幽霊とゾンビ
羊の船首の小舟”ミニメリー号”に乗った、
ナミ、チョッパー、ウソップの側を幽霊はふわふわ浮かんでいた。
ナミ、チョッパー、ウソップはゴーストアイランドへの上陸を嫌がったので、
買い出し船に試し乗りしてからサニー号へ戻るつもりらしい。
その様子を興味深く見つめている幽霊に、
ウソップは憎まれ口を叩いた。
「なんでオメェまで付いてくるんだ?
ルフィ達と行くんじゃなかったのかよ」
幽霊は少しむっとするそぶりをみせたが、構わずに船首を撫でていた。
「そんなに邪険にしなくたって良いでしょ。
とても可愛い船なんだもの。近くで見たくて・・・ナミも運転が上手ね!」
ナミは天真爛漫な幽霊に押され気味だ。
苦笑している。
「ありがと・・・あ!?」
突然船が大きく揺れたのはそんな会話の最中だった。
岸に乗り上げた反動でナミ、チョッパー、ウソップは
見事にゴースト島まで飛ばされてしまったのだ。
幽霊は半ば唖然と3人が飛んでいってしまった先、ゴースト島を見つめる。
彼らはゴースト島には入りたく無さそうだったと言うのに。
我に返った幽霊は3人の元に急いだ。しかしすぐ側の岸辺には見当たらない。
少し空中の高いところに浮かんで、下を見ると、深い溝のようなものが見えた。
そこに3人はちょうど落ちてしまったようだ。
幽霊は溝に落ちた彼らに声をかける。
「3人とも、大丈夫?死んでない?
突然飛んでいくから吃驚したわ」
「ギャアアアアア!・・・って、お前か!脅かすなよ!
ミニメリー号にナミが浮かれて岸に乗り上げたんだ!」
突然声をかけた幽霊に叫び声を上げたウソップが、
声の正体に気づくと胸を撫で下ろし、やれやれとため息を吐いた。
ナミが正座していたのは、はしゃぎすぎたのを反省していたからだろう。
しかし幽霊に気がついて、ナミは立ち上がる。
「上はどんな感じなの?」
「人らしい人は見えなかったわ。
霧が濃くて、見晴らしが良い訳でもないから詳しくはわからない。
さっきウソップも言ってた通り、お屋敷があるってことは、
無人島じゃないとは思うんだけど」
ナミの質問に答えながらも、幽霊は自分の肩を抱いてみせた。
「でも、確かにこの島、嫌な感じがする・・・」
先ほどから妙に寒い気がすると、幽霊の癖に怖がっている様子を見て、
人型に姿を変えたチョッパーが眉を下げた。
「ここ、海面より下だから、なんかおれも恐いぞ・・・」
「そうだな・・・危険だし、人目にもつかねぇ」
「地上の海岸で助けを待ちましょうか、ルフィたちも来るでしょう」
幽霊は首を傾げた。
「え?チョッパーを探さなくても良いの?」
「チョッパーはおれだよ!」
どうやら幽霊は人型と人獣型のチョッパーを同一人物だと見抜けなかったようだ。
見かねたウソップが補足する様に言った。
「チョッパーはヒトヒトの実を食べたって言ったろ、
人獣型、人型、獣型と、姿形を変えることができるんだ」
幽霊はそれを聞いて「なるほど、」と頷いてみせる。
「そうなの・・・不思議なこともあるのね」
「・・・幽霊に言われると変な感じだ」
チョッパーがなんとなく肩を落としていると、パキ、と何かが砕けるような音がした。
獣の息づかいがする。
3人が嫌な予感に振り返ると大きな獣がうなり声を上げていた。
「・・・犬?」
「犬じゃない!ケルベロス!!!」
ナミが泣き叫ぶと同時に3人はあっという間に走り出した。
それを皮切りにケルベロスも3人を追いかけはじめる。
