったが、私と麦わらの青年はケラケラ笑った。

私はブルックのスカルジョークが好きだ。
長い年月を一人で過ごした彼の、明るさを失わないその姿勢を尊敬している。

私もブルックに倣って、ゴーストジョークを披露する事にした。

「私も生きてる人間に、出会うのは初めてよ。
 それにしてもお兄さん達、素敵ね、生き生きしてる。
 どう?私と一緒に永眠しない?」

「それ死ねってことか!?」
「なによその口説き文句は!」

ウィンクしてみると麦わらの青年と女の子が突っ込んでくれるが
金髪の青年は悩まし気に頭を抱えてしまった。

「うっ、永眠するとおれは・・・いや、でも・・・」
「何迷ってんのよ!」

金髪の青年はバシィっと女の子に頭をはたかれていた。
その様子がおかしくて笑ってしまう。

「ウフフフフッ、ジョークよ。ゴーストジョーク・・・!」
「お前それシャレになってねェぞ」

麦わらの青年はジト目で私を見つめた。

「あらそう?」
「まぁいいけど、・・・ところでおまえらうんこはでるのか?」
「骨はともかくレディに何聞いてんだ!?」

金髪の青年が麦わらの青年をぶん殴っていた。
ブルックは何でも無い様子で紅茶を口に運んでいる。

「あ、うんこは出ますよ」
「お前は答えんな!どうでもいいわ!」

「私は、そもそも食事を摂らないし・・・」
「クソゴムのクソ無礼な質問になんて答えなくて良いですよ、レディ」

金髪の青年は首を緩やかに振る。
それから気を取り直した様子でブルックを指差した。

「まずお前!なんで骨だけなのに生きてて喋れるのか、
 お前は一体何者なのか、なぜここに居るのか、
 この船で何があったのか、この海ではどんなことが起きるのか!
 全部答えろ!」

私は小さく首を捻る。

「私はいいの?」
「・・・できるなら、あなたがこの骨とどういう関係なのかも聞きたいですが、」

金髪の青年はどういうわけかブルックと私への態度がちょっと違う。
フェミニストなのかもしれない。

そんな私たちのやりとりを遮って、麦わらの青年は声を上げた。

「そんなことよりお前ら、おれの仲間になれ!」

私は思わず耳を疑った。
勧誘、されているのだろうか。海賊に?

私やブルックのような奇妙な異形を仲間にしようだなんて
物好きも居たものだなぁ、と私は麦わらの青年をまじまじと見つめた。

「ええええええ!?」

麦わらの青年の提案に、仲間なのだろう二人でさえ驚嘆の声を上げる。
ブルックも少しだけ驚いたようにも見えたが、すぐに返事してみせた。

「ええ、いいですよ。お嬢さんはどうします?」

ブルックは振り返って、私に聞いた。
驚くべき事に、麦わらの青年もこちらを見て
わくわくしたように目を輝かせている。

「やっぱり海賊に誘われてるの?私が?
 ・・・ねえ!麦わら帽子のお兄さん、海賊になったらなにするの?」

私は麦わらの青年の前に立った。
私の目を見て、麦わらの青年は笑顔で答える。

「海は広いし、大きいだろ?いろんな島を冒険するんだ!楽しいぞ!
 なんたって海賊は、”自由”なんだから!」

「”自由”」

それはとても魅力的な誘い文句だった。
きっと私が生きていたなら、頬を上気させていただろう。
胸をときめかせ、麦わらの青年の、手を取っていただろう。

私の顔は血色を変えはしない、鼓動はとっくに止まっている。
それでも、もやがかっていたスカートの端は私の感情に忠実に、
燃え上がる炎のように揺らめいた。

わき上がる感覚がある。
思い出したのだ。

”自由”

それは、かつて私が恋いこがれ、渇望し、そして押し殺したものだった!

「ウフ、ウフフッ、ウフフフフッ!」
「どうした、幽霊?」

笑い出した私を訝しむ麦わらの青年の周囲を飛び回ってみせた。
それを見て麦わらの青年は面白そうに目を輝かせている。

命の輝き、生命力にみなぎる若者、自由を謳歌する海賊。
彼が私に”自由”をくれると言うのなら、
私の記憶を”自由に”辿ることが出来る、その助けになるのかもしれない。

「いいわ、喜んで私、海賊になってさし上げるわ!」