第二話「白衣の悪魔」
それは酒場でのことだった。
音楽と娯楽の栄えたその島で、久々の酒を浴びるように飲む船員達を肴に、
男がエールを飲んでいると、女が一人、横に座った。
気配も薄く、突然現れてカクテルグラスをかき混ぜる女に近くに居た船員達は警戒を露にする。
商売女とも違う様子の女は、しかし蠱惑的な笑みを浮かべてみせた。
「ハートの海賊団の皆さんで間違いないわね?」
「ああ・・・おれたちに何のようだ」
「私を船に乗せて欲しいの」
酔っている様子も無い、しっかりとした滑舌で放たれた言葉に、
ハートの海賊団の船長、トラファルガー・ローは眉を顰めた。
女を思わずまじまじと観察する。
薄いグレーの瞳はガラス玉のように虚ろな光を反射している。
髪も白く、服も白い。女の出で立ちはローに一人の賞金首を思い起こさせた。
予想が正しければ今の自分よりは懸賞金が上のはずだ。
ローは警戒を露にする。
しかし不思議なことに、仮に戦闘になっても負ける気はしなかった。
「"白衣の悪魔"が何故おれの船に乗りたがる。沈める気か?」
「いいえ。そんなことはしないわ。あなたと私の『目的』は近いと思うからこうしてお願いしているの。
回りくどいのは嫌いなようだから先に言って置きたいのはやまやまだけれど、
ここでするには少し不味い話ね・・・。」
『目的』という言葉に独特のアクセントをおいた悪魔にローはますます眉を顰める。
思わせぶりな悪魔だが、生かすも殺すも話の内容次第だと判断したローは目線で船員に人払いを促した。
船員達は些か戸惑ったようだが『船長命令』だと念を押すと従う。
「これで少しは話やすくなっただろ・・・とっとと話せ」
「・・・せっかちな人ね。では先に一つ手みやげを渡しましょうか。
これで私の目的の一端は、理解してもらえると思うから」
悪魔がコートのポケットから取り出し、ローに投げ渡したのはエターナルポースと海図、何かのリストだった。
訝し気にエターナルポースと海図の名前を確認したローはそれがどこを差しているかを見て悪魔を睨む。
「きっと、必要でしょう?」
「お前・・・!」
「他にも、その島の地図、主要な施設のフロアマップなんかも私は持っているわ。
もっとも、地形の変化に伴って多少形は違うでしょうし、
フロアマップは参考程度にしておくべきね。改装していると思うから。
リストについては今後更新されていくだろうけど、
現段階でここまで調べられるだけの能力を私が持ってると思ってくれればいいわ」
「・・・これはいつの情報だ?」
「古いものは約10年前から、新しいものはごく最近まで。
私の目的について色々と聞きたいことはあるでしょうけど。
船に乗せてくれるのか、くれないのか、それを聞くのが先ね」
「なぜこれをおれが欲しがるのか知っている理由も聞きてぇな・・・。
だがたしかに、お前はおれにとって利用価値があるらしい。
・・・ただ、悪魔を手みやげの一つ二つで乗せてやれる程おれはバカじゃない。
いくつか条件がある」
ローの反応に特に反発せず悪魔は微笑んだ。
「何でもどうぞ?」
「海軍がここに来ているらしい。
狙いはどうやらおれたちらしいが・・・そいつ等をどうにかしてみせろ。」
女であれど億を超える懸賞金がかけられているのだ。
見るからに荒事は苦手そうな細腕でどう戦うのか知っていて損は無い。
悪魔は頷く。
「足手まといは要らないと言うこと?別に良いけど」
「もう一つ。・・・心臓を預からせてもらうぞ」
「慎重ね・・・かまわないわよ」
ローは極めて冷静な悪魔の顔を見る。
悪魔の顔には迷いも恐怖も浮かんでは居ない。ただ、凪いでいるようだった。
「気を楽にしろ。すぐ終わる」
左手を返し、引抜くような仕草をすると、悪魔の心臓が一際大きく脈打った。
「”メス”」
「・・・!」
悪魔の瞳に一瞬強い光が灯る。
ローの手には悪魔の心臓が握られている。
