幽霊の目標


「それは・・・自殺ってことか?」

ゾロは訝しむように眉を顰めた。
少なくともゾロの知るは、自殺などとてもしそうにない人物である。

しかし、は頷いてみせたのだ。

「そう、・・・いいえ、厳密に言えば、違うとも言えるわね」

だが、その言葉は歯切れが悪かった。

「・・・私は窓から飛び降りる前に、悪魔の実を”食べさせられた”の」
「”食べさせられた”?・・・どういうことだ?」

ペローナが首を傾げる。
は目を伏せて、思い出すように言葉を紡ぐ。

「私は自分の意思で悪魔の実を口にしたんじゃないわ。
 脅しつけられて、口にしたのよ。
 さっきも言ったけど、窓の外は、海だった。
 私に悪魔の実を食べさせた人は、その悪魔の実の種類までは知らなかったんだと思う。
 悪魔の実を食べてすぐに、能力を使いこなせる人は少ないのでしょう?」

それを聞いて、ミホークは納得したように頷いてみせる。

「――なるほど。
 ただの能力者だったなら、海に落ちれば大抵は死ぬだろう。
 ・・・しかしその実は”幽霊人間”になる実だった。
 そのおかげで、お前は命拾いしたと言うわけだな」

そして、悪魔の実の能力者が死ねば、その悪魔の実は周辺の果実に影響を及ぼし、
”悪魔の実”になることも確認されている。

おそらくに悪魔の実を食べさせた人物は、
その悪魔の実を回収する算段はできていたのだろう。

だが、現実にはうまくいかなかった。
が口にしたその実が、
”ヒトヒトの実、モデル・ゴースト”だったせいで、
は死なず、”生きたまま幽霊になった”。

「幽霊になった状態が、”命拾い”に当たるなんて皮肉だわ」

その現実離れした状況に、は苦笑する。
悪魔の実というのは、本当になんでも有りらしい。

そして、ミホークに頷いてみせた。

「鷹の目さんの言う通り・・・私は多分、
 海面に叩きつけられる前に”幽霊になった”」

はスカートを握りしめて、空を睨んだ。
まるでそこに、を死に追いやった人間の顔があるように。

「私に悪魔の実を食べさせた人は、こう言っていたわ。
 『その血に敬意を持って、この世で最も贅沢な死に方を考えてみた』」

最低でも1億ベリーはすると言う悪魔の実を、確実に溺死させるために使うなど、
正気の沙汰とは思えない殺し方である。

だがもしかすると、あの時、自分に悪魔の実を食べさせた人物は
本当に正気ではなかったのかもしれないと、は皮肉に口角を上げた。

「ウフフフフッ!・・・どうせ私の命など、そう永くはなかったと言うのに、
 あの人は何を焦っていたのかしら」

「何だと?」

ゾロがの言葉に眉を上げる。

はかつて置かれていた自らの状態を思い出していたのだ。

白い天蓋のついた寝台と、山ほどの薬。
退屈しのぎのための壁一面の本棚。芸術品の数々。

「私、病気だったのよ。あの怠さ、熱の苦しみ・・・!
 大人になってから、まともに外に出た事もなくて・・・、
 ずっと、病気が悪くなるからって、閉じ込められてた、本ばかり読んでいた」

は嘆くように前髪を掴む。
それより先の出来事も、後の出来事も、思い出そうとするとズキズキと頭が痛んだ。

「残念ながら思い出せたのは、これだけよ。
 なぜ記憶を失ったのかはまだわからない。
 幽霊になったこととは、直接関係はないようだけど、
 ・・・でも、わかったことがあるわ」

はミホークに顔を向けた。
ミホークの説明した悪魔の実の『肉体の成長が止まる能力』
それにはあるメリットがあった。

幽霊で居る間、の病気は進行しないのだ。

は深くため息をこぼす。
の置かれる状態は、一長一短だった。

「幽霊になって、何にも触れられない代わりに病気の進行は止まる。
 生身になれば、病でろくに立てもしない代わりに物に触れることができる」

軽く目を眇め、は力なく笑った。

「どちらにしても、私の置かれる状況は良くはない、ということがね・・・」

そう言って俯いたを、ペローナはどこか沈痛な面持ちで見つめている。
ミホークは心なしつまらなそうに腕を組んでいた。

確かに、不幸でもあるし不運でもある状況だろう。

だがゾロだけは、がまた妙な思考回路で物を考えているのだろうと察していた。
は計算高い節もあるが、基本的にはポジティブだ。

悲劇のヒロインよりはコメディエンヌの方が、どちらかと言えば似合っている。

「・・・本当に不本意だわ、」
「は?」

顔を上げたの第一声に、ペローナが声を上げた。
しかしはそれに構わず、また繰り返す。

「不本意極まりないわ!!!」

は拳を握りしめた。

「せっかく生きてるって分かったのに!
 サンジのごはん、実はすっごく食べてみたかったのに!!!
 ナミとロビンとお買い物とかしてみたかったのに!!!
 病人じゃ食欲出ないし!
 びしょ濡れでお買い物なんて2人に気を遣わせちゃうじゃない!なんなの!?」

思わず呆気にとられるペローナだったが、
ゾロはなんとなく慣れた様子で腕を組んだ。
はさらに続ける。

「そもそも私、この状況って生きてるって言える?!
 死んでもないけれど、生きてもいないんじゃないかしら!?
 ねぇ、どっちだと思う!?
 アイデンティティの危機だわ!
 ゴーストジョークが使えなくなっちゃう!!!」

「そこまで重要な問題か?」

ゾロが突っ込むと、は「重要よ! とても!」とぶんぶん腕を振り回した。
そして、ハッとしたように、事態を静観していたミホークに向き直る。
胸の前でぱん、と手を叩き、笑いかけた。

