Sense of Guilt


    「よォ、軍医」
    「・・・セルバント少佐」

    その男は正義のコートの下に喪服を着て、
    同じく喪服を着て墓の前に佇むに声をかけた。
    その手に持っている花束に目をやって、は口を噤む。
    ミモザだった。

    セルバントはと視線を合わさず、白い墓石に花束と煙草を供えた、
    は何も言わず、ただその様子をぼんやりと眺めている。

    セルバントは、独り言のように呟いた。
    その顔に、いつも浮かべていたはずの、にやついた笑みは浮かんでいない。

    「本来なら、殉職した場合は2階級特進。あいつは准将になるはずだったが、
     あいつが最後、ミニオン島に居たっていうので、お偉いさんが待ったをかけた。
     ・・・命がけで、無理難題を務めたってのに余りに不義理だ。やりきれねェよ。
     だが、こうして、中佐として墓に入れるだけでもマシな措置なんだろう。
     アンタのおかげだ。軍医」

    セルバントは振り返らないまま、言葉を連ねる。

    「アンタが見つけたんだろ。
     そうじゃなかったら多分、あいつはここには帰って来れなかった。
     ドンキホーテ海賊団の幹部の亡骸として適当に処理されてたはずだ。
     ・・・おれは、何も知らなかった」

    深い後悔の滲むその様子を見かねてか、はようやく答えてみせた。

    「そういう、任務でしたから」

    「あァ、だろうな。薄情な奴だよ。おれは何一つ、あいつのことを知らない。
     大体の予測はついてたが、それだけだ。
     他人の過去に簡単に踏み込んで良いわけがねェし、
     それに、アンタには話してたんだろ?おれはそれで良いと思ってた。
     アンタに馬鹿みたいに夢中になって、デレデレに笑ってるあいつを揶揄うのは面白かったしな」

    セルバントは歯を食いしばっている。
    波の音が聞こえてくる。
    嫌になるくらい、真っ青な空がマリンフォードに広がっていた。

    「あいつをスピーチでボロッボロに泣かすために、準備してた。
     そんで、センゴクさんを男泣きさせてやろうって、結婚式で読む、手紙の相談にも乗ったんだ。
     腹が立つぜ、死んだらなんも、意味ねェだろうが・・・!」

    は目を閉じる。
    ロシナンテの死を深く悼む人は、そう多くはない。
    ずっとドフラミンゴを止めるためだけに生きて来て、友人も数える程だった。
    だからこそ、ロシナンテにとって、セルバントは大切な友人だったのだろう。
    セルバントにとっても、それは同じ事だったに違いない。

    セルバントは深くため息を吐くと、ようやくその顔を上げた。
    笑みを浮かべていないと意外にも鋭いその目が、の灰色の瞳と重なる。

    軍医、ロシナンテの検死は、アンタが無理言ってやったんだろう」
    「ええ」
    「・・・何か、分かったか」

    同じ質問を、センゴクにもされた。
    は緩やかに目を閉じ、その遺体を改めた時の事を思い返していた。

    「ロシナンテさんの死因は出血多量です。
     口径の違う銃弾が6発、彼の体内に残っていました。
     ・・・貫通した弾丸も含めると、20発以上、彼は銃弾を受けていた」

    セルバントは息を飲む。

    「それだけじゃない。
     顔も、身体も、打撲と骨折でぼろぼろで、
     内臓にも少なからずダメージを受けていました、
     ただでさえ傷だらけだったのに、酷い暴力に晒された痕ばかりが残って、」
    「もういい!・・・軍医。もういいよ。充分だ」

    拳が白く握られているのに気づいて、セルバントはの言葉を遮った。
    センゴクも、同じような事をに言った。

    制されるがまま口を噤み、は海の先、遠くを眺めながら、思索に耽る。

    検死で分かった情報は、にロシナンテの置かれていただろう状況をありありと伝えてみせた。
    ロシナンテはミニオン島で、銃で撃たれ、殴られ、蹴られ、その果てに5発。同じ銃で撃たれたのだ。

    そして、ロシナンテの持っていた銃は、使用した形跡はあったけれど、全て弾が残っていた。

    それが何を意味するのか、にはよく分かっている。
    ロシナンテはドフラミンゴを撃つ事ができなかったのだろう。

    だが、ドフラミンゴはロシナンテを撃ったのだ。
    最後の5発、装弾可能な限界まで使い切って撃たれたのだろう、
    同じ口径の弾丸の痕は、どれも急所を僅かに逸れていたが、
    それでも、ほとんど同じ時間に撃たれたものだった。

