悪のカリスマ 01
或る女の告白
さて、一つ、告白をしようと思う。
あまりに荒唐無稽で、どうしようもない結末にしかならない事は分かっているのだが、
これを話さない限りは、何も始まりようが無いのだ。
私は物心ついた時からある妄想に取り憑かれている。
この世界がある少年を主人公とした、物語であるという妄想だ。
幼い頃からそんな馬鹿げた考えを抱いていたのは、
私に降りかかる現実というものがことごとく救いようがなく、
不幸であったからではないかとも思う。
とは言え、このご時世では良くある話だ。
母はアルコール中毒の娼婦、父親は分からない。
そんな子供はごろごろ居るだろう?
そんなどこにでも居る不幸な子供こと、私が物心ついた時には
母から食い物だの洋服だのを与えられた記憶は無く、
ボロを纏い、ゴミを漁り、泥を啜り凌いできた。
終いには数万ベリーの酒代と引き換えに売り飛ばされた。ありふれた話だ。
人間屋でまともな食物と服が与えられたのは幸いだったのだろう。
他の奴隷のガキどもがしつけのなっていない猿のようなありさまであるのと引き換え、
私はある程度正気と言ってよかった。
皮肉な事に、この世界が”現実”ではないという妄想が
私の外見をまともに見せていた。
そしてある意味で幸いな事に、ある意味では最も不幸な事に、
私は天竜人に買われたのだ。
焼き印の位置は腰だ。
顔や肩でなくてまだ良かったのだろう。
衣服で隠れるのがマシだった。
自分が奴隷だと、大々的に宣言したいと思う人間は居まい。
さて、残念ながら私を買った天竜人はどうしようもない下衆で変態野郎だった。
10歳のガキに悪魔の実を面白半分に食わせ、
海楼石の張型を股座に突っ込んで嬲るようなクソ野郎だ。
私は奴らのオモチャだった。
私の”ご主人様”だった天竜人の趣味は奴隷同士の殺し合い、交じり合いに私を参加させ、
そして己に奉仕させることだった。全く最悪の体験だと我ながら思う。
そんな生き地獄にたたき落とされて、唯一私が感謝しているものといえば”施された教育”だ。
私を買った天竜人は頭の悪いガキが嫌いだと言い、私に教師をつけた。
良家の子女が受けるような学問や音楽を学び、
そして奴隷同士の殺し合いで勝たせるために、武器の扱いを教わった。
そう、皮肉にも戦略と暴力の基礎はここで築いたのだ。
奴隷となった人間は皆考えることさえ止めているような奴らばかりだったが、
私は他の奴隷のように諦めてはいなかった。
私の妄想では、この地獄は永久に続くわけではなかったからだ。
希望があった。
”フィッシャー・タイガー"なる魚人の男がこの地獄を終わらせるという、
私の妄想は、私の救いだった。
しかし、そうして日々を過ごすうち、
私の地獄はあっけなく、予想よりも早く終わった。
天竜人が私に飽きたのだ。
それもそうだろう。
私は取り立てて美しくもなければ、際立って夜伽が上手い訳でもなく、
才能を発揮するわけでもなかった。
ご機嫌を取ってやる気もなかったからな。
私は13の誕生日、北の海のさる島のゴミ捨て場に捨てられることになった。
事前に通達されたので、”諸々の準備”はつつがなく行う事が出来た。
その日、私は首輪を外された。
よく晴れた日のことだった。
私の他にも捨てられた奴隷達とともに、天竜人の乗る船を見送った。
煌びやかな装飾の施された立派な船。
船首では女神が微笑んでいたのを覚えている。
あの時、あの女神はそう、私に向かって微笑んでいた。
数分経って、その船は激しい轟音を立てて爆発した。
周囲の人間がどよめいた。凄まじい爆煙が上がり、炎が帆を舐め、
あっという間にその船を平らげてしまった。
私は爆弾を作っていたのだ。
私の食べた悪魔の実の力と糸を使った少しの仕掛けで、
出航してしばらく経ったら爆発する、いわゆる時限爆弾を。
唖然とする人々や、ざまあみろと罵る人々の中で私は笑った。
下品な笑い声だと散々なじられ続けた笑い方だが、その時は誰も、咎めなかった。
