幽霊と大コウモリ


幽霊はその男の頭上、遥か上にあるシャンデリアに身を潜めていた。
そのまま巨大な男を観察する。

 かなり大きい。6メートルはあるかもしれない。

ソファに腰掛けて、男は頬杖をつき、うたた寝する様に目を閉じた。

くつろいだその様子に、この屋敷の主かもしれない、と幽霊は目を眇める。
幽霊がその男に話しかけるか否か考えているうちに、
ドタバタと3人のゾンビが駆け込んで来た。

「ご主人様ーっ!ゲッコー・モリア様ーっ!
 三怪人様お揃いで!それから、捕まえた海賊も!」
「・・・早いな。入れ」

現れたのはホグバックと、
口がライオンの様になっている、帽子をかぶった男、アブサロム。
そして日傘を持った可愛らしい女の子、ペローナだった。
いずれもゾンビではなく人間のようである。

「来たかおめェら、キシシシシシ!早くおれを海賊王にならせろ!」
「直に!」

三怪人と呼ばれた彼らは恭しく頷いてみせた。
それにしても、と幽霊はモリアを伺う。

”海賊王”と大男、モリアは言った。どうやら彼は海賊らしい。

三怪人と共に運ばれてきた檻にかけられていた布が解かれる。
中に入るのは鎧を着込んだルフィだ。
幽霊は思わず叫び声が出そうになって口を抑えた。

ルフィはモリアに散々食って掛かる。

「何が海賊王だ!?海賊王になるのはおれだ!
 このヒモほどけ、デカらっきょ!!!」

しかしモリアはニヤニヤと笑うばかりで、ルフィの言う事を意に介した様子も無い。

「何とも威勢のいい男だな。これが”麦わらのルフィ”か」
「ウソップ、ナミ、チョッパー、サンジ、ゾロ、あと幽霊!全員返せ!どこへやった!?」

ウソップら3人だけでなく、サンジやゾロも捕まっているらしい。
だが、モリアは手配書を手に不思議そうに首を捻っている。
その口ぶりでは、ゾロとサンジしか捕らえていないということらしい。
どうやらウソップら3人は逃げ果せたようだ。そこはひとまず安心と言ったところだろう。

ルフィも逃げ出そうと檻を食い破るが、
女の子、ペローナが生み出した白いゴーストに身体を通り抜けられると、
「ナマコになりたい・・・」と呟き倒れ臥してしまった。
どうやらゴーストに触れるとネガティブになってしまうらしい。

幽霊は悔し気に奥歯を噛んだ。その様子を見ている事しか出来なかったのだ。
しかし、ここで飛び出しても、きっと状況を悪化させることになると分かっていた。
彼らのやりとりを見るうちに、何か状況を打開出来るヒントでも得られれば良いのだが、
と様子をうかがい続ける。

そうこうしているうちに、モリアが何かする気らしく、大きなライトをルフィに当てた。

くっきりとルフィの足元から影が伸びる。
モリアは慣れた手つきでルフィの影をまるで紙でも扱うように剥がし、
大きなハサミで切り取ってしまった。
ルフィの本体は意識を失い、影はまるで戸惑っているかのようにモリアの手の中で暴れている。

「手に入れたぞ!3億の戦闘力!
 これで史上最強の”スペシャルゾンビ”が誕生する!!!」

ブルックの影を奪った方法を、幽霊ははっきりと理解した。

じたばたと暴れるルフィの影を眺め、満足げにモリアは呟く。
気絶した本体のルフィを船へ戻す様に指示すると、モリアはホグバックに向き直った。

「コイツはおれを”海賊王”にまた一歩近づけてくれそうだな、ホグバック」

ホグバックは頷いた。

「フォスフォス、あんたと出会って10年。
 こんな日の為に力を尽くして造り上げた900号。
 その影を入れれば史上最強のゾンビとなり、必ず我々の大きな力となりましょう!」

