幽霊と城主


王下七武海の招集から帰還した
鷹の目、ジュラキュール・ミホークは些か面食らっていた。

「あの、ごめんなさい、勝手に間借りをしてしまって。
 城主の方で、よろしいのかしら?・・・ええと、お帰りなさい?」

長い髪を下ろした、ドレスを身にまとう
女の幽霊が首を傾げて、ミホークを伺っていた。

クライガナ島、シッケアール王国の古城を住処と決めて数年。
幽霊に出迎えを受けたのは初めてのことである。

どうやら城の門を開く音に気づいたのはこの幽霊だけではなかったようで、
もう一人、ピンク色の髪をした女の幽霊と、
ミホークにとっては久方ぶりに会う剣士が玄関ホールに集まりつつあった。

「お、お前は・・・!」
「鷹の目・・・!」

最初の幽霊よりもよほどまともな反応だと、ミホークは内心で嘆息していた。
それから警戒する2人に驚いた様子の幽霊を見て、ミホークは仄かな郷愁を覚えていた。

 透明で、色を無くし、吹けば飛びそうな出で立ちのこの幽霊は、
 確かに、怨念渦巻く古城に居るに相応しいだろう。

 たとえこの城に、なんの縁も所縁もなくとも。



、そいつから離れろ!」

ゾロが刀を構え、に叫ぶ。
ペローナも頷くので、はそっとゾロの後ろへ身を寄せた。
しかし、鷹の目と呼ばれる男に敵意や害意は見受けられないように思える。

「・・・どうやらおれの居ない間に住み着いた者が居たらしいな、
 それにしても、海賊はやめたのか? ロロノア?」

「誰が・・・!」

男の揶揄するような口ぶりに、苦々しげなゾロを見て、
はどうも2人には因縁がありそうだと目を瞬いた。
おびえた様子のペローナに近寄り、小声で尋ねる。

「ペローナちゃん、彼は、有名な人なの?」

「知らないのか?・・・ジュラキュール・ミホーク、
 王下七武海の一人、世界一の剣豪だ・・・!」

は驚いて顔をあげた。
にとってはモリアに次いで、2人目の王下七武海ということになる。

羽飾りの帽子を被り、十字架のような大刀を背負っている。
確かに剣士だと一目でわかる出で立ちと、
”鷹の目”と呼ばれるに相応しい鋭い目つきからは、
感情らしい感情は伺えない。

「なんでお前がここに居る!?」
「数年前から、この城はおれの住処だ」

ゾロはミホークに今にも切りかかりそうな剣幕だが、
この島の位置を、おそらくミホークは把握して居るはずだ。

「ゾロ、待って!」
「何だ!?」

なぜ止める、と言いたげなゾロに首を横に振り、
はミホークと目を合わせた。

ミホークは黙って成り行きを見守っているが、
恐ろしく威圧感のある男である。
はごくり、と唾を飲み込んだ。

「あの、鷹の目さん? 勝手にお邪魔をした非礼はお詫びするわ。
 私とゾロはできればすぐにでもお暇したいくらいなの。
 でも、七武海のくまさんに飛ばされて来てしまったものだから、
 ここがどこかさえ、よくわからないんです」

ミホークは眉を上げた。

「くまに?」

どうやら心当たりがあるらしい。
呆れ混じりのため息を落とし、腕を組んだ。

「いい迷惑だ」

うっ、と言葉に詰まるを見かねてか、
ミホークは答えてみせた。

「・・・ここはグランドライン、クライガナ島。
 かつてはシッケアールという王国があったが、
 すでに滅びている」

「滅びた国・・・」

ゾロやペローナ、はやっと現在地を把握することができた。
他にも色々と聞きたいことがある、と口を開きかけたに先んじるように、
ミホークは言った。

「立ち話も億劫だ。奥の部屋に入れ」



ゾロとペローナ、はミホークに促されるまま椅子に腰掛けた。

「ゾロと鷹の目さんは面識があると言うことだから、
 私とペローナちゃんは自己紹介を先にすることにするわね!」

の勝手な仕切りにペローナはギョッとしたが
は気にするそぶりがない。胸に手を当てて、高らかに名乗った。

「私は。見ての通り幽霊で、すでに死んでいるわ。
 麦わらの一味の一人よ!
 どう言うわけか記憶喪失で、名前もつい先日思い出したばかり。
 だから一般常識には欠けてるかもしれないけど、
 ひとまず宜しくお願いするわ!」

