Count Zero “The World’s End”


    ミニオン島には軍艦へ乗り込めばすぐに着いた。
    昼頃に海兵達の隙を見て抜け出し、
    ゴーストタウンを通り過ぎて、隣町”サンタクルス”で宿を取る。
    白衣を脱いで、私服のコートに身を包んでしまえば、
    誰もを軍属の人間だとは思わない。

    先ほどまで窓の外からは月が見えていたのに、
    雪が降り出している。

    「都合が良いわ。足跡も雪が隠してくれる」

    ローと言う少年の珀鉛病の進行具合は、
    ロシナンテから聞いた話では余り良くないと言うことだった。
    医療を齧っているらしく、オペオペの実を食べさせるのにうってつけだとロシナンテは
    ローについて語ったが、一人で手術を行うのは難しい場合もある。

    なにか、力になってあげられれば良いのだが、とがため息を吐いたその時、
    外から銃声が聞こえた気がして、は振り返る。

    「海軍とバレルズ海賊団の、戦闘が始まったの?
     作戦には、まだ、時間があると思っていたけれど」

    腕時計で確認しても、が思っていた時間よりも、その時刻は早い。

    は不穏な予感に胸がざわつくのを感じていた。

    「ロシナンテさんたち、大丈夫かしら」

    そのときだった。
    でんでん虫が鳴き声を上げた。



    鳥かごの中、ロシナンテは防音壁を張る。

    ローを宝箱の中に入れた。
    きちんとオペオペの実を食べさせた。
    ロシナンテが冗談を言えば、子供らしい笑みを浮かべたローに、
    きっと大丈夫だ、とロシナンテは確信していた。
    もう、ローはドフラミンゴのような怪物になることもないだろう。

    ここから先に、逃げ場が無い事を、ロシナンテは分かっていた。
    恐らく自分が助からないだろうことも。
    思いの外、恐くはない。ただ、後悔がある。

    今、一番の心残りは、きっとロシナンテを信じて、
    隣町”サンタクルス”に居るのことだ。

    でんでん虫を取り出し、にかける。
    出て欲しいような、永遠に出て欲しくないような、不思議な感覚だった。
    しかし、でんでん虫がの声を作るのに、さほど時間はかからない。

    『もしもし、ロシナンテさん?』

    優しい声に、ロシナンテは硬く目を瞑る。

    『さっき、銃声が聞こえたわ、あなた達は大丈夫?ロシナンテさん?』
    「悪ィ、。おれたちは、・・・おれは隣町には行けない」

    でんでん虫が息を飲む。

    『どういう意味?あなた、今どこに、』
    「ドフラミンゴに、おれはきっと殺される。
     ”鳥かご”の中にいるんだ。もう、逃げ場は無いだろう。
     実は、オペオペの実を奪う際に撃たれてる。抵抗できるかどうかもちょっと怪しい」

    は絶句しているようだった。

    ロシナンテの脳裏に、と過ごした時間が蘇る。
    には『別れを切り出されたならひっぱたいてたとこだった』と言われたが、
    それでも、その言葉を口にしなくては行けない状況まで追いつめられている。

    「ごめんな、こんなことになっちまって、 
     、こんなことは言いたくないが、おれを忘れて・・・幸せになってくれ」
    『な・・・!』

    の声に憤りが乗った。
    ロシナンテはこの声が苦手だった。
    は怒ると泣くのだ。悲しくて悲しくて、
    どうしていいか分からなくて、無理矢理虚勢を張るような、そんな声で怒るのだ。

    『出来るわけ無いでしょう!?何を言っているの!?今あなたどこに居るの!?』
    「本当は、おれが幸せにしてやりたかった」

    不思議な事に、心残りは幾らでも思いつきそうだった。
    兄を止めるためだけに生きて来たと思ったのに、いつの間にか、
    ロシナンテの側には、大事なものが、大切なものが、幾つも出来ていた。

    病を克服したローと、と、一緒に暮らしたかった。
    結婚式ではセルバントにボロボロに泣かされたかったし、
    センゴクに恩を返したかった。
    会いたい人が何人も居る。

    そして何より、血を分けた兄の暴走を、止めてやりたかった。

    「でも無理そうなんだ。ローを逃がすので精一杯だ、」

    咳き込むロシナンテに、は言う。

    『もう喋らないで!お願い、怪我をしてるなら安静にしてて!
     傷でも病気でも、私が治してあげるから』

    「おれも、お前も幼い頃に家族を失ったから、だから一緒に家族になりたかったんだ。
     同じ気持ちだったから、お前は頷いてくれたんだろ。
     約束・・・守れなくてごめんな・・・」

