幽霊と”死”


とゾロの修行は進む。
ゾロはともかくとして、の場合は手探りのことが多い。

「お前それ、何してんだ?」

あくる日にはバケツに腕を突っ込むを目撃し、ゾロが声をかけたこともあった。
は朗らかに笑う。

「海水に手を入れて、実体の感覚を覚えようと思って!」
「・・・へえ」

はたから見れば遊んでいるようにしか見えないが、本人はいたって真面目だ。
時折ゾロとミホークが覇気についての修行をしている最中にも乱入してきて、
ミホークに手本を迫っていた。

「お手本!お手本が欲しいんです!特に武装色の方が!」

あのミホークが困惑する様を見るのはなかなか愉快だとゾロは思っていた。

しかし、試しに両手に武装色を纏うミホークの覇気が強すぎたのか、
恐る恐る触れようとしていた
悲鳴をあげたのを聞いた時には慌てたものだ。

「きゃあ!?」

バチッと音を立てが城まで吹き飛んでしまう。

「うわっ、おい、の奴吹っ飛んだぞ!?」
「・・・!?」

言葉に出さないまでも焦るミホークをよそに、はすぐに戻ってきた。

「も、もう一回お願いします!」
「お前にはまだ早いんじゃねェか?」

ゾロの忠告にもは首を横に振った。
スカートの裾がメラメラと燃えているように揺らめく。

「いいえ!あともう少しだけやって見るわ!なんとなく、掴めそうなの!」

明るく笑うにゾロもミホークも何も言わなかった。
その様を、ペローナが頬杖をつきながら眺めているのが4人の日課となりつつある。



は夕食の後、ペローナが見繕った幽霊小説を吟味していた。
ゾロはその様を眺めている。

は山積みになった小説を前に難しい顔をしていた。

「例えば、怪奇小説『ライジーア』では、幽霊”ライジーア”は、
 一滴の血液のような毒に姿を変えて、愛する夫の二番目の妻を殺してしまう。
 そして殺した女の身体を乗っ取り、ライジーアの姿に変えてしまう」

「どうだ?できそうか?ちなみに私とは性質が合わなそうな感じだった」

ペローナの言葉に、は唸り声をあげた。

「うー・・・、私にこれができるとは思えないし、何よりやりたくないわ!」

は髪の毛をかき乱した。
フワフワとしたウェーブがかった髪は今や鳥の巣のようにこんがらがっている。

「だいたい幽霊っていきなり現れてビックリさせたり脅かしたり怖がらせたりするだけ、
 意外と相手を殺したり、怪我させたりとかはしないのよね、
 ダメージを与えても、よくて気絶まで。当然なのだけど」

ペローナはしみじみとの言葉に頷いている。
幽霊について考えた経験があることから、の考えに思うところがあるらしい。

「語り手を殺したら誰もその幽霊を知らないままだからな」

「なら、相手を恐怖で気絶させることが私にできるかって考えてみたけど、
 私あまり怖くないらしいのよね・・・怖がりのブルックもすぐ私に慣れていたし。
 それはそれで良いことなんだけど!」

は顎に手を当てて考えるそぶりを見せる。

「いっその事・・・血糊とか顔につければ良いのかしら」

「やめろ!!!」
「よせ!!!」

ペローナとゾロが同時にに突っ込んだ。
そしてゾロはのセリフに引っかかりを覚えて声をかけた。

「そう言えばお前、相手を気絶させたことあっただろう」
「・・・ああ、人間屋でのこと?」

シャボンディ諸島で、天竜人をは脅し、気絶させたのだ。
は首を傾げている。

「あの時は、カッとなって、相手を脅しつけたのよね」

ふわふわと空中に腰掛けるようなそぶりを見せ、は指を折った。

「あとは、・・・ゾンビにも、ものすごく怖がられたのよね。
 私を”死そのもの”って言って罵られたけれど、あれはどう言うことだったのかしら?」

ペローナは腕を組んで、の疑問に答えた。

「・・・ゾンビは基本的に、ちぐはぐな存在だからな。
 魂の定着率が低いんだ」

「魂の、定着率?」

聞きなれない単語にはペローナを伺う。

「当然だが、普通の人間は塩を食わされても別に魂が飛び出るわけでもねェだろ?
 ゾンビはモリア様の能力で無理やり、死体に魂を定着させてるだけなんだよ。
 いわばゾンビは人間と”幽霊”の中間に位置する存在。
 だから、思うところがあったんじゃ無いか」

は軽く息を飲んだ。
それから何かに気がついたように、目を瞬き、改めてペローナに向きなおる。

「・・・ねぇ、ペローナちゃん、一つ仮説を立ててみたわ」
「なんだ?」

はペローナのそばに近寄った。

「私、スリラーバークで”魂に直接触れること”ができたのかもしれないわ」
「え?」

ペローナが瞬く。
は淡々と、思いついたことを言葉にし始めた。

「能力が似通っているとは言え、私たちは別の悪魔の実の能力者だわ。
 私とペローナちゃんの違いは、見た目だと、霊体状態でも透けてるか透けてないか。
 ペローナちゃんは実体と霊体が同時に存在していたけど、私は実体が霊体に変化していること。
 ・・・でも、私は霊体のペローナちゃんに触れることができた」