ホグバックの言葉で、幽霊はこの島のシステムを把握しはじめていた。

つまり、ゾンビも、ゴーストも、三怪人と呼ばれる彼らが生み出し、使役しているのだ。
モリアが切り取った影を、ホグバックが補強した死体に入れることでゾンビが生まれる。
恐らく悪魔の実の能力者であるペローナがゴーストを作り出し、
アブサロムと呼ばれていた男がゾンビを従え、
この島を訪れた人間を捕まえて影を奪う。

理に適った略奪のシステムである。

幽霊は唇を噛んで、成り行きを見守る。
未だに突破口を見つけることが出来ぬままに。



オーズと呼ばれる巨人の死体に影を入れ、
ペローナの側近に身を潜めていたウソップら3人のことを部下に任せ、
モリアはゾンビとなったオーズを新しいオモチャが手に入った子供のように見つめている。

しかし、麦わらの一味も黙っては居ない。大暴れしているようだ。
ゾンビを無力化する方法を知ったらしく、ルフィ達からゾンビの方が逃げ惑っている有様らしい。

そちらに気を惹かれた様子も見せたが、ペローナがモリアが出るまでもない、と言うと、
自分で何もするつもりも無かったらしいモリアは頷いて、
壁の崩れた冷凍庫の中で、オーズが島の中を暴れるのを眺めている。

いつの間に、彼の部下は散り散りになっている。
これはもしかしたら交渉のチャンスなのかもしれない。

幽霊は深く息を吸い込み、モリアに話しかけた。

「こんにちは、あの、ゲッコー・モリアさん?」
「・・・ん?誰だお前は」

モリアは怪訝そうな顔をした。
話しかけたのが幽霊であることに気がつくと、パチパチと目を瞬かせている。

こんなお化け屋敷の主でも、”見知らぬ幽霊”には驚くらしい、と幽霊は小さく笑う。

「なんだお前は、ペローナじゃねェのは確かだが」

「つい先ほど麦わらの一味になった、通りすがりの、記憶喪失の幽霊よ。
 ところで、・・・何を食べたらそんなに大きくなれるの?
 大きなコウモリみたい」

モリアは空中に浮かぶ幽霊をじろじろと眺め回した。

「・・・キシシシ、妙な幽霊だ。
 確かに麦わらが幽霊とか何とか言っていたな。奴らの仲間か?
 ——ここは”死者達の魔境”。
 ”本物”の幽霊が紛れ込んでもおかしくはないが」

モリアはどこか皮肉な笑みを浮かべる。

何を思ったかモリアが幽霊に手を伸ばすが、通り抜けてしまった。
ひんやりとした感触がモリアに伝わったのだろう。
不愉快そうに眉を顰めている。

「”幽霊”ならさっき見たわ」

幽霊の言葉に、モリアは腕を組んだ。

「あれはおれの部下の技さ。
 ・・・さて、お前は一体何をしに来た?記憶喪失の幽霊。
 恨み言か?生憎と、お前を殺した覚えはねェぞ」

「そうね、私もあなたに殺された覚えはないけど」

幽霊はモリアと視線を合わせる。

「私の仲間の影を返して欲しいの」
「は?」

モリアは眉を顰める。
幽霊は知る限りの影を盗られた仲間の名前を指折り数えた。

「ブルックでしょ、ルフィでしょ?
 あと、サンジと、ゾロに・・・他にも影を奪ってるなら、その人達の分も。
 ・・・どうして勝手に人から影を奪ってしまうのよ。
 ちゃんと正面から勧誘すればいいじゃない」

