Countdown
センゴクとは何度か食事をとっているが、やはり余り慣れた気はしない、と
はフォークとナイフに視線を落とす。
どこか緊張してしまうのは、やはりセンゴクが海軍の大将だからだろうか。
知将と名高いその人は温和で穏やかな眼差しの持ち主だが、
どこか油断出来ない、背筋を伸ばしていたいと思わせる緊張感をに与える。
「さん、最近は薬学の勉強に熱心だとつる中将から聞いているが、
何か思うところでもあったのか?」
センゴクはに問う。
それに頷いて、は少し目を伏せた。
「ええ、薬品は消耗品ですし、現地調達を余儀なくされる場合もありますから」
それも本心ではあるけれど、近頃は何かして居ないと不安なのだ。
ここ半年、ロシナンテからのでんでん虫が途絶えている。
センゴクは微かに眉を顰め、指を組んだ。
「そうか。それで、その・・・”例の件”なのだが」
「はい、なんでしょう?」
センゴクが”例の件”と言葉を濁すのはロシナンテの潜入任務のことだ。
はまっすぐセンゴクの瞳を見つめる。
「最近こちらへの定期報告が途絶えている」
「・・・私のところにも、ここ数ヶ月、連絡は来ていませんよ、お義父様。
来たところで、私が話すばかりだと思いますが」
の言葉に、センゴクは深いため息を吐いた。
「何か問題が起きているのかもしれない」
は目を伏せたまま、自分に言い聞かせるように口を開く。
感情とは裏腹に、毅然とした調子の声が喉を滑り出る。
「・・・便りがないほうが、かえって良い便りだというじゃありませんか」
「不安ではないのかね?」
「不安じゃ、ないわけではありませんけれど、信じて待つ事が、今の私の精一杯ですから。
私は、私の出来る事をします。それに、彼は意外に頑固ですしね。
心配したって、振り切って行ってしまうのだもの」
が困ったように笑うと、センゴクも苦く笑った。
「・・・そうだな、私が忠告しても聞かないところがあった」
「フフ、セルバントさんが
『帰って来たら振り回された分だけ振り回してやれ』って仰ってました」
センゴクは「セルバントの言いそうな事だ」と呆れたような声色で言う。
「彼は昔からロシナンテさんにちょっかいを?」
「ああ、あいつもロシナンテと同じ頃に海軍に入隊したんだ。
その頃から悪知恵が働く、手に負えない悪ガキでなァ・・・、
同じ年頃のロシナンテによく悪戯の片棒を担がせていた」
「ロシナンテさんに?」
センゴクは眼差しを緩める。
「二人で軍艦に忍び込んだり、会議で居眠りする海兵の顔に落書きしたり、
私のペットのヤギの顔にひどい化粧をしたり・・・」
「フフフッ」
が思わず笑う。
「ナギナギの実の能力を使ってたんですね」
「そうだ、セルバントが悪戯を計画、
ロシナンテがナギナギで協力、あるいはセルバントと共に実行犯になった。
あまりに質が悪い悪戯はロシナンテが止めていたらしいが」
それもどこまで信じられたものか、と首を振るセンゴクは、
しかし懐かしそうに目を細めていたが、
に向き直るとその表情は鋭いものに変わっていた。
「・・・さん、君は、
ロシナンテが過去に置かれていた境遇を知っているのだろう?」
「・・・! それは」
大きく目を瞬かせ、動揺を見せたに、センゴクは頷いた。
「皆まで言う必要は無い。・・・君は不思議に思っていたはずだ。
”例の件”のような潜入任務は、本来なら専門の訓練を受けた、
サイファー・ポールの諜報部員らの方が適任だろうし、
その任務の条件も余りに過酷なのだから」
「サイファー・ポール、」
はかつての古巣の名前を聞き、テーブルの下でスカートを握りしめた。
にとっては、お世辞にも良い思い出が多いとは言えない場所だった。
「ロシナンテが食べたナギナギの実はその能力の性質からサイファー・ポールが
喉から手が出る程欲していた実でもあった。
偶然とは言え、海兵が口にしたと聞いて、
サイファー・ポールも面白くはなかったのだろう。
・・・実を言うと、“例の件”にはサイファー・ポールが一枚噛んでいる」
「そんな!」
が驚愕に声を上げると、
センゴクは落ち着きなさい、とを宥めるように手を振った。
「ロシナンテの経歴も、”政府”にとっては懸念材料の一つだ。
君はこれについても疑問に思ったのではないか?
