The Beginning of the End


    振り返ればその任務は最初から何者かの作為が感じられたし、
    幾つか不自然な点も見受けられた。

    しかし、そのような状況でなくても、きっと結果は変わらなかっただろう。
    何故ならロシナンテは兄の暴走を見過ごせるような人物ではなく、
    はロシナンテを尊重し、信じていた。

    だからあの結末は起こるべくして起きた結果なのだ。
    ただ、は後悔している。

    あのとき止めるべきだった。
    例えどんな手を使ってでも。



    それは、同じ屋根の下に住みはじめて、しばらく経ったころだった。

    新聞を読んでいたロシナンテが顔色をみるみる変えたのを見て、
    は心配そうに、声をかけた。

    「ロシナンテさん?どうしたの?」
    「・・・いや、なんでもない」

    あからさまな嘘だった。
    は首を傾げる。

    「嘘だわ。何か、あったの?」

    がロシナンテの顔を覗き込むと、ロシナンテは視線を落とした。
    いつもなら、ここでロシナンテが折れるのが常のことだったが、
    その時ばかりは違っていた。

    「帰って来たら、話すよ。もう行かないと・・・」
    「・・・そう。いってらっしゃい」

    そのまま海軍本部へと向かうロシナンテを見送ったは、
    ロシナンテの読みかけていた新聞を見て、息を飲んだ。

    一面の記事に載る、サングラスをかけた金髪の男。
    は見出しに指を這わせた。

    「『ドンキホーテ海賊団船長、ドフラミンゴの懸賞金1億を超える』
    『北の海一番の海賊”台風のアベジャネーダ”を下し勢力を拡大』
     ・・・!ロシナンテさんは、これを見たのね」

    は新聞の一面で笑う、その男を苦々しく思いながら、
    自身も身支度を整えて海軍本部へと向かった。



    マリンフォード
    海軍本部 大将センゴクの執務室。

    ロシナンテはセンゴクからの呼び出しを受け、その部屋に参じていた。
    センゴクはいつになく厳しい顔で、ロシナンテに声をかける。

    「今朝の新聞を見ただろうが、ロシナンテ中佐。
     ついにドフラミンゴの懸賞金が1億を超えた」
    「・・・はい」
    「つる中将でもあの男を捕らえきれずに居るんだ。
     由々しき事態だと海軍上層部も、危機感を募らせている。
     そこで、潜入任務の話が上がった」

    ロシナンテは眉を上げた。

    「潜入任務、ですか?」
    「ああ、・・・ドフラミンゴは単なる海賊じゃない。
     ”ノースの闇”に通じている」
    「!」

    ”ノースの闇”。
    北の海は4つの海の中でも一際治安の悪い海の一つだ。
    世界政府の力を持ってしても、未だに戦争が絶えない。

    そこには政府の力の及ばない”闇”があるのだ。
    具体的に言うのなら犯罪組織や密売組織の温床であり、
    グランドラインの海賊もかくや、と言う程の大物もそこに絡んでいる。

    ロシナンテはぐ、と拳を握りしめる。
    センゴクの言う事が本当なら、ドフラミンゴは北の海各地で起こる戦争を引き起こす
    火種の一人になっているかもしれないのだ。

    センゴクは小さく息を吐いた。

    「・・・わたし個人としては、婚約したばかりのお前に
     この話をするのはどうかとも思っている。だが、・・・お前が適任だと言う声も多い。
     大将としてのわたしも、お前の能力を考えると不適当な人事ではないと思う」
    「センゴクさん」

    その顔には苦悩が滲んでいる。
    ロシナンテは僅かに逡巡した。
    を残して、この任務に就くのは確かに躊躇われる。

    だが、ロシナンテの脳裏に、父の首を切り落とした、兄の顔がちらついた。

    「おれがやります」
    「ロシナンテ中佐、」
    「そういう話が出なくても、きっと自分から申し出ていたと思います」

    なんのために海軍で腕を磨き、悪魔の実の能力者になったのか。
    ロシナンテは思い出していた。

    すべては今、この時のためなのだ。

    「ドンキホーテ海賊団への潜入任務。
     おれにやらせてください。センゴク大将」

    既に覚悟は決まっている。



    その日の夕食時、話がある、といつになく真剣な面持ちで
    ロシナンテから語られたのは、ドンキホーテ海賊団への潜入任務の話だった。

    「・・・潜入任務を?」
    「ああ、そういう話が来た」

    センゴクを通して告げられたと言う任務で、
    婚約者である以外にはその詳細は他言無用だと言う、
    その内容はあまりに危険過ぎるものだった。

    は視線を落とし、考えるそぶりをみせた。

    「期間は、」
    「最大5年間の猶予を貰った。
     ドフラミンゴの罪は、海賊としての略奪行為と共に、
     密売や闇取り引き・・・”ノースの闇”に通じていることにある。
     この任務は成功させれば、ノースの闇を暴く事に繋がるんだ」