幽霊も浮遊してついていく。
チョッパーがトナカイらしい獣型に変化するとのんきに感心しているようだった。
「あ、本当にトナカイの格好になるのね!すごい!」
「今それどころじゃねぇよォ!」
「ご、ごめんなさい」
涙を流すチョッパーに全力で怒鳴り返され、
流石に空気を呼んだのか、幽霊は黙って走る3人の後をついて行く。
全速力で逃げる3人は目の前に現れた階段を登り、
森へと入り込んだ。
無我夢中で木に登り、ケルベロスが過ぎ去るのを待つ。
「・・・あのケルベロス、一つは首が狐だし、
縫い傷だらけだったわね」
「ああ、犬のくせに鼻も効かねェみてェだった」
ウソップが幽霊に頷く。
ナミが困った様に眉を寄せた。
「どうしよう、大分森へ入り込んじゃった」
「あんなのが歩き回ってるなら目立つ場所で助けを待つのも大変だぞ」
「まったくでしね」
一味の3人でも、幽霊でもない誰かの声に、皆が振り向いた。
コウモリのような男が木の枝にぶら下がっている。
その異様な風体に、3人は目玉が飛び出しそうな程驚いていた。
「ギャーーー!?誰だ!?」
コウモリのような男はおどける様に腕を広げてみせる。
「申し遅れました。私はヒルドンと申しまし。
野犬に追われていらしたので、お困りなのではと背後から忍び寄りました・・・。
ここらの森は夜が更けてまいりましと、
この世のものとは思えぬ程に危険な森へと変化いたしまし・・・」
脅し付けるようなヒルドンの文句に、幽霊は少し眉を顰めた。
「もしよろしければ・・・私の馬車でお屋敷へいらっしゃいまし・・・
その方が安全でしょう。・・・ドクトル・ホグバック様のお屋敷へ・・・」
※
ヒルドンの一見親切な申し出を飲み、
麦わらの一味の3人と幽霊は馬車に揺られ、
島のほぼ中央にある”ドクトル・ホグバック”の屋敷を目指していた。
しかし幽霊はどうもヒルドンを怪しく思っていた。
背後から忍びよったり、脅し付けるような物言いは、どう考えても”ゴーストジョーク”
脅かす側の言い分である。親切なのは本心なのか、それとも騙すつもりなのか。
幽霊はじっとヒルドンを見つめている。
そのヒルドンはナミにワインを勧めている。
幽霊と目が合うと、何故か少々怯えた様に肩を震わせるので、幽霊は少し首を傾げてみせた。
3人よりも幾分冷静な様子の幽霊を見て、ウソップが顎を撫でながら尋ねる。
「さっきから思ってたんだが、オメェは何でそんな落ち着いてんだよ」
幽霊はパチパチと目を瞬いた。
「だって私死んでるし、死んだ人間を殺す事なんて誰も出来ないでしょ?
確かに、骸骨とかオバケは見た目が恐いと思うけど、殺される訳じゃないから」
その言い分に、ウソップは呆れたようにため息を零した。
「はぁああ〜、良いんだか悪いんだかわかんねェ話だな・・・」
ヒルドンはどきりとしたように視線を彷徨わせた。
幽霊はそれを見て、自分はそんなに恐ろしいのだろうか、と首を捻っている。
「でも、ドクトル・ホグバックに会えるだなんて思わなかったぞ!」
「そんなに有名なの?」
チョッパーはヒルドンからホグバックという名前を聞いて、
恐怖を忘れ、元気を取り戻したようだった。
「医者でその名を知らない奴は居ないよ、”天才外科医”なんだ!」
目をキラキラと輝かせている。
「奇跡のような手術で、星の数程の人達の命を救って来たんだ!
地位も名誉も、医者として得られる全てを手に入れて、
世界中の医師達からの尊敬を集めてた・・・!