モリアは幽霊を見て「こいつは何を言っているんだ」という顔から
「こいつは馬鹿なんじゃねェのか」という顔になった。

しかし幽霊は至って本気だと言わんばかりにモリアを見つめる。

「ちゃんと自分を慕ってくれる相手なら、影を借りても怒らないと思うわ。
 無理矢理に奪ってしまうからいけないのよ」

モリアは一度目を見張ると、幽霊を睨んだ。
どうも気に触ったようだ。不機嫌そうに鼻を鳴らしている。

「話にならねェな、失せろ、記憶喪失の幽霊。
 おれは海賊、それも王下七武海だ。誰の指図も受けねェよ」

「なによ王下七武海って?偉いの?
 私だって海賊よ。
 大体、私があなたの指図を受ける理由も無いでしょ?」

腕を組んで言うと、モリアは鋭い目つきをさらに尖らせている。
幽霊は根気強く説得することに決めたらしい。
モリアの鼻先に指を突きつけた。

「ブルックの影を返してあげて」
「・・・聞こえねェのか。失せろって言ったぞ」
「影を返してって言ってるじゃない、影泥棒のコウモリさん」

ついにモリアは幽霊を怒鳴りつけた。

「うるせェ幽霊だな!?恨み言ならお前を殺した奴に言え!」
「それが分かるならそうしてる。返してあげてったら」

幽霊はふよふよとモリアの周囲を回る。
モリアは鬱陶しそうに幽霊を手で払おうとするが、
触れもしない。空気を振り払うことなど誰にも出来ないからだ。

幽霊はむぅ、と唇を尖らせる。
何がどうあってもモリアは影を返すつもりは無いようだ。
ならアプローチを変えるべきだろう。

何故、モリアは影を奪い、ゾンビを作り続けるのか。
代替案を思いつけば、もしかしたらモリアだって影を返す気にもなるかもしれない、と
幽霊は考えを巡らせた。

「・・・じゃあ別のことを質問するけど。
 あなた達、海賊なんでしょう?生きている人間らしいのって、
 ペローナと、アブサロム、ホグバックくらいしか見当たらなかった。
 慕ってくれる普通の人間を部下にすれば良いのに。
 ゾンビが好きなの?」

モリアは眉を顰める。

「気色の悪い言い方をするな、記憶喪失の幽霊」

モリアの目に、確かに僅かな苦みが走った。
幽霊はその目に既視感を覚えていた。
ある仮説が脳裏をよぎる。

「・・・仲間を失うのが怖いの?
 だから、自分を慕うわけでもない人から影を奪って従わせてる?」

モリアは絶句して幽霊に向き直った。
たちまちこめかみに青筋を浮かべ、幽霊を怒鳴りつける。
 
「お前・・・!四肢を引き裂いてやろうか?内臓を口から搔き出してやろうか?!
 このおれを誰だと思ってる!」

凄まじい脅し文句だ。思わず竦んでしまいそうな程の。
だけど幽霊にはそんなセリフ、意味が無かった。

「残念だけど、死んだ人間を2回も殺せやしないでしょう?」

皮肉めいた幽霊の言葉に、モリアは唇を噛み締めた。
歯の隙間から唸るように息をする。
幽霊は手探りで輪郭をなぞる様に、自身の言葉を整理するように、言葉を紡ぐ。

「そっか、死なせるのが怖いから、最初から死んだ人間を周囲に置くんだね」
「黙れ!」

幽霊はモリアと話しているうちに、浮かんで来たイメージを掴む様に呟いた。

「・・・私の知っていた人とは、少し違う。ちょっと似てると思ったけど。
 私の知っていた人は、閉じ込めておく人だった。
 大切な物を、籠の中に入れて、ずっと見てる人だった」

苦し気に目を細めた幽霊を見て、モリアは訝し気に首を捻った。

「記憶喪失だと言ってただろう、お前は」

幽霊は苦みを帯びた笑みを浮かべた。

「・・・こうして人と話していると思い出すわ。
 少しずつ、ジグソーパズルのかけらを、誰かに貰うみたいに。
 私は記憶を取り戻す」

「・・・お前は、」

モリアは何とも言い難い顔で幽霊を見ていた。

「いや、おれには関係のないことだ。
 キシシ、一つ聞いておきたいことがある。記憶喪失の幽霊」
「なに?きっと答えられる事は、少ないと思うけど」

笑いながらも、モリアは静かに問いかけた。

「死後の世界って奴を見た事はあるか?」

なるほど、それは確かに死んだ人間にしか分からない質問である。

どういう意図で聞きたがっているのかは分からないが
なるべく正直に答えようと幽霊は努めた。

「生きていたときのことをほとんど覚えていないから、比べようも無いけれど、
 ――私にとっては、今、この場所こそが死後の世界よ、コウモリさん」

モリアは目を丸くすると、やがて口の端をつり上げ、恐ろし気に笑う。

「キシシシシ!なるほどなァ。
 確かにこの世こそ”楽園”で”地獄”だ」

しかし、その笑い方は期待を裏切られた人間の表情に見えた。

 モリアは、私から”何”を聞きたかったのだろう。

首を傾げた幽霊に、モリアは言う。

「良い事を教えてくれたな。いや、思い出させたと言うべきか。
 記憶喪失の幽霊。
 おれもお前に、教えてやろう。海賊の作法だ。
 お前も麦わらの仲間、・・・海賊なら、覚えておいて損はねェ」

