第一話「手配書」


マリンフォード、海軍本部。
一人の男が真新しい手配書の束に目を通していた。
懸賞金がつり上がった海賊、新たに名をあげた海賊、命を落とした海賊ー・・・。
覚えても覚えてもきりがないほどに、海の無法者どもがあちこちで生まれ、暴れ、また消えて行く。
その海賊を取り締まる海軍の元帥を務めるにあたって、
今後波乱を巻き起こすであろう海賊共に目星をつけるのも彼の仕事であった。

仏のセンゴク。世にも珍しい悪魔の実を食べ、
危うい世界の治安と均衡を守るべく奔走する海軍の元帥、
その彼がぱらぱらと捲っていた手配書の一つに目を留めた、その時だった。

「失礼するよ」
「・・・つる中将」

ノックもそこそこに大参謀がつかつかと元帥の机まで歩み寄る。その顔は険しい。

「うちの軍医・・・が出奔した際に乗っ取った科学班の船が見つかったよ。
 途中で船を乗り捨てたらしくてね。中に居た人間は全員"ミイラのようにひからびてた"
 政府の表立っていない方の実験に携わってた奴ばかりだったが、
 一人だけ生かされてたよ」

つるはぐ、と唇を噛み締める。
常に冷静なつるの、滅多に見せない苛立ちをみて、センゴクも黙り込んだ。

「・・・」
「『おせわになりました、おとうさま』と喉がかれるまで言わされてたが、
 お前のことだろう、センゴク」

思わずセンゴクは手配書をぐしゃりと握りしめた。
数多くの海賊の捨て台詞を聞き流して来たセンゴクだが、
久々に聞いた”元身内”のそれは、聞き流すことはできなかった。
つるはため息をついた。額に手を当て、嘆く。

「あたしの勘も鈍ったもんだ。立ち直ったとばかり思ってたんだ。
 軍医でありながら海賊をあれほど捕らえた女海兵は他に居ない。
 あの男が七武海になったときですら、冷静そのものだった・・・。
 もっと、気に懸けてやればよかったね」

「いや・・・つる中将、彼女はすぐにでも出奔する用意はできていたのだろう。
 何しろ、手配されるまであれほどの力を隠し通したのだから」

センゴクは思い出す。能面のような顔をして、涙も流さずたたずんでいた喪服の女。
その女の髪が一夜にして真っ白に染まっていたことを。
僅かな感傷に眉を顰め、センゴクは自身が握りつぶした手配書に目を落とした。

その写真に写るのが、件のだった。
顔の下半分が風にたなびく長い白髪に覆われている、
手配書写真としては不完全だが、これ以外の相応しい写真は無かったらしい。
その写真の、何よりも印象的なのは髪の隙間から除く灰色の瞳だった。
キラキラと光を反射した宝石のような虹彩には写真であっても、息を飲むような、背筋の凍るような・・・
妙な凄みが感じられる。

「”白衣の悪魔”、その能力の危険度故1億の値が彼女の首にかかった。
 最初の賞金額としては異例だが、だれも異議は唱えなかった。
 ・・・こんなことになって、本当に残念でならない」

センゴクは目頭を抑えた。つるはそれを見て目を伏せる。

くしゃくしゃにゆがんだ手配書で魔性と言うに相応しい女が目を輝かせている。
これからの運命を笑うように、呪うように。



女がひと気のないバーで2枚の手配書を眺めている。
一枚は古く、もう一枚は新しい。
首元のネックレスを弄りながら、彼女は微かに笑う。

「トラファルガー・ロー、死の外科医、若いのに大層な二つ名ねえ」

写真に写るのは若い男だった、白いまだら模様の帽子の下、影になっていながらその眼光は鋭く、
口元には挑発するような笑みを浮かべている。
まだ駆け出しの海賊で、そう賞金額も高くない。
彼女はその手配書を見つめながら愉快そうに、ワイングラスを片手で掲げ、
注がれたワインの赤さを楽しむように眺めた。

連れも居らず、一人呟く彼女を酒場の人間は誰も咎めない。
それもそのはず、客は皆居なくなっていたのだ。他ならぬ、”彼女”のせいで。

彼女はやがてもう一つの手配書を手に持った。
その賞金額は3億4千万だとかろうじて読み取れるが、
血を思わせる赤いインクで懸賞金部分が塗りつぶされている。

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ、天夜叉・・・この男、私を知っているかしら?」

賞金が止められてからしばらく経っているから、写真は古いままだ。
だが海賊旗のシンボルにもなっているこの男の心底愉快そうな、
敵を恐怖に陥れるこの笑みは変わらないのだろう。
彼女は指先で手配書の顔を撫で、ため息を一つ落とす。