——でも、ある日突然姿を消したんだ」
幽霊はその言葉で、何かが脳裏をよぎった気がした。
白いシーツ、はためくカーテン、頬を伝ったのは涙だろうか。
思わず幽霊は頬をなぞる。しかし濡れては居なかった。
「・・・幽霊?どうかしたか?」
「——いいえ。続けて?」
幽霊がチョッパーに続きを促すと、
チョッパーは首を傾げながらも、言葉を続けた。
「うん・・・?
——失踪事件とも、誘拐事件とも言われて、医学界は一時大変な騒ぎになったけど、
結局何の手がかりも掴めないまま今はもう、
”ホグバック”と言う名前は伝説になりかけてるよ」
チョッパーの言葉を聞きながらも、幽霊は思い出した記憶の断片に気をとられていた。
きっと、私は生前、突然に誰かに置いていかれたことがあるのだ。
そのことが、私はとても悲しかったのだ。恐らく、涙を流す程度には。
幽霊はスカートをぎゅっと握りしめる。
透明なスカートの裾が、しかしそれでもゆらゆらと揺れていた。
※
どういう訳かヒルドンに墓場の真ん中に置き去りにされ、
突然現れたゾンビ達に追われた麦わらの一味の3人と幽霊は
結局徒歩でホグバックの屋敷まで辿り着いていた。
ゾンビや奇妙な生き物のはびこるこの島には長居したくはなかったし、
引き返してルフィらと合流したかったところだが、仕方が無い、と皆肩を落とす。
ホグバックの屋敷はゴシックな洋館だ。
真ん中はトンネルになっている。中庭が入り口から伺えた。
3人はゾンビに追われたせいで泥だらけで、そして幽霊は落ち込んでいた。
明らかに気落ちした幽霊を見かねたのか、ウソップが声をかける。
「おい、そんな落ち込むこと無いだろ幽霊、だって・・・普通に怖いぞ、幽霊は。
お前良く見るとそんなことねェけど、初めて見たらビビるって」
散々幽霊を怖がって邪険にしていたウソップにまで
気を使われているのを幽霊は申し訳なく思っているのだろう。
その顔には力の無い笑みが浮かんだ。
「・・・ええ、分かってるわ。
でもね、私、ゾンビにまで泣くほど怖がられるとは思ってなかったのよ・・・」
墓場で幽霊を見た瞬間、ゾンビは皆泣き叫んでいた。
幽霊もその恐ろしい姿に叫んだからお互い様なのかもしれない。
しかし、幽霊はあんまりにゾンビ達が泣きわめくので、返って冷静になってしまったらしく、
途中からは白け切った顔をしていた。
3人に襲いかかるゾンビ達をやけくそで追いかけ回し、
その度に幽霊はゾンビに泣かれ罵られていた。
「・・・良く見るとあんた可愛い顔してんのにね」
ナミですら幽霊をフォローする始末である。
「ありがとう、ナミ・・・、私、多分だけど、『腐れヤベー』なんて罵られたの、
生まれて初めてだったわ・・・もう死んでるけど・・・」
「き、気にすんなよ!あ!見ろ!奥で明かりが付いたぞ!」
チョッパーが気を取り直すように言う。
幽霊は落ち込んでばかり居られないと頭を振って、背筋を伸ばした。
チョッパーの指摘した明かりの側まで近寄ってみる。
まるでスポットライトのように、古井戸に明かりが灯っていた。
「いらっしゃい」
突然古井戸の中から皿を持った女が現れた。
「ギャアアアアアア!!!!」
驚き叫ぶ3人と幽霊に、女は持っていた皿を投げつける。
特にウソップと幽霊が執拗に皿を投げつけられていた。
皿が身体をすり抜けてしまう幽霊はともかく、
ウソップはそれなりにダメージを受けているようだ。
「いでェ!?なんかおれが狙われてないか?!」
「・・・安心して、ウソップ、私もよ」
「お前ー!?幽霊だからってダメージゼロかよ!?ずりィぞ!?」
今しがた頭に皿が当たったウソップに、罵られ、幽霊は力なく首を振った。
「ダメージ、ゼロじゃないわ・・・。痛いわ、心が・・・」
「・・・なんかごめん!」
「ええ、そうよ・・・あんた達は屋敷に招待できない」
女はウソップと幽霊を睨んだ。
チョッパーとナミは戸惑っている。
「そこの2人は入っていいわ、
あんた達は行っておしまい!」
尚も皿で攻撃を続ける女を窘めるような声が響いた。
「もういい!待ていっ!!!特例で構わねェぜ、シンドリーちゃん!!」
屋敷の扉が音を立てて開く。
出て来た男は皿嫌いの使用人、シンドリーを紹介すると、
芝居がかった仕草で自己紹介を始めた。
「このおれは、世にも名高きドクトル・ホグバック!!!