    『やめてよ、どうして今、そんなこと言うの!』
    、」

    の声は殆ど悲鳴だった。
    が自分のために泣いている。涙を見せることを嫌うが。

    それだけで、ロシナンテの心はほの暗い喜びに満ちる。
    だからどこまでも、にとっては残酷な言葉を吐ける。

    「愛してる」
    『私もよ・・・!バカ・・・っ!』

    ロシナンテは多分これが最後だろうと思っていた。
    4年間顔を会わせていない、できればちゃんと、面と向かって伝えたかった。

    でも、声を聞けた。

    「フフ、」

    ロシナンテは小さく笑う。

    雪の中に足音が響く。
    ドンキホーテ・ファミリーがすぐそこまで来ていた。



    通話を切ってすぐ、はカバンを持って宿を飛び出した。
    瞬間、目に飛び込んで来たものがある。

    「何、これ」

    そこでが見たものは、隣町をかごのように囲む糸の檻。
    瞬時にそれがドフラミンゴの能力”鳥かご”だと
    悟ったの背筋を、ぞくりと悪寒が走る。

    居てもたっても居られなくなって、は足を速めた。
    嫌な予感がする。鼓動ばかりが、うるさかった。

    何度も雪に足を取られ、転びながら、はゴーストタウンへ向かう。
    その最中、緩やかに糸の檻が消えるのを見て、は唇を噛んだ。

    「お願い、間に合って!お願いだから・・・!」

    息を切らせながら、は戦場だったのだろう、その場所に立った。
    バレルズ海賊団と思しき男達の死体があちこちに転がっている。
    その中に、ロシナンテが居ない事を祈りながら、
    居るのなら返事をして欲しいと、はロシナンテの姿を探して回る。

    遠くで爆音が響く、ドンキホーテの船を狙う、つるの砲撃だろう。
    は短く舌打ちして、周囲を見渡した。

    「つる中将も、島を攻撃しすぎだわ!
     これじゃ、誰の声も聞こえない、・・・ロシナンテさん!返事して!」

    走り回るのつま先に何かが当たって転んだ。
    つまづいたものを見て、は驚愕に目を見開く。
    それはがもっとも恐れていた事態だった。

    「ロシナンテさん!!!」

    がつまづいたのはドンキホーテ・ロシナンテその人だった。
    満身創痍の傷を負いながら口元には緩やかな笑みが浮かんでいる。
    白い雪がその顔を覆っている。は雪を払った。

    「起きて!ロシナンテさん!」
    「・・・?」

    小さくロシナンテの唇が震えた。
    閉じていた目蓋が緩やかに開く。

    は息を飲んだ。まだロシナンテは生きている。

    「良かった・・・!待ってて、今治療をするわ!」

    安堵に笑みを浮かべたに、ロシナンテは緩やかに微笑む。

    「・・・ああ、夢かな。
     また、会えるって思ってなかった。
     ・・・きれいになったなァ」

    ロシナンテは治療しようとカバンを開くを制して、
    何度も咳き込みながら言葉を絞り出そうとしている。

    「無理しないで!話なら、幾らだって後で聞くから!」

    ロシナンテは笑っていた。
    はその笑みを見て、その顔を蒼白にする。

    まるで諦めている顔だった。

    そしてそのとき、不吉なまでに、ロシナンテの周囲を覆う雪が
    真っ赤に染まっている事に気づく。

    「ロシナンテさん、まって、嘘でしょう?
     どれだけ無茶をすればこんなに血を、」
    「・・・おれは」

    の頬に大きな手が触れる。
    はその手を掴んだ。冷たい手の平だった。
    微かに震えていることだけが、ロシナンテが生きていることを証明している。

    つっかえながら、ロシナンテは必死に言葉を紡いだ。

    「お前に、出会えて、幸せだったよ、
     宝物みたいな、時間をもらった・・・」

    の瞳から再び涙が零れた。

     まるで遺言だった。そんな言葉は聞きたくなかった。

    は首を横に振った。
    唇から、絞り出すように、出来るだけ明るく優しい声色を作り上げる。
    精一杯の笑みを浮かべた。きっと上手く笑えていないと分かっていても。
    掴んだ手を、精一杯握りしめる