本来ショック症状を起こしてもおかしく無いはずだが、悪魔は少しの不快感を露にするだけだ。
ローはそれを見て些か不可解な気持ちになった。
痛みや苦しみは悪魔に随分と人間らしい表情を感じさせるらしい。
先ほどまでまるで、生気の無い顔をしていたのに。
「やはり痛みと、軽いショック症状はでるのね・・・どういう原理で私が生きているのか気になるわ。
あなたの能力圏内なら生きていられる?範囲外に出たら私は死ぬのかしら?」
好奇心を露にした悪魔は己が死ぬかもしれないと言うのに胸に空いた穴を
突いて笑っていた。
ローは気難しそうに眉を顰めた。
「安心しろ、おれから離れても生きては居られるさ。
だがこの心臓を潰されればお前は死ぬ」
「そりゃそうね。心臓が無くなれば、生き物は皆死ぬもの」
「・・・どういう経緯でお前がおれの目的を知ったかは定かじゃねえが、
手を組むには充分な手みやげだった。あとはお前の実力次第だ」
ローの言葉に笑みを深めた悪魔は空になったグラスに
テーブルに置かれていたワインを勝手に注ぎ、ローに差し出した。
受け取ったローに悪魔はグラスを掲げる。
「遅ればせながら自己紹介をするわね。知っているだろうけれど。
私の名前は・。懸けられた賞金額は1億。
二つ名は"白衣の悪魔"・・・海軍艦を一隻沈めたあかつきには、
ぜひともよろしくお願いするわ、トラファルガー・ロー船長」
恐らく自分はこの油断ならない悪魔を船に乗せることになるだろう。
ローは予感していた。
そしてその予感を飲み下すように、ローは悪魔からうけとったグラスを煽った。
「さて、早速だけど海軍艦を沈めましょうか。何事も、早い方が良いものね」
悪魔、はゆるゆると立ち上がると、港までゆっくりと歩き出した。
「そうそう、ロー船長、あなたももしかしたら知っているかもしれないし、
一応の契約をした後でこんなことを言うのは悪いのだけど、私、まともじゃないのよ」
「・・・お前の戦い方のことを言っているのか」
の悪名、"白衣の悪魔"の名は一時期新聞でセンセーショナルにとりあげられた。
新聞の取材に応じた彼女に沈められた軍艦の生き残りは大層怯えた様子で、
もう二度と船には乗れないと泣きながら悪魔について語ったと言う。
口づけで船の責任者だった大佐をミイラに変える、
華奢な手で海兵のはらわたを引きずり出し嘲笑する、
あっという間に悪魔の白い服が真っ赤に染まった、
などと、さながらホラー小説のような一面の記事を、ローは覚えていた。
しかし目の前に居る女は確かに特徴こそ”白衣の悪魔”であるし、
本人もそう名乗っているのだから別人と言うわけではないのだろうが、
あの新聞に載っていたような行動は起こしそうにない。
理性的な物言いに良くわきまえられた態度。
狂人が咄嗟に取り繕うには余りに板についている。
だからこそ、ローは軍艦を落とせなどと条件を突きつけてみたのだが・・・。
「ええ、あれも私の一面ではあるのだけれど。
"悪魔"になった日からこと戦闘において理性的で居られなくなるのよね。
昔はもう少し我慢が効いたんだけど」
は軽く頭をふった。白い髪が揺れる。
「先に、軽い動機の説明をしておくわね、後で詳しく話すけれど、端的に・・・。
私は、『彼』に婚約者を殺されたの」
ローはの言葉に何も返さなかった。
はそれにかまわずに夜の港町を静かに進む。
ローは軽く周囲を見渡した。
ハートの海賊団の面々は大半が船に戻ったようだが、何人かは様子見で遠くからこちらを伺っている。
は気づいているのだろう。
見聞色の覇気でも使わない限りは聞き取れないであろう声音だった。
「今時珍しい話ではないし、それで精神に異常をきたすことだって別に普通の、
言ってしまえばありふれたことだけれど、
そうね、それは私にとって、髪が真っ白になるほどの、衝撃だった」
は港からすこし距離のある沖に浮かぶ軍艦を前に、笑みを浮かべた。
「ふふふ、ところでロー船長、あなた薄々気づいているでしょう?
