Naval Surgeon Soldier


    スモーカーがその女に出会ったのは、戦場での事だった。

    「大丈夫ですか、スモーカー大佐」

    その女はマスケット銃でスモーカーの死角に居たらしい海賊を殴り倒し、
    返り血を浴びながら無表情にスモーカーに問いかける。

    他の海兵とは違う、白衣を翻しながら、その女は立っていた。
    どれだけの海賊を討ち取ったのか、その白衣には血飛沫が飛んでいる。

    「・・・ああ」

    思わず面食らって頷くことしか出来なかったスモーカーに、無表情のまま頷き返し、
    その女は戦場をゆっくりと闊歩する。
    まるで息をするように、銃を撃ち、海賊を殴り倒し、歩き続けていた。

    作戦を終えたスモーカーは拠点に戻り、
    戦場で目撃した女について、同じ部屋に居た少尉に話して聞かせた。
    余りにその出で立ちが異様だったから、印象に残っていたのだ。
    敵では無さそうだが、味方だと簡単には思えない、油断ならない雰囲気だった。

    「なんなんだ、あの女は。軍医の格好なのに海賊を討ち取ってたが・・・」
    「ああ、あの人はって言う”戦う軍医”です」
    「”戦う軍医”?」

    少尉は改まった態度のまま答える。

    「本業は大佐の言うとおり、軍医なのですが。
     戦場で海賊を拿捕しながら、前線に立つ海兵の治療をして回ってるそうです。
     戦闘の腕も治療の腕も素晴らしいと、重宝されているんだそうで。
     本当はつる中将付きの軍医なのに、派遣されて来てるみたいですよ」

    「・・・へェ。だが、拿捕って言うよりは」

    海賊を殺して回っているように、スモーカーには見えた。
    少尉はスモーカーが飲み込んだ言葉を察したのか、僅かに苦笑する。

    「海賊相手には容赦が無いことで有名なんですよ。当たり前と言えば当たり前ですけど。
     泣き落としにも一切応じたり怯んだりしないんだそうです。
     あのとおり、美しい女性ですから、
     海賊も真っ先に標的にしたり、分が悪くなると命乞いしたり、
     見逃してくれと、情に訴えかけようとするんだそうです。でも」

    少尉は何を思い出しているのか微かに眉を顰めた。

    「・・・私も、海賊が軍医に命乞いをする場面に出くわしたことがありますが、
     彼女、容赦なく肩と、足を撃ち抜いて、
     銃剣で元の顔が分からなくなるまで相手をぶん殴ってました」



    少尉の言葉を、スモーカーは思い返していた。
    何しろ、少尉の言っていた状況と、ほとんど同じシチュエーションが目の前の戦場に広がっていたのだ。

    の足首を掴み、家族が居る。
    もう二度と略奪なんてしない、助けてくれ、見逃してくれ、と
    海賊の男がみっともなく縋り付いていた。
    しかし、は掴まれていた足で男の肩を蹴り飛ばすと、その首を傾げてみせた。

    「家族が居る?助けてくれ?見逃してくれ・・・?
     海賊なのにおかしな事を言うんですね」

    その海賊の男は、の顔を見て、ひっ、と引き攣れたような声を上げた。
    の顔に表情らしい表情は浮かんでいない。

    「そういうセリフは、聞き慣れているんじゃありませんか。
     その懇願にあなたは応えてやりましたか?」

    は海賊の男に銃口を向ける。
    男は何も答えないが、にはその答えが分かっていたらしい。

    「・・・そんな訳が無いわね」

    マスケット銃で腕と足を撃ち抜き、
    そのまま、銃を振り上げたを、気づけばスモーカーは制していた。
    は能面のような無表情のまま、スモーカーを振り返る。

    「やり過ぎだ、軍医。そいつはもう抵抗出来ないだろう」

    はその言葉に目を瞬き、海賊の男を見下ろした。
    男はもう抵抗の一切を諦めた様子で、成り行きをすべて受け入れる体勢を取っていた。
    それを見つめるの目は、まるで道ばたに落ちるゴミでも見るように冷たい。