「お前それ、どんな自己紹介だよ」

身も蓋もない自己紹介をミホーク相手に披露するに、
ゾロは突拍子も無い、と呆れている。

ミホークはの言葉を黙って聞いていたかと思うと、ペローナへと視線を移した。
ペローナはぎくりと肩をすくめ、やがて渋々口を開いた。

「・・・ペローナ。お前と同じ七武海、ゲッコー・モリアの部下だ。
 こいつらと同じように、くまに飛ばされて来た」

ミホークは3人の顔をじっと見つめ、
それから腕を組んで、何か考えているようだった。

「奇妙なことだが、三者三様に、おれは伝えるべきことがあるらしい。
 ――まず、新聞を読め」

「新聞?」

ミホークは新聞をゾロに投げ渡した。
2人の幽霊に囲まれながら、ゾロはその記事を見て、言葉を失った。

一面の見出しはこうだ。

『ポートガス・D・エース死す』

もすぐにその意味がわかった。

「エース、って・・・」
「ルフィの、兄貴だ」

海賊王の息子、白ひげの部下。そんな文字が紙面で踊る。
エースを助けに来た船長、”白ひげ”エドワード・ニューゲートは戦死。
世界を震撼させた戦争は海軍の勝利で終わったと、新聞には喜ばしい雰囲気で綴られて居た。

は頭を思い切り、殴られた気分だった。

「そう、麦わらの兄だ。本人もそう言っていた」

ミホークの言葉に、は顔をあげた。

「”本人”?」

「おれはその場に居た。白ひげと海軍との戦争の場にな。
 火拳のエースは麦わらの目の前で死んだ」

「・・・待って、ルフィがその場に居たって言うの!?」

ミホークは頷いた。

ゾロも、も、受けた衝撃は大きかった。

くまによってクライガナ島に飛ばされ、ゾロは2日療養に努めてきた、
はペローナと島の周辺を見て回った。

そんなことをして居る場合ではなかったのだと、はスカートを握りしめた。

「ルフィは、無事なのか?」
「おそらく生きている。ただ、まともな状態かどうかは定かでは無いがな」

ゾロの質問に答えたミホークの返答は、真実なのだろう。
真実であるがゆえに、残酷な答えだった。

「・・・行くぞ、

はゾロと目を合わせた。
そこには深い悔恨と、怒りとが織り混ざった、複雑な表情が浮かんで居る。

「ええ、そうね、そうしなくてはね・・・!」

ゾロは立ち上がり、もその後を追った。

「どこへ行く? ロロノア。見たところ、本調子ではなさそうだが」
「決まってるだろ、・・・船長のところへだ」

ペローナが眉を顰めて2人を諌める。

「何言ってんだお前ら!?
 船もないくせにどうするつもりだ!?」

「イカダでも作れば船になるわ。ゾロはビブルカードも持ってる。
 きっとシャボンディ諸島まで行ける。
 ルフィもそこに来るわ・・・だから、行くの」

振り返ったは頷いた。

「心配してくれてありがとう、ペローナちゃん、
 それから、お邪魔したわ、鷹の目さん」

「・・・城の西側に、使っていない小舟が一艘あるはずだ」

ゾロが足を止めた。

「世話になった」

絞り出すような声を最後に、扉が閉まった。

ゾロとは互いに黙って海岸へと向かっていた。
ゾロは船を引き、は海への道を先導する。

きっと2人とも同じことを考えて居た。
一刻も早く、ルフィのそばに行かなくてはいけなかった。

 兄を失って、どれほど傷ついて居るだろうか。
 そうでなくとも、仲間とバラバラになってそう時間も経って居ないと言うのに。
 そんな時にそばに居ることができないなんて耐えられない。

の頭を、そんな言葉がぐるぐると巡る。

2人がしばらく進むと、誰かがナイフを投げて来た。
ゾロは一度船から手を離す。

ヒヒの群れが、ゾロとを取り囲んで居た。

。援護しろ」
「ええ、動きを止めるわ、ゾロ」

にできることは少ない。
でも、ゼロではない。
ゾロも、そして自身もわかっていた。

ここで立ち止まって居る場合ではないのだと。



「畜生、こいつら、どんだけいるんだ!?」
「ごめんなさい、頑張って!ゾロ!」

船はヒヒの攻撃によって砕かれた。
がヒヒをすり抜け動きを止めても、何体も同時に相手をできるわけではない。
そして、ゾロは蓄積されたダメージが、またぶり返したようで、
動きも万全とは言えなかった。