「まずは・・・確かめることから、ね。裏は取れつつある。交渉に使う全ての情報は手に入れた。
 次は私にとって、いよいよ本番というわけだ。ここで捕まってしまっては、間抜けもいいところなの。
 願わくば見逃して欲しかったわ。こんな風に、暴れるつもりも無かったし・・・。
 それで?私を”捕まえようとした男達”はみんな地べたで寝ているけれど、あなたはどうするの?」

彼女が問いかけたのはこの店のバーテンをしていた男だった。
しかし男は朦朧としているようで、ふらふらと、彼女の前のカウンターテーブルにもたれかかる。

「あらあら、駄目な人。客のお酒に睡眠薬を入れておいて、粗暴な男共に私を襲わせておいて、
 その上でんでん虫で海軍に通報もしてるくせに、あなた眠たいの?
 そのザマで、ちゃんと何があったか、誰が来たのか説明出来るの?」

揶揄うような女の声色に男は絞り出すように呟いた。

「・・・、白衣の悪魔・・・、・・・!」

白い髪、灰色の瞳、病院の白衣を思わせる薄手のコートを羽織る、
の口元には緩く笑みが浮かんでいる。
金色のネックレスをくすぐりながらはグラスを指で突いた。

「やけに手慣れていたからつい飲み干してしまいそうになったけど、
 あなたいつもこんなことをしてるのかしら」
「・・・ああ、そうだ・・・なのに効かなかった・・・
 いつもその酒と睡眠薬でみんなイチコロだっていうのにヨォ」

は男の髪を引っ張り頭を持ち上げて瞳の奥を覗き込む。
哀れな男は意識がハッキリしないながらも恐怖しているようだった。
それはそうだろう、とは気まぐれに男の髪を梳いてやる。

「私がなぜ悪魔と呼ばれるのかわかった?
 私の目を見たら嘘はつけない逆らえない・・・。そうでしょう?」
「あ、ああ。その通りだ・・・頼む、もう一度、もう一度だけでいい、あの目で俺を見てくれ」

ぴくり、とは眉を跳ね上げる。

「頼むよ。お前があいつらを伸した時俺は見たんだ。すごかった。あの脳を揺さぶられる感覚・・・」
「やめときなさいよ。死んじゃうわ」

は遊び半分で梳いていた手首を尋常でない力で掴まれても顔色一つ変えやしなかった。
それどころか。出来の悪い生徒に困り果てる教師のように、呆れた口調で言葉を続ける。

「癖になっちゃったわけ?1回だけしか見てないのに・・・。ドラッグでも他にやってたのかしら」
「ああ・・・そうだ。週に3回は打ってた・・・頼むよ・・・どんなキツいのよりアンタの目がいいんだ」
「困ったわ」

笑みを消して、は男の顔をもう一度持ち上げる。
男は相も変わらず恐怖と恍惚と入り交じった表情でを見ている。
はその顎を持ち上げて、ゆっくりとその唇を重ねた。
驚いたのだろう、しばし身体を硬くしていた男は少し経つと何も考えられなくなり、
貪るようににキスをする。
は平然としたまま、醒めた目で男を見詰めていたがやがてすぅと目を細める。
男がその瞳の殺意に気づいた時には、もう何もかもが手遅れだった。

何かを啜るような汚らしい音がした。

男は声にならない悲鳴をあげる。
手が萎れるようにひからびて行く、あっという間に毛髪が白くなる。
視界が不明瞭になり、足腰が立たなくなる。
男が自身の身に起こった変化を認識するのはすぐだったが、
それ以上に目の前の賞金首の変化に気をとられていた。

はこんなにも美しかっただろうか? 
意識を失う間際に見たのは、まるで発光しているかのように白く輝く肌と髪。
瑞々しく色づいた唇。高揚した頬。

「癖になった人間は後々面倒になるから殺すことにしてるの。悪いわね、ごちそうになったわ」

大きな音を立てて倒れた男を見て、
は乱暴に口元を拭うと小さく悪態をついた。

「何度食べても薬中って不味いわ。変に甘ったるくて、そのくせ後味に苦みが残るんだもの」

そして白衣の悪魔は誰も喋らなくなった店を後にする。
その手に2枚の手配書を持って。