ペローナも気がついた。

一見同じような能力者に見えるとペローナだが、
の方は霊体のペローナに触れるだけでダメージを与えることができた。
ペローナはに触れることはできたが、
少なくとものように、凍傷のような効果を与えることはできなかった。

「もし、もしもよ。私が”魂になんらかの影響を与える”ことができるのだとすると、
 ・・・それは触れられる対象にとっては、恐ろしいわよね?」

絶句するペローナに、は続けて問いかける。

「ペローナちゃんは、私に触られたあと手が動かしにくいとかは、なかった?」
「そういえば、しもやけになったみたいに、動かなかった。実体になっても・・・!」

「そのあとは?」
「気にしてなかったが、今思えばおかしいな。
 霊体で負ったダメージは実体になっても反映されるのか・・・。
 だが、すぐに回復したぞ」

ペローナの言葉に、は頷く。

「ええ、そうね。私はペローナちゃんの足止めができれば十分だったから。
 でも、私がもし、害意や殺意を持って霊体のペローナちゃんに触れたら、
 どうなるのかしら?」

ゾッとペローナの背筋を冷たい感触が走った。
はこう言いたいのだ。

『その魂に触れるだけで、命を奪うことができるかもしれない』と。

そして、も悪魔の実の能力者特有の直感を得ているのだろう。

「・・・それ、できるって、確信があるんだな?」

ペローナの問いかけに、は頷く。
黙って聞いていたゾロもの出方を伺っていた。

「ええ・・・残念ながら。
 ”魂への干渉”も幽霊の力なんだわ。
 ・・・生きている人間には、応用できないのかしら?
 殺すとか傷つけるとかそういうのはあんまりしたくないんだけど、
 例えば・・・私のいいなりになってもらうとか!」

ゾロとペローナは顔を見合わせた。
ゾロが呆れた様子でを見る。

「・・・お前結構さらっと恐ろしいことを言うよな」
「ウフフフフッ」

笑って誤魔化しているつもりのだが、
ペローナもゾロも誤魔化されてはくれなそうだった。



寝酒にワインを1瓶抱えながらミホークが城を歩いていると、
どこからともなく小さく音楽が聞こえてくることに気がついた。

ピアノの旋律だ。

城の中でもピアノがある部屋は限られている。
ミホークはその部屋へと足を向けた。

ピアノの前にはが座っていた。指先だけの実体化に成功したようで、
拙い指運びながらも、なんとか曲を弾いている。

「『思い出して 私のことを 懐かしんで 私のことを
 いつか2人がさよならした時には
 時々は私を思い出して
 お願い やってみると約束して』」

は歌も口ずさんでいるようだった。
美しいソプラノの声だ。演奏を含めて見事な腕前だと素直に感心する。

ミホークはどうやら観客に気づいていないらしいを眺めながら、
壁にもたれかかった。

「『そうすればあなたも気づくでしょう
 もう一度 あの時の心を取り戻し 自由になりたいと願っている自分に
 少しでもいい この先時間が取れるなら、
 思い出して 私のことを』・・・あ、」

指先が鍵盤をすり抜けて、はため息をついた。
もう一度初めから、と鍵盤に向き直るに、ミホークが声をかける。

「鍵盤に触れるようになったようだな」
「!」

は心底驚いたらしい。
椅子からはじかれるように立ち上がった。

「び、びっくりしたわ!心臓が飛び出るかと・・・!私今心臓動いてないけど!
 いつから居たの!?」
「つい先ほど、歌い初めからだ」

流れるようにゴーストジョークを飛ばすに淡々とミホークが返すと、
は照れたように頰をかいた。

「恥ずかしいところを見せてしまったわ・・・」
「何を照れることがある?」

ミホークは首を傾げ、ピアノに目を向けた。
立派なグランドピアノだが、近頃は弾き手がおらず埃をかぶって居た。

「ろくに調律もしていなかったはずだが」

ミホークの疑問に、は悪戯っぽく笑った。

「ウフフ、やり方を見たことがあったの。
 ゾロに頼み込んで代わりに調律してもらったわ。
 見よう見まねだけれど、なんとかなった。
 何かを練習するには、これが一番身に沁みていると思ったから」