    はマスケット銃をゆっくりと下ろす。
    そのまま、スモーカーの顔を見上げ、僅かに口角を上げたようだった。

    「すみません、スモーカー大佐。
     ”感情的になって”つい、やり過ぎてしまうところでした。お恥ずかしい」

    スモーカーはのその言葉に、眉を顰める。
    は倒れ臥した海賊に手錠を嵌め、引きずるように軍艦まで歩いて行った。

    「・・・感情的だと?」

    女だからと侮られて、情に訴えかけられたのが気に触った。
    そういう様子ではなかった。

    むしろ、海賊の言葉も、ほとんどどうでも良いと思っていたに違いない。
    ただ、どこまでも冷静に、冷徹に、海賊を痛めつけていた。
    そこには義憤どころか、怒りすら無かった。どこが感情的だったと言うのだろう。
    奇妙な薄気味悪さを覚えながら、スモーカーはの背を見送った。



    大佐になったセルバントの執務室に呼ばれ、はその部屋に参じていた。
    セルバントは書類を捲りながらもをねぎらうように声をかける。

    「よォ、軍医。相変わらずの絶好調だな。軍医ながら左官に匹敵する拿捕数だ。
     まともじゃない。・・・マジでぶっ倒れるぞ。ほどほどにしろよ」

    セルバントの忠告に耳を貸す様子も無く、はセルバントに問いかける。

    「ドンキホーテ・ファミリーの動向は?」

    「お前なァ・・・、まぁいい。奴らならいつも通りだ。最近は航海の頻度が少ない。
     裏取引の方に重きを置いているらしい。市場の新規開拓は傘下の海賊に任せはじめてる。
     偉大なる航路を進みながらその規模もでかくなってきやがった。
     ドフラミンゴの懸賞金もあっと言う間に3億に迫る勢いだ。
     並の海兵じゃあ、太刀打ちするのも難しいだろう。
     本部の大将、中将クラスが動いて当然の相手になっちまった」

    はそれに黙り込む。

    「それにしても、軍医。お前のその戦闘能力普通じゃねェぞ。
     下手な将校も顔負けだ」
    「・・・あなたみたいな?」
    「あァ、おれは腕っ節イマイチだからなァ・・・。
     って何言わせんだよ!うるせェ馬鹿野郎」

    は表面的には、冗談も言うし、近しい相手には笑顔も浮かべるようになった。
    その瞳が驚く程冷たいのに気づいている人物はさほど多くはないだろう。

    「サイファー・ポールでは体術の成績最悪だったんだろ?」
    「随分と情報に明るいようで、セルバント大佐。
     まぁ・・・人は、変わろうと思えば変われる生き物ですから」

    はそう嘯いた。
    実際は、魔眼を使った自己催眠と動体視力の強化による
    驚異的な銃の命中率がその異常な拿捕数の理由だ。

    だが、それをセルバントに打ち明ける程に、は愚かではない。
    セルバントは肩を竦めてみせる。

    「・・・まぁいい。さて、軍医。お前を呼び出した本題に入ろうか。
     近々つる中将がドフラミンゴとやりあうようだ。
     恐らくお前も連れてってもらえるだろう。おれが進言しておいた」
    「・・・!」

    セルバントの言葉に、は目を瞬く。
    セルバントは指を組み、笑みを取り払い、に厳しい眼差しを送った。

    「直接相対して見なければわからないこともあるだろう。
     1年間、お前はゼファー教官のもとでみっちり訓練を受けている。
     実際大したもんだと思うよ、軍医との二足のわらじを履いて、なかなか出来ないことだ。
     いつかのロシナンテを彷彿とさせる没頭振りにゃあ、脱帽するよ。
     ・・・だが、恐らくお前の牙は、ドフラミンゴには届かない」

    はセルバントの言い草に眉を顰める。
    セルバントは赴任先の詳細を書いたメモをに投げ渡す。

    「”あの”つる中将が何年も追いかけてなお、あいつを仕留め損なってるんだぞ。
     ちゃんと見極めてこい。ドンキホーテ・ドフラミンゴが、一体どんな海賊なのか」



    それは、つる中将の船で戦闘に参加するようになってから幾度目かの海戦だった。

    は遂にドフラミンゴの船と戦闘を行っていた。
    大砲を撃ち、わざとドフラミンゴ配下の海賊を甲板に迎え入れ、
    血の気の多い彼らを撃ち捕らえながら、
    は敵船にその男を捜していた。