指を一本立てて、モリアは幽霊に突きつけた。

「海賊に言う事を聞かせる方法を教えてやろう。
 お前は全くなっちゃいねェ。
 まず第一に、お前はおれに”お願い”をしたな?
 海賊は誰の懇願も踏みにじる略奪者。そんなもんは時間の無駄だ。
 誰も”お願い”なんか聞きやしねェよ」

もう一つ指を立てて、モリアは言う。

「次に、脅しや命令も勧めない。
 本物の海賊には”死”さえも脅しにゃならねェし、
 大体の海賊が命令されるのも指図されるのも嫌いだ。頭に来る。
 思わず相手を殺したくなる程にな」

モリアは幽霊の額の辺りを指差した。

「つまりだ、海賊の持ち物が欲しいなら、奪う力を身につけろ。
 支配するにも、自由に生きるにも、力が無けりゃ話にならない。
 ——おれが何を言いたいのか分かるか?」

幽霊がその迫力に息を飲んでいると、モリアは嘲る様に幽霊を詰る。

「今のままじゃお前は失うばかりだなァ、
 お前とおれたちとじゃ、流れる時間が違う。
 お前は死霊、お前の仲間は生者。
 無力なお前は仲間が死に行くのを眺める事しか出来ねェんだ」

「・・・そんなことないわ。私はここに居る。
 確かにここに、意思を持って、居るんだもの」

幽霊の言葉を小馬鹿にした様に笑い、
モリアは頬杖をついた。

「キシシシシ!口ではどうとでも言えるだろう、
 だが、こうしておれと無駄話をしている間にも、
 お前の仲間はおれの部下達と戦っているはずだ」

「!」

「見物だな、記憶喪失の幽霊。
 お前に何が出来るのか!」

幽霊はその顔に怒りを浮かべ、
わざとモリアの身体を通り抜けてその部屋を去った。
振り返れば悪寒に一度動きを止めたモリアが見える。

「意地悪な人ね!」

幽霊は思わず捨て台詞を吐いてしまう程度には苛立っていた。

モリアの言葉は幽霊に痛烈に響いたのだ。
確かに、幽霊に出来る事はほとんど無いに等しいと、幽霊自身分かっていた。
そして——。

『お前に何が出来る』

「・・・昔、似たような言葉を聞いた気がするわ」

実感もあった。自分には何も出来ない、という強烈な無力感。諦観。
幽霊はかつても味わったのだ。
じわじわと沸き上がる悔しさに、眉間に皺がよるのがわかった。

 そんなのは勝手な決めつけだ。
 そう言い返してしまいたかったのに、出来なかった。

ただ同時に、モリアの言葉は、幽霊にある衝撃を与えてもいる。

”本物の海賊”

その自負をモリアは持っていた。
ルフィとは違うあり方ではあるが、一つの信念を持っていた。

幽霊は思考を止めず、このオバケ屋敷の主のことを考え続ける。

モリアは臆病だ。
しかし仲間の死を恐れ、それでいながら尚も影を奪い、
死なない部下を作り出し、何かに備え、立ち向かうための準備をしているように、
幽霊には見えたのだ。

「・・・王下七武海、・・・”本物の海賊”」

プライド、信念。

今日、海賊を始めた幽霊にはまだ備わっているとは言えないものだった。

いつかそれを手に入れられる日が来るのだろうか。

幽霊はブンブンと首を横に振る。

「今は、自分に出来ることを探さなくちゃ・・・!」

ひとまず麦わらの一味の皆との合流を目指し、幽霊は進み続けた。