通称”天才”だ!!!フォスフォスフォス!!!」
※
屋敷の主、フォスフォスと笑うホグバックはシンドリーと違い、
割と寛大な男のようで、皆を屋敷に迎え入れた。
しかし、そのホグバックも案内された席に付いた幽霊を見るとぎょっとした様子を見せる。
どうやら4人居る事は気づいていたようだが、
そのうちの一人が幽霊であることにすぐには気づかなかったらしい。
「お、お前・・・!?ゆ、幽霊!?」
幽霊は頷いて、首を傾げてみせた。
「・・・ゾンビが居るなら、幽霊が居てもおかしくは無いでしょ?
この島でも、私以外に幽霊が居るんじゃないかしら、白い幽霊を見たわ」
ホグバックはまさか、と首を振った。
「アレはペ・・・!」
「ぺ・・・?」
ホグバックは一度口を噤むと、引きつった笑みを浮かべる。
「フォ、フォスフォスフォス、そうだな・・・物事は柔軟に考えるべきだ。
おれの魂を盗ったり、とり殺したりするつもりが無ければ歓迎しよう・・・」
「——幽霊をなんだと思ってるの!?失礼だわ!偏見だわ!固定観念だわ!」
「いや、だから初見だったらビビるだろう、普通」
抗議する幽霊にウソップの冷静な突っ込みが入る。
ナミが咳払いをして、話を本題へと持っていった。
ゾンビについてである。
ホグバックは冷静に答えてみせた。
「おれはあれらが何かわからねェからここに住んでるんだ」
「ドクトルは今ここでゾンビの研究をしているのか?」
チョッパーの問いかけに、我が意を得たりと言わんばかりにホグバックは笑った。
「いかにも!!!
確かに、ゾンビと聞けば人は恐怖する。しかし”死者の蘇生”と言い換えるならば、
そりゃあ、全人類にとっての永遠の”夢”じゃねェか!」
幽霊は熱っぽく語るホグバックを見つめた。
彼の話はもっともらしく聞こえるが、どこか胡散臭い。
そんな気の無いそぶりが目についたのだろうか。
ホグバックが幽霊へ視線を投げ掛けた。
「——そういう意味で言えば、ゾンビとは違うが
お前は蘇生した死者とも言えるな、レディ・ゴースト。名前があるなら聞こうか?」
「・・・記憶を失っているの。残念だけど、覚えていないわ」
首を振った幽霊に、ホグバックは少々怪訝そうな顔をする。
「ほう・・・?記憶喪失の幽霊か・・・。
幽霊は、未練や、生前覚えた強い意思によって”幽霊”になるのだと聞いた事があるが、」
「なら、『記憶を取り戻したい』という強い意思が、私を幽霊に変えたのかもね」
好奇心に顎を撫でるホグバックに、幽霊は肩を竦めてみせた。
そこに、シンドリーから声がかかる。
「・・・お風呂の準備したわよ。
あんた達汚いから入れば良い」
※
ナミは入浴の最中透明人間に襲われたらしい。
らしいと言うのはチョッパーもウソップも幽霊も、
誰もナミを襲った人間を見ることが出来なかったのだ。
かろうじてチョッパーが”何者かの匂い”を感じ取っていたが、
ウソップは半信半疑といった様子だった。
ナミは身なりを整えるとすぐに屋敷を出ようと息巻く。
「だからなお前、透明人間なんているわけねェよ!!」
「いたんだもん、確かに!!」
しかし、ウソップは断固としてナミの主張するゾンビや透明人間の存在を認めようとしない。
挙げ句の果てにはこの島で見たものは一つも信じないと言う。
「透明人間は”気のせい”、ゴーストは”変な鳥”、
ゾンビはああいう種族・・・”地底人”だ」
「何それ」
「・・・私、今日、虫扱いされたり、ゾンビに泣かれたり、鳥扱いされたり散々だわ」
幽霊がため息を吐いても、ウソップは「考えてみろ!」と持論を曲げなかった。
「確かにおれたちは一度死んで蘇った骸骨に会ったが、
あれは特例だろう。悪魔の実の能力は二つ存在しねェ!