『べへへへへッ!』
私は人目の無い場所で、つけられた焼印に、粘液を塗ってマッチで燃やした。
余りの痛みに涙し、叫んだが、やがて印は消え、火傷痕に変わる。
痕は残っても痛みはいずれ消えるだろう。
息を荒げながらも私は立ち上がったのだ。
私の”妄想”ではベタベタの実の能力者は、鼻水を垂らした醜男だったが、
私はどういうわけか醜女でも、美人でもない、平凡な女に生まれた。
私はするべきことを確信していた。
この世界がある少年を主人公とした物語であり、
私がいわゆる敵役の参謀と同じ立ち位置であるなら、
この身に降りかかる不幸と屈辱が、語られない物語の一つであるのなら、
私はその物語に従い、演じてみせよう。
そして役割を果たしたその時に、私は物語の足枷から逃れ、真に自由の身となるのだ。
『このクソみたいな世界を壊したいお前を待とう。
より鮮烈な、より苛烈な、お前を作ろう。そして』
私はベタベタの実を食べた粘液人間。
名前は。だがこれは私に相応しくはないだろう。
その時から私は”トレーボル”になるのだと決意した。
『”私”を利用し、間抜けと罵ったお前の運命を弄び、破滅させよう。
"我らが王”・・・べへへへへ!』
まずはのし上がることから始めよう。
”家族”を作ろう。
戦争の絶えない北の海で、女の身では要らない苦労もするだろうが、構いやしない。
かくしてドンキホーテ・ファミリーの最高幹部”トレーボル”は生まれたのだ。
・・・ご清聴いただき、嬉しいよ、私のマクベス。
或る少年と、或る女の出会い
その日、ドフラミンゴは近頃つるむようになったヴェルゴに連れられて、
倉庫のような建物に足を踏み入れた。
どうやら、ヴェルゴの”ボス”がドフラミンゴに挨拶をしたいと言い出したらしい。
そう聞いて警戒心を覚えなかった訳では無いが、ヴェルゴが大丈夫だと言うのでついて来た。
倉庫の中は古びては居るが、外観よりはずっと綺麗だ。
「ドフィ、ウチのボスだ」
どこか誇らし気にヴェルゴが言うのを聞いて、
ドフラミンゴは値踏みする様にその人を見る。
意外にも、女である。
ドロップ型のサングラスをかけ、艶のある黒髪が帽子から流れていた。
高くも安くもなさそうなスーツを着ている。
「ヴェルゴから、話は聞いているよ」
そう言った女の声は妙に艶めいていたのに、べへへ、と下品な笑い方をするので、
思わずドフラミンゴは眉を顰めていた。
その女の横に居た背の高い男も、ため息を吐いている。
「お前はその笑い方をなんとかすりゃあ非の打ち所がねェのになァ」
「ディアマンテ、そう言わないでくれ、
”オホホ"なんてガラじゃあないのは知っているだろうに。
おっと話が逸れたねぇ、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
初めてましてだ、私は。
皆には”トレーボル”と呼ばれている。
この界隈を取り仕切っているが、本業は海賊だ」
はじい、とドフラミンゴを見つめ、
その口元に意味ありげな微笑みを浮かべてみせた。
「私がヴェルゴのボスでがっかりしたかな?
もっと強そうで威厳のある男が良かったかな?」
ドフラミンゴはどきりとした。
心中を見透かすような言い方だったからだ。
しかしはどうでも良さそうについ、とドフラミンゴから視線を外し、
部下と思しき大柄の男を呼び、紙袋に食料や水を詰めさせてドフラミンゴに渡した。
「まァいいさ。ヴェルゴの”お友達”なら、お土産を渡してやらなくちゃねぇ、
どうもお前も苦労しているようだから」
「・・・なんで」
ドフラミンゴは呆然と渡された食料を見た。
新しくボスが変わってから徐々に暮らしがまともになってきたとヴェルゴは言っていたけれど、
仲間に入れる訳でもないドフラミンゴに食料を渡す余裕があるのだろうか。
はニヤニヤと笑っている。
「んん?私はこれでも人を見る目には自信があるんだ。
有望な人間には恩を売っておくに限る。
見返りを求めない優しさなんざ、信用出来ないだろう?
