悪のカリスマ 03
或る女の懸念/或る少年の失恋
妄想が現実になっていく。
は書類をまとめていた。
悪魔の実を2つ用意して、ディアマンテとピーカ、
ヴェルゴに悪魔の実を選ばせたのはつい先日の事だ。
『幹部全員が悪魔の実の能力者になってしまうと、それはそれで不都合だ。
お前達3人で決めると良いよ』
そう言うと、ヴェルゴが真っ先に悪魔の実を食べるのを固辞した。
『おれはドフィや皆が海で溺れた時に助けられる様に、悪魔の実は食べないよ』
『フッフッフ、頼りにしてるぜ、相棒!』
ドフラミンゴは嬉しそうに言う。
ディアマンテとピーカはなら、と悪魔の実を手に取った。
ディアマンテはヒラヒラの実を選んだ。
『おれはこれでも剣士である事を気に入ってるんでね。
はためく剣なんて、イカスだろ?』
ピーカはイシイシの実を選んだ。
『おれは、イシイシが良い。おれには相応しい悪魔の実だろう』
結局、の妄想の通りの布陣が出来上がった。
ドフラミンゴもめきめきと頭角を表している。
の仕事を手伝いながら腕を上げた。
もうそこらのチンピラが敵うような人間ではなくなっている。
元々地頭も良かったのだろう。ドフラミンゴは戦略に長け、
少ない労力で限りない成果を上げる方法を好んだ。
悪魔の実の能力の研鑽も進んでいる。
糸を雲にかけて空を飛ぶ方法を編み出し、
人をマリオネットのように扱う術も自力で見つけた。
ドフラミンゴの糸は、そこらへんのナイフよりよほど切れ味が良い。
順調だ。
この分なら、がドフラミンゴにファミリーのボスの座を譲るのも、
そう遠い日では無いだろう。
の妄想が正しく実現するならば、
あと数年もすれば、大海賊時代が幕を開ける。
それまでに力を蓄えなければならない。
は煙草に火をつけ、煙を深く吸い込み、吐いた。
最初はなぜ、がドフラミンゴを立てるのか分からないようだった
ディアマンテやピーカも、今ではドフラミンゴのことを認めている。
ヴェルゴは初めからドフラミンゴに一目を置いていた。
やがて最高幹部となる面々の絆は深い。
腑に落ちない事があるとするなら、やはり自身のことになるだろう。
”トレーボル”
は心中でその”男”の名前を呼んだ。
鼻水を垂らした醜男。その足首には奴隷の足枷があった。
彼もかつてはと同じ様に奴隷だったのだろうか。
堕ちた天竜人を育て上げ、天竜人の君臨する世界を
壊させることに至上の喜びを感じたのだろうか。
己の作り上げた”妄想”だと言うのに、
同じ立ち位置に居るその男について分かる事は少ない。
その妄想の中では終始ドフラミンゴの足を引っ張っていた。
あの男の真意と、の思考は合致しているのだろうか。
妄想が現実に変わるにつれて、は不安でもあった。
トレーボルの最後を見て、ドフラミンゴは彼を”間抜け”と罵る。
ドフラミンゴだとて、らが単なる”優しさ”や”同情”で
家族で居る事を選んだわけではないと、最終的には気がついていたはずだ。
なら、ドフラミンゴはいつ、気がついたのだろう。
今、ドフラミンゴに間抜けだと見下され、単なる踏み台だと侮られたとしたら、
は平生を保てるかわからない。
は己がプライドが高く執念深い女であると知っている。
身内同然に側に置く人間に、侮られることを我慢出来る程、
は出来た人間ではない。
沈んでいく思考を遮る様に、仕事部屋をノックする音がした。
入室を促すと、入って来たのはドフラミンゴだ。
札束の詰まったアタッシュケースを渡された。
「——いい仕事ぶりだね、ドフィ」
「フッフッフ、当然だろ?」
笑うドフラミンゴは機嫌良くソファに腰掛ける。