死者が蘇るなんてこと絶対にあり得ねぇ!」
「私はどうなの?」
幽霊は密かにホグバックの言葉が引っかかっていたのだ。
確かに、”幽霊”と言うのは死者が蘇生した形であると言えるだろう。
ウソップは眉を寄せながら答える。
「悪魔の実の能力者じゃねェの?
・・・いや、でも記憶喪失とはいえ、死んだ時の記憶はあるんだもんなァ、お前。
——百歩譲ってやる!お前は本物だ!だが他の幽霊はああいう生き物だ!鳥だ!」
「言ってる事が無茶苦茶だわ、ウソップ・・・」
しかしウソップはとうとう幽霊への恐怖を克服したらしい。
本物の幽霊と認めた上で言いたい放題である。
「そりゃあ、医学から考えても、全部ありえないことで、ウソップの言うことが自然だと思う。
でも、ホグバックが栄光の人生を投げ打って研究する程の事だから、
もしかしてそれ程の奇跡がこの島で起きてるのかもしれねェし、
・・・現にここに幽霊が居るだろ?」
チョッパーの言葉に、ウソップが「確かになァ」と唸っている。
幽霊は釈然としない、と腕を組んだ。
「なんか、全ての不思議な現象が私によって解決されるのは不本意な感じがするわ」
「しょうがないわよ、説明が付かないんだもの。
まあ、グランドラインは不思議なことの宝庫だし、
良いんじゃない?気楽に考えれば」
「・・・そうかしら?」
ナミもどうやら幽霊に慣れたらしい。
そうこうしている内に、一行は先ほどホグバックと会話をした部屋に辿り着いたが、
明かりが消えている。
そうしてみると、この屋敷は確かにナミの主張通り、どこか不気味である。
「ド、ドクトルー?どこ行ったんだー!?」
「し、シンドリーちゃーん?お風呂いただきましたー・・・」
チョッパーとナミの呼びかけに応えたのは、2人のどちらでもなかった。
「お二人はもうお休みになりましたでし・・・!」
シャンデリアにぶら下がったヒルドンが応えたのだ。
ぱっといきなり明かりが灯る。
ウソップは突然現れたヒルドンに怯えながらも、
墓場の真ん中に置いて行かれたときのことを思い出して怒りが蘇ったのだろう。
ヒルドンを怒鳴りつけた。
「てめ・・・!さっきはよくも墓場に置き去りにしやがったな!?」
ヒルドンは用を足しに言ったのだと言い訳するが、
その後ゾンビに散々に追いかけ回されたのだ。
ナミもウソップも態度を軟化させることは無い。
「ウソばっかり!あんた達、島中のどいつもこいつもグルなんでしょ!?」
ヒルドンは尚も皆を屋敷に引き止めようとする。
押し問答がしばらく続くかと思われたその時、女の声がした。
「オホホ、振られたわね、ヒルドン」
どこから声が出ているのか。幽霊は辺りを見回した、
そして額縁の中、絵画の女が微笑み、口を開いているのを見つけ絶句する。
近くに居たチョッパーを捕まえようと、絵画ゾンビが恐ろし気に口を開けたのを見て、
チョッパーがつんざくような悲鳴を上げた。
※
結論から言えば、ナミの推測は正しかったと言うことになる。
ホグバックの屋敷は、どこもかしこもゾンビまみれで、
皆を捕まえようと躍起になっていた。
3人と幽霊はゾンビに追い立てられて居るうちに、