    ロシナンテの言葉に、は首を振る。

    「”ノースの闇”、超長期任務・・・危険すぎるわ」

    いくら血縁とはいえ、10年以上音沙汰が無かった、
    ”逃げ出した”弟が、新聞を見て突然現れることを、ドフラミンゴは納得するだろうか。

    ロシナンテや、つる中将、新聞から語られる”ドンキホーテ・ドフラミンゴ”と言う男は
    残忍で狡猾、頭がキレ、目的のためなら手段を選ばない怪物だと言う話だった。
    そんな男が、肉親の情を重んじるだろうか。

    は眉を顰める。
    納得がいかないのはそれだけが原因ではない。

    「・・・上層部の思惑も透けて見える。
     お義父様が、あなたを信頼して任命したのだとしたって、
     幾ら諜報に長けた悪魔の実の力を持っていても、血縁だとしても、
     普通は一人でこんな長期の潜入任務になんて行かせないわ。
     あなたの生存を度外視してる・・・!一体どういう・・・」


    ロシナンテは静かにを呼んだ。

    、おれはこの話を聞いたとき、すぐに『おれが行く』って言ったんだ。
     ドフラミンゴを、兄を、おれは止めたい」
    「ロシナンテさん・・・」

    ロシナンテの決意が固いのが見て取れて、は息を飲む。
    眉を顰め俯いたの頬を撫でて、ロシナンテはを安心させるように微笑んだ。
    ヘタクソな笑顔だった。

    が20歳になるまでには、戻れるように頑張るから」
    「・・・ロシナンテさん、笑顔、下手ね」
    「えっ・・・!?」

    自身の頬を抑えてロシナンテは「そんなに変かな?」と首を傾げている。
    は深いため息を吐いた。

    「あなたって本当に、頑固だわ」

    その声に僅かな諦観を感じて、ロシナンテは少し困ったような顔をした。
    どうやらは折れてくれるらしい。

    「ごめん、でも、こればっかりは」
    「譲れないんでしょう、いいの。分かってる」

    目を伏せたに、ロシナンテは右手の小指を立てた。
    がロシナンテの顔を見上げると、
    ロシナンテは、ニッ、と笑って、の手をとった。

    「約束するよ。のとこに、必ず帰ってくる」
    「・・・絶対よ」

    指切りしたに、ロシナンテは言い募る。

    「それで、夢魔の食事のことなんだけど、
     前に、血でも大丈夫って言ってたよな?」
    「う、」

    はあからさまに嫌そうな顔をした。
    できれば触れられたくなかった、という顔だ。
    不思議そうな顔をするロシナンテに、は言い訳するように視線を彷徨わせた。

    「だ、大丈夫と言えば大丈夫だけど・・・」
    「だけど?」
    「・・・美味しくない」

    血からも生命力が摂れるなら、他の誰かからキスで生命力を摂るよりは
    そちらの方法をとってほしいと思っていたロシナンテはの返答を聞いて
    意外だ、と目を丸くする。

    「好き嫌いが理由なのか!?」
    「そ、それだけじゃないわよ。・・・病気も恐いし」

    は衛生観念や健康管理にはうるさい方だ。
    納得はできるが、でもやはり他の誰かに口づけをするなんて絶対に嫌だ、
    とロシナンテは言い募る。

    「・・・おれが送るんじゃだめか?」
    「ええと・・・試しても良い?」
    「わかった」

    ロシナンテは持っていたナイフで手を浅く傷つけた。
    それをみて、立ち上がりかけていたが息を飲む。

    「!?
     ちょっと!注射器持ってくるって言おうとしたのに!」
    「えっ!?悪い!」

    思いの外血が流れて慌てるロシナンテに、は呆れた様子で肩を落とした。

    「・・・しょうがないわね」

    は何を思ったのか、
    手の平からかなりざっくりと血を流したロシナンテの手を取って、
    膝を着いてその傷口に唇を寄せる。

    どことなく、倒錯した光景だった。
    背筋がざわつくのを感じて、ロシナンテは戸惑う。

    「あの、・・・どう?」
    「・・・まずい」
    「・・・なんかショックだ!」

    にしては珍しい顰め面で返されてロシナンテはなんとも言えない表情を浮かべた。

    「一応、食事にはなるけど・・・前みたいに気絶した海賊から摂ったほうが
     あなたに負担をかけずに済むと、」
    「ダメだ」

    の言葉を遮ってロシナンテは首を振る。
    は首を傾げた。

    「どうして?キスなんて挨拶みたいなものじゃない」

    の言葉にロシナンテは声を上げた。

    「!?・・・、その感覚はおかしい。
     悪いが、おれが嫌なんだ」
    「そういうものなの?」
    「そういうもの!」
    「・・・わかったわ」

    イマイチ良くわかっていない風なに、ロシナンテは若干不安を覚えたが、
    念を押せば頷いたのでひとまずほっと胸を撫で下ろした。



    海軍本部の喫煙所、
    喫煙所であったセルバントに、詳細を濁して潜入任務のことを話すと、
    セルバントは僅かに眉を顰めた。
    その顔からは張り付いたような笑みが消えている。