    は唇を噛み締める。

    「セルバント少佐。ロシナンテさんは、情報文書を持っていませんでした」
    「・・・何?」

    「あの任務の性質から、普通は持っていてしかるべきだと思います。
     奪われたのか、落としたのか、それとも”別の理由”があるのかは分かりません。
     ただ、あの島にいた海兵達から、情報文書を受け取ったという報告は上がって来ていないそうです。
     現場の処理のついでに、捜索もお願いしているようですが、
     それらしいものが見つかったとも聞いていません。
     センゴク大将にも、この件はお話ししています」

    セルバントは怪訝そうに首を捻るが、やがてが何を言いたいのか悟ったようで、
    その目を大きく見開いた。

    軍医、何が言いたい。アンタ、まさか」
    「・・・私は内通者の可能性が無視出来ないでいるんです。
     情報文書について知っているのは、普通は軍属する人間だけですから」
    「・・・滅多な事言うもんじゃねェよ、確信があって言っているのか?」
    「いいえ」

    は淡々と答える。

    「信じて頂けるとは思っていません。
     そういう可能性があるとだけ、お伝えしたく。
     ・・・実のところ、私はこの件について、
     さほど真剣に取り組もうとは思っていないのです、セルバント少佐」

    セルバントはの顔を見てぎょっとした。
    は能面のように無表情でいながらにして、その瞳は怒りに燃えているようだった。

    「海軍や世界政府がどうなろうと、私の知った事ではない」

    言葉を失ったセルバントに気づいて、は穏やかに微笑みかける。
    ロシナンテを失う以前と同じような、あるいはそれよりも前。
    ロシナンテに出会う前のの、完璧に取り繕われた笑みだった。

    「セルバント少佐。私はつる中将にあるお願いをしたのです。
     少々説得には骨が折れましたが、最後には承諾してくださいました。
     戦闘許可を得たのです。戦闘訓練にも参加します。
     軍医としての業務の他に、他の海兵と変わらない、海賊を拿捕する権利が、私に与えられた」

    笑うに、セルバントは息を飲む。
    その笑みは、微かな狂気を孕んでいる。

    「捕まえる、いや、殺す気だな、ドフラミンゴを・・・!
     無茶だ!ロシナンテが敵わなかった相手だぞ!?」

    「おかしなことを仰るんですね、セルバント少佐。
     敵うか敵わないかは、問題ではないんですよ、おわかりいただけませんか?」

    は目を伏せる。
    その声は、淡々としていながら、凍てついたように冷たい。

    「私の気が済まないのよ」

    「あの人の命を奪った男が笑ってる。その事実が許せない。
     私と同じように絶望させてやる、例えどれだけ時間がかかっても、
     どんな手を使ってでも」

    セルバントは首を振る。

    「復讐に、身を捧げるとでも言うのか?
     やめろよ、そういう生き方は。
     ロシナンテが悲しむ」

    「・・・死んだ人間は、悲しんだりしません」

    は小さく呟いた。

    軍医?」
    「セルバント少佐、感情というのは、生きている人間だけのものなのよ。
     私、あの人に出会う前は死人も同然だった。
     あの人に出会って、ようやく、私は生まれることができた。
     それで、今、私はもう一度死んだの」

    その言い草に、セルバントははっきりとその表情を歪めた。

    狂っている。

    セルバントは説得しようと言葉を連ねる。
    それが半ば、意味など無い事を理解しながらも。

    「・・・馬鹿な事を。それで幸せなのかよ!?ロシナンテは、お前に、」
    「それくらいしか」

    セルバントの言葉を遮り、が首をゆっくりと横に振った。

    「私には生きる意味が見あたらない」

    セルバントは絶句する。
    は僅かに口角を上げた。

    「私から、生きる理由を取りあげないでください。セルバント少佐」

    その声に、セルバントは眉を顰めたが、やがて深いため息を吐いた。
    止める事など、とうてい無理な話だった。

    「・・・一つだけ良いか、軍医。・・・なぜおれに話した?
     立場を危ぶむような問題発言も多かったぞ。
     アンタ、おれが上に報告するとは思わなかったのか?」
    「フフフッ」

    はクスクス笑って見せる。
    その笑みは、かつてと同じはずなのに、
    どこか虚ろで、薄ら寒さを覚えるような、そんな笑い方だった。

    「あなたはロシナンテさんの、最も近しい友人だった」

    は微笑み、その場を後にしようと背を向ける。
    黒いスカートが、白い髪が風に翻った。

    「我々の利害は一致する。そうよね?セルバント少佐」

    セルバントはその背に何も答えない。その必要は無かった。
    が立ち去ったのを見て、セルバントはもう一度ロシナンテの眠る墓石に向き直る。
    ミモザが風に揺れている。波の寄せて返す音ばかりがそこに響いていた。