今度は弟もつれておいで、お菓子を工面してあげよう」
「子供は甘いものが好きだろう?」と呟くに、
ドフラミンゴはどう反応して良いのかわからなくなっていた。
ヴェルゴをちら、と見るとヴェルゴも少し困惑しているようだ。
口パクで伝えられる。
「多分気に入られたんだと思うよ」
ドフラミンゴはもう一度を見た。
サングラスの奥の目は切れ長で、冷たそうだが、
その唇は弧を描いている。
「・・・恩に着る」
「べへへへへッ、困ったときはいつでもおいで、
出来る限り、お前の力になってやろう」
はドフラミンゴの短い髪を優しく撫でて、帰した。
母も失くしたばかりのドフラミンゴはその時感じた奇妙な感慨に、
唇を噛み締めながら弟と父の待つあばら屋へ帰った。
その時は、本当に顔を会わせるだけで終わったのだが、
それでもという女はドフラミンゴに鮮烈な印象を残したのである。
※
「トレーボル、なんでお前あんなガキに食料を寄越してやったんだ?」
「言っただろう? ディアマンテ、”あれ”はね、有望なんだ」
は頬杖をついて書類を捲りながら答えてみせた。
ディアマンテとピーカは不思議そうに首を傾げる。
以前この界隈を取り仕切っていた男を殺し、あっという間に成り上がった
新しい女ボスは確かに付き従いたいと思わせる統率力、頭脳の持ち主である。
を立てる様になってから、ディアマンテらは3食きちんとした食事を摂れる様になり、
衣服も好きなものを買える様になった。
金が入る様になったのだ。の経営手腕と武力は確かなものがある。
まるで先の事が何もかも分かっているかのようだった。
そのがあの子供に目をかけるのにもなにか理由があるのだろうが、
ディアマンテもピーカも、その理由が皆目検討つかないでいる。
ヴェルゴ曰く、没落した貴族の子供であるらしい。
確かに薄汚れてはいたが、シャツ自体の作りは仕立てが良かった。
しかし、他の行き倒れた子供と違うのはそれだけだ。
「トレーボルは何か企んでいる様に見える」
ピーカがぽつりとに言う。
は組んでいた足を下ろして、小さく笑った。
「べへへ、正解だよ、ピーカ。
私はね、”金の雄鶏”を作ろうと思っているのさ」
「”金の雄鶏”?」
は口の端を酷薄につり上げる。
「そうとも、”あれ”は私の目が確かなら、王たる男になるだろう。
残忍で、狡猾で、凶悪で、権力も財力も名声も全てを手に入れる、
”悪のカリスマ”になるだろう。
”あれ”にはその素質がある」
ディアマンテはに奇妙な怖気を感じていた。
は手放しにドフラミンゴを褒めている。その声色には陶酔するような響きがある。
にも関わらず、の目は冷えきっていたからだ。
「だが、今は雛だ。雄鶏になるまでは時間がかかる。
一朝一夕でどうにかなる訳でもない」
「・・・具体的にはどうする気だ?」
「決まっている」
は囁く様に言った。
「我々が仕立て上げるんだ。優れた王には優れた部下が居るものだろう。
機会がいずれ巡ってくる。私はそれを待っているのよ」
そう言っては書類仕事に戻った。
こうなったら質問に答えることも無いだろうと、ディアマンテとピーカもねぐらに戻る。
ディアマンテはワインボトルをあおりながら夜道を歩いた。
の言葉を頭で反芻する。
残忍で、狡猾で、凶悪で、権力も財力も名声も全てを手に入れる”悪のカリスマ”
「どっちかって言えば、アンタがそんな風に見えるけどなァ、・・・」
※
燃え盛る建物の壁から父と弟と吊り下げられ、矢を受けたドフラミンゴを助けたのは、
ヴェルゴとの部下だと言う男達だった。
父と弟をあばら屋まで部下に送らせたが、はドフラミンゴ一人をアジトに残した。
「災難だったようだ、ヴェルゴが焦って私の部下を呼ばなけりゃ、
お前は今頃死んでたかもしれないよ。本当に運が良かったねぇ」
傷ついたドフラミンゴの手当を命じ、落ち着いたところではそう言った。
ドフラミンゴを堕ちた天竜人だと知った、あるいは知っているはずなのに、
はそれを気に留めている様子がない。
ドフラミンゴは警戒を残しながらも、に礼を言うべきだと口を開いた。
「・・・ああ、感謝してるよ」
「家族は無事だったようだね?」
頷いたドフラミンゴに、は「それは良かった」と短く返してみせた。
ヴェルゴが安堵した様に一度息を吐いて、声をかける。
「でも、不思議なんだよトレーボル、おれが助けにいった時、
野次馬の連中皆気絶してたんだ」
「ふぅん・・・、ドフラミンゴ、何か心当たりはある?」
ドフラミンゴはしばし沈黙し、言葉を選んだ。
「おれが『一人残らず殺してやる』って言ったら、急に静かになったんだ。
目隠しをされてたから、何が起きたか、はっきりとは分からないが、」
の唇がゆっくりと弧を描いた。
「お前に起きた不可思議な出来事、
私はそれに覚えがあるよ。それはねぇ、”覇気”だ」
「・・・覇気?」
ドフラミンゴが不思議そうに首を傾げると、はドフラミンゴを指差した。
「人の意識を奪う”覇王色の覇気”というものがある。
コレが扱える人間は限られていてね、お前は王の器なのさ。
ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
お前は人を従え、統べる才能を持っている・・・」
ドフラミンゴは少し逡巡したが、
腑に落ちないと率直な言葉を選んだ。
「おれは天竜人だ、当たり前だろう」
「いいやァ?