政府が何故、治安の悪い北の海に、”政府非加盟国”の貧しい国に
天竜人の一家を追いやるがごとく、屋敷と財産を移したのか」
「・・・ええ。あまり考えたくない事でもありましたが」
は目蓋を閉じる。
眉根を寄せ、一度唇を引き結んでから、センゴクと目を合わせる。
「天竜人を辞めた”ドンキホーテ”の一族は”政府”にとって不都合な存在になり得た。
あるいは、他の世界貴族から”政府”に命令が下り、
惨劇を予期しながら彼らを北の海に追いやった可能性がある。
いずれにせよ、彼らは”政府”の作った惨劇の被害者なのでしょう?」
私や母と同じように。
は舌先まで出掛かった言葉を何とか飲み込む。
センゴクはその顔に苦悩するような表情を浮かべた。
「君は聡過ぎる。、
決して口外するな、ロシナンテでさえ、まだ気づいては居ない。
あいつはがむしゃらに、最初は生きるために、
ドフラミンゴが賞金首になってからは兄を止めるために鍛えてきて、
それ以外に目を向けることをしなかった。・・・君に出会うまでは」
は奥歯を噛んだ。
「”例の件”の任務の条件が過酷なのは、彼の能力、過去が理由なのですか?
・・・”世界政府”の過去の浅はかな行いは、
”天竜人”を”証明チップ”が無ければ”ただの人間”として見なしている。
その血筋を持ってして高貴な立場、生まれながらにして特権階級を持っていると言う
自負を持つ”天竜人”にとっては、気に入らないでしょうね。
例えそれが自らが下した命令なのだとしても。
そして、”天竜人”に手を焼く政府は、
"作り出した惨劇"の生き残りが居るのは思わしくないと、そういう理由なのですか?」
の厳しい追及に、センゴクは嘆息する。
「・・・そうだ」
「もし仮に、ドフラミンゴが捕まっても、相当上手く立ち回らない限りは、
ロシナンテさんがこれまでと同じように暮らすのは、難しい・・・だから私にこの話を?」
「君は何もかもお見通しのようだな。
つる中将が君を気に入っていることも頷ける」
センゴクの賞賛にも、は難しい表情を浮かべたままだった。
「だが、私は信じているんだ。
どんな過酷な条件でも、ロシナンテは必ず、ドフラミンゴを止められる。
それだけの能力を持っている。私が鍛え上げた。
・・・私の息子も、同然なんだ」
は息を飲む。切実な声色だった。
「だからさん、あいつを頼む。
君が助けてくれるのなら、ロシナンテは必ず、幸福になれるはずだ」
「言われなくても」
は目映い程の微笑みを浮かべる。
「そのつもりですよ、お義父様」
「・・・そうか」
安堵するようにセンゴクは笑った。
※
センゴクとの会食からしばらく経ったある日、
が自宅に帰り、就寝しようかと思ったその時、
でんでん虫が鳴き声を上げた。
は急いででんでん虫に駆け寄り、受話器へと手を伸ばす。
「もしもし?」
『・・・おれだ』
はその声を聞いて、深く安堵した。
胸を撫で下ろし、その声に答える。
「随分、久しぶりだわ。お義父様も心配していたのよ」
『ああ、分かってる。・・・』
名前を呼ぶロシナンテの声は硬い。
「どうしたの?何か、あった?」
『実は今、おれは任務を離れているんだ』
は息を飲む。
「・・・どういうこと?」
『ここ半年、ローを連れて、北の海の病院を回っていた』
「ロシナンテさん、」
どうやら、の懸念は的中してしまったらしい。
余りにローを気にかけていたから心配していたのだが、
まさか任務を差し置いてまで肩入れするとは思っていなかった。
「どうしてそこまで・・・」
『ローはDの一族だった。
あいつの本名はトラファルガー・D・ワーテル・ロー。
”天竜人”たちには天敵とも呼ばれている一族の末裔だ。
兄の側に置いておくのはあまりに危険だった』
はその情報に微かな不安を抱く。
だが、それを悟らせないがために、ロシナンテに問いかけた。
「・・・北の海の病院は、きちんと彼を治療した?」
『いいや、どいつもこいつも、酷い薮医者ばかりだったよ!