目を細めるの横顔を眺め、
ミホークは小さく口角を上げた。

「今、実体化できるのは2分半と言ったところか?」
「ええ、多分、そのくらい」
「・・・さっきの歌は何分ある?」
「3分半くらいかしら?」

「なぜそんなことを?」と首をかしげるに、
ミホークは腕を組んだ。

「なら、さっさと上達するんだな」
「ええ!?」

驚くにミホークは目を合わせる。

「最後まで聞きたい」

はパチパチと目を瞬き、やがて頷いた。

「が、頑張るわ!」
「・・・ああ、そうしろ」

小さく笑って部屋を後にしたミホークの背をは見送った。

「心臓に、悪い人ね、本当に・・・」



シッケアールでの修行の日々が始まって半年、
その日、城での喜びの声が上がった。

「で、できた・・・指だけじゃなく、腕まで実体化・・・!!!」

自分の両腕を、まるで宝石でも眺めるように見ているだが、
遠目から見ると光の加減で腕だけ浮いて見えるため、絵面としては微妙である。

「・・・心霊写真みてェだな」

ゾロがぽろっとこぼした感想には頰を膨らませ、
目にも留まらぬ速さでゾロに近づきその頰をつねった。

「いてェ!何すんだこの野郎!」
「心霊写真呼ばわりはひどいわ!ちゃんと実在してるでしょ!ほら!」
「だからってつねる奴があるかよ!?」

2人のじゃれあいに気がついたのか、ちょうど城から出てきたミホークがに目を止める。

「なんだ、お前も居たのか。・・・腕だけの実体化に成功したようだな」
「ええ!海水に腕を突っ込んだり、ミホークに覇気を実演してもらった甲斐があったわ!」

白い腕だけが色を取り戻している様は異様ではあるし、
何より武装色や武装硬化と呼ぶにはあまりに微弱な覇気ではあるが、
実体を得るという目標は達成したわけだ。

「・・・それを覇気と言うには微弱すぎる気もするが、ひとまずは合格点だろう。
 フフ、そうしていると心霊写真のようだな」

ミホークの感想にはガーン、と衝撃を受けたようだった。
それにゾロがニヤニヤと笑う。

「ほら見ろ」
「もう!」

地団駄を踏むに、それまでの経緯を知らないミホークは首を傾げている。
気を取り直して、は腕を幽体に戻し、胸の前で手を叩いた。

「でも腕全体を実体にできたのは嬉しいわ!
 新聞や本を自分で読めるんだもの!社会勉強をしなくては!」

「社会勉強?」

ゾロがなんだそれ、と首をひねると、は指を立てて説明する。

「私って記憶喪失だからか、いまいち一般常識に欠けてるし。
 新聞を読めばそれも解消されるかなって思って!読んでくるわ。書庫にあるかしら?」

がミホークに尋ねると、頷いた。

「ああ。途中捨てたものも多いが、残っているものもあるだろう。
 ・・・ところで実体化して居られる時間は?」

はうっ、と言葉に詰まった。

「・・・まだ10分よ。それも、かなり集中しないとダメなの。
 要練習って感じだわ・・・」
「先は長そうだな」

ため息を零すはそこでミホークとゾロと離れ、書庫へと向かった。

ミホークの気まぐれで残された新聞は抜けも多いが、それでも結構な量がある。

が少しずつ、少しずつ、新聞を読み進めていくと、
戦争が起きた頃のルフィの記事にたどり着いた。

ページを捲ると、一人の男と目があった。

「え?」

の手から新聞がすり抜ける。
実体化は解けていた。
見出しがの目に、飛び込んできたのだ。

『麦わらのルフィと海侠のジンベエを逃した死の外科医ローの思惑は?』

「ロー?」

そのページには、ルフィ、ジンベエの手配書とともに、ローの手配書も掲載されていた。
の額がズキズキと痛み出す。

「トラファルガー、ロー、」

は床に座り込んだ。

シャボンディ諸島で出会った、白いまだら模様の帽子を被った、
隈の濃い、無愛想な海賊。

『人違いだ。おれはお前を知らない』

彼は確かに、にそう言ったのだ。
だが、は首を横に振る、落ちてくる髪を掴んだ。

「・・・同姓同名の別人?」

口をついて出た可能性を、はすぐに否定した。
シャボンディ諸島で出会ったとき、確かに、は奇妙な感覚を覚えていたのだ。
あの喜びとも悲しみともつかない感覚、懐かしさ。

「いいえ、いいえ!違うわ!違う!」

の脳裏に、朧げな像が結ぶ、
白い帽子を被って、屈託無く笑う少年。

「”私の小さなお医者さん”」

の目から涙が溢れる。
床に落ちた涙は跡さえも残さず、消えていった。

「ロー先生・・・!」

まだ額が痛む。
だがは懸命に思い出そうとしていた、
その声を、その顔を。

 私の小さなお医者さん。

 正直者で、真面目で、優しさを隠そうとする人だった。
 私を治そうとしてくれた人だった。
 私の苦しみを和らげようと、励ましてくれた人だった。
 私に、前を進む勇気をくれた人だった。

 それなのに、なぜ。

「どうしてあなたは私に、嘘を?」

は拳を握る。

「どうして私、あなたが居たのに死のうとしたの?!」

はこの日初めて、思い出すことを恐ろしく思った。
自身を”死”へと駆り立てた何かと向き合うことを。

しかし、それ以上に、知らなくてはならないと一層確信して居たのだ。

「一体何があったって言うの・・・?」

新聞に写る顔に問いかけても、答えは返ってこない。
全てを思い出す他に、がそれを知る機会はないのである。