    「ロシナンテ、お前、なんで死んだ?」

    セルバントは奥歯を噛み締める。
    問いかけたところで、誰も答えやしないのを、知っていながら、
    問いかけずにはいられなかった。

    「・・・畜生め」



    セルバントと別れたは、拳を握る。
    思い返していた。
    復讐に身を投じる覚悟を決めた瞬間を。

    それは、検死を終えて、はロシナンテの身なりを整えてやった時の事だった。
    将校の羽織るコートと、お気に入りだった青いシャツと白いスーツを着せて、
    なるべく傷を隠せるように、化粧を施した。
    最後にネクタイを締めてやれば、まるで眠っているように見えた。

    つるを説き伏せ、無理を言って行った検死の最中、はずっと泣き通していた。

    ロシナンテが、ローを守るために、文字通り命を懸けたこと、
    そのために浴びる程の苦痛を味わったことが伝わって来たからだ。

    ドフラミンゴを止めることにこだわっていたロシナンテは、しかし引き金を引くことが出来なかった。
    その上、情報文書が失せた今、
    ロシナンテが過酷な状況下に置かれた4年間の任務が水泡に帰したことは明らかで、
    ロシナンテの無念を思うと胸が張り裂けてしまいそうだった。

    「・・・ロシナンテさん、あなたはローについて以外は、私に僅かな情報しか残さなかった。
     ”ノースの闇を暴けるかもしれない””ある国を救えるかもしれない”・・・ある国とは、どこのこと?
     その国は、・・・トラファルガー・ローは、あなたが命をかけて守るだけの価値があった?」

    ローの行方は知れていない。
    サンタクルスにそれらしい少年が居たとの目撃情報はあったが、
    それ以外の情報は残っていなかった。
    貨物船か何かに紛れ込んで、ミニオン島を離れたのかもしれない。

    はロシナンテの、冷たいままの頬をなぞる。

    「きっと、痛かったでしょう?苦しかったはず。
     そんな暴力に晒されて、守り通すだけの意味があったの?
     私は、誰も、国も、止められなくても、守れなくても、
     あなたが生きていてくれれば良かったのに」

    愛した人が、もう笑いかけてくれない。
    その事実が、耐えきれない程の悲しみが、の心を押し潰してしまいそうだった。

    そして、それ以上に、身を焼くような憎しみが、沸き上がっている。
    は心中で留めておけなくなった言葉を口にする。
    まるで吐き捨てるように。呪うように。

    「ドンキホーテ・ファミリー。ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
     最後の5発。どれも急所を僅かに逸れていた。
     ・・・苦痛を長引かせるため?それとも手元が狂った?
     頭には、心臓には、その銃口を向けなかった。向けられなかった・・・?
     それでもあなたは、あなた達は暴力の果てにロシナンテさんを殺した」

    「トラファルガー・ロー。あなたの為に、ロシナンテさんは死んだ。
     それをどう思ってる?後悔してる?それとも、あなたはあの人を利用しただけ?
     どちらにせよ、あなたはあの人の死のきっかけになった。
     ”神の天敵” Dの一族が、”天竜人”を害すると言うのなら、
     あなたはロシナンテさんの側に、居るべきではなかった・・・」

    歯を食いしばり、は最も憎悪を滲ませて、その名前を呼んだ。

    「・・・
     カルミアの言葉を忘れたの?
     いいえ。幸福に目がくらんで、目を逸らしていただけ。
     分かってたはずよ、私は、私が、一体どんな生き物なのかを」

    は壁に備え付けられていた鏡を睨む。
    腫れ上がった目は、いつかと同じく、青白く発光していた。
    憎悪に歪んだ、その顔はそれでも、人間離れした奇妙な美しさを纏っていた。
    かつての母、カルミアのように。

    「お前の愛する人間は死ぬ。
     母も、あの人も死んでしまった。
     化け物め・・・、お前は誰も愛してはいけなかった。それなのに、」

    それでも過ごした時間は幸福だった。
    愛おしく煌めく、”宝物のような時間”だった。
    ロシナンテを愛した事を、は後悔していない。
    それこそが、に取っては罪だった。

    は涙を拭い、ロシナンテの銃を手に取った。
    使った形跡はあっても、弾を込め直して、そのまま手つかずだった、その銃身を撫でる。

    「私なら引ける。私が引くわ。この引き金を」

    それだけが、に取って罪を贖う手段であり、沸き上がる憎しみを宥める唯一の手段だった。
    そしてその選択肢を選んでしまったことで、
    憎悪と悲しみに取り憑かれたの長い長い復讐は始まったのだ。