「”鬼斬り”!!!」」

ようやく一匹倒せたと思いきや、そのヒヒは刀傷に唾をつけて手当しようとしている。

「ツバで治るか!? どこで覚えたその民間療法!!!」
「ゾロ! 信じられないけど治ってるみたいだわ!? 気をつけて!」

痛みを忘れたように刀を握り直したヒヒに、ゾロは眉を顰めた。
その上、戦場跡から武器を補充してくるのか、
次から次へとヒヒの数が増えていっているように見える。

「こいつら・・・! どこまでおれをバカにしてやがる!?」
「キリがないわね・・・!」

歯噛みするとゾロに襲いかかろうとしたヒヒが動きを止める。
ヒヒは怯えたように震えだした。
の体もざわざわと歪むような感触がして、振り返る。

ゾロの後ろの瓦礫に、いつの間にかミホークが腰掛けている。

「”鷹の目”」

「――もう城を出て随分経つ。
 まだこんなところにいたのか、お前たち。
 ・・・おれのやった小舟は使い物にならなそうだな」

その言葉が気に障ったのか、ゾロは怒鳴り返した。

「うるせェ! もともと木片をもらったんだと思えば泳いでいける!」

ミホークはゾロの焦燥に眉を上げた。
大体の理由は想像できているのだろうが、確認するように問いかける。

「何を急いでいる? 焦りの滲む刀で何を切ろうと言うのだ?」
「お前にルフィの現状を聞かされたからだよ!」

ゾロの口からとうとう本音がこぼれた。

「あんなデケェ戦争が起きたことも知らなかった・・・!
 傷が癒えるまで待てるわけあるか! おれは今!海へ出る!」

「幽霊、お前も同じか」

は頷いた。
ミホークを見上げる瞳は感情に燃えるようだった。

「ええ、一刻も早く、船長のそばへ行きたいの。
 ルフィは幽霊の私に、何も知らない私に、手を差し伸べてくれた、
 そのルフィが、今はきっと苦しんでる。
 何ができるかはわからないけれど、船員が船長を支えなくてどうするの?
 ・・・そばにいなくちゃいけないわ。絶対に」

固い決意の滲む言葉に、ミホークは腕を組んだ。

「仲間思いもいいが、こいつらは手強いぞ」

ミホークは周囲に集まってきたヒヒを一瞥した。

ヒューマンドリル、人間の真似をして学習する賢い”ヒヒ”だ。
穏やかな人間のそばに居れば、穏やかに育つという動物である。

しかし、シッケアールでは7年ほど前まで戦争が起きていた。
ミホークがこの島を住処と決めた頃は、国中がまだ血煙の臭いに満ちていて、
死体が足の踏み場もなく転がって居たのだと言う。

「こいつらは”戦争”を見て育ち、武器の扱いを学び、森の戦士と化したヒヒだ。
 人は武器と智恵ゆえに動物に勝る。しかし動物が武器をとったらこうも強い。
 自らの力量もわからぬ、思い上がった若僧にはちょうどいい相手かもな」

ゾロは奥歯を噛んだ。

「おれのことかよ」
「他に誰がいる。そこの幽霊はヒヒを怯ませるので精いっぱいだろう。
 もう日暮れだ。城へ来い。こいつらはおれの城には近づかん」

ミホークの提案にゾロは苛立ちもあらわに怒鳴りつけた。

「お前に命令される筋合いはねェ!!!
 言ったはずだ! おれは今! 海へ出る!!!」

ミホークは嘆息した。

「・・・そうか、好きにしろ」

そのまま城へと去って行ったミホークに、は一礼すると
ゾロと共にヒヒたちに向き直った。

「わかってると思うけど、今のは命令じゃなくて、気遣いだったわ」
「気なんざ勝手に遣わせとけ・・・!」

素っ気なく返したゾロに、は頷いてみせる。

「ええ、そうする。・・・あなたと一緒で良かったわ、ゾロ」
「あぁ? 何がだよ」

は口元に笑みを浮かべてみせた。声色には揶揄うような色が見える。

「ナミから航海術を習っていて良かった。
 ゾロのビブルカードもあれば私たち、”迷わないで”シャボンディまで行けるわよ」

”迷わないで”と言うところで独特のアクセントをつけた
ゾロは横目で睨んだ。

「お前そこ強調する必要あったか? ったく・・・」

しかしそんなやりとりを経て、ゾロは刀を構え直した。

「悪ィな」
「こちらこそ、微々たるサポートでごめんなさいね」

とゾロは再びヒヒへと向かっていった。
一刻でも早く、ルフィのそばに向かうために。