ホグバックの研究室まで来てしまったようだった。
彼の研究室が気になっていたらしいチョッパーは
先ほどまでゾンビへの恐怖で半泣きだったのに、
今は目を輝かせているのだから現金なものである。
覗いた研究室の中で、ホグバックとシンドリーは道化めいたやりとりをしているが、
ホグバックの前にある診療台に乗せられているのは死体だ。
ホグバックはそれを”もうすぐ完成する”と言っていた。
「この島に居るゾンビ達は、みんなホグバックが蘇らせたんだわ・・・
もうそれ以外考えられない」
ナミの言葉に、チョッパーは戸惑うように声を上げた。
「だけど、医学で救えるのは死ぬ前の人間だけだ。
死者の身体をどれだけ強靭に造り直しても、命まで戻ってくるわけないぞ」
それを聞いたウソップがチョッパーを諭すように言う。
「ここで覗いてれば、その生命蘇生の秘密が分かるはずだ・・・!」
ごくり、と唾を飲み込んだのは誰だっただろうか。
しかし後ろから声をかけられて、3人と幽霊は驚きに肩を震わせた。
「ヨホホホホ!ごきげんよう!!
中の様子が見たければ、中に入ればよろしいのに!!!」
その口調は幽霊の探していたブルックのものだった。
「ブルック!?」
思わず声を上げた3人と幽霊が、
何をされたのか分からぬままに、叩き付けるような衝撃を受ける。
何とか怪我をすること無くやり過ごすことは出来たものの、体勢を崩して、
ホグバックの部屋に雪崩れ込んでしまった。
突然現れた3人と幽霊にホグバックは苛立っているが、
幽霊はそれどころではないと、動揺を浮かべていた。
3人と幽霊は”攻撃”されたのだ。様子を伺っていた扉の切り口は、
まるで刃物で切り捨てられたかのように、斜めに両断されている。
「いや、ブルックじゃないよ、肉も皮もあった!」
チョッパーのその言葉に幽霊がハッとして、振り返る。
ナミにゾンビを作っているのはホグバックだろうと言われても、
ホグバックはしらを切り続けていたが、ナミにシンドリーが既に死んでいることを
指摘されると激昂し、シンドリーと”サムライ・リューマ”に3人と幽霊を攻撃する様に命令する。
その命令に答える様に、後ろから、カランコロンと下駄の鳴る音がした。
「ヨホホホホ!! おやおや、良く見ればそちら実に麗しきお嬢さん!
んビューティフォー!!!パンツ、見せてもらってもよろしいですか?」
「見せるか!!!」
突然現れたそのゾンビは、まるでブルックそのもののような口調で話しかけてくる。
しかし、姿形は全くブルックとは違っていた。
「ブルックじゃ、ない・・・?」
困惑する幽霊に、ホグバックは嘲笑う様に声を上げた。
「そいつは特別な肉体を持つ将軍ゾンビ!
大昔、嘘か本当か空飛ぶ竜を切り落としたと語り継がれる伝説のサムライだ!
逃げ場など無いぞ!」
リューマは刀を静かに抜いて、戦く3人と幽霊の間をすぅ、と静かに通り過ぎた。
そして、まるで何事も無かったかの様にシンドリーに話しかける。
「シンドリーさん、そちらの通路を開けて頂いてもよろしいですか?
あと、私もお夜食をいただきたい!!」
斬られるかと思ったのに、見逃した?