あなた決して私の目を見ないものね・・・。
それ、正しい対処法だわ。
私が能力を発揮した時に目を見た人間は、
ええ、まともじゃなくなるのよ。私と同じで」
は海へと簡単に足を踏み入れた。
思わず息を飲んだローだが、 どういう技術を使ってか、
は軽やかに空中を蹴って海をこえ、軍艦まで忍び寄る。
ローは見た。侵入者に気づいた見張りの攻撃を避け、が手を振るような仕草を見せると、
その海兵がふらふらと船の中に消えて行くのを。
するとどうだろう、ものの数分で軍艦のエンジンルームの辺りから火が上がる。
怒号や喧噪が遠くから聞こえてくるのを見ながら、近寄ってきたクルーがローに声をかけた。
「船長!何が起こってるんですか、あの女一人であれを!?」
「ああ・・・あいつは特殊な能力者らしい。
海も歩けるようだな。悪魔の実ではなさそうだが・・・。
ペンギン、お前なら見えるか?あの女が甲板で何やってんのか」
ペンギン、と声をかけられた船員が目を凝らすと、
が海兵に切り掛かられているのが真っ先に目に入って来た。
だが、が手の平をくるりと返したかと思うと、海兵は別の海兵に切り掛かって行った。
「・・・同士討ち!?」
思わず引きつった表情のペンギンにローは笑う。
「軍艦を落として来たらうちの船にあいつを乗せる」
「ハァ!?」
「安心しろ。心臓は預かってるからこっちに下手な真似はしてこねぇよ」
「いや、その・・・船長、あれ見てください」
青ざめた顔のままペンギンが指差す先にはが将校と思しき男と口づけている様子だった。
これにはローも呆れたように表情を歪めた。
「・・・何やってんだあいつは」
「違います、そうじゃなくて、あの将校の腕が・・・!」
目を凝らすと、ペンギンの言いたいことはすぐに分かった。
筋肉が隆々としていたはずの将校の腕が見る見る老人の如く細くなって行くのだ。
仕舞いにはミイラのように成り果てた将校を片手で海に投げ捨てたを見てペンギンは呟く。
「あの女まともじゃないですよ。おれは正直乗ってほしくないんですけど」
ローは顎に手を当てる。
将校のあの症状、医学書で見た気がするのだ。
ペンギンはローに考え直すように迫るが、
ローは「うるせぇ、いま考え事してるんだ。黙ってろ」と一蹴した。
その時だった。
「あらあら、酷い言われようねえ」
いつの間に戻って来ていたのか、汚れ一つない格好で、がけらけらと笑っていた。
先ほどまでが居たはずの軍艦は燃え盛っている。
あれでは・・・もう航海はできないだろう。
一人で軍艦を燃やし尽くしたに船員達は警戒を露にした。
はますます笑みを深める。
「ロー船長?ほら、軍艦落として来たわよ。
フフフ。私のやり方はお気に召さなかったかしら」
ローはしばらく黙っていたが、何らかの結論をだしたらしい、
今度はの瞳をまっすぐに見詰めて、確信を持って、問いかけた。
「お前、夢魔だな」
「・・・!」
問いの形をした断定に、は息を飲んだ。
それは船員達も同じらしい。
「夢魔って・・・あの夢魔!?」
「本当に居たのか!?」
は肩を竦めてみせる。
「へぇ・・・?すぐに気づかれるとは思わなかったわね、
流石は"死の外科医"と言ったところかしら」
のグレーの目が一際爛々と輝く。
その目はローを挑発するようでもあった。
だが、徐々にその光が和らいで行く。
「安心してよ、手を組みたい相手から搾り取ったりしないから」
ぎくり、としたクルーと裏腹に、ローは冷静だった。
「夢魔。魔眼により生命力を吸い取る魔物。
取り憑かれた男は死ぬだの、存在も定かじゃねえのに噂に尾ひれがついていたが、
まさかお目にかかれるとはな・・・。
海軍を同士討ちさせたからくりは・・・魔眼を使ったなんらかの神経作用か?興味深い」
「そうよ。・・・魔眼の効果についてはあとで説明するわ。
私はこれ、全然気に入ってないのだけど」
ため息を吐くにローは奇妙なおかしみを覚えて小さく笑った。
船員達はそれを見て、結局この女が船に乗るのだと言うことを悟り、がっくりと肩を落とすのだった。