「鷹の目さん、色々と教えてくれてありがとう。
 ひとまず思い出したことを踏まえて、これから私が何をすればいいかも分かった」

「ふむ?」

ミホークは珍しく面食らったように首を傾げる。
構わずには考えるように口元に手を当てた。

「まず、病気を治すこと。ただし水をかけながらやるんじゃ
 下手な医者だと悪化するだけかもしれない。
 これはチョッパーと合流したら相談することにするわ。
 幽霊で居る間は病気の進行も止まるから、
 そう心配しなくても良いでしょう」

は指を折りながら言い募る。

「次に、覇気の習得」
「!?」

これにはゾロも、そしてミホークも驚いたようだった。

「なんでそんな話になるんだよ」

不思議そうなゾロに、はあっけらかんと言い放つ。

「鷹の目さんは、覇気での攻撃は私に通るって言ったでしょ。
 思い返せば、レイリーのおじさまに会った時、吹き飛ばされたけど、
 私その場に戻ってこれたし、気絶もしなかったわ。爆散とかもしなかった」

「お前、爆散て、なんだそのグロい発想・・・」

ペローナが想像したのかげんなりした顔をする。
は軽く謝ると自分の手のひらを見つめた。

「それに、もしも幽霊が覇気を覚えられたなら、
 この状態で物に触れるかも知れないわ!」

そこまで一人呟いてから、何か思い当たる節があったのか、は腕を組んだ。

「そういえば、多分レイリーのおじさま、
 私が能力者か何かだって検討が付いてたのね。
 ・・・食えない人だわ、教えてくれればいいのに!」

ゾロもペローナも、ミホークでさえの仮説に瞬いていた。

「あとは・・・そう!ペローナちゃん!ペローナちゃんだわ!」
「なんだよいきなり!?」

目をキラキラと輝かせ詰め寄ってきたにペローナがたじろいだ。

「”幽霊人間”と”幽体人間”・・・能力が似通ってる!
 でも、ペローナちゃんはポルターガイストを使えるし、物に干渉できる・・・。
 能力の使い方のヒントになるわ。・・・これで私も、ルフィの役に立てるかも」

ゾロはの言葉に息を飲む。
ゾロに向かっては微笑んだ。

「確かに私、皆に会ったばかりだから、
 まだ一味に馴染んでいるとは言えないかもしれないけど、
 海賊になるって決めたんだもの。
 記憶を探すのも私にとっては重要だけど、みんなと海賊やるのだって大切なことだよ」

は自分に喝を入れるように、ぐっと拳を握りしめた。

「”3D2Y” 2年間時間をもらったのなら、ゾロの修行狂いも見習わなくちゃ」
「・・・誰が修行狂いだ」
「あら、自覚がないの?
 普通の人は怪我をしてる時、ダンベルを持ち上げたりしないのよ」

ゾロが眉を上げるとは口元に手のひらを当てて目を丸くする。
芝居掛かった仕草である。
そこには自身の不幸や不運を嘆く様子はない。

「・・・クククッ、ハッハッハッハ!」

ゾロとのやり取りを伺っていたミホークが突然笑い出した。
驚いてミホークに目を向けるに、ミホークは笑いを噛み殺しながら言う。

「幽霊、・・・とか言ったか?
 お前は頭のネジが外れている」

「!? ば、罵倒されたわゾロ!これはまごうことのない悪口よね!?」
「・・・ああ、そうだな」

笑うミホークを指差し、詰め寄るにゾロが頷いてやると、
はショックを受けたようだった。
キッとミホークを睨みつけるが、眉が下がっているせいで全く迫力がない。

「そう怒るな。これでも褒めている。
 、・・・お前本気で覇気を覚えるつもりなのか」
「そうよ。そう言ったでしょう?」

「難しいぞ」

はミホークの返しに僅かに目を細める。

「『できない』ってあなたは言わないじゃない」
「・・・ハッハッハ!」

ますます笑うミホークに、は怪訝そうな顔をする。

「そんなに私、おかしいことを言ったかしら?
 ゴーストジョークも飛ばしてないのに」

「おかしくはねェが、突拍子もないのはいつものことだぞ、割と」

ゾロがしみじみと頷くのでは不満げに首をかしげた。
どうやら自覚はないらしい。

ミホークは愉快そうに目を細めた。

「フフ、お前たちは揃いも揃って、久しく、愉快なことを言う」

なおも笑いながら、ミホークはを見る。

は見るからに非力そうな見た目だ。
腕も細く、そして、生身に戻ってもその身体は病に冒されている。
しかし、幽霊人間が”覇気”を覚えたら、物に干渉出来るよう足掻いたら、
そんな普通の感覚なら思いつきもしないだろう考えを、ごく真面目に口にしてみせる。

は諦めていない。
悪魔の実の呪いにも、病にも、は立ち向かうつもりで居るのだ。

かつての好敵手が、と同じように諦めず、
剣を持ち続けるための研鑽を続けたならば、
鷹の目の好敵手は今より一人多かったのだろうか。

ミホークは小さく口の端を持ち上げた。

強さには種類がある。
は非力ではあるが、心まで弱いわけでは無いらしい。

「”疑わないこと”、それが覇気の強さに直結する。
 良い傾向だと言えん事も無い」

ミホークのその言葉に、はぱっと明るく顔を輝かせた。

「本当!?」
「ああ」

頷くミホークと笑うを見て、ゾロは深いため息をついた。

「・・・あいつ、鷹の目に気に入られやがった」

それが良いのか悪いのかは定かではないが、
果たして落ち着いて稽古が出来るのかどうか、ゾロの懸念はそこにあった。