呆然とする3人と幽霊がとにもかくにも逃げようとすると、
幽霊の横を走っていたはずの3人がいきなり倒れ臥してしまった。
幽霊が驚いて声を上げる。
「ナミ、ウソップ、チョッパー!?」
「フォスフォスフォス!!
達人に斬られたものは、鼻歌まじりに三丁歩き、
そこで初めて斬られたことに気づくという」
ホグバックの言葉が正しければ、3人は斬られてしまったと言う事になると、
すぐに幽霊は彼らに駆け寄った。
触れることが出来ないのを歯がゆく思いながらも、3人の様子を伺う。
血が流れている様子は無かったことに、幽霊は眉を顰めた。
「”鼻歌三丁・・・矢筈斬り”!!!」
刀を鞘にしまうと、リューマがふぅ、とため息を吐いた。
「流石の私も幽霊までは切れませんね。
・・・それにしても、あなた一体なんなんです?
斬りつけた私の方が凍えそうだ・・・!」
「・・・何ですって?」
「何・・・!?」
少しの怖気の含んだリューマの声に、幽霊と、ホグバックでさえ首を傾げていた。
良く見れば、その刀は霜が降りたように凍っている。
「ヨホホホホ、幽霊のお嬢さん、あなたの魂は冥界にあるのですね・・・?
道理で身体が竦む訳です。あなたは”我ら”の恐れる死そのものなのですから」
「!」
幽霊は息を飲む。
その言葉に思い当たる節が無い訳ではなかったのだ。
泣き叫ぶゾンビ、怯えるヒルドン。
ゾンビは私を泣く程怖がったのは、
——私の存在が、死にあまりに近しいから?
だが、仮説を証明する時間は幽霊には残されていないと考えを巡らせる。
その結果、幽霊は浮遊し、その場を逃げ出した。
伝えなくてはならないと思ったのだ。
ルフィ達はおそらくこの島に入り、ナミ達を探している。
肉体を持たない幽霊に出来るのは情報を伝えること。
助けを呼ぶこと。
それしか出来ないと、幽霊は知っていたのだ。
それを知ってか知らずか、ホグバック達は幽霊を追っては来なかった。
※
どれほど逃げ続けただろうか、——幽霊はある問題に直面していた。
「無我夢中で逃げたら、迷っちゃったわ・・・」
何しろ屋敷は驚く程広かった。
幽霊は「自分のドジっ子振りが本当に残念でならない」とため息を吐く。
周囲を見回してみると、ホグバックの屋敷と違い、
ゾンビらしい絵や敷物などの装飾がない。
どうやら別の建物の中まで逃げて来てしまったらしい。
「壁をすり抜けられるのも考えものね。
ここはどこかしら、大きな建物の中だと思うけど。
・・・お城みたいな、作り」
天井も高く、装飾も凝っている。
この城の主の趣味なのだろうか、と考えを巡らせながら、
幽霊は赤い絨毯の敷かれた廊下を滑る様に移動する。
幽霊は幾度めか分からない部屋を通り抜け続ける。
そのうちいつかは外へ出れるだろうと思ったが故だ。
「わぁ・・・!」
しかしその部屋に辿り着いて、幽霊は思わず目を奪われ、声を上げていた。
そこはおとぎ話のお城に出て来そうな、ダンスホールだった。
床はチェス盤のような白と黒のチェック。
並んだ大きな窓にはシックな色合いのカーテンがかけられ、
ドーム状の天井の真ん中に、煌びやかなシャンデリアが輝いている。
ろうそくの明かりに照らされる様はまるで巨大な王冠のようだ。
幽霊は両手を組んで目を輝かせた。
「素敵・・・!こんな場所で踊れたらさぞロマンチックでしょうね・・・!
・・・ダメだわ、ダメ、ここは敵地よ。用心しなくては」
気を取り直して空中に浮かび、その部屋を見下ろすと、
ダンスホールの隅に、玉座のような巨大なソファが置かれているのに気がついた。
すると、音を立ててダンスホールのドアが開く。
巨大な男が、そのソファに腰を下ろした。