きちんと診てやった奴は誰も居ない、あいつを病原菌扱いするんだぜ。
信じられるか!?医者が、患者に、”何故死んでなかった?”と言うんだ・・・』
は胸元のシャツを掴んだ。
やはり北の海の医者は珀鉛病に対してできる事が無かったらしい。
だが、政府から圧力をかけられていたにしても、余りに酷い対応には目を眇めた。
「酷いわ。同じ医師として、認め難い発言ね」
『ああ、結局、北の海では、医者の手ではローを治すことが出来なかった。
・・・だが、希望が見えたんだ』
「希望?」
ロシナンテの声が上向く。
『政府と海賊の間で”オペオペの実”の取引がある。それも、北の海でだ』
「!」
は驚愕に目を見開く。
「まさか、本当に・・・?
確かに、その悪魔の実なら不治の難病を治せるかもしれないわ!」
『そうだろう?!・・・だが、その実を兄も狙っている。
おれたちはオペオペの実を、兄より先に横取りして、
身を隠すつもりだ。・・・』
「何?」
ロシナンテは深く息を吸い、ゆっくりと言った。
『おれたちは、・・・おれは海軍には戻らない』
「・・・ええ」
『”オペオペの実”を奪うということは、ドフラミンゴも、政府も、海軍も、
全て敵に回す事になるだろう。
だから、、本当に申し訳ないんだが』
はぎゅっと、シャツを掴む。
『おれについて来てくれないか?』
「・・・フフフッ」
ロシナンテの言葉に、
は思わず笑ってしまっていた。
『?』
「全てを敵に回しても、ローを助けたいのね。
そのために、全部捨てろって言うのね?私に。
とても苦労して、軍医としてやっと馴染んで来たところなのに」
『うっ、』
「ワガママだわ」
『わ、分かってるんだ、だけど、』
「でも。フフッ、ねぇ・・・もしも、今ここで別れでも切り出されたなら、
私、あなたをどこまでも追いかけてひっぱたいてやってたわ」
『ええ!?』
たじろぐロシナンテには微笑む。
「馬鹿ね、あたりまえじゃない。私はどこへだって行くわ。
そこにあなたがいるならね」
『・・・、ごめん。ありがとう』
ロシナンテは小さく笑っていた。
はそれに目を細めると、ロシナンテとの合流場所を決める。
ミニオン島、ゴーストタウンの隣町、サンタクルス。
そこで落ち合う事に決めた。
通話を切ると、は北の海へと出るために、荷造りを始める。
4年振りに会うのだ。楽しみだった。
会食でセンゴクの言っていたことが事実なら、
ロシナンテが海兵を続けるのは難しかっただろう。
奇しくも、政府やドフラミンゴ達から逃げ続けることを選んだのは
ロシナンテにとっても返って良い事なのかもしれない。
「・・・きっと凄く大変になるのかもしれないわね」
逃げ続ける事、欺き続ける事は難しい。
は過去を振り返り、小さく呟く。
だが、きっとロシナンテが居れば、はどんな苦労も厭わないだろう、と思った。
ローという珀鉛病の少年も、ロシナンテを慕っているのだろう。
ロシナンテの口ぶりから、それは伺えた。
「お人好しなロシナンテさん。私がフォローしてあげなくちゃ、
ローにも手伝わせるわ。きっと、あの人のドジに手を焼いてたに違いないんだから」
まだ見ぬ、病に冒された少年、彼がオペオペの実を食べるなら、その医術にも興味がある。
3人で逃亡生活を送るにしても、賑やかで楽しいものになるだろうと、
はその唇に笑みを浮かべる。
ドフラミンゴに対する使命も、世界政府の思惑も、
もうロシナンテを、ローを、を縛らない。
そのときは、そんな生き方を夢見ていたのだ。