それは違う。お前は他の天竜人とも違うのさ。
では聞くが・・・お前の父親は王の器か?」
ドフラミンゴの眉がぴくりと動いた。
「お前の父親は、お前や母や弟を守れたか?
王の器の持ち主ならば、とうに守れていただろうにねぇ」
「何が言いたい」
苛立ったドフラミンゴに、は肩を竦めてみせた。
「お前は特別なんだ、ドフラミンゴ。天竜人の中でもだ。
しかし、覇王色を持つ人間は、この海を越えグランドライン、
その奥深く、新世界と呼ばれる化け物共の海では
そう珍しいものでもない。——ピーカ」
はピーカにカバンを持って来させた。
予め準備していたものらしい、
取り出したのは表面を渦が巻いている奇妙な洋梨のような果物と、ピストルだった。
「・・・男なら自分を試せ。自分の才覚が、運が、どこまで通用するのか賭けてみろ。
ここに、悪魔の実と、ピストルがある」
「!」
息を飲んだドフラミンゴに、は言った。
「自分の運命や境遇が気に入らないのなら”力”でひっくり返せ。
どのように力を振るうも、お前の自由だ。
お前を嘲り殴ったクズ共の額に穴をあけても良い。
お前の弟を傷つけた奴の喉をぶち破るのも良い・・・、
それともお前を奈落の底に突き落とした”天竜人”の心臓を食らうべきかしら」
は淡々と、まるで謳う様に述べる。
「殺したい奴が居るなら、復讐する力を与えよう」
その言葉は余りに甘く、そして重く、ドフラミンゴの鼓膜を打った。
ドフラミンゴの眉間には深い皺が刻まれる。
「殺したい奴? そんな奴は山ほど居る・・・!!!」
それが誰を思っているかなど、には手に取るように分かっていたに違いない。
「——なら、作戦を立てようか。ドフィ、我々がお前の力になってやろう」
その有様を見ていたヴェルゴは、軽く息を飲んでいた。
ドフラミンゴの父親を殺し、その首をマリージョアへと持っていくという残酷な作戦を提案した、
その時のがとても残忍に笑っていたからでもあったし、
ドフラミンゴが容易くその提案を受け入れ、マリージョアへと帰ると決めたからでもあったが、
何より、のサングラスから覗いた瞳の奥底が、憎悪と歓喜の相反する感情で渦巻いていたからだ。
「・・・おれが天竜人に戻れたのなら、
お前達を必ず、マリージョアへ連れて行ってやる。約束する」
「べへへ、それはそれはありがたいことだねぇ、嬉しいよ、ドフィ。
首尾よくおやり、お前の選択は間違ってないさ」
艶やかに笑うは、いつかと同じ様にドフラミンゴの頭を撫で、
ドフラミンゴを送り出した。
※
ヴェルゴをドフラミンゴの見送りに行かせ、また仕事に戻るに、ディアマンテは問いかけた。
「なあ、父親の首を持っていったとして、あいつは天竜人に戻れるのか?」
「いや、戻れないだろう」
は何でもないように言ってのける。
ぎょっとしてディアマンテとピーカがを注視すると、
はあっけにとられた様に息を吐いた。
「あのねぇ、天竜人というのは下々民のことを”同じ人間と思っていない”んだよ。
せいぜい金を運んでくるだけの家畜くらいに思っている。
それに少しでも交わった人間を、再び自分と同列に扱うわけないだろう?」
「・・・だったらなんで、ドフラミンゴに親父を殺させるんだ?」
ピーカが聞くと、は静かに微笑む。
「これが出来るのと、出来ないのとで、大分今後の方針が変わるが、
どちらにしろ、あの一家は限界なんだよ。
いつまでも逃亡生活なんざ出来る訳が無いことはお前達も分かるだろう?
残されてる道は、一家心中か、”親切な誰かに拾われて生き延びる”かくらいだ」
の余りに冷徹な言葉に、ディアマンテは頬が引きつるを感じていた。
それでも笑みを作って、に言う。
「・・・なるほどな、おれたちが”親切な誰か”ってわけだ」
「そうとも、売れば一億は下らない、悪魔の実を食わせたのも先行投資だ。
それに父親を殺せばドフラミンゴも後戻りが出来なくなるだろう。
ドフラミンゴは我々から逃げられないんだ。
——私は最初に教えてやったって言うのにねぇ」
頬杖をついて、は笑う。
「見返りを求めない優しさなんて、この世に存在するわけが無いんだ」