    「最後みたいに、言わないで。
     これからがあるのよ、私たちには、まだ、この先があるの。そうでしょう?」

    その言葉に、ロシナンテの眦から、一筋涙がこぼれる。
    の涙を親指で拭うと、小さく、呟くような、雪に溶けるほどの声で囁いた。

    「なんどでも、言うよ。・・・ありがとう。愛してる」

    それが最期だった。

    手の平から力が抜ける。
    笑ったまま、眠るように、目を閉じたロシナンテには目を見開く。

    もう微かな震えさえ、の手の中には残っていない。
    何もかもが手の平から零れて行ってしまったことに気づいて、は愕然としていた。

    「いや」
    「嫌だ」
    「うそ」
    「嘘だって言ってよ・・・!」

    は一縷の望みをかけて、その唇に口づける。

    全部差し出しても構わないと思ったのだ。
    自分の命を差し出しても、生きていて欲しいと願った。

    は必死に自分の命をロシナンテに渡そうとした。
    冷たい唇をこじ開けて、舌を絡めようとした。

    だが、それは叶わない。

    そのとき感情的になっていたは横っ面をはたかれたような心地で
    事実を改めて受けとめざるをえなかった。

     死んでいる。死の味がする。

    魔性としての本能がロシナンテとの口づけを忌避していた。
    吐き気が止まらなかった。
    すでに死んでいる人間を生き返らせることなど、
    いくら夢魔であっても出来やしない。

    は俯く。
    ぱらぱらと落ちてくる髪が周囲に降りつもる雪のように白いことに、
    はまだ気づいていない。

    呆然と呟いた。

    「ロシナンテさん、
     私、二十歳になったの。もう、約束の通り、結婚出来るの。
     あなたと、幸せに。あなたとじゃなきゃ」

    目から大粒の涙が零れた。
    はロシナンテの頭をその胸に抱える。

    「意味なんか、ないのよ・・・!」

    がロシナンテの指を見て、ついに嗚咽を零した。

    意味を成さない言葉が、唇から勝手に染みだして、
    悲鳴のような泣き叫ぶ声が、雪に吸い込まれて行った。

    左手の、薬指。
    の薬指で光るリングと同じデザインの指輪がそこにあった。

    は、ロシナンテがとても緊張して、
    首まで真っ赤にしながらにその指輪を差し出した時のことを覚えている。

    が指輪を受け取って、頷いてその頬にキスをしたときの、幸せそうに涙ぐむ姿も。
    それからロシナンテがはしゃいでを抱きかかえて2人して海に落ちたことも。

    驚く程浅瀬で顔だけ水の中につけて、溺れたロシナンテを介抱して、
    2人ともびしょ濡れになりながらおかしくて笑ったことも、
    その時に世界で一番幸せだと思ったことも。

    それだけじゃない。

    同じ家に暮らした。2人であちこちに出かけた。
    ネクタイを締めた。少しでもその目線に近づきたくて努力した。
    雨の日にヘタクソなワルツを踊った。山ほどのミモザの花束を貰った。
    隠していた傷も、痛みも、全部受け入れて分かち合った。
    鮮やかな毎日、その全てを覚えている。

    それがどれほど幸福だったかを覚えている。

     忘れたりしない。
     ・・・出来ない。
     だからこんなにも苦しい。こんなにも・・・。



    部下から連絡を受けたつるが見たものは、血まみれの男を抱えてうずくまるの姿だった。
    まばゆい太陽の光のように、輝いていた金色の髪が、白髪に変わっているのを見て、息を飲む。

    軍医!その髪はどうしたんだい!?・・・その男は、」

    はゆっくりと顔を上げた。
    つるは思わず目を見開く。

    月明かりに照らされたの泣き顔は、呆然とする程美しかった。
    しかし同時に、どこか人ならざるものに睨まれたような、
    奇妙な薄ら寒さをその瞳に覚えたのだ。

    の唇が静かに震えた。
    掠れた声が、言葉を紡ぐ。

    「この人は、ドンキホーテ・ロシナンテ。・・・海軍本部の中佐です。
     ・・・必要なら、マリンコードも言いましょうか?」
    「”ドンキホーテ”・・・!?どういうことだい?!」

    戸惑うつるに構わず、はロシナンテを抱える手に力を込めたように見える。
    絞り出すように、は答えた。

    「彼は、私の、」

    一言一言を紡ぎだすのに、は唇を震わせていた。

    「婚約者です」

    涙が雪に染みを作る。
    余りに痛々しいの様子を見て、つるでさえ言葉を失った。
    だが、すぐさま思考は冷静に展開する。

    センゴクを通じてつるに齎されるドンキホーテ海賊団の情報。
    それは恐らく、が婚約者だと言うロシナンテが海軍へ流していたに違いない。
    潜入任務だ。センゴクの腹心と呼ばれる海兵は、諜報に長けた人間も多い。

    つるは眉を顰めた。
    ロシナンテはドフラミンゴの血縁・・・従兄弟か、兄弟に当たるのだろう。
    そして、がここ、ミニオン島に居るということは、
    もロシナンテから、ある程度の情報は得ていたと言う事になる。

    「・・・聞きたい事は幾つかあるが、軍医。
     一度離れなさい。
     彼を軍艦へ運ばなければならない・・・弔うために」

    は打ち拉がれたように目を瞬き、それからゆっくりと頷いた。