    「・・・すげーな。最大5年?超長期任務じゃねェか。
     婚約決まってすぐにそんな任務につかせるか?普通」

    ロシナンテは訝し気なセルバントの視線から逃れるように目を逸らした。

    「・・・お前と馬鹿話ができる機会もしばらくはないだろう」

    「そうだな、帰って来たらお前結婚するし、あんまり飲みに付き合わせるのもなァ。
     お前と下らねェ話すんのは面白かったのに。
     ま、時々お前と軍医を冷やかしに行くよ」

    茶化すようにセルバントが言うと、ロシナンテは軽く引きつった顔をする。

    「おい、やめろ。お前がにあること無い事吹き込むのは目に見えてんだよ!」
    「ハッハッハッ、軍医も結構冗談通じるからなァ」

    諧謔味を帯びた表情でセルバントは煙草をふかし、白い息を吐いた。

    「おれにはお偉いさんが何考えてるとかはわからねェが、
     お前がおれに行く先を相談しねェってことは、それ相応の任務なんだろ?
     本当はおれに長期任務に出るって話すものギリギリのラインと見た」

    相変わらずの察しの良さだ。
    ロシナンテが感嘆のため息を漏らす。

    「話が早くて助かるぜ」
    「ギリギリアウトだよ、馬鹿野郎」

    セルバントは苛立ったように煙草を灰皿に押し付けた。

    「婚約者が側に居て普通はそんな任務断るはずだ。
     なんか理由があるんだろう。お前にも」
    「・・・はは、やっぱりバレた」
    「バラしたんだろ」
     
    低い声で苛立ちに歯噛みするセルバントは自身の脚に頬杖をついた。

    「別に追求したりはしねェ。
     おれだって人様の人生に口をだせる程ご立派な立場でもねェしな。
     ・・・だが、幾らお前でも一筋縄で行くとは思うな」

    いつになく真剣な声色だった。

    「超長期の潜入任務。センゴクさんはお前を信頼して話を持ちかけたんだろうが、
     どうもなァ・・・裏がありそうだ。気ィつけろ」
    「ああ、わかってるよ」

    天の邪鬼で根性悪、意外と情に厚い悪友とも
    しばらく話が出来ないと思うと不思議と寂しく感じるものだ。

    ロシナンテは小さく笑う。
    それをみて、セルバントは「何笑ってやがる」と肘でロシナンテを小突いた。



    出発の日は思いの外、すぐに訪れた。
    風の強い日だった。
    ロシナンテの持ち物は少ない。
    の薬指に光る指輪とサイズ違いの指輪をチェーンに通して、シャツの下に忍ばせた。
    あとは少しの金と着替えくらいのものだ。

    は風になびく髪を抑えながら、ロシナンテに向き直った。

    「・・・前髪、伸びたわね」
    「昔はこのくらい長かったんだ」

    ロシナンテは任務の最中、ボロが出ないようにナギナギの実の能力、
    ”サイレント”を使うことに決めていた。
    きっと、ドフラミンゴはすぐにロシナンテが弟だと気づくだろうと言う
    根拠のない確信をもっていた。
    それでも、少しでもかつての自身の面影を持たせるようにと、前髪を伸ばしたのだ。

    ロシナンテがかがみ込むと、が小さく息を吐いて、
    ロシナンテの頬に口づける。

    「身体には気をつけて、ドジも、・・・ほどほどにね」
    「ああ」
    「でんでん虫で、連絡をくれると嬉しいけど・・・難しいならそれも無くていいわ。
     あなたが無事で居てくれればそれでいいもの」
    「・・・わかった」

    これ以上の声を聞いたら離れ難くなりそうだ。

    ロシナンテはゆっくりと立ち上がる。
    は今にも泣きそうな顔をしていたけれど、
    緩やかに首を振って、表情を繕ってみせた。

    灰色の瞳に涙の膜が張って、星屑のように、煌めいている。

    「あなたが行ってしまうのは、とても寂しいけれど。
     帰ってくるのを、ずっと待ってる」
    「・・・戻ってくるよ、必ず」

    ロシナンテの言葉に、は笑った。
    慈しむように優しく笑って、ロシナンテを見送ったのだ。

    青空と青い海の中を船が進むのを、はずっと見つめていた。
    その時は、きっとロシナンテなら、大丈夫だと思っていた。