髪も伸びて来た。ヴェルゴやピーカらとまともな食事を摂るようになったおかげか、
棒切れの様に痩せていた腕も、今は肉がついて健康的になったと思う。
は子供を持つことは無いだろうが、
成長を見守る親とはこのような気分なのかもしれないと、感慨深く息を吐いた。
「それにしても背が伸びたねぇ、ついこの間まで、私の腰程だったのに。
この調子じゃ私の背を越すだろうねぇ」
「いつの話だ、もうアンタの下に付いて3年は経つんだぞ」
むす、と眉間に皺を寄せたドフラミンゴには苦笑する。
「よくよく考えれば次の月でドフィは14になるんだったか、月日が経つのは早い早い。
ベヘヘ・・・そろそろ代替わりを考えよう」
の言葉に、ドフラミンゴは驚いたようだった。
「・・・早過ぎやしないか?」
「なんだ、随分殊勝じゃないか、
自分の船を持っても良い頃だと私は思うけどねぇ」
「ガキだからって舐められることが多いんだ。
——早く年を経りたい」
ドフラミンゴの声には切実な響きがある。
は眉を上げた。
「ふぅん。そういうものかな」
時折、ドフラミンゴの纏う空気が変化する事がある。
それは不可思議な変化だった。
この上なく餓えているのに、この上なく満ち足りているような、そんな顔をする。
そういう顔をする時は、決まってと二人で居る時でもあった。
それがどういう感情からくる表情なのかは読み取りにくい。
ことと接するにあたり、ドフラミンゴは隙を作らない様に気を配っているようだ。
それはが観察を得意としていると分かったからなのだろう。
おかげで、商売の方ではポーカーフェイス代わりの笑みが役立っている。
良い傾向だ。
「でも、そろそろお前に席を譲りたいなぁ、私は器ではないからねぇ」
「そんなことはないだろう。トレーボルは、・・・いや、アンタがそう思うならそれで良いさ」
ドフラミンゴは一呼吸置いて、に声をかけた。
「なぁトレーボル、アンタその言い草なら、来月は船をくれる予定だったんだろう?」
「おや、バレてしまったか。気に入らない? 何か他に欲しいものでもあるのかな?
何だっていいとも。何が欲しい?」
ドフラミンゴは静かに言った。
「・・・、アンタが欲しい」
の煙草を持つ手が動揺で一度大きく震えた。
「・・・なんだって?お前、それは」
冗談にしても質が悪い、そう言おうとドフラミンゴに目を向けるが、
サングラスをものともしない程、まっすぐに視線を返されて、は黙り込んだ。
冗談だと流せるような顔では無かったのだ。
※
それは初めて見る動揺だった。
ドフラミンゴはを眺める。
近頃、背が伸びた。
夜ごと骨が軋む苦痛に呻いたが、やっと格好だけは大人に近づいて来ている。
はファミリーの人間とは格別深い仲にはなっていない。
家族は家族として大事にしているように見える。
しかし入れこんでいる様子は無かったが、外に男が居る事もあったと気がついた時には、
はらわたが煮えくり返るような心地を覚えた。
もうその時には、自分がどういう感情を覚えていたのかを否定する事は出来なくなっていた。
”家族”だからと誤摩化すのにも限度がある。
は一度口を噤むが、やがてその口を開いた。
「ドフィ、ドフラミンゴ、”家族”とは寝てはいけない。
不和を呼び込む。
利用価値があるか、後腐れのない人間を選ぶべきだ」
分かっている。理屈ではそうだ。
それでも心底から欲しいのだ。
だが、それを説明して、が納得するとは思えない。
は感情を重んじない女だ。
その行動の全ては理屈と計算によって成り立っている、
3年も側に居たのだ。
がどんな人間かは知っているし、もっと深く知りたいと思っている。