    ドフラミンゴがどのような人物なのか、
    は直接は知らないでいる。
    新聞の記述、つるやロシナンテらから見聞きした情報しか、
    はドフラミンゴについて分からないでいる。

    人を人と思わない残酷で狡猾な化け物だと、
    父親を目の前で殺されたロシナンテは、かつてそう吐き捨てるように言った。
    事実、弟であるロシナンテもその手にかけている。

    は憎悪にその人物像が飲み込まれて居ることを自覚しつつ、
    海の上でその姿を見とめたときに、見極めなくてはならないと目を眇めた。
    セルバントの言うように、相対しなくては分からない事もあるのだろう。

    敵船の甲板の上にその姿を見つけて、
    はセルバントの言っていた意味を静かに理解していた。

    船の上、ドフラミンゴは部下に指示を飛ばしていた。
    ピンク色のフェザーコート。逆立てた長めの金髪。表情を隠すサングラス。
    は一瞬目を伏せた。

     ああ、似ている。

    背格好はよく似ているように思える。
    だがその質は全く違うのだということが、その顔を見た瞬間に理解出来た。

     唇には笑みを浮かべてはいるが、そのサングラスの下の瞳も笑っている?
     その笑みは余裕からくるのか。それとも海軍に対して苛立っている故だろうか。
     父親を、弟を、手にかけた時にはどんな気持ちだった?

     もっと、その顔を良く見たい。

    マスケット銃を構え、は狙いを定めた。
    本来銃撃するには遠過ぎる距離。揺れる船では当たるとも思えない。
    しかし、引き金を引くことに躊躇いは覚えなかった。

    の目論み通り、その銃弾はドフラミンゴのサングラス、左目を目がけて飛んで行った。
    だが、の撃った弾をドフラミンゴは糸で容易く切り裂いてしまう。
    は短く舌打ちする。
    頬に少しの裂傷が出来たらしいが、与えられたダメージはその程度だった。

    心配しているらしい部下が駆け寄ってくるのも無視して、
    ドフラミンゴは顔を上げ、銃弾の飛んできた先を、見定めようとしているように見えた。
    は逃げも隠れもしない。姿を見られても構わないと思っていたのだ。
    それよりも、まだ見極められていない。
    は顎を引き、ドフラミンゴを睨み据える。

    そのとき、確かに目が合ったようだった。

    ドフラミンゴは一瞬訝しむような表情を浮かべたように思えたが、
    やがてその唇は挑発するように弧を描いた。

    は瞬き、息を飲む。
    は不思議と、その男の心理の一端を嗅ぎ取れたような気がしていた。

    その男は怪物だった。
    人殺しで富を築き、他人を容易く自らの奴隷にすることの出来る才を持っていた。
    優しさや愛情を、他人の痛みを理解出来る心を持っていながらにして、
    それを切り捨てることの出来る、そういう男だった。

    「・・・そう、あなたが、」

    はそのとき、ひりつくようなのどの渇きを覚えていた。
    髪が逆立つような、血が冷たくなって行くような、怒りを覚えていた。

    石のように冷たかった胸に新たに火がついたようだ。
    荒れ狂う海のような憎悪が心臓を鼓動させている。
    それは単なる復讐とは僅かに様相を変えたように思えた。

    殺してやりたいと思った。
    あの笑みを、剥ぎ取ってやりたいと。

    気がつけば、船が遠い。
    いつの間にか甲板に出ているのはだけで、甲板に迎え入れた海賊共は全て拿捕された後だった。
    船の縁に立ったままのを見かねてか、つるが声をかけた。

    軍医。何を呆けている?」
    「・・・いえ、つる中将、すぐに戻ります」

    は喉を抑えながら、船の内部に戻る。

     あれがドンキホーテ・ドフラミンゴ。

    は腕を掴む、荒れ狂う憎悪を鎮めようと息を吐く。

     いつか必ず、目にものを見せてやる。