しかし、知れば知る程、ドフラミンゴに突きつけられる現実は甘いものではなかった。
先見の明があるのは確かだろう。
だが、ドフラミンゴを育て上げ、船長に立てようとするのは、
ドフラミンゴの才覚に惚れ込んだからでも、
同情や、ましてや優しいからという理由でもない。
いわゆる、ギブアンドテイクなのだ。
ドフラミンゴは自身が海賊に向いていることを承知している。
商売も向いていたと思う。
の手ほどきを受けながらとは言え、ファミリーの規模は拡大し続けている。
もう餓える事などない。
ドフラミンゴはドンキホーテ・ファミリーに属する人間に富を与えた。
そのかわり、らはドフラミンゴの手足となり、家族として支えた。
居場所をくれた。
そしてその手腕で、ドフラミンゴを一人前の悪党へと変えつつあるのだ。
だからこそ分かる。
きっとドフラミンゴに利用価値が無くなれば、
は簡単にドフラミンゴを捨てるだろう。
そう気づいた時から、感情を抑える事が途端に難しくなった。
一度でいい。
一晩だけ、手に入れられれば、それで自分を納得させること出来るはずだ。
どのように誘えば良いかさえおぼつかないまま率直な言葉を口に出してしまったが、
はどう出るだろうか。
はドフラミンゴの顔を難しそうに睨むと、やがて静かにため息を吐いた。
「・・・一度だけだよ、ドフィ、これっきりだ。
私の信条を曲げてやろう。それで良いね?」
驚いたドフラミンゴに、は囁く。
人差し指を立てて、唇に当ててみせた。
「誰にも言ってはいけないよ」
※
ドフラミンゴの14の誕生日の夜に、褥を共にすると約束した訳だが、
は気が重かった。
損得を抜きにして誰かに抱かれるのは久方ぶりだ。
は目を軽く眇めた。
全く気づきもしなかった。思考の範疇に無かった。
しかし冗談ではないのは確かなのだろう。
取り決めた日、ドフラミンゴは頷いたのだ。
その耳が赤くなっていたのをはどこかやるせない気持ちで見たので覚えている。
”トレーボル” お前はこのような目には遭わなかっただろうな。
何しろ”彼”は男である。
想像すると絵面がおかしくなったので、は軽く頭を振った。
全身を写す姿見を見た。
見苦しい火傷がある意外は欠点の少ない身体つきではある。
しかしよりによって私を選ばずとも、もっと美しい女は幾らでも居るだろうに、
何故私なのだろう。手近だったからか、好奇心故だろうか。
深くため息を吐いた。
火傷を見せたら興が削がれたりしないだろうか。
幼い頃の最悪の記憶から、は誰かと肌を合わせることが、
控えめに言って好きではない。
耐えられはする。それだけだ。
——だが、王の望みは叶えなくてはならない。
は鏡の中の自身に皮肉な笑みを浮かべた。
「どこまで行っても、私は奴隷と言う事か、・・・良いだろう」
呟いた声色の暗さを知るのは、己しか居ないのだ。
※
14の誕生日はファミリーの幹部達で盛大に祝った。
らの誂えた船は船首がドフラミンゴと揃いのサングラスをした、
フラミンゴの首になっている。
冗談だろう!?とドフラミンゴは声を上げたが、
洒落っ気があって良いじゃないかと、皆が言うので不平は飲み込んだ。
よくよく見れば愛嬌がある気もするのでこれもいいと、ドフラミンゴは船首を撫でる。
皆深く酒を飲み、酔いつぶれていた。
普段はここまで潰れはしないだろうに、特別だからと高い酒をが用意したのが原因だろう。
ろくに飲めもしないのに、ヴェルゴやピーカも酒を呷って深い眠りに落ちている。
起きているのは寝ずの番だと言うの部下と、と、ドフラミンゴだけだ。
ドフラミンゴがその顔を見上げると、は静かに笑っていた。
いつかと同じ様に手を引かれる。
後ろ手に閉められた扉が、軋むような音を立てたのが、嫌に耳についた。
※
はその夜の間は、何もかもを受け入れ、何もかもを許すと言った。
だから、おぼつかない手つきでも、素直にドフラミンゴはに触れたのだ。
柔らかな乳房、なだらかな腹、くびれた腰を辿り、その手の平は一度止まる。
「火傷」
それは歪な感触だった。
その感触がドフラミンゴの頭に降りた熱をしばし冷ました。
の腰の辺りには、酷い火傷があった。
そう言えば、は肌を見せるような格好をしないと、ドフラミンゴはその時初めて思い至った。
「気になるか?見苦しくて済まないねぇ、随分昔に、自分で焼いたんだ」
「・・・なに?」
驚愕するドフラミンゴに、は静かに答えた。
「ろくでもない目に合ったから、もう二度と同じような目に合わない様に、願をかけたのさ」
それを聞いて、ドフラミンゴは火傷にこの上なく優しく触れた。
労るような手つきに、は軽く身を捩る。
止めていた愛撫を再開すると、ついには小さく息を零した。
拙い手つきでもの肌を余す事無く触れたいという欲望は伝わったようだった。
はドフラミンゴに深いキスをした。上顎を舐め、歯列をなぞる。
は手を反り返ったペニスに這わせる。とろりとした粘液がの手から滴り、
その指がしなやかに上下するのに合わせ、じゅぶじゅぶと恥知らずな水音が響く。
「、や、めろっ、っう、あ・・・!」
「なぜ?痛いかな?」
「ぃ、たくは、ねェ、けど、」
眉を顰めながら、顔を上げ、その笑う顔を見たとき、
柔らかく細められた眦の奥が冴え冴えとしているのを見たとき、
ドフラミンゴは愕然とした。そして悟ったのだ。
はドフラミンゴの心境なんかこれっぽっちも理解してない。
単なる好奇心と欲望によって、手近にあったはけ口としてを選んだと思っている。
分からないのか、、お前には。
その時に感じていたのはこの上ない快楽と失望だった。
歯を食いしばって呻く。
1度だけで良いだなんて嘘だった。
耐えられない。こんな風に、血の通わないお前を抱くのは。
理性が苦し気に叫ぶのに、心も身体も言う事を聞かなかった。
止められなかったのだ。
常の授業と変わらない、どう動き、どう触れれば良いのか、は丁寧に教授する。
それを反復し、応用する。その繰り返しだった。
頭は空しさに冷えていく、引き換えに身体だけが火照って熱い。
の零す息も次第に温度を上げている。
苦し気に眉を寄せる様は艶やかで、囁く声は蜜程に甘く、
その身体はまるで慈しむ様にドフラミンゴを包みこむと言うのに、
濃い睫毛に縁取られた瞳は冬の空のように、冷たい。
その目に見守られながら吐精した。
凍える様に震える唇を合わせて、身体を押し付けた。
「・・・もう一度、いいか、」
強請る声は平生を装えている。
感情を表に出さない方法は、ずっと前、腕の中に入るこの女から教わった。
「物好きだねぇ、火傷のあるような女相手に」
は呆れてはいたものの、ドフラミンゴを受け入れる。
手を広げ抱き締められた時、どうしてか涙が一筋伝ったのも、
きっとには分からなかっただろう。
夜が終わらなければ良いと思った。
没頭していないと、余計な事ばかりが頭に浮かびそうで、
その唇にかじり付く。
これが最後なら、この夜の全てを永遠に覚えておきたかったのだ。
例えそれが冷えきった眼差しだったのだとしても。
恐らくこの先誰を抱いても、あるいは誰に抱かれたとしても、
この夜に勝るものは得られず、
また、これほどに空虚な心持ちになることはないと、
その時確かに直感していた。